(結球しなかった白菜の姿です)


後遺症というより、一連の症状と捉えた方がいいのではないか。身をもって現在進行形で患って得た私の感想です。


食事、トイレ、入浴といった日常生活動作には問題ありません。しかし、社会生活活動に難があります。


仕事は職責上行かざるを得ない。気合をグッと入れて毎日出勤しています。ただ、今週は2回早退しました。


土日や退庁後の夜に入れていた活動は縮小しました。付加価値を生み出す活動がすっかり停滞しています。


大好きな畑作業や楽器の練習、読書なども休止。意欲はあるものの、身体がついていけません。どうしようもない倦怠感に襲われます。体の鬱とでも称していい状態です。


肺胞での酸素の取込が十分ではないのではないかもしれない。ヘモグロビンの酸素の吸着力が弱っているのではないか。加えて、身体全体の筋力の衰えを感じます。


昨日久しぶりに最寄り駅から自宅まで2kmを歩いて帰りました。家に着いた途端、身体が濡れ雑巾のように萎えました。翌朝、下肢全体に疲労感を覚えました。


「活躍」とは付加価値を生み出すことと定義しましょう。そうすると、調子の悪い人にとって「活躍」はけっこうプレッシャーになる要素です。


「一億総活躍」という言葉が喧伝されました。みんなが活躍できる、あるいは活躍させるという意でしょうか。


私は思います。


社会の構成員全員に活躍させることよりも、活躍が困難な人たちも存在自体が価値あるという社会の方が活力があるに違いない、と。


どういうことか。


継続的にせよ一時的にせよ活躍ができないとしても、その人の存在価値が絶対的であるがゆえに、本人が卑下せずに生きていける。周囲がその人のために動く。そういった社会が結果として活力ある社会となる。


言い換えれば、マージナル(縁辺に位置すると見られる人々)に目が行き届く社会です。


困っている人がいるからこそ、社会の存在意義があるとも言えます。


ともあれ、世帯類型の最たる類型が単独世帯です。約4割が独り暮らし。感染症という災厄に見舞われたあと後遺症にひとり苦しむのは切ないことだと感じました。


もっとアンテナを鋭敏にしなければと思いつつ身体がついていかないもどかしさに悶えています。


(土いじりからも遠ざかってしまいました)

 

丸1週間も病臥に伏していたのは初めてのことです。

 

この間、関係各方面に多大なるご迷惑をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。

 

金曜日のあさです。喉が乾燥しているなぁ。軽い違和感を感じました。午前中は何事もなく打合せなどに臨んでいました。

 

午後に入って強烈なだるさと悪寒に襲われました。正直言って早退したい、と思いました。

 

しかし、「採決」があったため職責を果たさなければなりません。それまでは我慢しよう、と。

 

デスクに突っ伏していると周りから心配する声がかかりました。

 

「どうしたんですか」

 

「具合が悪いんですけど採決まで待っています」

 

「採血するんですか」

 

「いや、採決を待っています」

 

同じ「サイケツ」ですが意味がまるで違う。

 

さて、帰宅してからもだるさはあったものの、喉の痛みもなく咳もありませんでした。ただの風邪だろう、と。

 

土曜日、そして日曜日になっても熱が下がりません。これは様子がおかしい。

 

大人になってから私は滅多に風邪を引かなくなりました。風邪になったとしても関ヶ原の合戦並みで半日で決着が付きました。

 

月曜日、かかりつけ医を受診。ただの風邪ではないことが判明。

 

この頃から味覚異常がありました。何を食べても美味しいのです。1.3〜1.5倍程度美味に感じられるようになりました。初めての経験です。

 

セブンプレミアムの鍋焼きうどんってこんなに美味しかったのか。納豆の旨さに感動。市販の安いイチゴが糖度20度はあるのではと思うほど味覚が鋭敏になってしまいました。

 

「こんなイチゴ、食べたことがない!」

 

