(バターしょうゆご飯)


ふだんは雑穀米を食べています。精白の米は美味しすぎて食が進むからです。


たまに白米をバターしょうゆで食べたくなります。


炊き立ての上顎の天井がやけどするくらいのご飯にうりゃっとえぐり取ったバターを茶碗の中心部に乗せます。溶け始めるバターにしょうゆを垂らします。


言い忘れました。バターはやっぱり発酵バターに限ります。乳酸菌の力で旨みが増しています。


人間にとって精白した炭水化物ほど贅沢なものはありません。ヒトにとって計画的・意図的に糖質を入手する習慣を得たのは人類史上ごく最近のことです。


だから、身体に脂肪という形で蓄えるのです。滅多にないことだったのです。


美味しい肴が並ぶと私は銀シャリでかっ込みたくなる衝動に駆られます。


バターしょうゆご飯に話を戻します。輝くばかりの炊き上がったばかりの白米に上質のバターしょうゆ。


まるでコクのある卵かけご飯のような味わいです。罪悪感を振り切って、掘り進んだご飯の中心核に追いバターを入れ、しばしの間ご飯で覆います。さらに数滴のしょうゆをかけます。


数度ほど箸でかんまがした(混ぜた)とき、えも言われぬバターしょうゆの蒸気がほのかに立ち上ります。


何も足さない、何も引かない。あらゆるおかずを排除してもなお多幸感を創出するバターしょうゆご飯。


糖質と脂質と塩分とアミノ酸の組み合わせは人をして幸せにする力があります。

(税込980円の日替わり御膳。店員さんに言いました。「幸せ御膳」と命名したい、と)


40年来通う理髪店。髪を切ってもらう以上の人間関係が自ずと築かれています。


創業者が亡くなりました。現在、その夫人、子息やスタッフが変わらぬサービスを提供しています。


40代の頃、言われました。


「◯◯◯さんもこの辺、ちょっと薄くなってきたね」


高校生のときから頭髪を診てもらっています。毛髪に力がなくなってきているのは自明の理です。


ところが最近は違うのです。


「髪がありますね」


あと数年で還暦を迎えるという年齢の割には、髪がある、ということなのでしょう。言わば「頭髪特殊相対性理論」です。


今回、何十年と言えなかった、ある意味どうでもいいこと、しかし私にとっては重要なことを創業者夫人に尋ねました。


「スタッフの◯◯さんに切ってもらうと数本襟に髪の毛が残っていることがあってチクチクするんです。でも、これまで奥さんに切ってもらって一度もチクチクがないんです」


「そうでしょう。◯◯さん(先代のオーナー)はチクチクにうるさかったんです。だからチクチクしないよう工夫しています」


「偶然ではなく努力の結果だったのですね。納得です」


些細な、一見どうでもいいようなところに弛まぬ努力の成果があることに感銘を受けました。


毛髪進入防止のために首に巻く紙。先代のオーナーや夫人の巻き方は苦しくもなく、かつ緩すぎず絶妙な圧力だったことを思い出しました。

(結球しなかった白菜の姿です)


後遺症というより、一連の症状と捉えた方がいいのではないか。身をもって現在進行形で患って得た私の感想です。


食事、トイレ、入浴といった日常生活動作には問題ありません。しかし、社会生活活動に難があります。


仕事は職責上行かざるを得ない。気合をグッと入れて毎日出勤しています。ただ、今週は2回早退しました。


土日や退庁後の夜に入れていた活動は縮小しました。付加価値を生み出す活動がすっかり停滞しています。


大好きな畑作業や楽器の練習、読書なども休止。意欲はあるものの、身体がついていけません。どうしようもない倦怠感に襲われます。体の鬱とでも称していい状態です。


肺胞での酸素の取込が十分ではないのではないかもしれない。ヘモグロビンの酸素の吸着力が弱っているのではないか。加えて、身体全体の筋力の衰えを感じます。


昨日久しぶりに最寄り駅から自宅まで2kmを歩いて帰りました。家に着いた途端、身体が濡れ雑巾のように萎えました。翌朝、下肢全体に疲労感を覚えました。


「活躍」とは付加価値を生み出すことと定義しましょう。そうすると、調子の悪い人にとって「活躍」はけっこうプレッシャーになる要素です。


「一億総活躍」という言葉が喧伝されました。みんなが活躍できる、あるいは活躍させるという意でしょうか。


私は思います。


社会の構成員全員に活躍させることよりも、活躍が困難な人たちも存在自体が価値あるという社会の方が活力があるに違いない、と。


どういうことか。


継続的にせよ一時的にせよ活躍ができないとしても、その人の存在価値が絶対的であるがゆえに、本人が卑下せずに生きていける。周囲がその人のために動く。そういった社会が結果として活力ある社会となる。


