- 2020.04.18 Saturday
コロナ明けは来るのか
(「ななへやへはなはさけども山ぶきのみのひとつだになきぞあやしき」。我が家にも蓑はありません。自宅にて)
わかってはいるのです。糖質は抑制すべき、と。この頃、糖蜜・黒蜜・蜂蜜の三蜜を身体が欲しています。禁止されると余計に掻き立てられるカリギュラ効果のせいでしょうか。豊後国に旅する人の気持ちも私にはわかります。
おかしな夢もよく見るようになってきました。一昨晩はピザの夢でした。
第二次世界大戦がエポックを画したようにコロナ禍もまた歴史の転換点になり得るのでしょうか。後世、「コロナ前・コロナ後」と称されるようになるかもしれません。
記憶をたどる基準点としていつの間にか震災前か後かを用いるようになりました。「あれは震災前だったっけ」「いや、震災のあとだよ」等々。関西と東北では「震災」の意味が異なることは要注意です。
もはや大型連休明けにコロナ明けを迎えるとは専門家も含め誰も信じていないでしょう。長梅雨のようにしばらくは陰陰滅滅と続くように思います。
コロナ明けとは、仮にあったとしても、晴々としたものではなく、コロナが常態化し社会が受容した状態を言うのかもしれません。society with coronaあるいはlife with coronaがコロナ明けの実態となるでしょう。
国家においても企業においても、コロナ禍という挑戦に対し的確に応戦できたところがコロナ後の勝利者となります。
民の意を汲み取り最適な制度設計を迅速に構築し、実行する。この際、実行とは末端まで速かに行き渡らせることを意味します。そういった観点から台湾はコロナ後、変貌が最も期待される統治機構の一つです。
人間の身体にたとえれば大脳で最適解をすぐさま見つけ、全神経を通じて一気呵成に伝達する手段と実行力を体得したように思います。脳も神経もまるで筋肉質のようです。
私は憂います。
我が国の為政者は神経伝達部分においてのみ筋肉質を得たいとの誘惑に駆られるのではないか、と。管理型国家への誘惑です。もっと強制力を持ちたいという権力欲が増大しているのではないかと危惧しています。
人は嘲笑され馬鹿にされたとき、それが蓄積し、次なる謀(はかりごと)へのエネルギーとして引き継がれていきます。当代だけでなく、次代においても注意深く監視していきたいものです。
コロナ禍を奇貨として発展していく国家と、蹉跌となり転落していく国家に分かれるエポックに私たちは立ち会っているのかもしれない。そんなふうに思っています。
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- by だいこんくん