(喫茶「ブルボン」)

月1回のドラッカー読書会。毎度、ドラッカーの着眼点に唸らされています。今回は『経営者の条件』の第7章「成果をあげる意思決定とは」です。会場は喫茶「ブルボン」。参加者5名。

「誰もが自分の意見からスタートする。しかし、意見は未検証の仮説にすぎず、したがって現実に検証されなければならない」

意見は未検証の仮説である。この当たり前のことを文章にすることのできるドラッカーの卓越性に惹かれます。

事実を語っているようでいて、じつはみなが「意見」を言っている実態。そのことを私たちはよく認識する必要があります。

ここでドラッカーは事例を引きます。ゼネラルモーターズ(GM)で長年社長を務め世界最大級の企業に成長させたアルフレッド・スローンが登場。

「スローンは直観で決定を行う人ではなかった。意見は事実によって検証すべきことを強調していた。しかも結論からスタートしそれを裏づける事実を探すようなことは、絶対に行ってはならないとしていた。その彼が、正しい決定には適切な意見の不一致が必要であるとしていた」

正しい決定には適切な意見の不一致が必要。これまた、いささか衝撃的な言葉です。

職階が上がり、意見する人が減り、反対する人はなおのことほとんどいなくなる中で、この考えを堅持していたスローンのすごさを感じます。と、同時にスローンの力の源泉をそこに見出すドラッカーの鋭敏な感性に打たれます。

一方で、今回の著書には記されていませんが、ドラッカーはスローンの経営するGMの将来を危惧。その警告をスローンは無視した経緯があります。

意見の不一致が必要な理由について、ドラッカーは三つあると述べます。

第一に、「組織の囚人になることを防ぐからである。あらゆる者が、決定を行う者から何かを得ようとしている」

第二に、「選択肢を与えるからである。いかに慎重に考え抜いても、選択肢のない決定は向こう見ずなばくちである」

第三に、「想像力を刺激するからである。(中略)反対意見、特に理論づけられ、検討し尽くされ、かつ裏づけられている反対意見こそ、想像力にとって最も効果的な刺激剤となる」

この第7章「成果をあげる意思決定」の行間を丹念に読み解いていくと見えてくるものがあります。これら三つに加え、意見の不一致が必要な理由を私は私見としてもう一つ次のように加えたい。

第四に、「慢心を防ぐからである。慢心は判断を歪め、正しい意思決定への道筋から外れる」

というわけで、実り多いドラッカー読書会「いわき学びカフェ」も来月が最終章。

9月初めには教材を改め、川内村でいわなの塩焼きを食べながらの「学びカフェ夏合宿」を予定しています。人数限定。ご興味のある方、いらっしゃいますか。

ちなみに、職場の課内協議で私の意見(向こう見ずなばくち)はほとんど通りません。多くの場合、スタッフからの反対意見が意思決定となります。

いつもスタッフに慢心を打ち砕いてもらっている私。始終、想像力が刺激されっぱなしです。


(鮨酢は酢4、砂糖3、塩1の割合です)

孫子曰く、「軍争は利たり、軍争は危たり」。軍争はうまくやれば利となるが、下手をすると危険をもたらすという意。機先を制することはリスクを伴うということでしょうか。

節約主義の私は三男の誕生日に手製の海鮮丼を作ることにしました。外食禁止令発動中にあって二男が丼を覗き込みます。

「お父さん、これ本物のかに?」

「そう、本物のかにかまだよ」

「そうなんだ...」

「そう、本物のかにかま」

何事も本物というところが大切です。ズワイガニ5%含有などというニセの「かにかま」に騙されてはいけません。本物で真っ向勝負。

質屋さんは言います。真贋を見極めるには、本物を見ること、本物に触れることだ、と。

というわけで、本物のかにかまを食べて息子たちは満足しているように見えました。


(師匠宅の庭先で可憐に咲く花)

からつづく)