言い換えれば、マージナル(縁辺に位置すると見られる人々)に目が行き届く社会です。


困っている人がいるからこそ、社会の存在意義があるとも言えます。


ともあれ、世帯類型の最たる類型が単独世帯です。約4割が独り暮らし。感染症という災厄に見舞われたあと後遺症にひとり苦しむのは切ないことだと感じました。


もっとアンテナを鋭敏にしなければと思いつつ身体がついていかないもどかしさに悶えています。


(小川郷駅は仙台支社管内なので仙台ナンバーの工事車両が目立ちます)


体力温存のため、午後2時過ぎに早退。駅近くで行方知れずとなっていた知人と出くわしました。元気そうでよかった。


6番線ホームにディーゼルカーが入線していました。


対面の1人掛けの椅子に座ります。


廊下を挟んで4人掛け対面ボックスには70代と思しき婦人が脚を伸ばしています。


常磐ものでしょうか。膝の上には寿司が広げられ、美味しそうに召し上がっています。


時間は午後3時半過ぎ。遅い昼なのか、早い夕食なのか、はたまた単なるオヤツなのか。判別がつきません。


車内の客はまばらです。4人ボックスを1人で占めてもまったく支障がありません。年間7億円を超える赤字を計上して運行されています。


乗合バスにしろ鉄道にしろ路線廃止となると反対運動が起きます。反対の声を上げる人にはぜひ当該路線を使ってほしいと願っています。それが路線維持のいちばんの近道となるからです。


この脱力した、まるで居間という空間が延長したような車内の空気は笠岡駅近くの笠岡港から北木島行きのフェリーの船内に酷似しています。井戸端と形容していい雰囲気が漂っていました。


グリーン車しか使わないという私の友人はグリーン車は家庭の匂いがしない、と以前言っていたことを思い出しました。その意味で磐越東線の車内は家庭の団欒の場そのものです。


勤労者、高校生、旅人などなどのそれぞれの思いの交錯したゆうゆうあぶくまラインこと磐越東線。ひたすら赤字が拡大していきます。


最寄りの駅舎は建て直しが進み、間もなく竣工です。

(土いじりからも遠ざかってしまいました)

 

丸1週間も病臥に伏していたのは初めてのことです。

 

この間、関係各方面に多大なるご迷惑をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。

 

金曜日のあさです。喉が乾燥しているなぁ。軽い違和感を感じました。午前中は何事もなく打合せなどに臨んでいました。

 

午後に入って強烈なだるさと悪寒に襲われました。正直言って早退したい、と思いました。

 

しかし、「採決」があったため職責を果たさなければなりません。それまでは我慢しよう、と。

 

デスクに突っ伏していると周りから心配する声がかかりました。

 

「どうしたんですか」

 

「具合が悪いんですけど採決まで待っています」

 

「採血するんですか」

 

「いや、採決を待っています」

 

同じ「サイケツ」ですが意味がまるで違う。

 

さて、帰宅してからもだるさはあったものの、喉の痛みもなく咳もありませんでした。ただの風邪だろう、と。

 

土曜日、そして日曜日になっても熱が下がりません。これは様子がおかしい。

 

大人になってから私は滅多に風邪を引かなくなりました。風邪になったとしても関ヶ原の合戦並みで半日で決着が付きました。

 

月曜日、かかりつけ医を受診。ただの風邪ではないことが判明。

 

この頃から味覚異常がありました。何を食べても美味しいのです。1.3〜1.5倍程度美味に感じられるようになりました。初めての経験です。

 

セブンプレミアムの鍋焼きうどんってこんなに美味しかったのか。納豆の旨さに感動。市販の安いイチゴが糖度20度はあるのではと思うほど味覚が鋭敏になってしまいました。

 

「こんなイチゴ、食べたことがない!」

 

たまたま二男が一時帰郷していました。野菜ジュースに鶏肉や野菜・キノコなどを入れて煮込んだ二男作の不思議系スープが絶品に感じ、思わず飲み干してしまいました。東京でシェフの修業をしてきたのか。

 

