- 2024.03.16 Saturday
後遺症
(結球しなかった白菜の姿です)
後遺症というより、一連の症状と捉えた方がいいのではないか。身をもって現在進行形で患って得た私の感想です。
食事、トイレ、入浴といった日常生活動作には問題ありません。しかし、社会生活活動に難があります。
仕事は職責上行かざるを得ない。気合をグッと入れて毎日出勤しています。ただ、今週は2回早退しました。
土日や退庁後の夜に入れていた活動は縮小しました。付加価値を生み出す活動がすっかり停滞しています。
大好きな畑作業や楽器の練習、読書なども休止。意欲はあるものの、身体がついていけません。どうしようもない倦怠感に襲われます。体の鬱とでも称していい状態です。
肺胞での酸素の取込が十分ではないのではないかもしれない。ヘモグロビンの酸素の吸着力が弱っているのではないか。加えて、身体全体の筋力の衰えを感じます。
昨日久しぶりに最寄り駅から自宅まで2kmを歩いて帰りました。家に着いた途端、身体が濡れ雑巾のように萎えました。翌朝、下肢全体に疲労感を覚えました。
「活躍」とは付加価値を生み出すことと定義しましょう。そうすると、調子の悪い人にとって「活躍」はけっこうプレッシャーになる要素です。
「一億総活躍」という言葉が喧伝されました。みんなが活躍できる、あるいは活躍させるという意でしょうか。
私は思います。
社会の構成員全員に活躍させることよりも、活躍が困難な人たちも存在自体が価値あるという社会の方が活力があるに違いない、と。
どういうことか。
継続的にせよ一時的にせよ活躍ができないとしても、その人の存在価値が絶対的であるがゆえに、本人が卑下せずに生きていける。周囲がその人のために動く。そういった社会が結果として活力ある社会となる。
言い換えれば、マージナル(縁辺に位置すると見られる人々)に目が行き届く社会です。
困っている人がいるからこそ、社会の存在意義があるとも言えます。
ともあれ、世帯類型の最たる類型が単独世帯です。約4割が独り暮らし。感染症という災厄に見舞われたあと後遺症にひとり苦しむのは切ないことだと感じました。
もっとアンテナを鋭敏にしなければと思いつつ身体がついていかないもどかしさに悶えています。
- 健康
- 14:11
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- by だいこんくん