鮨屋、串焼き屋とめぐり、締めはスナック「茶色の小びん」。店名の由来は、アメリカの往年のジャズナンバーの一つ「茶色の小瓶」をオーナーが愛していたからだという。

店の前まで来て、まざまざと私は思い出しました。15年前にもこの店で師匠と飲んだことを。日誌には7月11日金曜日とありました。

その際、私は飲みすぎて店外のフェンスにもたれて夜風に吹かれていました。いつの間にか師匠がそばに寄ってきて、覗き込むようにして尋ねました。

「○○○さん、戦ってる」

思っても見ない質問に私は答えに窮しました。いや、正確に言えば、戦っていない自分が恥ずかしく答えられなかったのです。

いま思えば師は戦っている渦中にあったのだ。15年の月日が過ぎ、顧みてわかります。

長所と短所、言い換えれば、光と闇を、他との比較においてではなく、師は透徹した眼であくまでも己を俯瞰します。自身に才能あることを客観視すると同時に闇の部分にもあえて目を凝らします。

その同じ眼差しで私も射抜かれてきました。光も闇も。

店に戻ると、師匠はマイクを握って「妖怪人間ベム」の主題歌を歌っていました。

「早く人間になりたい」

師匠の思いを代弁しているのだろうか、何らかの比喩なのだろうか、師はじつは妖怪人間なのか。

歌の中でそのフレーズが流れるたびに、私は考えてしまいました。妖怪人間というよりは「人間妖怪」なのかもしれない、と。

走馬灯のように15年前を振り返りつつ、席に座りました。前回はテーブル席でした。今回は美しいママを対してのカウンター席。


(夜の会津若松)

お通しが美味です。別腹が即座に起動。冷たいサラダと郷土料理風の夏野菜の入った茄子炒りです。じつに美味しい。

この店に似合うのはやっぱりバーボン。フォア・ローゼズの水割りを飲みながら、師匠の歌う曲に耳を傾けました。

テレサテンの「つぐない」
なかなかに哀切の漂う歌い方です。ペーソスというのでしょうか、歌声から切なさが伝わってきます。

酒井法子の「碧いうさぎ」
「あとどれくらい切なくなれば、あなたの声が聴こえるかしら」。これまた胸に迫ってくる歌です。

ちあきなおみの「黄昏のビギン」
初めて聞く曲です。「雨に濡れてたたそがれの街 あなたと逢った初めての夜。ふたりの肩に銀色の雨...」。哀愁を感じます。素敵な歌詞。一つ一つの言葉が胸奥に沁み入ります。

山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」
「二人で行くと約束したが 今ではそれもかなわないこと...悲しみ深く胸に沈めたら この旅終えて 街に帰ろう」

師匠の胸には何が去来するのだろう。「かなわないこと」という言葉がたまらなく切ない。

というわけで、千鳥足で師匠宅に戻り、梨のリキュールを飲み始めたところまでは記憶しています。翌朝午前5時前に目が覚めました。シャワーを浴びて寝静まった家から逃げるように辞去しました。

サボテンの花や庭先の花を盗っ人のように撮影。じつに濃厚な会津若松の夜でした。師匠に深謝。


(師匠お手植えのデンドロビウム)

)よりつづく

二葉鮨で極上の鮨を堪能。河岸(かし)を変えて、次に向かったのは「串」。炭火で串を焼く居酒屋です。

私の師匠は古くからここに来ているらしい。いや、通っているらしい。

店は一部屋のみの小さな造り。カウンター5席に囲炉裏端は8人ほど座れそうです。囲炉裏の鉄瓶から湯気が出ています。青森から来たというお客さんが囲炉裏端を囲んでいました。

師匠と門下Aさんは地酒を注文。門下Nさんは麦焼酎のお湯割り、私は芋焼酎のお湯割り。お通しが出されるまでの間、二葉鮨でつぶやいた門下Aさんの言葉を私は反芻しました。

「多くの人の共感を得ることよりも、一人の人に深く刺さることが大切だと思います」

門下Nさんも賛意を示し、こう述べました。

「私も目の前の一人の人に理解してもらうことを心がけています」

二人の言う通りだ。一人の人を大切にしよう。そう私は思いました。

こりこりとした新鮮な鯛の刺身と枝豆が出されました。枝豆は両端が切り落とされ、食べやすくなっている。店主の心遣いを感じます。

店内が禁煙なのもうれしい。しかも師匠は今年から禁煙中。

つくねを注文。じっくりと炭火で燻され、焼かれている香ばしいにおいが漂ってきます。たれ壺につくねを通し、さらに焼きを重ねます。

洋がらしが添えられ熱々のつくねの串焼きが目の前に置かれました。

あっ、おひしぃ。たまらない。


(炭火串焼き「串」)