3日経っても、そして4日目に至っても39度前後の高熱が続きます。夜中から未明にかけて体温が上がってしまうのです。

 

頭痛は左側を中心にどうしていいかわからないひどさになっていました。次亜塩素酸ナトリウムの濃いプールに入って副鼻腔を刺激されたときの「ツーン」の10乗倍の痛みです。

 

この頃から、体内で応仁の乱が起きている、と感じ始めました。東軍と西軍に分かれ、ひたすら11年もの間戦い続け、京都を焼け野原にした、あの合戦です。お互い何のために戦っているのか、もはや当事者たちも訳わからなくなっていたであろう応仁の乱。

 

朝方になると一旦平定したように落ち着きを戻します。しかし、物陰にいた残兵が蜂起し、また戦いが始まるのです。

 

6日目に至り、体内で掃討作戦が繰り広げられ、ついに敵軍も白旗を掲げました。この間、体重が5キロ減。筋力と気力が減退しました。

 

週明けから通常通り職務に当たれるのだろうか。一抹の不安を感じています。

 

『徒然草』で吉田兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として3番目に「病なく、身強き人」を挙げています。

 

それ、わがる。実感を持って心の底から思います。

 

今回の罹患は反省と学びが多くありました。

 

疲れが十分に取れていないのに次から次へといろいろなことに関わろうとしていました。自身の体力を正視眼で見ていませんでした。過信です。油断です。

 

そして、何よりの会得は現身に苦しみを感じなければ他人の苦しみは理解し難いものだということです。もっと優しくなれる自分になろうと思いました。

(春になったら秋風舎)


「突然の電話」--- この表現に物心就いたころから理解できず、もう半世紀余経過しています。


「そのとき、突然、電話がけたたましく鳴った」


この意味を探るため反義語から考察しましょう。つまり、「突然ではない電話」とはどのような電話なのか。


まず、「突然」の字義を確認します。「前触れなしに急に何かが起こるさま」と辞書は紹介しています。


では、前触れのある、急ではなく掛けられる電話とはいったいどういう電話なのか。


黒電話時代であれば、一瞬だけ鳴る「ちりん」のことなのか。P波のあとにS波が襲ってくる、地震と同じです。「ちりん」を経て本鈴(ほんりん)が鳴る。


これが突然ではない電話。虫の知らせもこれに包含されるかもしれません。


次に、スマホ時代の「突然ではない電話」はどうでしょう。


LINE等で事前に、いつ電話したいがいいかと了承を求める行為によって掛けられるところの電話が「突然ではない電話」と解されるでしょう。


ドラマ、映画、小説等々の「そのとき突然、〇〇氏の電話が鳴った」という表現を用いる際は、上述の定義に照らして、果たしてどこまで「突然性」があるのか、検証する必要がある。


本稿の私の結論です。反論をお待ちしております。

(早春の畑。白菜は結球しませんでした。菜の花を待ちたいと思います)


こちらの方が大切かもしれない。話を聞いていて私は思いました。「巻き込まれ力」のことです。

一見すると主体性がなく、また率先垂範でもない。砕氷船のようにぐいぐい分け入って開拓する積極性があるわけでもない。

無理をしない。可能な範囲でできるときに関わる。

しかし、声がかかれば手伝う。これが地域活動に入っていくコツかもしれない。そう感じました。

その姿勢を保つとき不思議とさまざまな主体から声がかかる。巻き込まれていく。受動的でありながら、有機的かつ連鎖的に巻き込まれていく、この力こそ「巻き込まれ力」です。

(熱い仲間に巻き込まれてきました。郡山市労働福祉会館にて)


「あの人」に頼めば、と声をかけられる引力とも言えます。周囲は「あの人」をよく見ています。他人は鋭い。人は案外に自分のことがわかりません。目されていなければ、頼まれません。

ある年齢以上になったら「巻き込まれ力」に沿って動いた方が本人にとっても周囲にとっても幸せなのかもしれない。

その意味で会津にいる師匠は「巻き込まれ力」がじつに優れているように思うのです。そして、幸せそうです。

西城秀樹の曲『激しい恋』の一節に「巻き込まれたら最後さ〜♪」というのがありました。ふと思い出しました。

本稿とは関係ありません。

(我が子の成長のように嬉しい)