たまたま二男が一時帰郷していました。野菜ジュースに鶏肉や野菜・キノコなどを入れて煮込んだ二男作の不思議系スープが絶品に感じ、思わず飲み干してしまいました。東京でシェフの修業をしてきたのか。

 

3日経っても、そして4日目に至っても39度前後の高熱が続きます。夜中から未明にかけて体温が上がってしまうのです。

 

頭痛は左側を中心にどうしていいかわからないひどさになっていました。次亜塩素酸ナトリウムの濃いプールに入って副鼻腔を刺激されたときの「ツーン」の10乗倍の痛みです。

 

この頃から、体内で応仁の乱が起きている、と感じ始めました。東軍と西軍に分かれ、ひたすら11年もの間戦い続け、京都を焼け野原にした、あの合戦です。お互い何のために戦っているのか、もはや当事者たちも訳わからなくなっていたであろう応仁の乱。

 

朝方になると一旦平定したように落ち着きを戻します。しかし、物陰にいた残兵が蜂起し、また戦いが始まるのです。

 

6日目に至り、体内で掃討作戦が繰り広げられ、ついに敵軍も白旗を掲げました。この間、体重が5キロ減。筋力と気力が減退しました。

 

週明けから通常通り職務に当たれるのだろうか。一抹の不安を感じています。

 

『徒然草』で吉田兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として3番目に「病なく、身強き人」を挙げています。

 

それ、わがる。実感を持って心の底から思います。

 

今回の罹患は反省と学びが多くありました。

 

疲れが十分に取れていないのに次から次へといろいろなことに関わろうとしていました。自身の体力を正視眼で見ていませんでした。過信です。油断です。

 

そして、何よりの会得は現身に苦しみを感じなければ他人の苦しみは理解し難いものだということです。もっと優しくなれる自分になろうと思いました。

(庁舎8階にある食堂。ガパオライスです。580円。卵焼きは‘かんまがす’のが現地流の食べ方)

※かんまがす=「混ぜる」の意

 

職場は7階にあります。出勤時、基本的に階段を利用します。

 

あくまでも「基本的に」です。時折、挫折します。心が弱いです。

 

さて、階段を登ることは苦痛です。できるだけ考え事をしながら上がっていきます。4階かなと思って表示を見上げると5階だったときは嬉しい。

 

でもこの誤差はせいぜい1階分。たいがいは推測した階はほぼ9割の確率で当たっています。得した気分になることは稀です。

 

毎度歯を食いしばり7階を上がり切ります。区間を走り終えた駅伝選手のようになだれ込むようにして自席に着きます。

 

もちろんタオルで抱きかかえてくれる人はいません。

 

駅伝と言えば、区間賞を獲るような選手は余裕の表情でゴールインします。まだまだ走れそうです。一方、鬼の形相というか苦悶の表情の選手は抜かれてしまっている選手に多い。私の個人的な感想です。

 

というわけで、今後の職場階への登攀(とうはん)は7階を目的地にするのではなく、塔屋階である9階を目指すつもりで歩みを進めてみようと思います。

 

あすから楽勝の表情を醸し出すことができるでしょうか。

(友人にいただきました。桔梗屋監修で岩塚製菓から発売。きなこ好きにはたまらない美味しさ)


