(104メートルからの自由落下。八景島シーパラダイスにて)

重力加速度ことgが苦手な私。地元の「いわき海竜の里」にあるドラゴンコースターでさえ、恐怖を感じます。バカにできないgがかかります。

30年ほど前に通訳の仕事でタイの研修生を東京ディズニーランドに案内しました。人混みが嫌いな私はそれまで同ランドを訪れたことがありませんでした。

スペース・マウンテンなる乗り物に乗り込むことになりました。事前の警告アナウンスが恐怖感を駆り立てます。

乗り込んで数十秒後に深く後悔しました。

どこかに飛んで行ってしまいそうな容赦のない遠心力。右に左にgがかかります。上下にも感じます。お腹の中から何かが出てきそうです。

その後は、ハンドルを握りしめ、下を向き、ただひたすら早く終わってくれと祈るような気持ちで耐えに耐えました。

こんな乗り物の何が面白いのか。苦痛と恐怖以外の何物でもない。PTSDというのでしょうか。いまだにトラウマとなって心に傷を負っています。

それから5年ほどのちに友人夫妻と八景島シーバラダイスを観光する機会がありました。

ジェットコースターに乗ろうと友人夫妻がさかんに誘います。苦手なことを訴えても根っからのラテン系の友人は「大丈夫、大丈夫」と言い張ります。

乗って間もなく、またもや深く後悔しました。重力加速度こそスペース・マウンテンに及ばないものの、心理的恐怖は比較になりません。


(河合雅司著『未来の年表』)

海上に突き出た軌道によってまるで空中を走っている錯覚に襲われます。「海に落ちるぅっ!」と本気で思いました。

降車後、友人の奥さんが気分が悪くなってしまいました。私もふらふらになりました。以来、四半世紀が経過しますが絶叫系マシンには一度も乗っていません。

恐怖をあえて味わいたいという逆説的な心理は日常生活に刺激が不足していることに起因するのでしょうか。

かつて五島勉氏の預言シリーズの著書を片っ端から読み「恐怖の大王」に怯えていた私。いまや「イカ大王」を見て笑うだけのつまらぬ感性に成り下がってしまいました。

賢人は安きに居て危きを歎き佞人(ねいじん)は危きに居て安きを歎く

いい意味の恐怖というものは必要なのだろうと思います。

というわけで河合雅司著『未来の年表』を読みながら、目下恐怖を味わっています。


(海上保安資料館横浜館)

まず工作船の大きさに驚きました。建物の中に入っているからなのか、あるいは船を下から見上げているからなのか。圧倒的な存在感を感じました。

2001年12月22日未明に防衛省から海上保安庁に不審船に関する情報がもたらされる。

同日午前6時20分、発見・追跡。 午後1時12分、停船命令・威嚇射撃。

上空及び海面への威嚇射撃によっても停船しなかったことから、午後4時13分、船体への威嚇射撃を実施。

「この船体への威嚇射撃は、人に危害を与えてはならないため、射撃警告で具体的に射撃場所を伝え、射撃目標は船首や船尾端など、通常人がいないところとし、退避可能なように相当の時間をおいた後に射撃を実施」(工作船資料館パンフレット)

工作船の進路方向に漁船団が見えたため、海上保安庁は、巡視船2隻により両舷から挟み撃ちにしようと工作船に接近。

午後10時9分、船橋後部で毛布のようなものに隠れていた数名が自動小銃で巡視船に攻撃。巡視船あまみの乗組員3名が負傷。レーダーなどの機器も破壊されました。

午後10時10分、巡視船が正当防衛射撃を行い、数分後、工作船は自爆と思われる爆発を起こし自沈。

不法を働いていた工作船。麻薬の密売に関わっていたという。水深90メートルの海底から引き揚げられ、いまここ横浜に展示されています。

遺留品を見ながら、自沈とともに死亡した10名の工作船乗組員を思いました。

一方で、律義な手続きを取りながら射撃をする海上保安庁乗組員にも思いを致しました。

これほどインパクトのある資料館は、郡山市のデコ屋敷資料館(秘宝館)以来です。

工作船の要目(抜粋)
全長:29.68メートル
型幅:4.66メートル
総トン数:44トン
出力:約4,400馬力(一般的な漁船の約10倍)
速力:約33ノット(61km/h)