心が痛みました。


地元のスーパーの野菜コーナーに陳列されていたブロッコリーが157円(税抜き)で売られていました。熊本産です。


私は昨年10月に植え付けを行い、やっと最近ブロッコリーを収穫。毎日のように様子を窺い、声をかけ、そして肥をかけ、手塩に育ててきました。


強風で傾いていれば、茎を起こしました。厳冬期には稲藁を敷いてやりました。無農薬有機栽培です。


売る気はありません。が、流通に出すとすれば、出荷価額500円の値を付けてやりたい。もっと価値があると私は思っています。


(茎も美味しい。合掌する思いでいただきました)


熊本産の157円はいったい原価はいくらなのでしょう。生産者の手元にはいくら入るのでしょう。


陳列というよりは無造作に転がっていました。月面着陸したSLIMのように反転し、茎を晒しているブロッコリーもありました。


ブロッコリーを眺めているうちに『椰子の実』がBGMのように流れてきました。


まさに流離の憂い。伊良湖岬の恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実と思いを重ねている自分がいました。


2026年度にブロッコリーが指定野菜となります。半世紀ぶりの指定追加。立派に出世してほしい。

(タイにいたときにもよく買っていたデンファーレ)


近くに住むガラス作家をお招きしての茶話会。よく使う幹線道路沿いの気になる建物が話題になりました。


「白鳥のいるところのカーブの手前に少し前から小屋が建てられ始めたんです。初めは柱だけで何ができるのかなと思っていたら...」


「そんな建物ありましたっけ。私、けっこう周囲の変化を気にしながら運転する方なのですが気がつきませんでした」


「小川方面から向かうと見えません。平方面からだとわかります。小さな小屋です。木造かプレハブですね」


「そうですか。全然わかりませんでした」


「それで、その小屋にしっかりとした白抜きの字で『談話室』と書いてあるんです。◯◯診療所というくらいの勢いではっきりわかるように記されています」


「自分の家で使うのなら表示は必要ないですよね。しかも談話室というのが気になりますね。入って行っていいんでしょうかね」


「柱が立ち、そして建物が完成したと思ったら『談話室』なんです」


「見てみます。気になってしょうがない」


お二人が帰ったあと見に行きました。ありました。引戸のガラスに縦書きでしっかりと「談話室」と丸ゴシック太字で表示されていました。6畳ほどの大きさの小屋です。


談話とはフランス語のparleに由来するらしい。派生してできた言葉がパーラー。わいわい話をする場所・部屋。パチンコ店の名前に使われることもあります。


まさに私が目指すところのものです。我が執務室こそ「談話室」にほかなりません。



(お客様にカオマンガイを作りました。水菜、ブロッコリー、おひたしの小松菜は自家製です)

 

新鮮でした。間違いを一切指摘しないのです。

 

皆が発言する雰囲気に満ち満ちているため私も思わず手を挙げて発言しました。

 

すると教授は「Why do you think so?(どうしてそう思うのか)」と尋ねてきました。一瞬私はドキッとして口ごもりました。まずいことを質問してしまったのだろうか。

 

そういう意図ではないことを後に覚ります。

 

モントリオール大学での授業では教授からミスを指摘する場面に遭遇した記憶がありません。

 

作文の授業。あるテーマが出されます。手が挙がり、黒板に学生が一文を書きます。教授がいいねぇと言いながら促します。

 

「もっと美しく書けないだろうか」

 

するとまた誰かが書き足します。

 

「いいねぇ。もっと美しく!」

 

次々と学生が出てきては書きます。じつにのびのびと自由闊達に授業が運ばれていきます。

 

(庭先のふきのとうを天ぷらにしました。春の香りがします)

 

結局、正解というものは教授から示されません。正しいのか間違っているのか白黒させてほしい私はいつも不満が残りました。

 

先日、ホールで人前でフルートを演奏しました。恐れていたのはミスです。間違って吹かないだろうか。

 

私たちの住む社会はミスに厳しい。音楽の世界もそうです。間違わずに演奏することが優れていることの証しのように思われています。

 

本来、音楽は感動を与えるものであり、多少のミスはその感動の有無とは関係がないと言えます。にもかかわらず、私たちはミスを気にする。

 

減点主義の弊害はDNAレベルにまで浸み込み、国家レベルにまで価値を毀損している。そんな目に見えない窮屈さが社会の閉塞感と諦念に結びついているように思うのです。

 

と、演奏のミスを棚に上げる思考実験をしてみました。舞台入場の際は昨年のように甲子園初出場入場行進の球児の歩き方にはならず右手には左足が出ました。

 

一歩前進です。


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