(見えているものだけがすべてではない。五反田家庭料理「うさぎ」にて)

厨房がつい気になってしまう。昔からの癖です。以前の部署で職場に回覧されてくる業界誌月刊「厨房」が好きでした。

「きょうお見えになるということで千葉の漁師さんに鯵をお願いしていました。水揚げのタイミングによっては仕入れができないときもあるのでよかったです」

最高の料理をお客さんに食べていただこう。そのため、仕入れ先や時期にも心を配る。女将さんの真心が痛いほど伝わってきます。


(極上の鯵のフライ)

シンプルなのにこれほどまでに旨味を感じる。こんな鯵フライに出逢ったことがありません。

この素材に合う油は何か。菜種油がいいのか、胡麻油か、米油か。女将さんは試行錯誤を繰り返すという。

油について伺ってみると、やはり「うさぎ」で使う油はもちろん搾油(搾った油)とのこと。我が家も搾油です。市販の食用油のほとんどはノルマルヘキサンなどの有機溶剤によって油分を抽出しています。


(千葉の漁師から産地直送の海鮮)

ご主人が担当だというキャベツの千切りも美味しい。包丁で細かく刻んであり、ほどよく冷えていました。

ふと、ここ「うさぎ」で朗ブロin五反田を催してみたい、との野望が芽生えてきました。スペースを物色するとカウンター裏の8畳ほどの座敷が手ごろだと感じました。

座卓ではなく、椅子を備えたテーブル席です。テーブル下の床暖房の敷物が女将さんの配慮を感じました。トイレもまた暖められていて快適でした。

ところで、カウンター越しから見えるまな板が気になりました。大小さまざまなまな板が数多くあります。


(もも肉とネギの照り焼き。ネギの甘みが経験したことのないものでした)

「板前さんによっては一枚の大きなまな板で器用に使っている人もいます」と女将さんは言う。

「私も家では一枚のまな板ですけど、衛生的には気になりますよね」

「魚や肉、野菜などいろんな素材を考えれば不衛生だと思うんです。小さな材料は小さなまな板で切れますし、硬さや大きさ、素材によって分けて使っています」

さすがだと思いました。

「フライパンもそうなんですよ。餃子を焼いたフライパンはどんなに洗ってもにおいが残ってしまう。だから、それぞれの素材ごとにフライパンを用意しています」

「何枚、あるんですか」

「12枚です」


(全国の卵を取り寄せて、卵かけご飯にはこの卵だと結論に至ったという)

氷山は海面から出ている部分は全体の体積の1割ほどしかないという。人の努力もその多くは見えない。

目に見えないところにどれだけかけるか、あるいはかけられるか。そこなのでしょうね。

締めに極上の卵かけご飯をいただきました。濃厚でかつ癖がない。黄身と白身、そしてカラザもすっと混ざりました。

時間が過ぎるのもわからず、終電を逃しました。が、極上のひと時を味わうことのできた五反田の宵でした。


(夕闇のアリオスカフェ)

(からつづく)

初めての「朗ブロ」(ブログの朗読会)。11月28日の夕刻。10数名の方がアリオスカフェに足を運んでくれました。

遂に催してしまった。私はそんな思いに襲われました。違う意味で催しそうになりつつ、丹田に気合いを入れました。

今回の朗ブロでは10編のエントリーを披露。うち3編は演劇活動をしているHさんに、1編はMさんに朗読を依頼。残りの6編は私のだみ声が響き渡ることとなりました。

HさんもMさんも読み方やいわゆる“作者の意図”について直前まで問い合わせをしてきました。当日は原稿を自分で装丁してきたのには驚きを禁じ得ませんでした。

お二人の朗読に臨む姿勢にプロフェショナルを感じました。城達也さんはラジオで小説の朗読を担当した際、読み原稿が真っ赤になるほど間合いや読み方について筆を入れていたということを思い出しました。


(静かに耳を傾ける参加者の皆さん)

作品は朗読という作業によって作者の手を離れ、文の底に眠っていた力が覚醒して輝きを増す。お二人の朗読に耳を傾けながら、そんな思いに駆られました。

Hさんは豊かな声量で館内のロビーまで響き渡る声で朗読。いつのまにか高校生のギャラリーも集まってきました。朗読後に彼らからも拍手があり、嬉しくなりました。

最後の作品「遠き日の梅の香り」を味わい深く朗読してくれたMさん。プロの朗読家によって読まれるとこうも作品が違って見えるのか、と思いました。胸の奥深くに沁み渡りました。

今回の初の朗ブロでは反省点も多々ありました。

作者自身の朗読は避けた方が良さそうです。各作品の背景説明やコメントに徹する方がいいかもしれません。

お料理や飲み物の注文と提供の仕方も改善の余地がありそうです。

何よりも参加された皆さんに満足いただけたのか。しっかりと自分自身に問うていきたいと思います。

ともあれ、賽は投げられ、恥ずかしながら催してしまいました。今後さらに改良を重ね、パワーアップした朗ブロをふたたびどこかで催したいと思っています。

出張朗ブロも承ります。


(「定番の引力」で登場した即席麺を参加者にプレゼント)

(からつづく)

アリオスカフェで朗読会を催す。では、時間帯はいつがよいか。店長の提案は意外な曜日でした。

「火曜日はホールが休館でイベントがないんです。ロビーで高校生などが勉強してはいますが静かです」

それに、と店長は付け加えます。

「夜の帳(とばり)が降りてからの方が朗読にはいいのではないでしょうか」と。

確かに「星々のつぶやき」は太陽がいままさに昇らんとする午前中は似つかわしくない。そんな清々しさを持ち合わせてもいない。

消え入りそうな6等星の星々のつぶやきなのですから。夕闇こそふさわしいのです。

日にちは2か月先の11月28日(火)夜と決めました。

まずは朗読するエントリーの選定です。過去5年間の1300編を超える記事の中から参加者の皆さんに楽しんでもらえるものは何か。

不評を買うかもしれないけど、腹痛物は一つは入れたい。食にまつわるもの、幼いころの思い出、初期の作品と最近よく読まれた記事を用意しよう。

当日のカフェのメニューをどうするか。店長と打合せを二度、三度と重ねました。

店長のワンオペの状況で朗読会の最中に注文を受けるにはどうすればいいか。迅速に提供できるものでなけれならない。寒い中お越しになるのでスープを用意してはどうか、等々打合せが熱を帯びていきました。

スープについては何度か試作品を作っていただき、私も試食しました。濃厚なコーンポタージュが完成しました。

朗読の際の立ち位置、テーブルの配置、BGMなども検討しました。実際に朗読を行い、声と合うかどうかの検証も行いました。

当日を迎えました。実際に催してみて反省点も多々、一方でサプライズもありの、何はともあれ初めての「朗ブロ」を開催することができました。

(へつづく)


(米国の政治集会のスタイルのよう。第1回朗ブロ)

ことの始まりは春に集ったYさんとの「サシオフ」からでした。サシオフとは一対一のオフ会のこと。

「読者のオフ会をやってみたい気持ちがあるんですけど、気恥ずかしさが立って...」

そうYさんに切り出すと、次のような厳愛の言葉が。

「インパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将が『(作戦の中止を)私の顔を見て真意を察して欲しかった』といっていますけど、察してくださいじゃだめなんです」

100万ボルトの電撃が走りました。誰かを頼む心では駄目だということを悟らせてくれました。

爾来(じらい)、どこでどのように催すか、つねに思案するようになりました。カフェでやりたい。でも、どこがいいか。

山あいの、あのカフェもいいなぁ。でも、市街地から離れていて不便だ。静謐(せいひつ)でかつ利便性の高い場所。どこかいいところがないだろうか。

ときおりお邪魔するアリオスカフェ。残暑の厳しいある日、お茶を飲みながら店長に軽い気持ちでブログの朗読会の企画をお話しました。

できるのではないかとのご返事。施設の管理者や店舗を運営する社長に尋ねてくれるという。後日、開催可能との結果が伝えられました。

いつやるか。どのような時間帯がふさわしいか。

アリオスは大小のホールが複数ある施設です。毎日のようにイベントが催されています。

静謐の環境の中で朗読会を行うには土曜日の午前中がいいのではないか、と私は思いました。ところが、店長さんの提案は違いました。

(へつづく)


(窓辺の鉢植え)

確か水戸駅近くのビルだったと思う。小学校に上がるか上がらないかの頃の記憶です。昭和40年代後半でしょうか。

ビルの最上階にレストランがありました。さほど広くはなく、円形だったように思います。ですから、円柱のビルだったのでしょうか。

なぜ、そこに行ったのか。そもそも何をしに水戸に行ったのか。思い出せないのです。ただ、家族で行ったという記憶しか残っていません。

エレベーターを降りると、よそ行きの雰囲気を醸し出しているレストランの入口が待っていました。少し硬くなりながら、入口を抜けると、少し高い台の上にエレクトーンがありました。

料理は何を注文したのか、そして何を食べたのか、まったく思い出せません。

なぜなら、エレクトーンの生演奏に見とれていたからです。ただでさえよそ行き感満載のレストランにエレクトーンの生演奏。

上がっちゃいました。これが一番ふさわしい表現です。私は上がってしまったのです。勝手にお坊ちゃまになったような気分でいました。

今となってはそれほどの店ではなかったのかもしれない。たいしたビルでもなかったのかもしれない。おそらくたいしたことはなかったのでしょう。

初めて行った県庁所在地の町にのぼせてしまったのかもしれません。

クリスタルキングがリリースした「大都会」は博多を描いたものだという。東京ではありません。

かように都会とは相対の中で意識されるものなのです。

というわけで、「よそ行き」という言葉が生きていた頃の思い出です。よそ行きの服を着て、不作法をしないよう親にたしなめられて、たまのよそ行きをしていた頃のことです。

今やジャージを着て、つっかけサンダルで近所のスーパーに行くまで成り下がりました。

そういえば、よそ行きの服ってあるのだろうか。大根や茄子の着ぐるみはあるけれど...。


(あぜ道に咲く彼岸花)

少年時代、我が家には一艘のボートがありました。星々のつぶやきで以前「ヒルガオ」の中で、父が拾ってきたのではないか、と述べました。

姉によると購入したものなのだそうです。

鮫川の河口にボートを浮かべ、中洲や対岸へ父と渡りました。ときに家族一家で行くこともありました。

はしけのない砂浜の川岸からボートに乗って漕ぎ出すにはちょっとしたコツが必要です。うっかりすると転覆しそうになります。

50メートルほど漕ぎ、川中に至ると2級河川とはいえ河口だけあって意外にも水深が深い。濃緑の川面をボラがときおり跳びます。

中洲に近づいてくると川底が見えてきます。徐々に浅くなり、舟底がさーっと音を立てて砂浜に乗り上げます。

潮に舟が持って行かれないように舳先(へさき)を引っ張って、中洲側にさらに引き揚げます。この中洲は満ち潮になると水没します。

直径数十メートルの中洲は恰好のシジミの採取地でした。砂地なので茶褐色のシジミ貝です。泥地に棲むシジミは黒色でざらざらしています。

中洲を離れ、対岸に向かいます。元の陸地から数百メートルしか離れていません。にもかかわらず、別世界に来たという感慨を覚えました。

これは不思議な気持ちでした。川というものは、生態系としては両岸には同一性があり、「流域」という表現で捉えることができます。

しかし、実際に向こう岸に渡ってみると、異なった世界に至ったと感じるのです。

その意味で川とは、結び付ける力よりは、隔てる方向に作用するものだと私は感じます。家の近所を流れる夏井川。その橋の一つは「両軍橋」と称します。

ところで、仏法では悟達を「此岸から彼岸」という水平移動によって表現します。下から上への上昇ではないところに私は惹かれます。

なお、サンスクリット語のパーラミター(音訳:波羅蜜)とは「向こう岸に至った」という意味です。

このことは次元は異なりますが、「水平的人間関係」を強調するアドラーの心理学を想起します。

つまり、人間関係を上下(垂直的)関係ではなく、個人と個人が対等(水平的)な関係から人間関係を捉えることをアドラーは勧めています。詳細は割愛。

というわけで、此岸から彼岸まで、少し難しい話になってしまいました。

ちなみに、「葉見ず花見ず」の彼岸花は好きではありません。


(残暑の一コマ。遠近法の焦点に黒猫がいます)

1年半以上かかりました。かくも私は勇気がありません。精神科医のアルフレッド・アドラーは幸せに生きるためには勇気が必要だと強調しています。

2016年の元旦。私は目標を立て決意しました。行かず嫌いの喫茶店に行ってみよう、と。詳細は「行かず嫌いの喫茶店」を参照ください。

市街地から自宅に至る国道399号線。宅地を抜け、田んぼが広がる、その沿線に一軒の喫茶店があります。

20数年来、気になりながらも一度も入ったことがありません。

窓からはレトロな黄色の照明がいつも漏れています。駐車場に車が止まっているのをほとんど見たことがありません。やっていけるのだろうか。

客が出入りしている気配がないにもかかわらず、いつも営業しています。店舗の倉庫に氷を販売している看板があるのがほかの喫茶店にはない特徴かもしれません。


(黄色の照明はこれだったのです)

訪問調査の日でした。午後の1軒目の事業所を辞去し、次の事業所の訪問時間まで小1時間ありました。

そうだ。あの喫茶店に行ってみよう。勇気を出してドアを開けました。

何もかも古い。椅子もテーブルも、そして照明も。時間が止まったかのよう。店内にはオーナーと思われる老夫婦2人のみ。客はいません。

「このわきをいつも通っていてずっと気になっていました。きょう初めて入りました。何年お店をやってらっしゃるのですか」

「43年になるんですよ」

「もう40年以上も。そうですか。また来ますね」

「またいらしてくださいね」

あまりにもふつうの喫茶店でした。いろいろと変な想像(何か裏稼業があるのでは...)をめぐらせていた自分が恥ずかしくなりました。

「普通であることを受け入れることができないと人は特別であろうとします」(岸見一郎著『アドラー心理学入門』)

夕方、仕事を終え、繁華街を歩きながら駅に向かっていました。すると目の前に喫茶店の駐車場で見た「氷」と書かれた軽トラックが止まっているではないか。

はっ、これは。私は見てはいけないものを見てしまったような胸の動悸を覚えました。

この飲み屋街一帯の氷は、もしやすべてあの喫茶店が仕切っているのかもしれない。また一つ宿題が増えました。


(スパリゾート・ハワイアンズ)

もうその土曜日は朝から興奮していました。ただでさえ土曜日は半ドンでうれしい。その日は特に楽しみでした。

火力発電所の年中行事の中でのハイライト。それが常磐ハワイアンセンターに行く日なのです。秋の行事だったと記憶しています。

学校からアパートに帰宅。両親は家族5人分の着替えや食料をリュックに詰め込んでいました。

午後2時過ぎに常磐交通の乗合用のバスが「貸切」と表示し、社宅の周りに何台も待機していました。

アパート1棟に20世帯余が入居していました。11棟のアパートと上位役職者用の平屋の戸建を含めれば、佐糠町の社宅には相当な数の住人がいたと思います。

火力発電所と常磐ハワイアンセンターはもともと事業上のつながりがありました。

炭鉱です。

大鉄傘(だいてっさん)の常磐ハワイアンセンターの構造は、火力発電所の貯炭場(ちょたんば)と大きさも形も同じです。

午後3時半ごろに常磐ハワイアンセンターに到着。

靴を脱ぎ、半透明の袋に入れます。素足に床の温かみを感じます。二酸化硫黄のにおいと湿気。いやがうえにも心が躍ります。

我が家はプールの見える3階の休憩室に陣取ることが多かったように思います。誘蛾灯のような薄紫色の蛍光灯が天井にぼんやりと光っていました。

ステージでは枕木のような打楽器を激しく叩いています。

姉と弟と私の3人はプールに向かいます。流れるプールなどでひと泳ぎして父母のところに戻ると夕飯です。

重箱に混ぜご飯やいなり寿司、ゆでたまごが詰まっています。当時は当然のように食べ物を持ち込んでいました。

私の楽しみは、3つ。

まず、ゲームコーナーに行くこと。スマートボールとメダルゲームが目当てでした。落ちそうで落ちない棚田のメダルをときに腰の力を使って獲得しました。

つぎに、カネボウのBOBというアイスキャンデーを買うこと。それから、風呂上りにミキサーのメロンジュースを飲むことでした。

温泉ももちろん楽しみでした。

金魚の入った水槽の上にある金魚風呂、追加料金を払わなければならない金風呂、ハワイを冠した施設なのになぜかナイアガラの滝を模した露天風呂。露天風呂に行くまでの小路が薄暗く、そして寒い。

露天風呂は岩によって男女が仕切られていました。ときに岩をよじ登る人もいました。

午後8時半まで、みなが思い思いの時間を過ごします。

私はバナナ園が好きでした。

バナナやパイナップル、パパイヤが実を付けていました。鎖に繋がれた大きなオウムが大人の背より高いところにいて鋭いくちばしを見せていました。水槽にはピラニアが泳いでいました。

お土産コーナーを通過して午後9時ごろにバスに乗り一路社宅に戻るのでした。出口近くのソテツを照らす強烈な照明から湯気が立っていました。

枕木の打楽器、金風呂、金魚風呂、ナイアガラの滝、オウム、ピラニア、BOB、メダルゲーム、ソテツ等々。

こういったもろもろのものが融合して私のハワイのイメージが作られて四十余年。

いつの日か、二酸化硫黄がにおわないという、太平洋に浮かぶ島・ハワイに行ってみたいものです。

ちなみにナイアガラの滝はカナダ側から20年前に訪れることができました。露天風呂の滝とは比べものにならない豪快な滝でした。


(屹立した風景が好きです)

ふとした過去の一瞬を思い出すことがあります。30年前のタイ・バンコクの学生寮。留学生である私は3階の個室をあてがわれていました。

寮は王室の敷地内にありました。相当に年代物の建物。個室とはいえ、私には独房のように感じました。

シャワールームの壁は漆喰が剥がれ落ち、不気味な雰囲気が漂っていました。3畳ほどの広さに40ワットの裸電球が一つ。

意外に広いのです。壁が汚れているため、余計に薄暗く感じます。片隅に壊れた洋式便器がありました。

角にある排水口はふたはなく、黄泉の世界への入口のように真っ暗です。

シャワーは水だけしか出ません。地下水を汲み上げた水です。

いくら熱帯のバンコクとはいえ、朝晩の水のシャワーは冷たい。滝に打たれる荒行ほどのものではないものの、「よしっ」と相撲の立会いに向かうかの如く気合いを入れなければなりません。

私はシャワーを浴びるとき、決まって安全地帯の「悲しみにさよなら」をかけることにしていました。己に課した儀式のように。

カセットテープレコーダーの再生ボタンを押して、「♪泣かないでひとりで〜」と始まると、水の冷たいシャワーもなぜか浴びることができました。

ところが、時折、黄泉の国に通ずる排水口から見事なタキシードを着込んだ奴たちがぞろぞろとお出ましになることがありました。

舞踏会でもあるのでしょうか。日本では見たことのない体格です。じつに立派で堂々としています。そして、飛びます。

殺虫剤をいくら噴霧しても、びくともしない。不死身のターミネーターのようです。

私は昆虫の弱点について研究。脇腹にある気孔を塞げば窒息させられることを知りました。塞ぐ材料は界面活性剤。

以来、私はタキシードを着た御一行が現れるたびにティモテのシャンプーで攻撃。黄泉の国の主たちを撃退することができました。

そんなことを暑さが極まった物憂い午後に思い出しました。私の青春の一コマです。


(プライバシー保護のため一部画像を処理しています。なお、トイレのスリッパではありません)

顔立ちは似ていても歩く姿勢が違う。日本人とタイ人の見分けは比較的容易です。特に女性は顕著に異なると感じました。

「タイ人 女子学生」と画像を検索すると歩く姿が数葉見つけることができるでしょう。

変態と思われるおそれがあります。スマホ画面の視界が他人に入らないところでお試しください。

タイ人の女子学生は背中がすくっと直立しています。

胸を張って歩く日本人は案外少ないことに気づきます。私もそうです。背中が丸まり少し前傾姿勢となってしまいます。

ところで、10数年前のことです。仕事での懇親会で長野出身のUさんと宴席をともにしました。Uさんは椅子の背もたれに寄りかからず、つねに背筋を伸ばしていました。

Uさんにお酌をしました。

するとグラスを持つ手を伸ばしたまま、かつ、背筋も伸ばしたまま、顎をすっと引いてお礼を言われました。

まるで合戦で床几(しょうぎ)に座る武将のように感じました。

「ご苦労でござる」とは言われませんでしたが、思わず「ははーっ」と言いたくなる雰囲気が漂っていました。当時40歳。

背もたれ不要のUさんはいま知事として活躍されています。


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