(タイからやってくる友人を待つ。仙台空港にて)

30年前にタイ南部のソンクラ大学で出会った友人。現在、同大学歯学部の准教授を務め、上司である学部長とともに東京での学会に出席するため来日。

仙台空港で迎え、仙台市内で東北大学歯学部出身の方々との昼食会に私も部外者ながら参加。交流を深めました。

その後、一路、福島市へ。土湯温泉「向瀧旅館」にチェックイン。部屋に入るやいなや、二人はそそくさと浴衣に着替えました。

「では、お風呂に行きましょうか。貴重品は金庫に入れておきましょう」と私。

「(金庫に)入れなくても大丈夫です」

日本人の私が財布とスマホを金庫に入れ、タイ人の彼らは貴重品を部屋の隅に置き、風呂に向かいました。タイでは置引きにあれほど注意するにもかかわらずです。


(美味しい料理の数々に感激)

荒川の渓流を眺める露天風呂に浸かりながら友人が言います。

「こうやって温泉に入って、腹が減って、そのあとの一杯が最高だよね」

「そうだよね。じつは私、いびきをかくのでお二人の眠りを妨げるかもしれません」

「大丈夫、大丈夫。私もいびきをかくから」と学部長が答えました。

この会話で訪日外国人客の進化を私は感じました。そして、全身猫舌の私は長湯に耐え切れずすぐに上がりました。彼らはゆっくりと浸かっていました。

その夜、牛蛙のような学部長のいびきに私はさいなまされました。友人は耳栓をしていたのです。翌朝気がつきました。

じつは私は浴衣が好きではありません。

すぐはだけるし、小用においても弾道をさえぎるおそれがある上、大用においても私は悲惨な目に遭っています。詳細は割愛。

しかも、寝間着でもある浴衣。翌朝に乾燥かんぴょうのようになってしまうのがことのほか嫌なのです。ぜんぜんまとっていない。


(裏磐梯はまだ冬でした)

その浴衣を友人たちは嬉しそうに着ています。会話は続きます。

「福島市の花見山の桜は今年は早いようだけど桜が観れるところ、ありますか」

来日前、ネットで情報収集し友人は花見山を案内してほしいと指定してきていました。

「大丈夫、大丈夫。福島県は気温差があるからどこかできっと咲いていますよ」

翌朝、裏磐梯に向かいました。土湯峠を越えるとみるみる気温が下がりました。曽原湖は2度です。雪も降ってきました。

春まだ遠い裏磐梯。雪に喜ぶ彼らに謝りながら、小野町の夏井千本桜を目指し高速道路で東に向かいました。


(ゆく春にたどり着く。夏井千本桜で佇む二人)

小野町の夏井千本桜はまさに満開。初めて見る桜並木に彼らは感激しているようでした。

夏井を後にし、タイの大手カフェチェーンの日本出店第1号の川内村のCafe Amazonで役場職員から村の復興状況について伺いました。その後、いわき海浜自然の家で「タイ日文化大使プログラム」で来日中のタイの青少年49名と交流。

身も心も充実したふくしまの旅になったことと思います。


(駅前にそびえ立つ市庁舎。かつてのセブン&iホールディングスの看板が「土浦市役所」に)

三里に灸すゆるより、土浦の蓮根、先心にかかりて、ドトールにて喫茶す。先日の「レンコンに思う」で宣言したように土浦探訪の朝を迎えました。

私の抱く土浦はただひたすらレンコン。レンコンで賑わい、レンコンのゆるキャラが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する町といったイメージです。

これまで、いわき駅発の電車で東京に向かうとき、逆に東京からいわきに戻るとき、幾度となく土浦を通過してきた私。降車しようと思ったことは一度もありませんでした。


(ほかに席が空いているのに若い女性が脇に座りました。心拍が乱れました。いわき駅にて)

土浦は私にとって、教室で名前は知ってるけど会話をしたことのないクラスメイトのようなもの。しかも、心の中でレンコンというあだ名を勝手に付けている。そのような心理的距離であり、印象です。

