(プライバシー保護のため一部画像を処理しています。なお、トイレのスリッパではありません)

顔立ちは似ていても歩く姿勢が違う。日本人とタイ人の見分けは比較的容易です。特に女性は顕著に異なると感じました。

「タイ人 女子学生」と画像を検索すると歩く姿が数葉見つけることができるでしょう。

変態と思われるおそれがあります。スマホ画面の視界が他人に入らないところでお試しください。

タイ人の女子学生は背中がすくっと直立しています。

胸を張って歩く日本人は案外少ないことに気づきます。私もそうです。背中が丸まり少し前傾姿勢となってしまいます。

ところで、10数年前のことです。仕事での懇親会で長野出身のUさんと宴席をともにしました。Uさんは椅子の背もたれに寄りかからず、つねに背筋を伸ばしていました。

Uさんにお酌をしました。

するとグラスを持つ手を伸ばしたまま、かつ、背筋も伸ばしたまま、顎をすっと引いてお礼を言われました。

まるで合戦で床几(しょうぎ)に座る武将のように感じました。

「ご苦労でござる」とは言われませんでしたが、思わず「ははーっ」と言いたくなる雰囲気が漂っていました。当時40歳。

背もたれ不要のUさんはいま知事として活躍されています。


(「きょうの目標」。ワークショップのファシリテーターを務めました)

「この子はおとなしいね。しゃべらないね」--- 当時、私は3歳。畳屋さんからのその言葉がきっかけで母は私の聴力に疑いを持ちました。

耳鼻科を受診。このままでは聴力が低下し、小学校6年生になるまでに聞こえなくなるとの診断を受けました。

母はショックだったようです。気が動転し、どうやって自宅に戻ったか覚えていないと生前語っていました。

私は幼いころ、ほとんど言葉を発していなかったため、赤ちゃん言葉がなかったそうです。

このままでは言葉を覚えないままになってしまう。まだ聴力があるうちに本の読み聞かせをしよう。母は考え、実行しました。

毎晩、母は必ず読み聞かせをしてくれました。読み聞かせで特に記憶に残っているのは図鑑です。

さかなの図鑑、ちきゅうの図鑑、ほしの図鑑などなど。それから、日本の昔話やアンデルセンの童話。50年近く経ったいまでも、そのいくつかは持っています。

最初に覚えた単語は、ほしの図鑑の「たいよう(太陽)」であり、さかなの図鑑の「えいよう(栄養)」でした。

当時、家族や叔父叔母にサケの稚魚のお腹のオレンジ色の部分を指さし、得意げに「これ、えいようだよ、えいよう」といっていたのを覚えています。

医師の勧めに従い、少しでも聴力を改善するため、手術もしました。小学校に上がる前、アデノイドという鼻腔の奥にあるリンパ組織を切除。

まぶしい照明。はさみのような器具。口を開けさせられました。心臓は高鳴り、とてもつもない恐怖に襲われました。

何をされるかもわからない。しかも、局部麻酔の手術。口の中に器具が入れられ、組織を切り取るのです。拷問です。

泣き叫び恐怖のうちに手術が終わりました。

口に器具を入れる縁はその後も続き、高校2年生のときに扁桃腺を摘出、33歳のときには肺がんの検査で気管支鏡を飲みました。

当時、弟が幼かったからでしょう。父が付き添い、看病してくれました。夜中に氷を交換してくれたことを覚えています。

どんな思いで父は私のことを見守っていたのでしょうか。訊いておけばよかったと思っています。

現在、私は両耳に補聴器を付けています。

それでも聞き取れない言葉もあり、失敗や赤面することがあります。

聞き間違いをしてよく涙ぐんでいた子どものころ。齢を重ね面の皮が厚くなったからでしょうか、最近は以前ほど気にしなくなりました。

いま思います。時が解決してくれることもたくさんあるのだ、と。


(虫喰いの葉っぱが仮面のよう)