表面も芯も熱い。いや、中の方がより高温です。遠赤外線がつくねのコアまで行き届いています。

つなぎを極力抑えているので弾力性はさほどありません。たれの甘さもひかえめ。

鶏肉本来の旨味を引き出そうとしていることがわかる、これまた極上のつくねでした。

「こんな美味しいお店が自宅の近くにあっていいですね」

私が師匠をうらやみつつ言うと店主が答えました。

「いや、健康に良くない。体を壊しますから」

一同、呵呵大笑。客の視点で考えられる店主の姿勢に私は惹かれました。

最後に出されたのが高麗人参スープ。

飴色の澄んだスープで、見た目はコンソメスープのよう。松の実、くこの実、香味野菜の刻みが入っています。3日間かけて作ったという。これには驚きました。

「コンソメスープのようにも感じるのですけど、ベースには何が入っているのですか」

「コンソメと似ているかもしれないですけど、肉や昆布、鰹節、野菜など様々なものが入っています。身体が熱くなりますよ。体温が上がるんです」

「どの味と表現することが難しい味ですね」

複雑でいて、それぞれの旨味が相殺することのない味というのでしょうか。野菜のエキスもほんのりと味覚が捉えます。まさに旨味の交響曲。名指揮者はもちろん店主です。

「このスープ作りは温度が大切です。旨味が出るぎりぎりのところまで温度を上げ、また下げる。これの繰り返しで濁りのない澄んだスープができます。温度管理を間違うと不味くなってしまう。難しいんです」

店主はどれほどの研究と試行錯誤を繰り返してきたことか。陰の労苦はけっして他の人には見えない。師匠の姿にも通ずる何かを私は感じました。

カウンターに置かれている高麗人参の焼酎漬けを眺めながら、滋味溢れる最上のスープを飲み干すと全身にエネルギーが漲ってくるように感じました。

パワーをチャージしたところで、次なる店「茶色の小びん」に移動です。着いてみるとそこは思い出の場所でした。

(下へつづく)


(上戸浜から望む猪苗代湖)

門下3名で師匠を囲みました。いつもなら師匠宅で師自らの手料理に舌鼓を打ちながら厳愛の箴言(しんげん)をいただくところです。

今回は趣きを変えての催し。いわゆる外呑みです。15年ぶりの会津若松の夜の街歩きになります。暑くもなく寒くもない。夕刻の微風が心地よい。

師が育てるサボテン。いままさに花咲かんとする蕾に見送られ、鶴ヶ城の外堀跡を歩き出しました。

師厳選の最初の店は鮨屋です。店名が大将の修行の淵源に由来するという「二葉鮨」。

浜に生まれ育った私は正直大きな期待は抱いていませんでした。師が選ぶからにはいい店なのだろうくらいの期待感でした。


(外呑みを終えて戻ると私たちを迎えるかのように花開いていました)

浦島草に似た鳥貝が旬だという。はじめにシャリなしで鳥貝と赤貝が桂剥きした大根つまにふわっと載せられて出てきました。皿の四隅には本わさびがお灸を据えたかのように豪奢に盛られています。

じつに甘い。甘くて気持ち良い歯ごたえです。

「貝がこんなに美味しいなんて...」

門下Aさん。海辺に生家があるにもかかわらず貝が苦手という。ところが、この貝には参ったようでした。きっと誰もが降参することでしょう。

貝もさることながら、桂剥きの大根つまがきらきら光りシャキッとしていたことに私は大将のこだわりを感じました。


(手前が金目鯛、奥が穴子)

よく見かけるごわごわと連なる大根つまとは別物です。集合体でありつつ、一本一本がパラパラと離れる。わずかにねじれが入りつつ、ぴんと生気を帯びている。そんなつまです。どんな技を施しているのだろうと思いました。

食の専門家の門下Nさんも感嘆の連続です。

鯛の刺身と小鰭(こはだ)がシャリなしで、代わりに大葉が挟まれて出てきました。

鯛も小鰭も、さっき海から泳いできたかのような新鮮さ。小鰭は軽く締めてあるだけなのか。もう少し下処理がされているのだろうか。小鰭本来の旨味を味わうことができました。

大将は修行と努力の末にこの味を文字通り味得(みとく)したのだろうと想像しました。


(桔梗の一種だという。師匠の育てる鉢の一つ)