2時間半の普通列車に揺られ南下します。春雨にけむる旅の供は、『実用タイ語会話』。30数年ぶりの復習です。

昼前に土浦駅に到着。迎えてくれたのは先年までイトーヨーカドーだった市庁舎です。駅前に市役所。これもいいかもと思いました。


(食後は駅ビルのタリーズコーヒーで一服)

まずは腹ごしらえ。午後からはまち歩きと講演会のイベントに参加します。エネルギーをチャージせねば。

市庁舎の入っている建物の1階に気になるラーメン屋を発見。「麺屋 亀城(きじょう)」です。店内を覗くと人口密度が非常に高い。あきらめます。

結局、夜は居酒屋にもなる定食屋で刺身定食(750円税込)を注文。次回は並んででも「麺屋 亀城」にしよう。

あれほど期待していたレンコンが見当たりません。駅前には巨大なレンコンのオブジェや「岩下の新生姜 ミュージアム」のようなレンコン・ミュージアムがあるのではないかと妄想していた私。



(土浦市イメージキャラクター「つちまる」。耳が気に入りました。土浦市HPより)

レンコン料理のお店やレンコンの直売所が門前町よろしく並んでいるものと思い込んでいました。

午後0時50分、タリーズで濃厚なチーズケーキを食べ終え、集合場所の観光案内所に向かいました。すでに30人ほど集まっています。

(へつづく)


(会津に住む師匠からいただいたチューリップ。2回目の春です)

毎度通過するだけ。いつしか申し訳なさまで募ってきていた土浦。「水戸を出ますと次は土浦、終点上野となります※」の車内アナウンスを幾度となく聞いてきました。

よく知らない土地を私たちはたった一つの言葉でレッテル貼りをしてしまいがちです。

「今治(いまばり)」と言えば、タオル。「尾道(おのみち)」と言えばラーメン、というように。

本年2月に訪れ、今治と尾道の多様な文化と歴史、産業を学んだ私。そのようなレッテル貼りがいかに誤っているか、思い知らされました。

しかし、こと土浦について言えば、レンコンしか思い浮かばないのです。土浦即レンコン、レンコン即土浦。土浦さながらレンコン、レンコンさながら土浦。

悲しいかな、これが私の土浦に抱くイメージなのです。

それから、常磐線で東京に向かう際、土浦を過ぎて20分ほどすると交流から直流に切り換るデッドセクションがあることくらいでしょうか。

蛇足ながら、このデッドセクションは茨城県石岡市にある気象庁地磁気観測所の観測に影響を与えないようにするための措置です。法律で規定されています。

さて、レンコンの土浦ではいけない。矮小化したイメージを払拭する必要がある。そう思うようになりました。

もっと土浦の奥深さを知りたい。レンコンの埋まっているその奥深くにある人々の息遣い、喝采、悲哀、においに触れてみたい。

というわけで、土浦を探訪します。

ちなみに、レンコンの出荷量日本一は土浦市ですが、その次は鳴門市。これは驚きです。

私にとって鳴門は「なると金時」しか思い浮かびません。栗のようにほくほくとした食感。

その鳴門市と会津若松市は友好都市(国内親善)を締結しています。

なぜ鳴門と会津若松なのでしょうか。

第一次世界大戦後の板東俘虜収容所長の松江豊寿(とよひさ)氏の故郷が会津若松であったからです。

ドイツ人俘虜を人道的に扱い、地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた話は有名です。映画『バルトの楽園』の主人公としても知られています。

異国の俘虜の身に戊辰戦争で国賊とされた故郷の人々を重ねたのでしょうか。

ともあれ、レンコンの穴のように見通しのよい人間になりたいです。


※常磐線は日暮里駅・岩沼駅を区間としますが、2015年3月から運行上は品川駅まで延伸され、東北の玄関口としての上野駅は消滅しました。上野駅到着後に流れる間(ま)の伸びた「うえの〜うえの〜」の駅名のアナウンスが好きでした。