顔認識力が乏しい。以前から感じていることです。私の欠点の一つ。

駅前の再開発ビル内の無印良品でたまに会う女性から何度か挨拶されます。

が、どこの誰だか思い出せない。しゃべると覚えていないことがバレるので毎回会釈未満で済ませています。

「あのときは大変にお世話になりました」

そんなふうに知らない人に街中で声をかけられることもあります。いったい誰なのか、何をお世話したのか、いや、私がお世話になったに違いない。

そう思いつつも記憶を呼び覚ますことができません。数多くの方にご無礼をしているはず。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

一方で、人間はおろか牛などの動物の顔を何頭も識別できる友人がいます。すごいなぁと思います。

ところで、3年前に港区六本木にある研究機関で10日間の研修を受けました。全国から18名が参加。

顔認識力の弱い私は10日間の研修で参加者の顔と名前を一致させることができませんでした。

そのOBOG会が六本木で催されます。こんなこともあろうかと研修最終日の発表会の際に一人ひとりのお姿を写真に納めておきました。

大統領警護隊がブラックリストの写真を目に焼き付けるように、いま写真を見ながら脳内に各人の名前をタグ付けしています。

このOBOG会、なぜか集合場所は羽田クロノゲート。最新の物流について学んで夜の部に突入するようです。

来世は歌唱力があって顔認識のできる人間として生まれたい。そう願っています。


(自宅西側の風景)

東山魁夷は、作品の中で背景となる闇を「豪奢な黒」と称しています。黒はけっして無ではありません。

あえて派手に訴えないからこそ、黒はその存在意義を際立たせているといえましょう。それを豪奢と呼んだのかもしれません。

ところで、動画サイトの多くのCMが大音量とともに派手な色彩と動きで視聴者を引き付けようとしています。

見てくれ、頼むという制作者の強い思いが返って私たちを遠ざけます。ときには見ろよと言わんばかりの乱暴さを感じます。

次元は異なりますが、街宣車のがなり声も胸に響きません。傍点だらけの文章もまた強調しているようで、見づらいだけです。訴求効果がありません。

訴えようとすればするほど、伝わりません。

一方、静寂から始まるCMはつい見てしまいます。「静」に潜む期待と可能性。そんなところでしょうか。

「伝える」ということと「伝わる」は異なります。

目立つように伝える人は数多くいます。自分だけが一方的にたくさんのことを訴える人も散見されます。

でも、はたして伝わっているのか。顧みる姿勢が必要です。

本当に大切なことは静かに訴えた方がいい。いや、訴えるよりもずっとよく伝わる方法があります。それは相手のことに耳を傾けることです。

不思議なことに傾聴することによって、こちらの思いも伝わっていくのです。


(蚊取り線香を焚きながらデッキでゴロゴロしていました)

光陰矢の如し。昨夏決意したはずだったのに、時はめぐり、また夏が来てしまいました。

「決意」とは、年に1度の同業者同士の卓球大会に事前に練習をして臨む、というものでした。

第41回を迎える本年の県下都市職員交歓卓球大会。開催地は南相馬市でした。昨年は地元市での開催。

あれから1年が経ってしまいました。口惜しさいっぱいだったのに。絶対に練習しようと思っていたのに。決意したはずなのに。

のにを言う人の心に甘えあり。

けっきょく、1年間、ラケットを握らずにまた大会に臨んでしまう失態。負けたときの口惜しさはいったいどこに行ってしまったのでしょう。

数年前、男女混合の個人戦で年齢が一回り上のご婦人と対戦し惨敗。「最近卓球を始められたのですか」と心優しい問いかけをいただきました。

思わず「あ、はい」と答えたときの屈辱。

昔の光いまいずこ。

中学時代、市・県で団体優勝。個人戦においても市大会優勝(中体連)、県大会準優勝(学年別)の実績を積むも、練習せずんば廃れるのみ。

おごれる人も久しからず。たけき者もついには滅びぬ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるの格言の如く、「交歓」という名の夜の宴席で泡沫(うたかた)の決意はアルコールといっしょに蒸発していきます。

