(懐かしい友とタイ料理を囲みながら語らいました。器の模様はパイナップルを模しています)

 

「火の玉」が話題になっているようです。音の似た言葉に「火だるま」があります。意味は違います。

 

父は火の玉を見たと生前語っていました。河口で目撃したそうです。心霊といったものにまったくの無関心であった父は恐怖というものがなかったように思います。

 

古びた神社の雰囲気が好きでなく、怖いと私が言うと薄暗い社殿を勝手に開けて私の腕を引っ張って奥まで連れていかれました。

 

「ほら、何もないだろう」

 

何かあるかどうかが恐怖の元ではないのに、父はそれが理解できていないようでした。

 

父は実父(私の祖父)が亡くなったあと、どうしても会いたくなったことがあったそうです。祖父の幽霊が現れることを期待して夜中に墓に行ったと聞きました。結局のところ会えなかったそうです。

 

気持ちはわかりますが、私は絶対にしません。怖がりだからです。

 

水曜スペシャルを見た後は金属製の円盤が夢に現れました。小さな点が見えたかと思うと、みるみるうちに頭上に迫ってくる恐怖はいまもトラウマになっています。

 

個人的には矢追純一さんに精神的な損害賠償を請求したいくらいです。

 

火の玉と言えば、一時同居していた先輩がふつうに雑談している最中、「屁って燃えるの、知ってる」と突然言い出しました。仰向けにゴロンとなり、お尻を上げてライターを近づけて放屁しました。

 

生涯で唯一私が見た「火の玉」でした。不思議と無臭でした。

(私のホームベース。小島珈琲店)


31回目となる友人の祥月命日。誕生日が私より1週間早い同級生でした。生きていれば56歳です。あっという間の30年。


お邪魔するとご両親が迎えてくれました。いつものように遺影に向かって焼香し冥福を念じます。


線香がすべて半分の長さに折られて箱に入っていました。寝かせての焼香です。


我が子を想って毎日香を焚いているのでしょう。無駄なく節約して使うためと推察しました。


これまたいつものように帰り際、野菜をいただきました。茗荷と甘唐辛子、そして新米です。


「茗荷っていま採れるんですか。うちのはもう終わってしまいました」


「これは秋茗荷です。昔は茗荷は秋に採れたんです。いまのは夏茗荷が多いですね」


調べてみると「夏茗荷」と「秋茗荷」があるらしい。しかし、説明がそれぞれ違う。


そもそも品種が違うというもの。品種は同じだが植え付けの時期が異なるため収穫の時期が夏と秋に分かれるという説。さらに、夏と秋の両方に採れるという説明もありました。


いよいよ不可解です。茗荷は表通りではない半日陰のトカゲが出てきそうな場所を好みます。枯れて見向きもしなくなった畑脇の茂みの茗荷を明日見てみようと思います。


秋茗荷なるものが生っているや否や。


ちなみに茗荷っ子が大好物です。


(「秋茗荷(続)」につづく)

(蔵王にて。本文とは一切関係ありません)


場所は東京。政府庁舎と思しき大きな施設に私がいたときです。


全長10数メートルの巨大なニンジンが2発天高く放たれました。


テロなのでしょうか。他国を攻めるのではなくニンジンミサイルは東京に向かって真っ逆さまに落ちてきます。


「うわぁ、ニンジンの放射能だ!」


爆発後、オレンジ色の煙が拡散。施設内にも充満してきます。急いで逃げる私。


銀座方面のようです。誤ってあっち系の店に入ってしまいました。薄暗い店内。これはヤバい店だ。


そのとき(ヤバい店に入ってしまったと)同じ表情を見せていた同年代の男性に呼びかけます。いっしょに避難しよう、と。


「出身はどちらで」


私が問います。


「国土交通省に勤めていまして出身はいわき市なんです」


「それは奇遇ですね。私もいわき出身なんです。いま消費者庁に派遣されているんです」


二人はかっぱえびせんをぱりぽりと食べながらお互いのことを紹介。東京から脱出する算段に思いをめぐらす、というところで目が覚めました。


あさ5時前に目が覚め、二度寝したときに見た夢です。ニンジンについては思い当たるフシがあります。


前の晩、糠漬けを食べていました。キュウリとナスとニンジンの漬物です。ニンジンだけはスーパーで買ったものでした。来年はニンジンも植え付けしようと独り言を言ったのを覚えています。