(気候の差が激しい福島県内は1か月以上にわたって桜を追い楽しめる)

以前は世界各地を旅してみたいと思っていました。ペルーのマチュ・ピチュやエジプトのギザの大ピラミッド、南米のイグアスの滝、トルコのカッパドキア等々。

ところが、近ごろ、国内、しかも身近な地域を綿密に訪ねてみたいと思うようになりました。いかなる心境の変化かはわかりません。経年劣化、いや、経年変化ととらえたい。

劣化と言えば、近ごろ、新聞記事に「公務員の劣化」といった言葉を見かけます。パトカーに出くわしたときのようになぜかドキリとします。

朝のカフェでふくしまを楽しむ大人の情報誌「Mon mo(モンモ)」を見ています。幸せな気持ちになります。


(隣席では若い女性が蛍光ペンを手にしながら日経新聞を凄い勢いで読んでいます)

今号の特集は「歩いて楽しむ春満開の桜めぐり」。桜と花51ヵ所が掲載。

嬉しいことに自宅から数分の所にあるシダレザクラも載っています。通勤で使っている駅も次のように紹介。

「今は無人駅となっている小川郷駅。平成22年に『小川郷の会』が、駅舎の隣に小川諏訪神社の子どもの桜を植樹している」

足で歩いて取材していることがよくわかります。地元にいながら駅舎の桜の由来を知りませんでした。

今号の桜の写真は昨年あるいはそれ以前に撮影したのだろうと思います。長期視点に立った取材の大変さにも思いを致します。

花より団子。桜めぐりのコースにはモンモ選りすぐりのグルメスポットも合わせて掲載。「何より団子」の私にとっては嬉しい情報です。

早速、iPhoneのリマインダーに登録。極めて忘れっぽい私です。「指定場所で通知」の機能は助かります。


(表紙も春爛漫のモンモ)

お店の名前と位置情報を登録しておけば、付近に近づくと「お前、ここに行きたいって言ってたよな」と教えてくれるのです。文字通りリマインドしてくれます。遠方の地域の場合は感知する半径を大きく設定。

今号にはカフェ好きの私の心をくすぐる「寄り道コーヒースタンド」も特集されています。堪りません。

先月創刊されたというムック本「プチモンモ」の第一弾「ふくしまカフェ手帖」を早速注文しました。

というわけで、早朝のカフェで日経新聞を真剣に読む若い女性の隣でモンモの世界に耽っていました。至福の時間です。

劣化した公務員、ただ今より出勤します。


(かつての勤務先「シンクタンクふくしま」のあったUNIXビル)

福島駅で東北本線に乗りました。郡山駅まで約45分。新幹線を使えば15分の道のり。つっかけサンダルで乗っても違和感のない、農家の縁側のようなローカル鉄道です。

長椅子の端に座り、今日の講演会の内容を反芻(はんすう)していると40代後半とおぼしき二人のご婦人の会話が耳に入ってきます。

「最近ね、食べ放題で全部食べられなくなってきたの」

「う〜ん」

「焼肉の脂身がどうもダメね。入らないの、脂身が」

「おつまみだけだったら食べられるんだけど、脂身がダメね」

「脂身ね」

お二人は福島から郡山までずっと脂身の話をしていました。どうやら脂身がしっかり蓄積されているように見受けられ、脂身の許容範囲を超過しているようでした。

そもそも食べ放題で「全部食べる」とはどういうことなのか、なぜ脂身に固執するのか。つい声をかけたくなりました。が、控えました。

「たぶん、ご自身が脂身になっているからかもしれませんよ」

そんなことを言う蛮勇は私にはないのです。

かつては上野発の夜行列車が通った東北本線。春の車内は脂身でいっぱいでした。


(懐かしい福島駅東口の風景)