ラケットを握るのは従、ジョッキを握るのが主。昼は手段、夜が目的。

気が付けば、嗚呼、我、雪山(せっせん)の寒苦鳥となれり。

夜は寒さに苦しみ、昼はその温かさに苦しみを忘れ、遊びほうける。「明日は必ず巣を作ろう」と鳴きながら一生を終える寒苦鳥。

というわけで、寒苦鳥だっていいじゃないか、人間だものと言い聞かせながら、2日目の筋肉痛に呻吟(しんぎん)しています。

それにしても五十路の筋肉痛はどこか違う。

2日目にピークが来て、筋肉痛とともにインフルエンザの治りかけのだるさにも似た、倦怠感に襲われます。

ともあれ、あれほど汗をかいたのに体重が増えたのは不可思議この上ない。


(1年に1回の同業者による卓球大会。まったく練習もせず参加。夜が本番です)

ポリティカル・コレクトネス(通称PC)の観点から絵の具に「肌色」という色はないのだそうです。色と言えば、ぶんず色という少し特殊な色があります。

どの地域まで通じるのでしょう。私の住む地域だけなのかもしれません。もう少し広く南東北及び北関東まで及ぶのでしょうか。

ところで、プールの授業が好きではありませんでした。

暑い盛りのときではなく、なぜか梅雨寒の肌寒いときにプールの授業は行われました。

更衣室のコンクリートのたたきのじめっとした感じが嫌いでした。いまにもカマドウマ(通称“便所コオロギ”)が隅から飛んできそうな陰気臭さがたまらなくいやでした。

もちろん、冷たい水に入ることもおっくうでした。が、休憩と称してプールサイドで待機する時間は生き地獄でした。震えが止まりません。唇がぶんず色になりました。

サルの露天風呂から上がったときの気持ちを推し量ることができる、切ない待機時間です。

サルは偉いと思う。ドライヤーで体毛を乾かすでもない、タオルで濡れた身体を拭うでもない。ただただ、耐えるだけ。楽しみのあとは苦しみが待っている。

さて、プールの塩素臭も苦手でした。潜って水が鼻腔に侵入。わさびの反応領域と重なる鼻腔の奥というのでしょうか、つむじ付近に不快な鈍痛が走ります。塩素の刺激が不快感を倍増させます。

そんなプールの思い出ではありますが、ただ一つ、母との思い出があります。

私たちが呼んでいたところの「呉羽のプール」。室内プールでした。真夏のある日、泳ぎたくなって母に「呉羽のプール」に連れて行ってほしいとお願いしました。

小学校3年生ごろのことです。

母はちょっと渋っていましたが、私だけが入ることを条件に連れて行ってもらうこととなりました。

あとになって母は話して聞かせてくれました。渋っていた理由を。

母は子どものころ、板状の仕切りが両足の指のところに落下し負傷。それ以来、すべての足指の爪の色がぶんず色に濁ってしまいました。

それを人前で見せたくなかったのだという。ぶんず色は母の爪の色。ちょっぴり悲しい色です。

というわけで、「呉羽のプール」のあと、近くの釣具店でぶんず色のアオイソメを買って、午後に釣りをして遊びました。


(宍道湖)

私が願ってやまないスイーツがあります。その名も「まるごとバナナwithoutバナナ」。つまり、バナナ抜きの「まるごとバナナ」です。

あのバナナがあることによって「まるごとバナナ」は価値を毀損(きそん)しています。残念なことです。

バナナは夾雑物(きょうざつぶつ)以外の何物でもない。余計なお世話。お節介です。

良かれと思っているのでしょう。しかし、バナナはまったくもって不要。

コンビニなどで、もしや「まるごとバナナwithoutバナナ」があるのではないか、と四葉のクローバーを探すような目でスイーツコーナーを覗くことがあります。

しかし、残念ながら、陳列されているのは「まるごとバナナ」のみ。

たまに製造ラインの不具合でバナナの入っていない「まるごとバナナ」が出荷されていないか、と淡い期待を抱きます。

「このたび、弊社の製造ラインの不具合によりバナナなしの『まるごとバナナ』を出荷する事態となり、誠に申し訳ございません。今後、再発防止に万全の態勢で臨んでいく所存であります」