それがなぜミサイルにまで成長したのか、東京に落下したのか、銀座のヤバい店に足を踏み入れたのか、かっぱえびせんを食べながら同郷の人と意気投合したのか。


一切は不明です。夢はかくも支離滅裂でも、見ている最中はまさに現実そのものであるところが不思議です。

(初めてスイカを収穫しました)


1週間ほど前から義父の総入れ歯の下顎の部分が行方知れずとなりました。家中探しても見つからない。


認知症になって以来、想像だにしない場所にものをしまう癖が付いてしまいました。電子レンジに食べ物ではないものがあったり、下駄箱に下着が入っていたり、びっくりぽんの世界です。


義歯を紛失したことについて本人の自覚はありません。どこに置いたのか尋ねても返答はなし。ただ、舌先がアサリの足のように口から出ている状態になっていました。


(野良仕事は2時間が限度です)


いったいどこにしまったのか。くまなく探しても出てきません。デイサービスに通う施設にも伝えて捜索してもらいました。見当たらないとのこと。


便器に流してしまったのかもしれない。十分にあり得ると思いました。以前おむつを流そうとした実績があるからです。


歯科医院に行って作り直してもらうしかないだろう。諦めかけていたところ、まるで手品のように義歯をはめているではありませんか。


(小玉スイカ。じつに甘い、瑞々しい)


ベッド周りをはじめ6畳一間の義父の部屋中をあれほど見たのにどこに隠していたのでしょうか。


不思議としか言いようがありません。しかも、ちゃんと装着しているこの奇跡。


畑で収穫した初めての小玉スイカを勧めると、美味しそうに食べていました。

(米ナスのトゲは鋭利です)


米ナスをもぎ取ろうとしたら鋭いトゲに刺されました。ほぼ凶器と化した米ナスのトゲ。痛んだ箇所を押さえつつ野菜は大したものだとつくづく思いました。


ナスの原種には我が身を守るため相当のトゲがあったと推察します。品種改良の結果、鋭さがなくなりトゲそのものが消失しているものもあります。


米ナスの「米」はアメリカのこと。ですから、読み方は「ベイナス」であり、コメとは無関係。


ともあれ、ナスは動物がトゲを嫌がることをどのようにして知り得たのでしょうか。不思議でなりません。痛みに対する認識がなければ獲得できない技です。


ボケナスなどと侮る私たちですが決して蔑如(べつじょ)するなかれ、です。植物には意思がある。私はそう信じています。


トゲを獲得する過程について私の想像です。


突然変異によりヘタにトゲのあるナスが誕生。で、獣が実を食べようとするものの、Ouch(アウチっ)!と叫ぶ。その怯む様子をナスは観察し分析。


そうかそうか動物はトゲが苦手らしい、と。もっと増強しよう。仲間にも知らせよう。突然変異から自発変異していくのです。


そういった変遷を経つつも人間はナスを上回る知恵を持っています。ヘタを包丁で削いで剥離してしまいます。やっぱり所詮はボケナスなのです。


(ナスに敬意を表する筆者)


宇宙の営みにも幽玄を感じます。さらに不可思議なのは人間を含むやっぱり生き物。


もっと野菜のことを知りたくて田村咲江著『野菜をミクロの眼で見る』という本を購入。煮ると野菜はなぜ柔らかくなるのか科学的な説明に目から鱗です。


巣立ったのに未だにかつての燕の雛が巣の様子を見に来ることを不思議に感じ図書館に本を予約しました。


長谷川克著、森本元監修『ツバメのひみつ』。基本的な生態から、飛翔と渡り、恋愛事情、子育て、文化や人間とのかかわりまで解説されています。


とにかく生き物には不思議がいっぱい。卑近な例を言えば、下腹部が膨張した際、実弾を発射せず空砲のみを放つことができる、この人体の妙は驚嘆を超えて崇敬の念さえ覚えます。


食べる、話す、寝る、放つ。当たり前に思っていることがじつは驚異的なことなのです。

(初めてのスイカ。嬉しいです)