会議の開始時間の1時間前に来場する区長さんを不審に思っていた、かつての私。本日午後からの福島県文化センターでの講演会に始発の磐越東線で向かい、4時間前に到着。

何かが変化しているようです。経年劣化なのか、加齢進化なのか。

カフェでくつろいでいると30年前の恩師の声がふと蘇りました。国際関係論のゼミナールです。

天安門事件が起き人民解放軍が制圧に動き出したころです。ゼミでも侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が起きていました。中国に留学中のクラスメイトもいました。

ゼミでは北京政府を非難する論調が目立ちました。また、日本人留学生を帰国させるべきだとの意見もありました。

人権派で知られる恩師。私たちの議論をしばらく見守っていました。

「北京政府も必死なんですよ。王朝時代から変わりません。やるかやられるかの闘争です。世界中から非難されているけど、中国10億の民のことを一番真剣に考えているのは外国政府ではなく北京政府です」

恩師は統治者の善性を信じるタイプの人ではない。また、虐殺といった非人道を認める人でもありませんでした。

「我が留学生は中国から逃げ出すべきではない。ずるい考えです。中国の民衆は危ないからと言って逃げられますか」

何かについて論評するときは相手の立場に立って考え巨視的な眼を持つことの大切さを訴えていました。

正論であることと、それを言うかどうかは異なるのだ、と。

「微笑み外交に惑わされるな」

その通りだと思います。過去の経緯を考えれば、誰しもそう思うことでしょう。

それを敵と24時間対峙している政府に対して外国政府が言うことの意味を考える必要があります。

「惑わされるな」--- 正論です。ただし、言うことで我が方の国益が増すのかどうかです。

相手の内在的論理を読み解いた上で何を表明すべきか熟考することが求められているような気がします。

ゴルフを長時間共にする親和動機によって外交は解決するものでもなく、一方、権力動機のみでも進展するものでもありません。

文大統領はかつて特戦司令部に所属。1976年に板門店で北朝鮮と韓国および国連軍の間で発生した軍事衝突「ポプラ事件」では文氏の部隊が解決のために投入されている。

北朝鮮の厳しさは皮膚感覚でわかっているはずです。

私自身は氏を評価しているわけでも、非難しているわけでもありません。

ただ、国際関係とは、いまある統治者と向き合わなければならない。そういう現実を直視しなければならないことを私は確認したいのです。

というわけで、福島駅構内エスパルで海鮮丼を食べます。カロリー消費のため福島県文化センターまで徒歩で向かうといたしましょう。


(早春の青空)

7年前の震災のときのタイの友人・知人から寄せられた厚情を私は忘れることができません。

「君は仕事上離れられないだろうけど、家族をバンコクの私の家に避難させなさい」とまで申し出てくれました。

震災の翌年、高校生の長男を伴いバンコクを訪れました。

東京にいるタイの友人の力添えを受けて綴った長文のタイ語の手紙を携えての訪問でした。震災で何が起きたのか、どうしたのかや世界からの支援への感謝の思い等々を書き記した手紙です。

あのとき心から心配してくれたタイの友人・知人の前でその手紙を朗読しました。

励ましの品々を送ってくれた友人夫妻宅にも訪問。パタヤビーチで有名なチョンブリー県で夫妻で皮膚科を開業しています。

じつは訪問前にその友人から電話がありました。

30年前、留学中にタイ南部のソンクラ―大学に私が会いに行った歯学部の当時の女子学生に連絡をしたというのです。

バンコクから南西に約700kmのアンダマン海に浮かぶ宝石と言われるプーケット島。そこで歯科医院を開業しています。

「プーケットからバンコクに会いに来ますよ」

「えっ、ほんと?」

当日を迎え、少し動悸を感じるようになりました。正直に言えば、かなり動悸が激しくなりました。息子同伴でどういう面(つら)をして会えばいいのか。何をどう話せばよいのか。