人間ドックを受けました。3年ぶりです。大腸内視鏡検査のための、まるで修行のような下剤の服用。今回はこれまでになく抵抗が和らいだように感じました。


心電図の検査は2種類。安静時と負荷をかけての検査です。


オリンピック表彰台のような小さな階段を3分間昇降しました。


そう言えば高校生のとき学校で脈拍数を数える検査があり、やはり負荷をかけました。テープの音声により女性の声で拍子を取っていました。


「いちにさん、いちにさん…」


終わりの合図がそろそろ来るなと思ったときです。


「やめて...」


多感な年頃の私たち。「やめ」ではなくなぜ「やめて」なのか。会場は爆笑に包まれました。


閑話休題。


人間ドックの心電図検査で技師の方に言いました。


「心臓ってすごいですよね。基本的に止まらないですよね。そこがすごいっていつも思うんです」


「ほんとですよね」


後日人間ドックの検査結果が送られてきました。心電図検査に異常あり。要再検査となりました。


初めて訪ねる循環器科。早速再び同じ検査です。安静時と階段昇降による負荷検査。胸のX線写真も撮りました。


緊張しながら診察室に入ると私のと思われる胸の写真が貼ってあります。


「まず心臓の大きさなんですけどね...」


「肥大していますか」


根っからの悲観主義の私は先生の説明を遮り、問うてしまいました。


「引き締まったスマートな心臓です。心電図も安静時と負荷をかけたときともに同じで異常ありません」


スマートな心臓。


人生で初めて言われた言葉です。次回は脳ドックを受けてスマートな脳だと言われてみたい。


(検査後の一服にシフォンケーキ)


3年ぶりの人間ドック。希望する医療施設の定員枠を超えていたため、ずっと補欠でした。


ドックでいちばん嫌なのが胃内視鏡検査。次に大腸内視鏡検査前の下剤の服用です。


胃カメラを飲むことは私にとってウミガメの産卵時と同じく涙腺崩壊の時間です。「飲みの苦しみ」の涙がとめどもなく流れてきます。ひどいときは鼻水も加わります。


ちなみに、ウミガメは「産みの苦しみ」により涙を流しているのではないそうです。


さて、その胃カメラ検査です。ふつうは中待合で前処置があり、待機時間が徐々に執行のそのときが迫ってくるというプロセスをたどります。


今回は違いました。


名前を呼ばれると中待合を通過し、すぐさま検査台に促されました。美味しくない液体を飲まされ、シュッと麻酔を咽喉に吹きかけられたと思ったら、担当医の登場です。


心の準備が整うことなくベッドに横になり執行。このいきなり感は初めてです。動悸が激しくなり、肩に力が入ります。


ところが、恐れていた嘔吐反射がほとんどなくあの黒々としたスコープが私の身体に蛇が潜っていくように入っていきます。


「噴門部と十二指腸に炎症がありますが、特段の治療は必要ないですね」


「先生!いままでの胃カメラでいちばんスルッと入りました。ありがとうございました」


「ありがとうございます。よかったですねぇ」


検査が一通り終わり、担当医の診察です。


「呼吸器があれですね。肺機能が年齢より9歳上という診断結果です」


「えっ。9歳上?」


先日のフルートレッスンでも音が小さいと指摘されたばかりでした。やっぱり弱っているのだ。33歳のとき肺の病気を患ったことが影響しているのかもしれない。


肺年齢を若くするにはどうするか。息をふーっと一気に吐くことがいいらしい。つまりはフルートを腹式呼吸で吹きまくること最適のようです。


健康と音楽がつながりました。

来週、大腸内視鏡検査です。あさ5時から下剤を2リットル飲みます。新たな物語が生まれそうです。

(キーズカフェで一服)


ちょうど7年前。「『あ』に濁点の事態」という記事を書きました。時下りて「ち」に濁点の事態が発生。


不思議なことに「ヒサヤ大黒堂」の新聞広告が、海の底から深海魚が浮上するように蘇ってきました。


スーツを着た黒縁眼鏡のおじさん(松下幸之助氏に似ている)の真剣な眼差し。創業者なのでしょうか。サブリミナル効果のように私の脳裏に焼き付いています。


広告には極太の独創的なフォントで「ぢ」と書かれていました。その脇に「誰にも知られず速達でお届けします」と記載されています。速達の方が目立つのではないかと私は思います。