いよいよ寿司を握ってもらいます。

鰯と烏賊。鰯がこんな贅を尽くした味なのか、と思いました。シャリが結合の限度ぎりぎりに握られています。口に入った途端にパラパラとなる、そんな具合です。烏賊の歯ごたえも良し。

牡丹海老の握りと牡丹海老の海老味噌の軍艦巻き。

師匠曰く。「この牡丹海老はこれを目的に獲ろうと思って得られるものではなく、他の漁で網にかかるものなのだよ」と。

肉厚の希少な牡丹海老を一気に喰らいます。多幸感が脳髄を貫きます。旨味と歯ごたえの協奏が口中に広がります。

そして海老味噌の軍艦巻きを頬張ります。ぷんと香る磯の匂い。良質な海苔を使っているに違いない。海老味噌と海苔とシャリのハーモニーに私はやられました。

最後に金目鯛と穴子です。少し炙りの入った金目鯛。良質なバターを思わせる脂の甘さを舌先で感じながら、歯ごたえを味わいます。金目鯛とはこのような魚だったのか。見直しました。

最も深い感動を与えてくれたのが穴子。穴子についての私の常識が打破されました。焼き具合、蒸し具合、そして付けダレが穴子の醍醐味を得るように絶妙に施されている。穴子を食べに行くためだけにいわきから高速を走らせてもいい。そう思いました。

というわけで、久しぶりに回らない寿司屋で、会津若松という海に無縁の地で極上の寿司を堪能いたしました。本物の職人に出会えた喜びを謝しつつ店を後にして河岸(かし)を変えました。

(へつづく)


(寒い日のキジ君)

バンコク。初めての訪問は33年前の18歳のときでした。夏休みを利用してサークルの先輩方と行きました。初めての海外旅行です。

ドンムアン空港に漂う熱気と表現しがたいにおい。けっして香(かぐわ)しいものではないものの、そこには異国を意識させる何かがありました。

その後、様々な機会を得て、シンガポール、マレーシア、香港、カナダ、アメリカ合衆国、韓国を訪れました。

その中で、いまもなお惹きつけてやまない国、それがタイです。何が彼の地をして私を魅了するのか。自分でもいまだによくわかりません。

好きな娘でもいるのではないか、と問う人がいます。が、「いる」という現在形は正しくありません。

さて、日本とは明らかに異なる雰囲気。でも、なぜか懐かしさを感じさせる。異国という感覚と同時にそこかしこに親和性を想起させる風物。

仏教という共通基盤を持つゆえか。ところが、彼の地と日本のそれとは相当に異なります。まず視覚的に違う。寺院も、本尊たる仏像も、僧衣も、かなりの違いがあります。

上座部と称する、大乗の立場から言うところの小乗仏教だから違和感を感じるのか、南国という気候に起因するのか。

日本の寺院のような陰々とした雰囲気とはかけ離れています。明るい。あっけらかんとしています。

顧みれば、逆に我が国に伝来した北伝ルートの仏教が中国という文化的フィルターによって釈迦時代のにおいを変質させたのかもしれない。そんなふうにも私は考えます。彼の地のものが本家に近いとも言えるのです。

言語の由来は明らかに中華文化圏に属しています。しかし、大和言葉と漢語との関係に似て、抽象的な概念を表わすタイ語のほとんどの語彙(ごい)はインドのパーリ語またはサンスクリット語に由来します。文字はクメール文化の影響を受けています。

「行う」と「実行する」はその意味においては同じです。タイ語も日常会話で使う「行う」という言葉と、法律や固い表現で使う「実行する」とは区別しています。

そういった言葉の持つ二重性にも私は親近感を抱きました。

むすびに笑いについて一言。

タイ人は日常生活においてつねに心地よさ(サバーイ)を求める習慣があるせいか、「笑いのネタ」の追求は日本が群を抜いていると思いました。

質の良否はともかく、日本人は常時お笑いを希求している。執拗に笑いを求めている。そう感じます。裏を返せば、社会が、人々が疲れているのかもしれません。

タイ留学中にバンコクの古書店で小学館ビッグコミックスピリッツの相原コージの四コマ漫画を見たときです。閃光を浴びたようなその可笑しさに思わず大声を出して笑ってしまいました。