28年ぶりです。マイクのテストのときのように心の中でぎこちない挨拶の練習をしたり...。

待ち合わせの時間となりました。ホテルのロビーに行くと皮膚科の友人夫妻が待っていました。

「彼女は体調が悪くて来れなくなったって」

「あ、そうですか」

事実を受け入れるのに少し時間がかかりました。安堵と失望の織り交ざった妙な感覚に襲われつつ、バカボンのパパの口癖が心の中で響きました。

「これでいいのだ」

体調が悪くなったというのは本当だろう。私も調子が悪くなりかけていました。

私たちは一路チョンブリー県バンセーンビーチに向かいました。

その日、海岸は目を開けるのもつらいほど太陽がまぶしく輝いていました。地元産のエビとカニの料理をたくさんご馳走になりました。

これでいいのだ。


(因島大橋)

広島県尾道から愛媛県今治に向かう道「しまなみ海道」。自転車での走破が流行っているようです。が、私はバスで向かいました。

尾道駅前で「おやつとやまねこ」の尾道プリンを食べ、午後0時30分に本四バスの路線バスに乗りました。車内で今治までの運賃2,250円を先に払います。

尾道から今治までの道のりは、向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、馬島の7つの島を渡ります。その最初の向島で渋滞に遭いました。

運転席の見える左側最前列の一人席に座っている私。子どものようだと思いながら車輪のもっこりによって一段高い席を陣取っています。

「渋滞ですね。この辺はよく渋滞になるんですか」

運転手さんに話しかけました。会話とはテニスのラリーのように一球一球打っては返すものと私は思っています。


(尾道プリン)

ところが、声をかけた途端、マシンガンのように話し始めました。なにかトリガーを引いてしまったようです。渋滞に対する行政の不作為を非難。

「ここのね、信号機と向こうの信号機の連動がおかしいんですよ。信号機を過ぎるとウソのように渋滞がなくなってる」

「信号機のタイミングが悪いんでしょうか」

「ここの人たちはみんなこの渋滞を当たり前だと思っているから不満に思わないんです。でも定時運行をしないといけないバスにとっては迷惑なんです」

「慣れてしまうとこういうものだと思ってしまいますよね」

「なんどか行政にも言っているんですけどなんにもしません。これでいいと思っているんでしょうね」

渋滞という不便さも当たり前と思うと人は思考停止してしまうのでしょうか。

いつまでも熱く語り続ける本四バスの運転手さんの訴えを聞きながら、私はしまなみ海道を渡っていくのでした。

瀬戸内の穏やかな波間に幾艘もの船が小さく浮かんでいます。

「何もしてくれない行政」。その言葉が胸に深く刺さりました。


(ゲストハウス「あなごのねどこ」)

秘密基地を作って心騒いでいたころの興奮が蘇ってきました。尾道駅南口を降りて東側に延々と続くアーケード商店街。

意図的なのか、あるいは図らずもそうなってしまったのか。商店街はじつに昭和の匂いが濃く漂っています。

傘の付いた昔ながらの電球が淡い灯火となって照らしています。何故にこの傘付き電球に郷愁を感じるのでしょう。


(いつまでも眺めていたくなる傘付き電球)

「雨の日、風の日、街角に立ち、通りを見ています、眺めています」

電力会社のCMだったでしょうか。電柱を擬人化した歌がこの街には似合います。

尾道商業会議所の資料展示受付の方に尋ねました。


(尾道商業会議所)

「この商店街のレトロな感じは意図的に残しているんですか」

「そのまま残ってしまっていると言えるでしょうね。尾道は戦災に遭っていないんです。代々お店をやってきた方がそのまま居着いてお店をやってはるんです」

「そうなんですか。昭和な感じがとってもいいですね」

「ここの人はどこがいいんだろうって言ってはりますけどね。政治は広島、経済は尾道と言いまして、ここは栄えたんです。豪商がいっぱいいました」


(アーケードの横道にも昔のまんまの店が立ち並ぶ)