「お通じの方は...」


「先生、私、じつは食事の回数と同じなんです。頻◯というんでしょうか」


「大丈夫です。それでですね、これは薬で根治はできません。かと言って私の方から切れとも言えません。良性ですから温存するというのもありです」


「はあ」


「切るか切らないかはあなた次第です」


テレビ番組の『都市伝説』のようなことを言い渡されました。


「先生、父は痔瘻という病気になって静岡市の名医と言われる先生に切ってもらいました。そのお医者さんの名前が思い出せないのです」


「あっ私も聞いたことがあります。◯◯◯さんは痔瘻ではありませんから心配なく」


「珍しい苗字でいまは息子さんの代になってます」


「そうそう。なんでしたっけ。思い出せない」


診察室で医師と患者が記憶の便秘に呻吟する様は滑稽です。結局二人とも思い出せませんでした。

(昇格祝いはもちろんおいしい無調整豆乳で。私の身体の68%は豆乳由来です)


無調整豆乳が昇格しました。嬉しい。顧客が訴えることの重要性を認識しました。


職場の1階にある小さな小さな売店。以前にも「子供パンと豆乳」で取り上げたお店です。


種類豊富に豆乳を取り揃えてくれているのですが、これまで無調整豆乳がありませんでした。定員さんにお願いしたところ、すぐに取り置きしてくれるようになりました。


しかし、残念なことにスペースがなく、整列しているパック飲料の上に横倒しという、残念な地位にありました。


しかも、抹茶豆乳といったちょっとマニアックな豆乳がいい場所を占めているのです。悔しい。こちらはほぼ毎日購入しているのに。


何としても自立して日の目を当たらせたい。横積みから昇格させたい。そう心に秘めて思いました。


そのためにはひたすら買うしかない。抹茶やバナナなんかに負けてはいけない。無調整こそ豆乳の王道である。


きょう、売店に行きました。私の成分無調整豆乳は横倒しなんだろうな、と顔を横にして覗きました。


「あら、無調整豆乳、昇格ですね!ありがとうございます」


「いっぱい買ってくださいね。お値段も上がりました。よろしくお願いします」


驚きました。一番上の右端に直立不動して整列していたのです。昇格です。何が降格したのかは確認しませんでした。抹茶かバナナか、はたまたコーヒー味か。


きょうは嬉しい日になりました。ただ、値上げ(110円から115円)はちと痛い。



(健康になる、と確信するいわき健康センター)


実家に帰省(寄生)中の長男から誘われました。日曜日の早朝に風呂に行こう、と。いわき健康センターが朝割をしているとのこと。


あさ4時。枕元に長男が立っていました。実行するようです。私もやおら起き上がりました。


戸外は真っ暗です。満月が煌々と輝いています。気温零下3度。つい先日までトロピカルなバンコクにいたのが嘘のよう。本当に幻だったのかもしれない。


好間工業団地内のバイオマス発電所の照明と煙が幻想的な雰囲気を醸し出しています。


午前5時20分、いわき健康センター着。こんな時間なのにすでに駐車場がいっぱい。どのような人種が来ているのだろう。途端にリサーチモードになります。


バスタオル、洗いタオル付きで780円。持参すれば600円のようです。次回は持ってこよう。


(定食 笑いーと)


浴場は昼間と変わらないくらい賑わっています。温泉旅館の朝風呂の風景とは違う。


高齢者が多いと思いきや、さにあらず。老若男を問わずサウナもいっぱい。スナフキンが被るようなサウナハットで頭髪を守っている人もいます。私はタオルを被ります。ちなみに被り物は基本的に好きです。


午前7時30分、いわき健康センターを退館。20分ほど走って、いわき中央インターチェンジ近くの「定食 笑いーと」に到着。あさ6時から朝食を提供している店です。衆議院議員第一別館にも出店しているらしい。


ご飯がとにかく美味しい。店主自ら無農薬・有機農法で稲作に挑戦しているという。大盛り(無料)にしたいところを我慢しました。


食後は午前9時にLINEの再設定(タブレット端末の機種変更)の支援に地域の方のお宅を訪ねます。午後は山間で生活に困窮している方のお宅に行ってお話を聞いてきます。できることは限られていますが。