静まり返った古書店で私の笑い声だけが響いていました。

というわけで、久しぶりにタイに行ってみたくなりました。そんな時間もないので、トムヤムクンでも作って心を慰めようと思います。


(転落すれすれのところで撮影)

「兄と妹の会話」はまったくのフィクションです。かつて仕事上で対峙した代理人弁護士の言葉が私は忘れられません。

公知の情報こそ重要である、と。

例として、地検特捜部は雑誌や新聞などの公知の事実から大事件につながる情報を得るものなのだと説き、同様に、米ソ対立の迫真に迫る小説、トム・クランシー著『レッド・オクトーバーを追え』は公知の事実を積み上げた作品である、と私に教えてくれました。

リヒャルト・ゾルゲの部屋には逮捕時、歴史や文化など日本に関する書籍が1000冊近くあったという。諜報活動の基礎は公の情報にある。その証左と言えます。

真のインテリジェンスは公知の情報から危機を察知する。流れをつかむ。いわば、公知の情報から深層海流のごとく緩慢ではあるものの、確かな胎動として人々が気づかぬ時代潮流を読み解くのです。

「お兄ちゃん、米韓軍事演習の中止の言質(げんち)を取ったのは大きな成果ね」

「まさかと思ったよ。習近平のオジキへのお土産にと思って言ってみただけだったけど、トランプのオヤジは真に受けたな。言ってみるもんだ。あの軍事演習の本当の狙いは中国への牽制だからな。習近平が嫌がっていたことを俺は知っていた」

「これで習主席もお兄ちゃんを見る目が変わるわね」

「どうだかな。貸しを作ったことだけは確かだ。ヘビが獲物をにらみつけるような習のオジキの目が俺はどうも好かん」

「ぞっとするわよね。私も嫌い。来週からポンペオが来るけど、CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)を求めてくるわよ」

「トランプのオヤジに俺が『段階的かつ同時行動の原則で行きたい』と言ったら、それで構わない。No problemって言ってたぞ。これは重い。親分が認めているんだから、国務長官だろうが大統領補佐官だろうが、俺は段階的かつ同時行動を貫く。ただし、だ」

「ただし、何、お兄ちゃん」

「だだをこねるのはよくない。本気度は見せるんだ。廃棄に向けてきちんと取り組む、と。見せることが大事だ。共和国は本気だという雰囲気を醸成するんだ。そうれば、中国やロシアが制裁解除に向けて動き出す。両国への見返りも考えてある。金とレアアースの採掘権だ」

「お兄ちゃん、共同声明の文書に朝鮮戦争終結に触れていないのは理由があるの?」

「戦争終結の当事者に中国が入っていることはわかっているな。それを忘れちゃいけない。アメリカと我が共和国だけでは決められないということだ。いや、決められないことはないが、習のオジキに仁義を切る必要がある。習のオジキに花を持たせつつ、戦争終結につなげていくんだ」

「一つ一つを価値あるものにしていく作戦ね」

「そうだ。核も平和協定もすべて安く売ってはいけない。日本の言う拉致問題も奴らがどこまで出すかだ。俺の親父の時代の恥部をさらけ出すわけだからな。こちらの恥に見合った想定外の金額を奴らが示すかどうか、だ。会ってやろう、安倍に」

「見合った額を出さなかったらどうするの」

「そのままにするだけさ。時が解決するよ」

「そのままに?どういうこと」

「トランプは栄誉をほしがっている。だから、間もなく朝鮮戦争は終結し平和協定が結ばれる。アメリカと我が共和国が国交が結ばれる中で日本だけが取り残される。ニクソンショックで懲りた日本がふたたびトランプショックを受けるかもな」


(ブリの唐揚げのマリネ)

獅子の国を意味するシンガポール。タイのビールで有名なシンハビールのシンハとシンガポールのシンガは原義は同根です。

セントーサ島はマレー語で平和と静けさの意。しかし、その言葉に反し、ここは旧日本軍が占領し血生臭い歴史が刻まれた島でもあります。島内にある戦争記念館は見学する価値があります。

この地を初の米朝首脳会談の地に選んだ真意はもっと深いものがあるのかもしれない。

「お兄ちゃん、やったわね。共同声明に署名まで。大成功ね。CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な非核化)は盛り込まれずに体制保証を勝ち取ったんですもの」