こんな事態は、私にとってはこの上なくウェルカムです。

あの「まるごとバナナ」の存在感と重量感。そのまんまでのバナナ抜きの「まるごとバナナ」。

ぜひとも販売してほしい。虜になるのは目に見えています。

そんな思いを祈りに込め、ヤマザキ製パンに念を送り続けて四十余年。いまだ叶わず。祈祷が足りないゆえか。

「まるごとバナナwithoutバナナ」を切望する声が私には怨嗟(えんさ)のように聞こえてきます。なぜバナナ抜きが作れないのか、と。

シンクタンク星々のつぶやきの調査によると、約2割の人が「まるごとバナナ」のバナナは不要と考えているという。

「まるごとバナナwithoutバナナ」の利点は、選択肢が広がることにあります。バナナ好きも、そうでない人にも優しい「まるごとバナナwithoutバナナ」。

バナナも食べたい人は、別途バナナを購入し、「まるごとバナナwithoutバナナ」を食べながら、バナナを食べればよいのです。至極簡単なことです。

「まるごとバナナwithoutバナナ」が歓呼として迎え入れられ、株価の上昇は火を見るより明らかです。

「まるごとバナナwithoutバナナ」の出荷の日は近い。

待て、しかして希望せよ。


(後先考えずこういうのを腹いっぱい食べてみたい)

今日に至るまでその正式名称がわからないでいます。我が家では祖母の代からそう言っていたので、「ねまき」と呼んできました。

「ねまき」とは、いわゆる綿入れ、あるいは半纏(はんてん)に似ています。

しかし、綿入れなどは丈が腰辺りまでなのに対し、「ねまき」は足首近くまであります。

まったく雅(みやび)のかけらもありませんが、平安朝の着物を思わせます。綿入れなどと大きく異なるのは、背中に羽織るのではなく、掛け布団のように使うところです。

おわかりになるでしょうか。通常、背中に接する布地の部分がお腹にくるということです。

寝具において身体を一番最初に被せるのはこの「ねまき」。次に毛布、そして掛け布団という順序です。

長じるまで、これが冬の寝具のスタンダードだと私は思っていました。特殊なスタイルだと気づいたのは、学生時代に上京してからでした。

でも、私は「ねまき」が好きです。「ねまき」は、襟が首周りをすっぽりを覆うため、じつに温かい。安心感も加わります。

毛布や掛け布団だけですと、冬の冷気が首周りに侵入してきます。首周りというのか、肩周りというのか、要するにその辺に隙間が生じてしまうのです。

母の知恵なのでしょう。母は「ねまき」の襟にタオルを縫い付け、汚れが生じたら、また新しいタオルを付けていました。

冬の寒さの厳しいとき、母は「ねまき」を石油ストーブの熱線に当て温めてくれました。温かい「ねまき」にくるまって眠ることの幸せを感じました。

それにしても、この「ねまき」の正式名称は何というのでしょう。わからないまま、もう半世紀も過ぎてしまいました。

温かいので入棺時にも所望いたします。


(塩屋埼灯台)