異なる種類のアーケードをいくつか歩いて、その行き着いた先にゲストハウス「あなごのねどこ」はありました。ひっそりと佇んでいました。

同ハウス付属の「あくびカフェ」脇の細く薄暗い廊下がアナゴになった気分にさせてくれます。

商店街の一角を再生して作られた「あなごのねどこ」。同じ部屋に京都から来た親子といっしょになりました。


(アナゴの寝床にふさわしい空間です。素泊り2800円)

「お姉さんと弟さんかと思いました。お母さんと息子さんだったんですね」

「暗いからそう見えたんでしょう。高校進学のために来たんです。前回は入試で、今回は説明会のために来ました」


(「パン屋航路」外観)

「説明会ということは合格されたんですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。この商店街のもう一つ向こうのアーケードに美味しいパン屋さんがあります。カレーパンが美味しいですよ」


(「パン屋航路」店内)

息子さんの前途を祝しつつ別れの挨拶をしました。早速、教えてもらった「パン屋航路」に立ち寄り、カレーパンとベーグルを購入。ベーグルが充実していて嬉しくなりました。

「ただでさえパン屋さんは早いのにベーグル作りは大変でしょう」

店員さんに尋ねました。

「そうなんです。ベーグルは茹でないといけないですから。熱くて熱くて」

ゲストハウスに戻ると、居間に岡山から来たという二人の若い女性がいました。こたつを囲んで笠岡沖の北木島のことでしばし歓談。

「岡山にいながら、北木島のこと知りませんでした。島で取れた石が大坂城や日本銀行の建築資材として使われていたんですね」


(「あくびカフェ」)

ゲストハウス隣の「あくびカフェ」でゆっくりと朝食を取りました。尾道と言えばラーメン。じつはそれしかわからなかった私。

学ぶべきことがこんこんと湧いてくる日本の地域の魅力に圧倒されそうです。徘徊癖にますます拍車がかかる徘徊中年。しまなみ海道の道中は続きます。


(どこか遠くに行きたい)

あさのカフェは旅人の交差点。これから旅立つ人、遠方から来て旅装を解く人、出勤前にくつろぐ人。それぞれの旅人の姿を観察しつつ、ひっそりと混じる私です。

“手の甲冷え性”ゆえ、冬季は室内でも指先を第2関節まで出している手袋を常時はめています。その手指でドトールのモーニングAセット(ハムタマゴサラダのトースト)を食べつつ、私は嘆息。

嗚呼、旅に出たい。無性に思います。渇仰します。

片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず。やや年も暮れ、春立つる霞の空に勿来の関こえんとす。

なお、受験生が誤解するといけないので「奥の細道」の原文では白川の関であることを申し添えます。

この勿来の関は歴史上実在したものではないらしい。

かつて菊多の関は存在した。その菊多の関をいつしか短歌の世界で歌われる架空の「勿来の関」に当てるようになったのが真相のようです。

現在の勿来の関跡から山あいに進むと旅人という地に行くことができます。旅人と書いて「たびうと」と読ませる。風雅な地名です。

子どもの頃、旅について不思議に思うことがありました。

よく行く、地元のふつうの温泉にどうして県外から観光バスを仕立ててわざわざ来るのだろう、と。当時の私には理解できませんでした。

非日常を求めて来るのに、日常のありふれた世界にやって来るように私には思えたのです。

後年になって気がつきました。

旅の非日常とは場所ではなく、己の感じ取る心の作用だったのです。その意味では旅情とは非日常を感じたいと欲する心の中に埋め込まれているのかもしれません。

つい、能書きを語ってしまいました。

来年は旅に出よう。今まで行ったことのない処に出かけよう。旅支度に着ぐるみは重い。頭部のかぶりものがいいだろう。

非日常の土地で非日常を振舞う。非日常性を心から味わってみたい。そんな欲望がふつふつと湧いてきます。

私の友人はニューカレドニアに行きたいという。そんなはるか彼方でなくてよい。まずはニュー新橋ビルの「みぼうじんカレー」を旅程の一里塚としよう。


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