「トランプのオヤジは真の意味で俺たちの核ミサイルを脅威として見做していない。ボルトンなどの取り巻きは別だがな。要はオヤジの基準は票になるか、金になるか、アメリカを偉大にするか、なんだ」

「そりゃそうね。アメリカの核戦略や通常兵器はとても私たちには敵わない。圧倒的な軍事力を持っているものね」

「でもな、ここまでアイツを引っ張り出してこれたのはまさに核の力なんだ。そこを忘れるなよ。これから高く売るからな」

「はい、わかりました」

「核の廃棄は気の遠くなるような金と時間がかかる。完全なる廃棄を要求するなら、その廃棄にあたってアメリカはとことん支援してくれるのかって言ってやったんだよ。トランプのオヤジ、何て言ったと思う」

「金は日本と韓国が出すって言うんだよ。そこで、俺はオヤジは我が共和国の核を本当の脅威とは思っていないと睨んだんだ。選挙向けの成果がほしい。栄光がほしい。でも、金は出さない。そういうことだよ」

「これまでの合衆国大統領が誰もなし得なかった両国の首脳会談を実現した。それでほぼアイツの望みは叶えられたんだよ。これは俺にとっても同じだ。だから俺とアイツは阿吽の呼吸で利害が一致したということだ」

「でも、核の廃棄はどうするの」

「廃棄は必ずする。その意思は断固としてある。でも、残念ながら金がない。そう言えばいいんだよ。トランプのオヤジに上手いこと利用される日本の泣きっ面が目に見えるようだ」

「それにしてもシンガポールのシェンロン首相は立派な方ね」

「そうだな。さすがリー・クアンユー元首相の息子だけのことはあると思ったよ。今回の会談にあれだけの支出があっても東アジアの平和と安定に資するから負担を厭わないと言っていたな。あのような大局的な見方ができなければ我が共和国も持たないな」

「それに引き換え、東京からは拉致の一本槍。自分の国の、しかも特定のことだけ主張してくるわ」

「トランプのオヤジもシンゾウに言われたから仕方なくって感じだったな。俺は言ってやったよ。我が国はいつでも対話をする用意がある、とね」

「それで十分よ。じっくり待てばいいわ」

「核廃棄のプロセスでこれから金が入ってくるぞ。作業するのは我が人民だからな。アメリカは人は寄越すだろう。どんどんアメリカから人々がやって来て交流が盛んになる。すると中国は後見づらして寄ってくる。中国は我が共和国を緩衝地帯と思ってやがるからな。それと、寂しがっているロシアもお参りにくるぞ。観光地の開発を急げ」

「お兄様、承知しましたわ」


(我が家のアイドル“キジ君”)

前号の「国難」で個人的な災厄として“私難”について触れました。今回は“家難”とも言うべき災いについて述べたいと思います。

少し前から自宅のWi-Fiの調子が悪くなっていました。途切れたり、スマホで電波受信の表示はあるものの、データが送られてこない。そんなことがときおりありました。

Wi-Fiルーターがおかしいのかな。買い替え時期なのだろうか。そんなふうに思っていた矢先です。スマホもパソコンもインターネットでのやり取りができなくなりました。固定電話も使えません。

NTT東日本に電話をしました。

「お客様のご契約は当社とは光電話のみとなっています。通信はソネット(So-net)さんとなっていますので、ソネットさんにお問い合わせくださいませ」

「光電話のみ?でも、光回線終端装置(ONU)はNTTのものになっていますよ」

「それも含めてソネットさんの管理になっていますので当社では状況が把握できません」

そういえば、ソネット光に切り替えたことを思い出しました。なんだかよくわからないまま、ソネットに電話。

「お客様、状況は承知いたしました。お客様番号または当社からお送りした契約者情報はお持ちでしょうか」

「それが探したのですが出てこないのです」

私はこういった類のものをきちんと保管できない人間です。管理できる人を尊敬します。

「承知いたしました。大丈夫ですよ。まず光ケーブルが折れ曲がっていないか、またはソケットから抜けていないかご確認ください」

「え〜と、これかな、あっ、ケーブルが抜けていました。申し訳ありません。でも、ONUを自分で初期化してしまったので設定し直さないといけないと思うのですが、やり方を教えてください」

