(「野みつ」の極上プリン)
物事が上手くいかなかったときはプリンを食べるに限ります。また、嬉しいことがあったときもプリン。そして、何もなくてもプリンはじつに美味しい。
プリンは奥が深い。
ぷるるんとした弾力性の豊かなものから、ねっとりとしたクリーミーなものまで多種多様です。加えて、苦みばしったカラメルがプリンをお子ちゃまな存在からアダルトな世界に誘(いざな)います。
(「Kawaberry cafe」の最高のプリン)
幼い頃、プリンは風邪で床に臥したとき気兼ねなく親におねだりできる贅沢な食べ物でした。健康体では食べられなかったプリン。
そんなプリンが1972年グリコによって一大旋風を巻き起こします。プッチンプリンです。市販のカッププリンは掘り進んで底に至って初めてカラメルにありつける。
グリコの担当者は考えました。喫茶店で食べるプリンのように最初からカラメルを食べられないか。試行錯誤の結果、カップの底にプラスチックの突起を付けることを発案。
(「RAILWAY STATION」の究極のプリン)
発売当初は「グリコプリン」という名称でした。1974年にリニューアルし「プッチンプリン」に変更し、テレビCMの効果もあって大ヒットしました。
生来の面倒くさがり屋の私はそのプッチンプリンを皿にプッチンもせず、スプーンも使わず息の吸圧のみによって口に入れようと試みました。
詳細は「プリンで息詰まる」に譲ります。丸ごと吸い上げてしまい窒息しそうになりました。プリンが食道を嚥下する際、ヘビが卵を飲み込む様子が脳裏に浮かびました。
(「秋風舎」の濃厚カボチャプリン)
いまではほろ苦い思い出となっています。
私のプリン好きは多分にプリンを愛好する友人の影響を受けています。一個のプリンは同質のようでいて食べ進めるうちに食感の変化やカラメルの絡み具合によって幾重にも楽しめます。
そこがなんとなく食感に類似性のある豆腐との決定的な違いです。豆腐は上から食べても横から削いでも最初から最後まで一貫して大豆の味です。
(南山城村の至高の抹茶プリン)
JR常磐線泉駅前の関根菓子店の「いずみ半熟プリン」についてかつて次のように記しました。
「楕円の筒状のケースにプリンが納まっています。スプーンを表面に挿すと半熟とは名ばかりかと思うほどチーズ並みの強い硬性を感じます」
「硬いという一歩手前です。ねっとりの2乗倍の濃厚さで舌を堪能させてくれます。表面の超ねっとり層を掘り終えると、なめらかでとろっとした層が現出します。まさに半熟です。濃厚な中にもとろっとした食感が口中を多幸感で包みます」
(大好きなタイのカボチャプリン「サンカヤーファクトーン」)
「表面から始まったいずみ半熟ぷりんの旅も最終章です。底辺部のクリーミーでかつとろっとろとした半熟層が苦味ばしたったカラメルとのハーモニーで締めくくられます」
今回は、ある案件が当方の思惑とは異なる結果となり、落胆してからの「野みつ」のプリンでした。一口入れるとあまりにも美味しく私は衝撃を受けました。元気が出ました。プリン担当の方に最大の称賛を伝え再びの来店を約しました。
プリンは人を幸せにする力がある。私の揺るぎない確信です。