(土いじりからも遠ざかってしまいました)
丸1週間も病臥に伏していたのは初めてのことです。
この間、関係各方面に多大なるご迷惑をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。
金曜日のあさです。喉が乾燥しているなぁ。軽い違和感を感じました。午前中は何事もなく打合せなどに臨んでいました。
午後に入って強烈なだるさと悪寒に襲われました。正直言って早退したい、と思いました。
しかし、「採決」があったため職責を果たさなければなりません。それまでは我慢しよう、と。
デスクに突っ伏していると周りから心配する声がかかりました。
「どうしたんですか」
「具合が悪いんですけど採決まで待っています」
「採血するんですか」
「いや、採決を待っています」
同じ「サイケツ」ですが意味がまるで違う。
さて、帰宅してからもだるさはあったものの、喉の痛みもなく咳もありませんでした。ただの風邪だろう、と。
土曜日、そして日曜日になっても熱が下がりません。これは様子がおかしい。
大人になってから私は滅多に風邪を引かなくなりました。風邪になったとしても関ヶ原の合戦並みで半日で決着が付きました。
月曜日、かかりつけ医を受診。ただの風邪ではないことが判明。
この頃から味覚異常がありました。何を食べても美味しいのです。1.3〜1.5倍程度美味に感じられるようになりました。初めての経験です。
セブンプレミアムの鍋焼きうどんってこんなに美味しかったのか。納豆の旨さに感動。市販の安いイチゴが糖度20度はあるのではと思うほど味覚が鋭敏になってしまいました。
「こんなイチゴ、食べたことがない!」
たまたま二男が一時帰郷していました。野菜ジュースに鶏肉や野菜・キノコなどを入れて煮込んだ二男作の不思議系スープが絶品に感じ、思わず飲み干してしまいました。東京でシェフの修業をしてきたのか。
3日経っても、そして4日目に至っても39度前後の高熱が続きます。夜中から未明にかけて体温が上がってしまうのです。
頭痛は左側を中心にどうしていいかわからないひどさになっていました。次亜塩素酸ナトリウムの濃いプールに入って副鼻腔を刺激されたときの「ツーン」の10乗倍の痛みです。
この頃から、体内で応仁の乱が起きている、と感じ始めました。東軍と西軍に分かれ、ひたすら11年もの間戦い続け、京都を焼け野原にした、あの合戦です。お互い何のために戦っているのか、もはや当事者たちも訳わからなくなっていたであろう応仁の乱。
朝方になると一旦平定したように落ち着きを戻します。しかし、物陰にいた残兵が蜂起し、また戦いが始まるのです。
6日目に至り、体内で掃討作戦が繰り広げられ、ついに敵軍も白旗を掲げました。この間、体重が5キロ減。筋力と気力が減退しました。
週明けから通常通り職務に当たれるのだろうか。一抹の不安を感じています。
『徒然草』で吉田兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として3番目に「病なく、身強き人」を挙げています。
それ、わがる。実感を持って心の底から思います。
今回の罹患は反省と学びが多くありました。
疲れが十分に取れていないのに次から次へといろいろなことに関わろうとしていました。自身の体力を正視眼で見ていませんでした。過信です。油断です。
そして、何よりの会得は現身に苦しみを感じなければ他人の苦しみは理解し難いものだということです。もっと優しくなれる自分になろうと思いました。