「暗証番号を覚えていらっしゃいますか」

「いや、それが...」

「当社ではセキュリティーの関係上お客様に暗証番号をお教えすることはいたしかねますが...」

その後、様々な裏技を教えてもらいながら、1時間以上かけて設定し直し、まず光回線が復活。その後、さらに時間をかけてインターネット接続の再設定をしました。

担当の女性のオペレーターの方はじつに懇切丁寧で、深く感銘を受けました。私に非があるにもかかわらず、このような問い合わせをいただき、有り難いという姿勢で接してくれました。なかなかできるものではありません。

ほっとしていると、浴室からアラーム音が響いていることに気づきました。

電源がオフになっているにもかかわらず、給湯器設定のモニター画面が不規則に点滅し、妙に甲高い音が鳴っています。

まるでモールス信号のようです。宇宙からのメッセージを受信しているのか。ついに円盤が襲来するのだろうか。いったいこれは何なのだ。

叩いたり、スイッチを入れ直ししたりするなど、いろいろ試すも一向にやみません。すると、裏庭にいた雉がこのモールス信号と呼応するかのように鳴き出しました。

ぴぴぴっとアラームが鳴ると、雉がケンケーンと鳴きます。なんだか私は泣き出したくなりました。

私は思うのです。家電のやつらは絶対に通じ合っている、と。次に来るのは電子レンジか、テレビか。

というわけで、戦々恐々と家難を待ち受けています。


(古布展を見に行きました。ギャラリー木もれびにて)

今月7日に土木学会が発表した「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」を読んでいます。80頁弱のボリュームです。

「南海トラフ地震が発生した場合、その後20年間の経済被害は最大で1240兆円との推計を発表した」(時事通信、2018.6.7)等と報道では1240兆円の被害額が注目されています。だから、まさに国難である、と。

私が興味を持ったのは違う箇所でした。なるほどそういう視点で見る必要もあるのだ、と災害と国家運営の関連性に注目しています。

同報告書2頁から3頁にかけて歴史に禍根を残した「国難災害」が参考資料として簡潔に紹介されています。以下、抜粋です。

<リスボン大地震>
1755年にポルトガルの首都リスボンを襲ったマグニチュード8.5〜9.0の巨大海溝型地震。リスボンの建築物は壊滅に崩壊し、大火災が発生するとともに15メートルの巨大津波が都市を襲った。

リスボン人口の約3分の1に相当する9万人が死亡したと推定され、被害額は最大で当時のポルトガルのGDP比で153パーセントと言われている。

復興政策で内政の混乱を引き起こし、海外植民地拡大の勢いが削ぎ落とされ、国力の衰退を招いた要因の一つとも指摘されている。

<幕末・安政の複合災害>
1854年11月4日(旧暦、以下同じ)に安政東海地震、32時間後の翌5日に安政南海地震。いずれもマグニチュード8.4の規模。約3万人が死亡。

翌1855年10月2日に安政江戸地震が発生、マグニチュード6.9の首都直下型地震により約1万人が犠牲に。

さらに翌1856年8月25日に安政江戸暴風雨が発生、約10万人が死亡したとの記録もある。

1853年の黒船来航以来、幕府の求心力が低下していていたところにこれらの災害が追い打ちをかけ、倒幕の流れが加速された。

江戸幕府が終焉を迎えたのは、地震発生から12年後のことであった。

<ボーラサイクロン>
1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(現在のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲った巨大サイクロン。

沿岸の島々が高潮に襲われ、最大死者数の推計が25〜50万人というサイクロン史上最大級の犠牲者を出した。近代の自然災害としては最悪のものと言われている。

この災害の対応をめぐって東パキスタンはパキスタン中央政府に反発し、サイクロンから4か月後の1971年3月に内戦状態に陥り、その直後にバングラデシュの独立が宣言された。

つまりそれは、国家を分裂させ、バングラデシュを産み出すほどの巨大な破壊力を持ったものであった。

というわけで、まさに国難とはこういうことを言うのだと得心した次第です。

備えあれば憂いなし。その先憂後楽がなかなかできない。巨大災害は、死に似ていて、今日明日にでも起きるかもしれないし、当面、大丈夫かもしれない。

そこに油断が生じるのでしょうね。

油断大敵。私も油断してここ2か月で2.7kg体重が増えました。こういうものは“私難”と称するのでしょうか。

もうはまだなり、まだはもうなり。

もう2.7、いや、まだ2.7です。これから右肩上がりで増えていく予感。


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