(笑いーとの朝食)


なんとなくとっつきにくいなぁと長らく感じていました。学年も一緒で同じ年に今の職場に入ったにも関わらずです。


もしかしたら相手も同じ思いを抱いていたのかもしれません。


相談がある、と先方から連絡がありました。話を聞くと組織マネジメントに対し同じような課題認識を持っていました。ちょっと意外でした。


その解決策としてある研修を独自に企画しているという。合同でやらないか、との誘いでした。


挨拶の「挨」は心を開く、「拶」には相手に迫るという意味があると何かの本に書いてありました。


今回、先方から開き迫ってきました。嬉しさを感じ、私も呼応しました。


そう言えば、彼はチャットツールやメールではなく、必ず会って話をする人だということに気づきました。


「◯◯◯さんって必ず対面で話をしてくれるよね。大事だよね」


「文字で表せないことってたくさんあるからね」


先入観を持ってはいけない。そう心に戒めていました。が、容貌から発する雰囲気や周囲の噂から勝手な印象が固着していました。


深く反省するとともに、なんだかとっても嬉しい日になりました。体調も不思議といい感じです。


倦怠感への最良の対処法は嬉しい出来事を重ねることかもしれません。

(枇杷の花が咲いています。バニラの香りがします)

 

うっかりは誰でもあるものです。これまで挙げれば私の場合、人生そのものがうっかりと言えます。

 

旧友が集まっての忘年会の誘いを受けました。遠方からの参加者もあっての久しぶりの集いです。

 

会場のすし店に着き、予約者の名前を告げました。ところが、そのような予約はない、という。

 

場所を間違えたのかな。メッセージを確認しました。が、店の名前も日時にも誤りはありません。

 

電話をかけました。

 

遠方の友が参加できないとのことで中止を決めたそうです。その連絡を失念してしまったとのこと。こちらが申し訳なく思うほど平謝りに謝っていました。

 

前日にも仕事関係の忘年会があり、私は胃の調子がよくなくノンアルにしようかと思案していたところでした。体調維持のために返って幸いに思っていることを幹事に伝え、気にしないよう強く念押ししました。

 

昨夕。玄関の呼び鈴が鳴り、出てみると幹事の友人です。どうしたのか。

 

ここ数日考え抜いたあげく、お詫びの印として市内の有名な卵屋さんの鶏卵、ロールケーキ、チーズケーキに加えカマンベールチーズまで。

 

過分な心遣いに恐縮してしまいました。何よりも山あいの拙宅までわざわざ来てくれたことに感銘を受けました。

 

学生時代は発酵学を修めた友人です。私もまた発酵系のお返しをと模索しています。

 

とりあえず、陸前高田市の発酵パークの情報を伝えました。

(隣接のたつご味噌醸造の敷地。歴史を感じる見事な紅葉です)

 

秋を追いかけて高萩市に向かいました。紅葉にまた出逢えるだろうか。

 

とはいえ、紅葉より団子。私の目指す先はラ・フォレです。2年前初めて訪れました。

 

キッシュの概念を覆す、極上のキッシュ。焼きたての2種類のパン。心まで温まるスープ。そして、メインディッシュ。デザートも楽しみです。

 

(北側の風景が好きです)

 

以前、午後1時過ぎに入店しようとしたところ「Closed」の表示が。食材がなくなってしまったという。食事はできませんでしたが、その際の丁重な対応にさらに好感度が上昇しました。詳しくは「断られても大好きな店」を参照ください。

 

満を持しての久しぶりの「ラ・フォレ カフェレストラン」です。前回と同じ北側の竹林を臨むカウンター席に向かいました。が、先客がいました。

 

その席を好んでいることをオーナーさんは汲んでくれたのでしょう。竹林が眺められるテーブル席に案内してくれました。

 

(ラ・フォレのキッシュと出逢ってからキッシュに対する見方が変わりました)

 

前菜のキッシュは海鮮がたっぷり入っています。もうこれだけで幸せな気持ちになります。生ハムもじつに美味。

 

パンがまたうまい。温かい。メインディッシュが来る前に食べ干してしまいそうです。

 

スープはまるで薬膳料理のよう。複数の香味野菜が健胃を促すように私は感じました。

 

2年前も同じデミグラスソースのハンバーグ。もちろん、主人公であるハンバーグが美味しいことはもちろんです。

 

 (ハンバーグとクリーミーなマッシュポテトのハーモニーが絶妙です)

 

ぜひ皆さんに味わってほしいのがマッシュポテト。ハンバーグを文字通り裏で支えるマッシュポテトが極上です。丁寧な裏ごしに作り手の真心が伝わってきます。この記事を書きながら唾液腺が刺激されます。

 

デザートはチョコババロアにバニラアイスクリームが添えられていました。

 

隣接のたつご味噌醸造の敷地内の紅葉を愛で、身も心も多幸感に包まれました。

 

(じつになめらかなババロアでした)

 

こちらから2年前に訪れた際に作ったムービー(54秒)を視聴することができます。

(野みつのプリン)


火急のときにさりげなくすっと手を差し伸べてくれる。有難く心に沁み入ります。


どうしてそういった振る舞いができるのでしょうか。押しつけがましくなく、自然に。


育ちなのか、人徳のなせる業なのか、鍛錬の賜物なのか。


また、対応についてどうしていいかわらかない案件に対して、秀逸な問いを投げかける人がいます。


どうしていいかと尋ねるのではなく、こういう対処法(複数)が考えられるが、どれがいいか、あるいは別にあるか、と提案型の問いをする人です。


唸らされます。


来し方を振り返ると、難題が降りかかる度に私は「どうすっぺ、どうすっぺ」と発し、右往左往してきたように思います。


下腹部の存立危機事態への対処には心を砕いてきたつもりです。が、真の緊急時にどれだけ視野を広く持ち対処できるか。


そこなんだろうと、反省と学びの毎日です。


嗚呼、それにしても美味しいプリンが食べたい。

(「おにやんま君®」を着用する筆者)


父の日は母の日ほど注目を浴びない。理由は言わずもがなです。


社会学あるいは民法の授業だったか、「父」の定義についての講義がありました。


「母」は明確です。とは言え最近は代理母とか法的にも難しい時代に入ってきました。が、依然としてその定義の明瞭さは「父」と比べものにならない。


(「おにやんま君®」)


一方、「父」とは何か。社会的存在だというのです。生物学的に「父」であるかどうか確証が得られないまま「父」として振る舞う中で「父」となっていく、みたいな説明を受けたように思います。


「父」とは確信の世界だったのだかと軽い衝撃を受けました。そうか、父とは信じるしかなく、もはや信仰の領域だったのだ、と。


そんな脆弱性の漂う父の日に三男から世界初の虫除けグッズ「おにやんま君®」が届きました。長男・二男から日本酒セットが近日中に送られてくるとのこと。


(鈴なりのミニトマト)


早速「おにやんま君®」を着用して草刈りをやりました。心なしか蚊の襲来が少なかったように感じました。南半球に滞在している三男に画像と御礼のメッセージを送りました。


顧みると我が父親に対して何ができたのか。時間の共有は23年6か月でした。私にとっては存在感のある父でした。ユニークな、そして頼り甲斐のある父でした。


(カボチャも育ってきました)


畑作りに情熱を傾けていた父といま同じことをしている自分を不思議に思います。

(温かい筆致に作者の優しさが感じられます)


「震災復興祈念フルート・ジョイントコンサート」のアンケートに目を通していました。ちょうど1か月前の催しです。


コンサートの模様は「バッハは舞い降りなかったけれど」に述べたとおりです。このブログの余波で「ザリガニ」が私の一面を表す言葉となりました。


年齢やどの曲がよかったかなど、一枚一枚アンケートの記載内容を確認しました。自由記載欄には感謝の言葉や久しぶりに生演奏に触れることができた喜びが綴られていました。


反響を知ることはまた自分自身も喜びと感謝の思いを一段と深めるものです。そのような感慨に浸りながらある一枚のアンケート用紙を手に取ったとき裏面に何かが書いてあることに気づきました。


絵です。出演者全員の演奏の模様を描いてくれていたのです。これは只事にあらず。感謝の思いを絵に描いて表そうとしたに違いありません。一人ひとりの特徴をよく捉えています。テーブルもない座席でひざの上で支えながら描いたのでしょうか。

記載者の属性は12歳、女性とありました。真心には真心をもって返す。芸術家だと思いました。言葉を超える思いが胸に沁みわたりました。

(一幅の名画のよう。岩塙山荘珈琲店にて)


昨秋初めてお店に伺いました。お料理、店の雰囲気そして何よりもオーナーをはじめとするスタッフの対応に感銘を受けました。「秋を追いかけて高萩路(ラ・フォレ探訪)」を参照。


またふたたび幸せな気持ちになりたい。常磐道を南下しました。小雨が降っています。


高萩インターチェンジを降りて数分。午後1時半過ぎにカフェレストラン「ラ・フォレ」に到着しました。


駐車場は満車ではなく若干空いていました。紅葉が紅くなっています。昨秋そして今春以来の来店です。

前回の来店時にオーナーが私のことを覚えていて驚きました。


(ドウダンツツジが燃えています)


数多くの来店者があり、厨房、配膳、会計と二重三重に忙しいはずなのに客のことを記憶に留めることができる。2回目は初回とは違った嬉しさと感激に包まれました。


さて、入口に近づくと「CLOSED」との表示が。閉店にはまだ早いはずです。店内では多くの人がまだ食事をしています。何かの間違いだろうか。


おそるおそる重厚な木製のドアを少し開けて覗きました。忙しそうにスタッフが動いています。


「すみません」


「あっ、はい」


オーナーの方が返事をしました。


「お店はきょうは終わりでしょうか」


「申し訳ありません。食材がなくなってしまいまして…あっ、◯◯◯さんですね」


「はい!そうです」


(薪ストーブが心身を温めてくれます)


来店11か月ぶりで3回目。マスク、マフラー姿で、しかもドアをそっと開けて首だけ出しただけなのに、瞬時に誰かを判別し名前で呼びかける。忙しさの最中にです。


私にはとてもできない。真似しようと思っても無理です。神業に感じました。お客様を大切にする心が伝わってきました。


シルヴィアとロス・インディオスの曲に「別れても好きな人」という昭和の歌があります。きょう、私は入店できませんでした。にもかかわらず、さらに「ラ・フォレ」が好きになりました。


断られても大好きな店です。


帰途、国道6号線を北上し北茨城のカフェ「岩塙山荘珈琲店」に寄り、人の優しさの余韻に浸りながら一服しました。岩塙山荘のオーナーも数年ぶりにもかかわらず覚えてくれていました。

きょうも幸せな気持ちになりました。

(くつろぎの朝食。キーズカフェいわき駅前店にて)


職位が上がるごとに当然重要な会議や協議の場に出席することが多くなります。補聴器を買い替えました。身に付けている物の中で最も高価な物です。


聞こえが悪い。以前は難聴であることを恨むこともありました。現在はものの見方が変わりました。


不便であること自体に変化はありません。日々聞き漏らしもあり多少の実害も生じているはずです。迷惑もかけていることでしょう。会話時のチグハグな私の対応に不審に感じる人もいるかもしれません。


でも、いちいち気にしないようになりました。こういうものなのだと開き直るようになりました。そして、何よりも難聴であることから得られる学びがあることに感謝できるようになりました。


補聴器といった身体に装着するものはわずかな違和感で不快に感じるものです。調整が大切です。今回の補聴器もすでに2回型を作り直してもらっています。


右側の補聴器が内耳の壁と付いたり離れたり、ぺこぺこ音が発生するためもう一度型を取り直しました。じつは補聴器店の店員さんもびっくりするくらい、私の耳は動くのです。Mr.ビーン並みだと言われています。


黙々とデスクワークをしているときは問題ありません。しかし、人と会話するとき私は相当に表情筋を使うようです。微笑もうとすると耳道が盛んに動いてしまいます。私の場合、これがハウリングを発生させてしまう元となります。


マイクとスピーカーが近接していると起きる現象がハウリングです。補聴器のような小さな機器でハウリングを抑えるのは至難です。電子制御でコントロールしていますがやはり型が耳道に合っているかどうか、そこが一番大切です。


若干のハウリングを感じるようになりました。ものすごく気になるほどではないものの、愉快ではありません。このまま様子を見ようかな...。そのうち馴染んでくるかもしれないな...。そんなときでした。


直した補聴器を装着して4、5日経ったある日のこと。補聴器店から電話がありました。


「◯◯◯さん、ハウリングどうですか。気になっていてお電話しました」


「若干ハウリングがあるんです。圧迫感も少し...」


「お店にいらしてください。どうなったかなぁと心配していたんです」


おそらくは何百人もお客さんはいるはず。我が事のように気にかけてくださり、心が温かくなりました。仕事において果たして私自身そのような振る舞いをしてきただろうか。我が身を省みました。


また一つ学びを得ることができました。


なお、私の“耳踊り”とも言うべき耳の激しい動きをご覧になりたい方はご連絡ください。まるで蝶々のように羽ばたきます。

(肉や魚がなくても満足できることを知りました)


野菜類でおもてなしをする日が来ました。肉や魚が食べられないという友人にどう満足してもらえるか。「野菜中心の料理でもてなす」の続編です。


主食は栗おこわと決めていました。旬であり、かつ私自身の好物でもあります。


昨晩から栗を水に漬けておきました。スーパーで買った栗とコンビニで半値に下がっていた見切り品を混ぜで水に浸しました。


(栗剥きは苦行です)


安い栗は身がスカスカ。こんなにも劣化してしまうのか。驚きです。同じ生産者です。見た目において栗は長期保存できそうに見えますが、生鮮食品だということがわかりました。


もう一つ。栗の皮剥きの困難さ、面倒臭さです。


何年か前にも経験したはずなのに忘れていました。嫌なことは比較的早く忘れる質(たち)です。栗ご飯をいただくときは、採った人、剥いた人を忘れないようにしようと思いました。


たくさん剥いておせち料理に備えて砂糖煮まで作ろうかと企んでいました。が、栗おこわを作っただけで萎(な)えました。


(今回は蒸し器ではなく炊飯器で炊きました)


きょうのランチの献立です。


前菜:とうふ屋大楽のざる豆腐(沖縄の塩とエゴマ油を添えて)


サラダ:中玉トマト、ベビーリーフ、レタスのサラダ。明治北海道十勝スマートチーズ熟成チェダーブレンドをまぶして。


揚げ物:揚げ出し豆腐(とうふ屋大楽の絹豆腐)と野菜の素揚げ(さつまいも、かぼちゃ、なす、いんげん)



(友人撮影)

焼き物:季節野菜のチーズ焼き(なす、マッシュルーム、ミニトマト、かぼちゃ、ブロッコリー、カリフラワー、ほうれん草)


主食:栗おこわ(茨城の栗を使ったおこわ)


スープ:かぼちゃのコンソメスープ


デザート:モーニングのヨーグルト(シャインマスカットと完熟いちじくに三和の「きのことマサ」のナツハゼジャムを添えて)


コーヒー:キリマンジャロの浅煎り


(いちじくが好物とのこと。よかった)


友人も、そして私も食べきれないほど作ってしまいました。可能な限り畑で収穫したものを使いました。残りは夕飯にとランチパックにして差し上げました。


福島の未来を希望あるものにしたい。農業で復興を目指す友人です。お話を聞いて心打たれました。友人のお蔭で野菜中心の新たな料理に挑戦することができました。


我が家の畑もご覧いただきました。ありがとうございました。

(シソジュース。赤シソを煮出してレモン汁を入れます)


友が訪ねてきてくれました。職場が離れているので久しぶりの出会いです。コーヒーを勧めて、まずは近況を伺います。


私が最も苦しいときに得意とする歌で励ましてくれた友です。奥さんも歌が抜群に上手く、NHKの歌のお姉さんになれる美声です。


カラオケで世界名作劇場「あらいぐまラスカル」のエンディング曲の「おいで ラスカル」をリクエスト。まるで大杉久美子のCDが流れてきたのかと思うほど完璧な歌い方でした。


「初見で楽譜を見て歌える?」


「自分は無理ですが妻は絶対音感の持ち主で楽譜を初見で見て音程を間違いなく歌えます」


「へぇ。すごいねぇ。楽器なら音符通りに出せるけど、音痴だから私は歌は無理」


長男君は中学に入りアルトサックスを吹いているという。小学2年の二男君はエレクトーンを習っているとのこと。


友は合唱のプロです。ピアノを習っています。


「もう15年くらいになります。毎週ヤマハの教室に通っています。合唱の練習の際、歌の音合わせにも役に立っています」


「すごいねぇ」


私は心から感嘆しました。


「そうだ。フルートの伴奏をやってよ。ぜひやろうよ」


ひとしきり音楽談義をしたのち、お兄さんやお父さんの近況も伺いました。80歳になったお父さんは地域で行事を担う“若手”として活躍しているという。


さて、本題の業務の話。中山間地域でのある事業の展開についてでした。私の担当する業務とも関連があります。課題などを頭に刻印しました。いや、じつはすぐに忘れてしまうので日誌に書き留めました。


来年、音楽ホールで友のピアノ伴奏で「おいで ラスカル」を吹くことを目標にしようと思います。


アライグマは日本では特定外来生物に指定され基本的に一般人は飼育できません。ちなみにスナック菓子を好むそうで、その点親近感が湧きます。


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