てっきり急激に成長し雛が巣立って飛行訓練をしているのかと思いました。5羽ほどの燕が軒下の巣に向かって来たからです。


以前「不思議な燕の巣」と題した記事を投稿しました。


営巣は始まったものの、当初夫婦が入居している気配がありませんでした。しかし、雛が3羽孵化したこを確認し、安心。毎日様子を観察しています。


数日前から3羽の燕が巣に飛来していることに気づきました。そして、けさは少なくとも5羽いました。


どういうことなのでしょうか。


私の推理は次の通り。


1【叔父・叔母燕説】

育児支援のために雛の叔父・叔母が飛来している。3羽についてはこれで説明ができるもののけさの動きは不可解です。


2【お食い初め説】

人間界で言うところのお食い初めの儀式だった。仲間たちがお祝いに森で捕ってきた栄養価の高い餌を持って駆けつけて来たのかもしれない。


3【雛ヘルパー派遣説】

燕界においても育児は夫婦だけに任せるのではなく、社会化されている。雛ヘルプサービス事業者から派遣された給餌支援員が飛来している状況を目の当たりにした。


4【托卵説】

人間界でも発生していると言われる「托卵」。詳述は割愛します。不安な殿方は最寄りの法律事務所にお電話を。我が家の燕も托卵しているのかもしれません。


というわけで、いましばらく様子を観察します。私は「雛ヘルパー派遣説」の見立てです。

(頼むからカボチャは盗らないでほしい)


見事なまでに消えています。庭先の枇杷の実がことごとくなくなってしまいました。


とは言え、特段、食べたいとは思っていませんでした。しかし、よく実っていたのでそろそろ収穫時期かなと思っていた矢先での出来事でした。枇杷酒にしようか、と。


考えられる原因は二つ。いや、三つだ。


一つは盗まれた。もう一つは認知症の義父の仕業。さらには宇宙人による奪取の可能性。


検証します。


庭は県道に面し目立つ場所です。そこで果たして時間をかけてすべてもぎ取れるものだろうか。一つの残りも、落果もないのです。頂にも低い枝にも。


便秘解消によく効くそうなので、そういった体質の人が収奪したのか。


近所の見事な枇杷の木を念のため見に行きました。黄色の実がたわわに稔っていました。


義父がやったのか。考えられなくもないのですが、悉皆収穫を果たしてできるのか。そこは疑問が残ります。肝心の実はどこかに隠したのか。


最後に宇宙人による略奪。牛などが内臓をくり抜かれるキャトルミューティレーションは知られています。が、枇杷好きの異星人は寡聞にして聞いたことがありません。


ちなみに、枇杷は、楽器の琵琶が言葉としては先だそうです。楽器の琵琶に似ているので、枇杷と称するようになったと伝えられています。


ふだん気にもしていなかった庭先の枇杷。俄然モヤモヤの対象となってしまいました。 なんだか大事なものを失ったような気がしてくるのですから、不思議です。


失ってはじめて気づくことってありますよね。


今回の「枇杷事件」を受けて、当たり前に存在する人・物を大切にしようと思いました。

(赤シソで作ったジュース)


備忘録として我が家の生き物を記しておきます。


動物は飼っていません。


が、居ついているのが、燕、猫、雉。


燕については以前「不思議な燕の巣」で記しました。真のつがいが営巣しているのか疑念を持っていました。もしや休憩所になっているのではないか、と。


(瑞々しいカボチャ)


無事に3羽の雛が誕生しました。頭の産毛が愛らしい。両親がせっせと餌を運ぶ様子を見守っています。


雛が生まれてから地面にフンが蓄積してきました。おそらく親鳥が巣の中から取り出しているのでしょう。畑の肥しにします。これぞ循環型農業。


一匹の猫が先週から突如デッキに寝そべるようになりました。野良にしてはふてぶてしい。他所の飼い猫なのかもしれません。堂々とくつろいでいます。


(インゲン豆。順調です)


雉は毎度のごとく夫婦であるいは単独で畑や庭を散歩しています。オスは芸術的なまでに美しい。メスは地味です。人間界とは異なる価値観に多様性を感じます。


飼育していないが棲んでいる我が家の動物の紹介は上述の通りです。次に畑の野菜たち。


トウモロコシ。急激に成長し実がなりました。小ぶりです。試しに一本茹でました。甘い。感動しました。


(ナスがいちばん楽しみです)


パセリ。カレーに刻んで入れるとこれまたエキゾチックな味覚になります。葉を茂らせているバジルといっしょに煮込みます。


ピーマン。今年はだめです。根の張り具合が弱く、介添えが必要です。


唐辛子。順調です。初めての一本が実りました。 シソ。青シソが先に繁茂しています。赤シソは追いかけるように生長中。


落花生。黄色の花を咲かせました。この花から伸びるつるが地面に潜っていくそうです。不思議ですね。


(網を這い上るキュウリ)


インゲン豆、キュウリ、ニガウリは網を伝ってどんどん伸びてきています。インゲンとキュウリはほぼ毎日収穫しています。


大好きなナスとミニトマトも順調です。


今年はオクラが不良です。まるっきりだめです。再度苗を買い、植え替えました。


サツマイモと里芋。いい感じに葉を茂らせています。


(こちらは地這いキュウリ)


不耕起栽培で育てているカボチャ、スイカ、地這いキュウリ、メロン。メロン以外は順調です。特にカボチャは例年になく収穫が期待できそうです。


おにやんま君®」を帽子に着けて我を忘れて作業しています。声をかけられても反応しませんのでご了承ください。


それくらい没頭しています。

(左上に巣があります。家の中から覗けます)


営巣中は頻繁に二羽の燕が来ていました。いよいよ産卵、抱卵になるのだろうと思っていたところ...。


どうも様子が変なのです。


燕が来なくなりました。オス・メスのどちらかが病気になったか、小動物の犠牲にあったのか。あるいは、巣を放棄したのだろうか。カビが生えると巣を変えるらしい。


ちょうど廊下の明かり窓の上に巣が作られました。家の中から様子を窺えます。首を上げてじっと見ていました。


するとしばらくぶりに一羽の燕がやってきました。もう一羽も飛来。どうやらまだ入居中のようです。


(畑の畦道には雉が巣を作っています)


安心したのもつかの間、また、燕の気配がなくなりました。どうしたのでしょう。


数日後、またやってきました。


この巣はもしかすると燕たちの「ご休憩」の場所になっているのではないか。風紀を乱す存在になっているのかもしれない。不安がよぎります。


玄関ではなく、裏手の屋根が重なる複雑な構造の場所にあります。燕目につかない完璧な出入り口。


飽き飽きした燕人生に変化を求めたい。そんなナイスミドルなあなたに...。


このままでは社会的地位がだめになる。だけど、できれば内緒で続けたい。そんなオーディナリー燕なあなたに...。


というわけで、不思議な燕の巣が我が家にあります。目下鋭意観察中です。

(ちょい飲みバル マイタイにて)


久しぶりにちらっと『サザエさん』を見ました。思わぬ発見が。私の心境に変化がありました。


最も苦手な日曜日の夕暮れにもかかわらず、そして『サザエさん』のエンディング曲を聞いても、あの鬱屈した感情が湧いてこないのです。


これまで絶望感に近いものがあったのに、いったいどうしたことでしょう。


雑誌のインタビュー記事にある社長さんが言っていたことが私はずっと信じられませんでした。


「私は日曜日の夜が最も楽しい。『サザエさん』のエンディングを聞くと月曜日が来るのが待ち遠しくてしょうがない」


そこまでは残念ながら至っていません。


とは言え、やっと五十路半ばを過ぎて人生最大の私の懸案の一つであった「サザエさん症候群」について改善の兆しが感じられます。不思議なことです。


この変化の由来は何なのか。わかりません。


荒地耕作の効能なのか、オゾンが関係しているのか、きなこのせいなのか、カフェめぐりの影響なのか、横笛吹きの効果なのか、単なる加齢現象による鈍感力の向上なのか...。


ともあれ、良い傾向にあることは間違いありません。ただ、最近、両足が外反母趾っぽくなってきたのが心配です。


人生、もぐらたたき。何かがよくなれば何かが悪くなる。


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