NHKラジオ文芸館が好きです。アナウンサーの語りと音響効果で構成する「聴く短編小説」。いまも心に深く残る作品があります。

もう20年近く前に聞いた作品です。記憶があいまいなところがありますが、大要は次の通りです。

海辺の近くの旅館に初老の一組の男女が現れる。夫婦のようには見えない。かといってどのような関係なのか、容易に推し量れない。

毎日、男は女を連れ立って、海辺を歩く。無邪気にたわむれ、喜ぶ女。ときに貝を拾い、男に見せる。男は優しく女を見守る。

男は何かを深刻に考えているように見える。逡巡する毎日を過ごす中、ある日、意を決したかのように岬の突端に女を連れていく。

女は誘われるまま、男といっしょに岬に行く。しばらく海を見つめたのちに男はあきらめ、女とともに旅館に戻る。

ある日、あさ目覚めてみると女がいない。海辺をはじめあちこち探すも女は見当たらない。日も暮れ、女はどこかへ行ってしまったようだ。

男は不安が募る。

「岬へ自分で行ったのだろうか」とつぶやく。男は困惑と、そして少し安堵の入り混じった表情を浮かべる。

さまざまな思いが去来する。この結果は望んだことなのだ。自分を納得させる男。

しかし、翌日、女は現れ、男の元に戻ってくる。男はひとたびは落胆し、そのあと、深い安堵の表情を見せる。

結局、これでよかったのだと自分に言い聞かせるところで物語は終わるというものです。

じつはこの男女は夫婦なのです。妻は数年前にアルツハイマーを発症。医師に数年後には夫はおろか、自分自身が誰なのかもわからなくなくと告げられます。

妻は夫に言います。

「あなたが誰だかわからなくなる私の姿なんて絶対に見せたくない。そうなったら、あの岬に私を連れて行って。そして海に突き落してほしい。約束してくれる?あなた」

「約束するよ」

「きっとよ」

というわけで、題名も著者も思い出せないまま今日に至る私。

塩屋埼の灯台に登れば、何か思い出せそうな気もするのですが、どんなものでしょう。

「約束通り突き落とすわよ」って声が聞こえてきそうです。


(自分の影。オーラのようなものが見える)

火力発電所の社宅の共同浴場。もちろん男女に分かれていました。脱衣場はバレーボールのネットくらいの高さまで板の仕切りがあり、声だけは双方から聞こえました。

「お母さん、上がったか」

「上がったよ」

父母のやり取りで私たちきょうだいも同時に共同浴場から外に出ることができます。

9号棟の真ん中の階段の入口までは20メートルほど。両親と一緒なら夜道も怖くありません。

矢追純一のUFOスペシャルを見たあとにひとりで行く風呂への往復の道のりは恐怖そのものでした。「多感だった時代『金平糖石けん編』」に詳述している通りです。

洗面器を縦に、いや、盾にして顔を覆いながら疾走。石鹸を地面に落とし、砂だらけになった石鹸を手探り拾ったものです。石鹸がイボイボの金平糖のようになっていました。

さて、夜風に吹かれながらアパートの階段の入口に近づくと私たちは親にねだります。コーヒー牛乳を買って、と。

1階の右側のお宅はなぜか牛乳を販売していました。呼鈴を鳴らし、玄関を開けると、狭い玄関に小さなショーケース風の冷蔵庫が置かれていました。

お目当てはその中にあるコーヒー牛乳です。玄関で飲む至福の1本でした。

4階まで階段を上って我が家に向かいます。子どものころ、各階の踊り場に備え付けてある火災報知器の赤いランプが不気味に感じました。


(HAL 9000のカメラ・アイ 出典:ウィキペディア)

後年、映画「2001年宇宙の旅」を見たとき、私はどきっとしました。人工知能のHAL 9000のカメラ・アイがその火災報知器にあまりにも似ていたからです。

さて、4階の我が家に到着。寝支度です。

キンチョールを天井の四隅にしゅっと母が吹きかけます。私はキンチョールのにおいが嫌いで逃げていました。

布団を敷いたあと、部屋いっぱいの大きな蚊帳(かや)を吊りました。いま思うと網戸というものがなかったのでしょうか。

部屋の隅から蚊取り線香の煙がほのかに漂ってきます。眠りに就く前、トイレに行くときにめくる蚊帳の感覚が好きでした。

蚊帳の内と外。世界が違って見えました。


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