帰宅後はフルートの練習です。


いよいよ演奏会が迫ってきました。緊張が高まります。正直な気持ちは横笛を舞台前面に置いて「吹けません。申し訳ありません」と言って正座一礼して退出したいところです。

(チャコちゃん農園にて)


3か月に1度の歯科受診。歯肉の状態の確認と歯石や着色の除去を歯科衛生士に行ってもらっています。特に何も異状がなければ院長先生に診てもらうことはありません。


挨拶をして辞去するか挨拶もできないこともあります。気さくでユニークな先生です。本当はじっくりとお話したいと思いながらも診療の妨げとなるので控えています。


ですから院長との接触はないのが普通です。


本来は院長室だったという部屋を改装した5番のコーナーに案内されました。大部屋感がなく個室の名残りがあって落ち着きます。


消毒薬の入ったコップに水が注がれました。口をすすぐよう促され口中に液剤を含んだそのときです。院長先生が顔を出し、「優しくお願いしますね」と歯科衛生士に指示しました。


液剤で膨らんだ顔のまま私は赤面しました。おそらく星々のつぶやきの記事「患者の立場に立って」を読んだのでしょう。その中にあった一文が印象に残っていたに違いありません。


「ふだんの人間関係ではあり得ない近接した距離でのコミュニケーションに心拍数が上がりました」


何百人といる患者。その一人の書いたブログを想起し、ユーモアをもって声をかけてくれる。半年も前の記事です。投稿した当人すら忘れかけていました。恥ずかしくも嬉しい。


というわけで、当然ながら院内において歯科診療以上の何も期待はしていませんが歯科受診の前は頭髪と頭皮を丁寧に洗い流すようにしています。あっ、もちろん歯磨きもしています。


そう言えば、『四十八歳の抵抗』という石川達三の作品があったなぁと思い起こしました。映画化もされています。書名が流行語にまでなった日本的男性研究の原典と言われています。


ちなみに私の場合は抵抗ではありません。

(北海道の友人からじゃがいもが届きました)


新聞紙の下段にある広告や雑誌の裏表紙にあるような宣伝は本当なのだろうか。長年疑念を抱いています。


私の50数年の記憶の中で一度も経験したことがないこと。


それは、食べてあるいは飲んで身体にエネルギーが漲(みなぎ)るとか、パワーが奮い立つとかといったことです。栄養剤や栄養補助食品もしかりです。


私だけ特異体質なのでしょうか。おかしいのでしょうか。


多くの人はシャキンと感じたり、溢れるばかりの力を覚えるものなのでしょうか。


好きな食べ物を口に入れて美味しいとは感じます。食事は大好きです。特にきなこ系のスイーツを食べると多幸感に満たされます。


しかし、だからと言って身体が充電されるような覚えは未だかつてないのです。


韓国ソウルの参鶏湯の店・土俗村(トソッチョン)で高麗人参をたくさん食べたことがありますが何の変化も起きませんでした。味は抜群でした。キムチも絶品でした。また行きたい店です。


タウリンが3000mg入っていようが10000mg配合されていようが私の身体は一向に影響されません。お小水が黄色になるだけです。栄養剤とは気分と糖分でできているのではないか。そう思っています。


むしろ昼休みのちょっとした睡眠の方がスッキリ感ははるかにあります。静かな音色のパイプオルガンを聞きながら20分ほど座ったまま眠ると、えも言われぬ爽快感がもたらされます。


栄養が健康にもたらす作用は否定しません。大きい。なぜなら私たちの身体は口に入れたもので構成されているのですから。


とは言え、摂取したことで劇的に何かを感じるとすればそれはヤバいものが入っていると考えた方が良さそうです。私の感想です。


以上は私一人の拙い体験と考察です。この食べ物を食べてごらんなさいというオススメの食品がありましたらこっそりとご教示ください。伏してお待ち申し上げます。


私が期待しているのは奮い立つようなパワーを覚えるやつです。ほぼ変身に近い感覚を体験できれば幸いです。


Calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM