(蛙の目で用水路を覗いてみました)

どうしても納豆が食べたい。そんな思いを手紙に書いて送ったところ、タイ・バンコクに滞在中の私に友人が日本から納豆を持ってきてくれました。

仮に成田空港で買ったとしてもすでに6時間以上は経っています。もちろん保冷剤もなにもなく素のままでのお土産でした。

ふたを開けると豆がぬらぬらと怪しげに光り、生気を失っているのを感じました。超発酵というのでしょうか、とにかくにおいました。

いまから30年前、学生時代の話です。もちろん食べました。

当時、とにかく納豆が好きで、「納豆讃歌」なる長編詩を作りました。限られた友人だけではありましたが、アランフェス協奏曲に乗せて朗読も披露しました。

「おお!納豆。虐げられし汝の悲哀の歴史.../箸を入れ、おもむろにかき混ぜる。眠りから覚醒へ、そして躍動に変わる」

そんな言葉で綴られていたはずです。我ながらちょっと“きていた”なと思います。若かったのでしょう。

その10年後、カナダ・モントリオール滞在中、やはり納豆がどうしても食べたくなり、寝ても覚めても納豆のことばかり考えるようになりました。禁断症状です。

モントリオール市内の韓国食材店に製造日が数か月前の納豆を発見。寮に戻り、ご飯を炊きました。

納豆のふたを開けました。冷蔵庫の中で水分が蒸発してしまったのでしょう。南極越冬隊御用達のような干からびた豆が佇んでいました。

においがありません。鼻を近づけるとほのかにアンモニアに似た納豆臭が鼻腔の奥に感じました。

とにかく硬い。よく噛み締めると、じわじわと納豆の味が蘇ってきます。その余勢をかってご飯をかきこみました。

本年1月31日発表の総務省家計調査(対象:都道府県庁所在地及び政令指定都市)によると納豆消費量日本一を誇っていた福島市が敗れ、水戸市が奪還したとのこと。

というわけで、どうでもいいことではありますが、私は納豆をあまりかんまがしません(かき混ぜません)。

ちなみに私の居住地は福島市よりも水戸市に行く方が近い地理にあります。


(コンビニに売っていないのが至極残念)

瞬時にできるところがいい。手軽に作れてしかも美味しい。そこが気に入っています。

ほとんどの料理において私は、目分量で作り、計量スプーンなどを使いません。とにかく面倒くさがり屋です。

唯一と言っていいほどきちんと分量を量って作るのがハウスのフルーチェです。

かつて適当に牛乳を入れて固まらず、悲しい目に遭いました。

爾来、そのいい加減な姿勢を省み、いまや表面張力の側面まで綿密に見るようになりました。200ccきっちり注ぎます。

それにつけてもフルーチェの手軽さはなんなのでしょう。もっと特筆されていいと思います。日清カップヌードルがなぜこれほど売れ、愛されているのか。

それは、やはりフタを開けてお湯を注ぐだけという調理法のシンプルさにあると思います。最近の奇をてらったカップ麺は、一体全体どうしたことでしょう。

やれかやくを入れろ、やれスープをフタの上で温めておけ等々うるさいことこの上ない。スープの袋もスープ本体と油脂が3対1に分かれているようなものもある。そういった切りにくいものに出くわすと思わず血がのぼります。

閑話休題。

フルーチェは必ず自分で作ります。大事な楽しみゆえ。

かつて家人に頼んだことがあります。瞬時にできるはずなのに、なかなか出てこない。不審に思い、台所を覗くと、レトルトパックが鍋で湯煎されていました。

確かにパッケージには「フルーチェは冷やさないでね!」と記載はされていますが、温めろとは書かれていません。

ま、湯煎されたフルーチェも再冷却して使用可能だということが立証できたという意味では有意義な「実験」でした。味も固まり方もふつうでした。

基本的にフルーチェはストロベリーを買います。ハーゲンダッツアイスクリームもストロベリーです。

フルーチェとハーゲンダッツの共通点は定番商品をメインストリームに据えつつ、変化球を投げてくるところです。変化球に弱い私。今回は「蜜リンゴ味」を購入しました。

こっそり作ってひとりで全部食べれば、まさに蜜の味です。あした作ります。


(「あの時のお礼です」と言われても)

これ大好きなんです。ココナッツサブレ。止まらない、やめられない。特段に身体にいいものでもなさそうとわかってはいるんですが、止まらないんです。

舌が欲しています。いや、舌だけでありません。耳もです。

サブレを噛んだときのサクサク、カリカリという音が下顎と上顎で鳴り、頭蓋骨全体で共鳴しています。

この音が脳にサブレをリマインドさせています。またサクサクしたい。そのように脳細胞がささやくのです。刻印されているってこわい。

たくあんをかじる他人の音はなんとなく嫌でも我が身に起きるサブレ音は快感です。「サブレを食べている」と心から実感します。

こんなことで幸せを感じていいのだろうか。低燃費な幸せに我ながら自問自答しています。でも、しっかりと幸福を味わっています。

じつは奥歯もサブレを欲しています。サブレをほぼ噛み砕き、嚥下し終わったあと、奥歯にココナッツの繊維が残っています。残渣ココナッツの美味しさです。

シャリリ、シャリリとゆっくりと上下の奥歯で噛み締めます。嗚呼、幸せ。ココナッツはこの繊維が命です。

残渣と言えば、サッポロ一番塩ラーメンのどんぶりの底に残った一連の細かくなった麺や切り胡麻、刻みネギを食べるときの幸福感も得も言われぬものがあります。

もう一枚ココナッツサブレを食べます。

焼けてほどよく溶けた砂糖がサブレの表面で輝いています。私の顔もきっと輝いていることでしょう。

Since1965ココナッツサブレ讃歌、おしまい。


(澤上商店)

「隣の芝生は青い」。そう見えるのではなく、事実であることもあります。いや、多々あるといってもいいでしょう。

隣接の市ではないものの、とかく比較することの多いK市に行ってきました。私の欲するものがあるからです。

「人生の喜びの85パーセントは食べ物で得られる」とは、星々のつぶやきで生まれた格言です。

私の食べたいものがK市にはあります。まず、澤上商店。ベトナム料理店です。


(ほの暗い店内)

店内の雰囲気はまさに東南アジアのひなびた食堂。店内に入るとニョクマム(タイのナンプラー)と香辛料のにおいが脳を刺激します。

海南鶏飯(タイでいうカオマンガイ)とフォー(米粉麺)を注文。

嗚呼、においがたまらない。鼻を寄せ、吸い込み、鼻腔の奥に送り込みます。

脳髄に圧縮されていた30年前のタイ滞在中の記憶が解凍されていきます。においによってタグ付けされた過去の記憶が走馬灯のようによみがえります。


(海南鶏飯。皿の模様がパイナップル)

身震いするような快感を覚えます。

こんなお店のあるK市はいいなぁ。羨望の思いに駆られます。才覚と資金があれば自分でお店をやってみたい。

次に、ヨシダベーゴーに初入店。ベーグルのお店です。

ベーグルは、パンの一種。東欧系ユダヤ人の食べ物として知られています。基本的にバター、卵、牛乳を使用していません。


(素敵なお店 ヨシダベーゴー)

こねた生地をドーナツ状にして湯にくぐらせてから、焼きます。もっちりとした触感がたまりません。

20年前に滞在していたカナダ・モントリオールの日々を思い出させる食べ物です。

横から輪切りにして、クリームチーズを塗って食べるのが主流です。

こんなお店のあるK市はいいなぁ。なぜわが市にはないのだろう。不満が募ります。才覚と資金があれば自分でお店をやってみたい。


(冷凍で1か月保存できます)

というわけで、退職後の夢は、タイ料理とベーグルを楽しめる店を開店することです。

が、才覚も資金もないのでときどきK市に行くことにします。 冬はわが市よりずっと寒いので行きません。


(日々弁当作りに挑戦)

「学ぶ」は「まねぶ」と語源が同じだという。学ぶことはまねること。というわけで、だし巻き玉子作りについてです。

昨年、職場旅行で築地に行きました。玉子焼きの店に引き寄せられました。

じっと作り方を見ていました。30分ほど観察。いろんなことに気づきます。

まず道具がいい。銅製の玉子焼き器がほしくなりました。自宅の鉄製のとはやっぱり風格が違う。

そして、菜箸がやけに太い。使いづらいのではないか、と不審に思いました。讃岐うどんをゆでるときに使う、麺箸に似た四角柱の箸です。

先端も太いまま。のちに自分でだし巻き玉子を作るようになって菜箸の太さの意味がわかりました。

はじめに油を均等に引きます。

この場合、「ひく」なのか「しく」なのか、私は迷います。NHK放送文化研究所によると引き延ばすようにして油を引くので「ひく」なのだそうです。

ちなみに、鉄道は「しく」で、水道は「ひく」とのこと。日本語は難しい。

さて、油を丁寧に引いたあと、溶き卵を玉子焼き器に流し込みます。

マグマのように溶いた卵が沸き立ちます。ところどころ円墳状に膨張します。

名人はその円墳を菜箸の角で軽く叩きつぶします。沸き立ちが鎮静すると、遠い側から玉子を巻きながら手前に寄せていきます。


(築地にて。この店は銅製ではありませんでした)

これがじつに上手い。ここで再度、油を引きます。巻いた玉子の下にももぐらせるように引きます。

溶き卵を流し込みます。このとき、巻き上がった玉子を少し持ち上げて、溶き卵を迎え入れます。このプロセスが大事です。

「迎え入れ」なくしてだし巻き玉子は焼けぬ、といっても過言ではありません。この「迎え入れ」によって巻き上がった玉子と焼いている最中の“平面玉子”とが接合するのです。

巻き上がった玉子を今度は向こう側に転がしながら巻いていきます。

だし巻き玉子は意外にも重量があります。2度、3度と巻いていくにしたがい、どっしりとしてきます。

通常の菜箸で転がそうとすると玉子との接触面が小さいため、玉子に傷がついてしまうのです。押そうにもなかなか転がりません。

ここで表面積の広い四角柱の太い箸の本領発揮です。太い四角の箸には意味があったのです。

築地でそんなことを学びました。いま私のだし巻き玉子の完成度は85パーセントです。


(昨日と同じような写真です)

「美味しい」と心の底から感じた思い出は、これまで生涯で3回ほどあります。1回目は中学3年生のとき。2回目は大学1年生、そして3回目は4年生のときです。

中体連(卓球)東北大会の会場は岩手県大船渡市でした。大会数日前から高熱を発し学校を休んでいました。

が、私が出場しないと団体戦が成立しないため、熱を帯びたまま両親の看護のもと大船渡に向かいました。

数日間、食欲がなくほとんど食事をしませんでした。一ノ関から大船渡線に乗り換えました。

車中でどういうわけか、なめこ汁が販売されていました。なめこ汁なら飲めそうな気がし、母に頼んで注文。

なめこ汁を口にした瞬間、こんな美味しいなめこ汁があるのか、と思うほど。まさに五臓六腑になめこ汁が染み渡りました。

大船渡駅前の喫茶店で食べた塩味の利いたトマトサンドイッチも忘れられません。ずいぶんと体力が復活したような気がしました。

でも、試合は負けました。

美味しい思い出の2回目は、お金がなく2日間、食事をしていなかったときのことです。母親が手作りの梅干を寮に送ってくれました。

さっそくご飯を炊いて、その梅干で食べました。この世にこんな美味しい梅干があったのか、と感動すら覚えました。

最後の美味しい思い出は大学4年生のとき、タイ留学中での出来事です。

南部のソンクラー県ハジャイを旅したとき、宿泊先で日本人の駐在員と出会いました。大手缶詰メーカーに勤めているという。

翌日、ハジャイ市内のシーチキン製造工場に案内してもらいました。

ブラックライトの下で女性の従業員が手作業で小骨を取り除いていました。骨は紫外線に当たると発光するのです。

できたてのシーチキン缶詰をその場でいただきました。もう、ぎゃお〜っと叫びたいほどの美味しさでした。できたてはまったく違うのです。

ぬめっとした生気を失ったいつものシーチキンとは似ても似つかぬ味わい。シーチキンとは別物だと感じました。

というわけで、以上が生涯で美味しいと心の底から感じた思い出の陳述でした。

最後の思い出からかれこれ30年が経過しようとしています。「飢餓状態」が美味しさのポイントなのだろうことは薄々わかってきました。


(夏井川沿を毎日歩いて通勤しています)

ハイカロリーとはわかっているものの天乃屋の歌舞伎揚が好きです。私にとって「至難」とは歌舞伎揚の袋を開けて1枚だけで食べ終えること。私にはできません。

3枚目を食べている途中で脳内で小さなスパークが起きました。

冷蔵庫にあるフィラデルフィアのクリームチーズを歌舞伎揚に塗ったらどうだろう、と。

脳細胞は我ながら不思議な存在です。無意識下で己の欲望を満たさんとつねに発酵と熟成を重ね、休むことを知らない。

先日、東京に行った際に東京駅地下街のベーグル専門店でベーグルを購入。ベーグルといえばクリームチーズ。地元に戻りスーパーでクリームチーズを買いました。

フィラデルフィアを開けると十分に残っていました。

カレー用スプーンでクリームチーズを大胆にすくい上げました。思いっきり歌舞伎揚の凹面に塗りたくります。

頬張ってみました。

嗚呼、こ、これは...。美味い。美味すぎる。歌舞伎揚とクリームチーズの妙なるハーモニー。えもいわれぬ味わいです。

誰もいない居間で叫びたい衝動に駆られました。我、発見せり、と。

もしかして私は禁断の扉を開けてしまったのかもしれない。禁じられた組合せだとすぐに確信しました。

試しに歌舞伎揚単体で心静かに1枚食べてみました。

なんだかもう味気ないのです。たった少し前の感動がうそのよう。

こうしてまた依存対象が増えてしまいました。

蛇足ながら、ハーゲンダッツ・バニラアイスクリームにメープルシロップも絶妙なコンビネーションです。


(とらやカフェ。東京ステーションホテル2階)

東京駅丸の内の地下街にあるベーグル&ベーグル グランスタ店でベーグルを6個購入(1000円)。

丸の内側の改札口を出ると多数のSPがいました。ノーネクタイに紺のスーツの集団。なんともいえない威圧感があります。

なにも悪いことをしていないにもかかわらず心臓の鼓動が高鳴ります。ヘリが上空を旋回しています。

ほどなくして白バイに先導された車列が丸の内中央口の車寄せに入ってきました。ふだんは封鎖されているエリアです。


(丸の内中央口前の車寄せ)

菊の御紋の車両が到着。行幸です。

若い男性がもっと近づこうと花壇に入りかけました。と、そのときSPの怒号が飛び交いました。素早い制止の動きです。

私は柘植(つげ)の木に蜜蜂が飛んでくるのを不思議に思い見ていました。よく見ると可憐な花を咲かせているのです。

SPがいる前で腰をかがんで撮影。柘植の木に爆発物を仕掛ける動きととられないか一瞬不安がよぎりました。

柘植の木が花を咲かすことを初めて知りました。


(柘植の木に柘植の花咲く何の不思議なけれど)

東京ステーションホテル2階にあるとらやカフェに移動。先ほどの喧騒とは打って変わって静寂な空間です。

こんなところで日長一日ぼんやりしているのもいいなぁと思いました。東京駅に落ち着いた場所があることを知りませんでした。


(上から覗くと丸の内南口が見えます)

駅構内のホテルの中にあること、迷路のような作りになっていることなどが隠れ家のような空間を演出しているのかもしれません。

虎屋の羊羹を食べたいと思いました。が我慢しました。紅茶を一杯飲んで八重洲口に移動。

八重洲地下街の玉乃光酒造で知人と合流。会社経営における社長と部長の役割など貴重なお話を伺うことができました。

過冷却によって注ぐと凍るみぞれ酒を飲みながら昼食を食べました。それにしても昼間のお酒は後ろめたい気持ちになるのはなぜなのでしょう。


(自分と子どもの分の弁当を作っています)

このごろどうしたわけかずいぶん前に食べた食べ物が恋しくなっています。

先日はトルコ料理のピタ・シャワルマについて触れました。

こんどはソウルの「土俗村(トソッチョン)」のキムチがまた食べたくてしょうがない。発作のように欲しています。嗚呼、食べたい。

参鶏湯(サムゲタン)の名店として知られる土俗村。景福宮の近くにあります。

店内は大変に混み合っていました。座敷に通されると座卓の上に15センチほどの高さの壺が置かれていました。

キムチの壺です。ぎっしり詰まっていました。

参鶏湯が出てくるまでの間、キムチでもつまんでいようと思い、一口食べてみました。

これが美味しい。かつて経験したことのない美味しさです。

キムチが発酵食品であることを改めて気づかされました。魚介系の複雑なアミノ酸の旨味。そして、白菜を中心とした野菜がほどよく発酵しています。

酸味と旨味と辛味が効いた絶妙な美味しさです。旨味がずば抜けていました。

日本のスーパーで見かける、安易に砂糖で調味したキムチとは格段の違い。別な代物といってよいでしょう。

なんぼでも食べられる。気がつくと壺の中にあるキムチを平らげてしまいました。

その後に出されたメインディッシュの参鶏湯も当然に至極美味ではありました。

しかし、私が感銘を受けたのはお通しにしか過ぎないキムチがあまりにも美味すぎるということ。手抜きをしていない。

お通しとは序曲であり、プロローグです。脇役です。にもかかわらず、土俗村のキムチは主題と同等あるいはそれ以上の存在感で迫ってきました。

メインを大切にするのは当たり前です。そのような中で、メインではない部分にいかに本気で迫れるか、そこが大事だと最近になって感じられるようになりました。

そこに本物かどうかが表れるのだろうと思います。私自身においても脇道を極めていこうと決意した次第です。


(タリーズコーヒーのHPから)

限定商品の抹茶クリームあんみつ(570円 税込)を食べました。思いのほか美味しい。

あんみつの美味しさとは何か。

それは温度差と複数の甘味、そしてとろける系とぷりぷり系のそれぞれの食感のハーモニーといってよいでしょう。いうなれば差異による演出の妙ともいえます。

マイナス10度以下のキンキンに冷えた抹茶アイスクリーム。歯茎が刺激され、不快感を覚える一歩手前で歯髄(しずい)を和らがせる寒天の存在。

プールで冷えた身体を温める温浴のような効果です。冷たいアイスクリームと冷えていない寒天の温度差に意味があります。

したがって、寒天は過度に冷やしてはいけない。

加えて、寒天にはもう一つ役割があります。

抹茶アイスクリームや小豆粒あん、生クリーム、さらに黒蜜といった甘味のオンパレードに一服の涼を求めるがごとく無味の寒天が存在意義を発揮するのです。

甘味の波状攻撃の緩衝材としての寒天。その使命は大きい。

無味の寒天だけでは決して美味しくない。にもかかわらず、抹茶アイスクリームや黒蜜等々を絡めることによって寒天が輝き出すのです。

さらにもう一つ寒天は大きな役割を担っています。それは食感です。

あんみつを構成する寒天以外の素材はクリーム系です。歯応えは無きに等しい。

しかも、あんみつを半分程度食べ進めると液状化が進行し、ほとんどソース状態です。その中で自己主張を訴え出すのが寒天です。

透明で無味の控え目な寒天が液状化した、そのときになってはじめて寒天の魅力が躍り出てくるといっても過言ではありません。

抹茶アイスクリームや生クリーム、小豆粒あん、黒蜜が渾然一体となった液状化したあんみつ。むしろあんみつの本懐はこのときにあるのではないかと私は確信します。

あんみつの本来の主役である赤えんどう豆(小豆かなと思うとそうではない、ちょっと苦味のある、あの黒茶色の豆)の魅力については、別の機会に論じたいと思います。


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