回収した主な武器:ロケットランチャー、軽機関銃、二連装機銃、無反動砲、自動小銃、手りゅう弾、携行型地対空ミサイル


(会場設営中)

交流イベントのPRブースに張り付いていました。夕方から3時間近く立っていたため下肢に鬱血を感じていました。

終了後、トップが各ブースを回りねぎらいの言葉を。

「痩せたんじゃない。何かやってるの」

「あっ、はい。食べ過ぎないようにしています」

「それって嫌味じゃない」

「....」

まずいことを言ってしまったかもしれない。これから人事の季節になるというのに。

会場はスタッフの打上げの準備が整いつつありました。時間は午後9時前。お腹も空きました。

心はもうテーブルの飲食物(残り物です)の上を浮遊していたとき上司から声がかかりました。

「行くぞ」

「えっ、どこにですか」

「いきなり!ステーキだ」

「ほんとっすか」

会場から徒歩1分のところに「いきなり!ステーキ新橋日比谷口店」がありました。初めての、しかもいきなりのステーキです。

こんな時間なのに混んでいます。立ち食いです。

「食えっぺ」

「あっ、はい」

上司と同僚はリブロース300グラム、ライスなしを注文。私は小さな声でリブロース200グラムと伝えました。

「300グラム以上でないとカットしないんですが」

牛刀を右手に持ちブロック肉をわしづかみしている厨房の店員さんからそう言われました。意味がわからず私はぽかんとしていました。

数秒後、渋い顔をされながら213グラムを目の前で切り分けてくれました。

生肉の量り売りを見ながら、地元の駅前の商業ビルの肉屋さんでは毎月29日は全品29パーセント引きであることを思い出しました。

ミディアムで注文したにもかかわらず、けっこうレアな焼き加減でした。リブロース1グラム6.9円(税抜)。

そういえばと、私は思い出していました。

生涯でもっとも高価なステーキは30年前、学生時代に六本木で先輩にご馳走になった100グラム8000円のヒレステーキだった、と。確かあのときも200グラム食べたはず。

世もバブル、新聞記者の先輩もバブリーでした。狂乱していたように思います。

さて、肉汁したたるいきなりステーキを上司にご馳走になりました。途中で購入したハーゲンダッツ(ストロベリー)をホテルの自室で堪能しました。

その晩、悪夢にうなされました。手術台に乗せられ、腹を切り裂かれる夢です。

牛の供養をせねばなるまい。何事も「いきなり」は心身ともにインパクトがあります。私は「いきなり」は苦手です。漸進主義で行きます。


(鮫川橋から父の勤めていた火力発電所を望む)

底冷えがして何度か目が覚めました。何度目の目覚めだったか、眠りの幕間(まくあい)に歌手の西城秀樹に思いっきり叱られた夢を見ました。夢とはいえ、叱られるのは嫌ですね。

ところで、底冷えのする夜の冬空には「夜空のトランペット」が似合います。「夜空のトランペット」と言えば、ニニ・ロッソ。

小学校4年のころ、父母とともにニニ・ロッソの演奏会に行ったときのことです。

勿来市民会館の最前列に陣取り、父は家から持参してきたカセットデッキを席の前に置きました。取っ手の付いた存在感のあるカセットデッキでした。

演奏が始まって間もなく、場内の役員が父が録音していることに気づき、止めるよう注意。父はわかった、というしぐさをしながら、継続して録音していました。

注意を受けたとき、このような場所でプロの演奏を録音してはいけないことを私は学びました。と同時に恥ずかしくなりました。父が堂々としていたからです。

40数年前の出来事ですから、父は40歳くらいだったでしょうか。

今の私より10歳も若かったことに愕然とします。あの堂々たる態度は一体何だったのか。なぜ私の性格には引き継がれなかったのか、と思います。残念です。

父のおかげでニニ・ロッソの演奏を私は家で繰り返し聞くようになりました。抜群のトランペットの演奏に比して時折挿入されるニニ・ロッソ自身の歌声に引っかかるものを感じました。

飲み屋から流れてくる下手なオヤジのカラオケにも似て音痴の私が言うのもなんですが、ニニ・ロッソの歌声に親近感が湧きました。

その後、トランペットに憧れて吹奏楽部に入部したものの、くちびるが厚いという理由で、ユーフォニアムというふにゃふにゃした名前の楽器を担当することになりました。

病み上がりのため、脈絡のない文章となってしまいました。勘弁してください。


(見えているものだけがすべてではない。五反田家庭料理「うさぎ」にて)

厨房がつい気になってしまう。昔からの癖です。以前の部署で職場に回覧されてくる業界誌月刊「厨房」が好きでした。

「きょうお見えになるということで千葉の漁師さんに鯵をお願いしていました。水揚げのタイミングによっては仕入れができないときもあるのでよかったです」

最高の料理をお客さんに食べていただこう。そのため、仕入れ先や時期にも心を配る。女将さんの真心が痛いほど伝わってきます。


(極上の鯵のフライ)

シンプルなのにこれほどまでに旨味を感じる。こんな鯵フライに出逢ったことがありません。

この素材に合う油は何か。菜種油がいいのか、胡麻油か、米油か。女将さんは試行錯誤を繰り返すという。

油について伺ってみると、やはり「うさぎ」で使う油はもちろん搾油(搾った油)とのこと。我が家も搾油です。市販の食用油のほとんどはノルマルヘキサンなどの有機溶剤によって油分を抽出しています。


(千葉の漁師から産地直送の海鮮)

ご主人が担当だというキャベツの千切りも美味しい。包丁で細かく刻んであり、ほどよく冷えていました。

ふと、ここ「うさぎ」で朗ブロin五反田を催してみたい、との野望が芽生えてきました。スペースを物色するとカウンター裏の8畳ほどの座敷が手ごろだと感じました。

座卓ではなく、椅子を備えたテーブル席です。テーブル下の床暖房の敷物が女将さんの配慮を感じました。トイレもまた暖められていて快適でした。

ところで、カウンター越しから見えるまな板が気になりました。大小さまざまなまな板が数多くあります。


(もも肉とネギの照り焼き。ネギの甘みが経験したことのないものでした)

「板前さんによっては一枚の大きなまな板で器用に使っている人もいます」と女将さんは言う。

「私も家では一枚のまな板ですけど、衛生的には気になりますよね」

「魚や肉、野菜などいろんな素材を考えれば不衛生だと思うんです。小さな材料は小さなまな板で切れますし、硬さや大きさ、素材によって分けて使っています」

さすがだと思いました。

「フライパンもそうなんですよ。餃子を焼いたフライパンはどんなに洗ってもにおいが残ってしまう。だから、それぞれの素材ごとにフライパンを用意しています」

「何枚、あるんですか」

「12枚です」


(全国の卵を取り寄せて、卵かけご飯にはこの卵だと結論に至ったという)

氷山は海面から出ている部分は全体の体積の1割ほどしかないという。人の努力もその多くは見えない。

目に見えないところにどれだけかけるか、あるいはかけられるか。そこなのでしょうね。

締めに極上の卵かけご飯をいただきました。濃厚でかつ癖がない。黄身と白身、そしてカラザもすっと混ざりました。

時間が過ぎるのもわからず、終電を逃しました。が、極上のひと時を味わうことのできた五反田の宵でした。


(夕闇のアリオスカフェ)

(からつづく)

初めての「朗ブロ」(ブログの朗読会)。11月28日の夕刻。10数名の方がアリオスカフェに足を運んでくれました。

遂に催してしまった。私はそんな思いに襲われました。違う意味で催しそうになりつつ、丹田に気合いを入れました。

今回の朗ブロでは10編のエントリーを披露。うち3編は演劇活動をしているHさんに、1編はMさんに朗読を依頼。残りの6編は私のだみ声が響き渡ることとなりました。

HさんもMさんも読み方やいわゆる“作者の意図”について直前まで問い合わせをしてきました。当日は原稿を自分で装丁してきたのには驚きを禁じ得ませんでした。

お二人の朗読に臨む姿勢にプロフェショナルを感じました。城達也さんはラジオで小説の朗読を担当した際、読み原稿が真っ赤になるほど間合いや読み方について筆を入れていたということを思い出しました。


(静かに耳を傾ける参加者の皆さん)

作品は朗読という作業によって作者の手を離れ、文の底に眠っていた力が覚醒して輝きを増す。お二人の朗読に耳を傾けながら、そんな思いに駆られました。

Hさんは豊かな声量で館内のロビーまで響き渡る声で朗読。いつのまにか高校生のギャラリーも集まってきました。朗読後に彼らからも拍手があり、嬉しくなりました。

最後の作品「遠き日の梅の香り」を味わい深く朗読してくれたMさん。プロの朗読家によって読まれるとこうも作品が違って見えるのか、と思いました。胸の奥深くに沁み渡りました。

今回の初の朗ブロでは反省点も多々ありました。

作者自身の朗読は避けた方が良さそうです。各作品の背景説明やコメントに徹する方がいいかもしれません。

お料理や飲み物の注文と提供の仕方も改善の余地がありそうです。

何よりも参加された皆さんに満足いただけたのか。しっかりと自分自身に問うていきたいと思います。

ともあれ、賽は投げられ、恥ずかしながら催してしまいました。今後さらに改良を重ね、パワーアップした朗ブロをふたたびどこかで催したいと思っています。

出張朗ブロも承ります。


(「定番の引力」で登場した即席麺を参加者にプレゼント)

(からつづく)

アリオスカフェで朗読会を催す。では、時間帯はいつがよいか。店長の提案は意外な曜日でした。

「火曜日はホールが休館でイベントがないんです。ロビーで高校生などが勉強してはいますが静かです」

それに、と店長は付け加えます。

「夜の帳(とばり)が降りてからの方が朗読にはいいのではないでしょうか」と。

確かに「星々のつぶやき」は太陽がいままさに昇らんとする午前中は似つかわしくない。そんな清々しさを持ち合わせてもいない。

消え入りそうな6等星の星々のつぶやきなのですから。夕闇こそふさわしいのです。

日にちは2か月先の11月28日(火)夜と決めました。

まずは朗読するエントリーの選定です。過去5年間の1300編を超える記事の中から参加者の皆さんに楽しんでもらえるものは何か。

不評を買うかもしれないけど、腹痛物は一つは入れたい。食にまつわるもの、幼いころの思い出、初期の作品と最近よく読まれた記事を用意しよう。

当日のカフェのメニューをどうするか。店長と打合せを二度、三度と重ねました。

店長のワンオペの状況で朗読会の最中に注文を受けるにはどうすればいいか。迅速に提供できるものでなけれならない。寒い中お越しになるのでスープを用意してはどうか、等々打合せが熱を帯びていきました。

スープについては何度か試作品を作っていただき、私も試食しました。濃厚なコーンポタージュが完成しました。

朗読の際の立ち位置、テーブルの配置、BGMなども検討しました。実際に朗読を行い、声と合うかどうかの検証も行いました。

当日を迎えました。実際に催してみて反省点も多々、一方でサプライズもありの、何はともあれ初めての「朗ブロ」を開催することができました。

(へつづく)


(米国の政治集会のスタイルのよう。第1回朗ブロ)

ことの始まりは春に集ったYさんとの「サシオフ」からでした。サシオフとは一対一のオフ会のこと。

「読者のオフ会をやってみたい気持ちがあるんですけど、気恥ずかしさが立って...」

そうYさんに切り出すと、次のような厳愛の言葉が。

「インパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将が『(作戦の中止を)私の顔を見て真意を察して欲しかった』といっていますけど、察してくださいじゃだめなんです」

100万ボルトの電撃が走りました。誰かを頼む心では駄目だということを悟らせてくれました。

爾来(じらい)、どこでどのように催すか、つねに思案するようになりました。カフェでやりたい。でも、どこがいいか。

山あいの、あのカフェもいいなぁ。でも、市街地から離れていて不便だ。静謐(せいひつ)でかつ利便性の高い場所。どこかいいところがないだろうか。

ときおりお邪魔するアリオスカフェ。残暑の厳しいある日、お茶を飲みながら店長に軽い気持ちでブログの朗読会の企画をお話しました。

できるのではないかとのご返事。施設の管理者や店舗を運営する社長に尋ねてくれるという。後日、開催可能との結果が伝えられました。

いつやるか。どのような時間帯がふさわしいか。

アリオスは大小のホールが複数ある施設です。毎日のようにイベントが催されています。

静謐の環境の中で朗読会を行うには土曜日の午前中がいいのではないか、と私は思いました。ところが、店長さんの提案は違いました。

(へつづく)


(窓辺の鉢植え)

確か水戸駅近くのビルだったと思う。小学校に上がるか上がらないかの頃の記憶です。昭和40年代後半でしょうか。

ビルの最上階にレストランがありました。さほど広くはなく、円形だったように思います。ですから、円柱のビルだったのでしょうか。

なぜ、そこに行ったのか。そもそも何をしに水戸に行ったのか。思い出せないのです。ただ、家族で行ったという記憶しか残っていません。

エレベーターを降りると、よそ行きの雰囲気を醸し出しているレストランの入口が待っていました。少し硬くなりながら、入口を抜けると、少し高い台の上にエレクトーンがありました。

料理は何を注文したのか、そして何を食べたのか、まったく思い出せません。

なぜなら、エレクトーンの生演奏に見とれていたからです。ただでさえよそ行き感満載のレストランにエレクトーンの生演奏。

上がっちゃいました。これが一番ふさわしい表現です。私は上がってしまったのです。勝手にお坊ちゃまになったような気分でいました。

今となってはそれほどの店ではなかったのかもしれない。たいしたビルでもなかったのかもしれない。おそらくたいしたことはなかったのでしょう。

初めて行った県庁所在地の町にのぼせてしまったのかもしれません。

クリスタルキングがリリースした「大都会」は博多を描いたものだという。東京ではありません。

かように都会とは相対の中で意識されるものなのです。

というわけで、「よそ行き」という言葉が生きていた頃の思い出です。よそ行きの服を着て、不作法をしないよう親にたしなめられて、たまのよそ行きをしていた頃のことです。

今やジャージを着て、つっかけサンダルで近所のスーパーに行くまで成り下がりました。

そういえば、よそ行きの服ってあるのだろうか。大根や茄子の着ぐるみはあるけれど...。


(あぜ道に咲く彼岸花)

少年時代、我が家には一艘のボートがありました。星々のつぶやきで以前「ヒルガオ」の中で、父が拾ってきたのではないか、と述べました。

姉によると購入したものなのだそうです。

鮫川の河口にボートを浮かべ、中洲や対岸へ父と渡りました。ときに家族一家で行くこともありました。

はしけのない砂浜の川岸からボートに乗って漕ぎ出すにはちょっとしたコツが必要です。うっかりすると転覆しそうになります。

50メートルほど漕ぎ、川中に至ると2級河川とはいえ河口だけあって意外にも水深が深い。濃緑の川面をボラがときおり跳びます。

中洲に近づいてくると川底が見えてきます。徐々に浅くなり、舟底がさーっと音を立てて砂浜に乗り上げます。

潮に舟が持って行かれないように舳先(へさき)を引っ張って、中洲側にさらに引き揚げます。この中洲は満ち潮になると水没します。

直径数十メートルの中洲は恰好のシジミの採取地でした。砂地なので茶褐色のシジミ貝です。泥地に棲むシジミは黒色でざらざらしています。

中洲を離れ、対岸に向かいます。元の陸地から数百メートルしか離れていません。にもかかわらず、別世界に来たという感慨を覚えました。

これは不思議な気持ちでした。川というものは、生態系としては両岸には同一性があり、「流域」という表現で捉えることができます。

しかし、実際に向こう岸に渡ってみると、異なった世界に至ったと感じるのです。

その意味で川とは、結び付ける力よりは、隔てる方向に作用するものだと私は感じます。家の近所を流れる夏井川。その橋の一つは「両軍橋」と称します。

ところで、仏法では悟達を「此岸から彼岸」という水平移動によって表現します。下から上への上昇ではないところに私は惹かれます。

なお、サンスクリット語のパーラミター(音訳:波羅蜜)とは「向こう岸に至った」という意味です。

このことは次元は異なりますが、「水平的人間関係」を強調するアドラーの心理学を想起します。

つまり、人間関係を上下(垂直的)関係ではなく、個人と個人が対等(水平的)な関係から人間関係を捉えることをアドラーは勧めています。詳細は割愛。

というわけで、此岸から彼岸まで、少し難しい話になってしまいました。

ちなみに、「葉見ず花見ず」の彼岸花は好きではありません。


Calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728   
<< February 2018 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM