(バターしょうゆご飯)


ふだんは雑穀米を食べています。精白の米は美味しすぎて食が進むからです。


たまに白米をバターしょうゆで食べたくなります。


炊き立ての上顎の天井がやけどするくらいのご飯にうりゃっとえぐり取ったバターを茶碗の中心部に乗せます。溶け始めるバターにしょうゆを垂らします。


言い忘れました。バターはやっぱり発酵バターに限ります。乳酸菌の力で旨みが増しています。


人間にとって精白した炭水化物ほど贅沢なものはありません。ヒトにとって計画的・意図的に糖質を入手する習慣を得たのは人類史上ごく最近のことです。


だから、身体に脂肪という形で蓄えるのです。滅多にないことだったのです。


美味しい肴が並ぶと私は銀シャリでかっ込みたくなる衝動に駆られます。


バターしょうゆご飯に話を戻します。輝くばかりの炊き上がったばかりの白米に上質のバターしょうゆ。


まるでコクのある卵かけご飯のような味わいです。罪悪感を振り切って、掘り進んだご飯の中心核に追いバターを入れ、しばしの間ご飯で覆います。さらに数滴のしょうゆをかけます。


数度ほど箸でかんまがした(混ぜた)とき、えも言われぬバターしょうゆの蒸気がほのかに立ち上ります。


何も足さない、何も引かない。あらゆるおかずを排除してもなお多幸感を創出するバターしょうゆご飯。


糖質と脂質と塩分とアミノ酸の組み合わせは人をして幸せにする力があります。

(木村家と記載されています)


むむ。これは何だ。


木村屋のアンパンを駅ビルで買いました。出張販売のようです。単価は高めですが美味しいことは間違いない。


衝動買いです。必要性の低いものを一時の欲望に駆られてアドレナリンの上昇とともに財布のひもを緩めてしまう行動を言います。


私の場合、ピッチャーやグラスで風変わりなものを見つけたときにも発動しやすいという症状もあります。合併症です。


それにしても、木村屋のパンを買ったのに、文字は「木村家」にしか見えない。夕食後にアンパンをおやつ代わりに食べながら、じっと文字を見つめました。


この「木村家」は山岡鉄舟の筆によるものだという。鉄舟はアンパンが好きだったのか。というか、明治初期にアンパンがあったのでしょうか。


ま、私にとっては木村家でも木村屋でもどちらでも差支えはありません。美味しければすべてよし。


あっという間に嚥下し胃袋に納まりました。

(やめられない美味しさ。とん平焼き)

 

とん平焼きを初めて食べたのは大阪。学生時代からの旧友に勧められました。美味しいよ、と。

 

私のいまの仕事に就けているのは彼がいたからで、言わば恩人です。関西方面に行くときはほぼ毎回会うようにしています。

 

娘さんがすこぶる秀才。当時小学2年生にして『イスラム教の成り立ち』という本を読んでいると当人自身が目をキラキラさせて私に語ってくれました。

 

さて、花より団子、紅葉より団子の私。とん平焼きに話を戻します。

 

通勤経路上にある「ごはん屋さんしょく」に本場に負けないくらいの美味なとん平焼きがあります。税込み500円。

 

飲食業界に精通しているオーナーとの対話が毎度楽しみです。

 

「今度道路沿いにできたあの店、どうなんでしょう。客層は何を狙っているんでしょうね。テイクアウト専門で時間帯が午前10時から午後2時、夜が午後7時から深夜零時までなんですよ」

 

「周辺の店に支えられているのか、出すものに相当の自信があるのか...なかなか難しいですよね」

 

「しかし、それにしてもこのとん平焼きはじつに美味しい。大阪で食べたものよりうまい。催事の屋台で出されるような粉粉した粉もんは苦手なんです」

 

「これは小麦は極力薄くして出しています」

 

「細かな千切りのキャベツが入っているのが旨味を出しています」

 

「自分自身野菜が苦手なのでキャベツの甘みが出るようにしています」

 

「豚肉を卵でふわっと包み込んでいる。ただそれだけでなく、甘みの染み出た千切りキャベツがアクセントを付けています。ほんとに美味しい」

 

大阪市お初天神通りの「本とん平」が発祥と言われます。シベリア抑留から帰ってきた夫婦が始めたという。

 

レシピはそれぞれの店ごとに工夫が凝らされているようです。

 

ごはん屋さんしょくのとん平焼きが私の味覚にはぴったりです。リピートしたくなる不思議な魔力があります。

(心から絶賛したい白菜ラーメン)


食べることができる。それ自体幸せなことです。美味しいものであればなおのこと幸福度は倍増されます。


多幸感というものは脳に刻まれるらしい。自分なりに頑張った、ひと山超えたというときにうまいものを食べるくせがあります。報酬系の神経回路ともむすびついています。


だから、繰り返しとなります。久しぶりに「東風」に入店しました。トンプーと読みます。ヒガシカゼでもなく、コチでもありません。


必ず白菜ラーメン(税込840円)です。揺らぎません。ほかは見向きもしません。白菜一択。


きょうは自分で自分のために自分の労をねぎらうのだと決めた日はカロリー過多を承知のうえでチャーハンも注文します。


店主の動きをつい見つめてしまいます。炒める、ゆでる、盛り付ける。その一切に無駄な動きがありません。


麺の茹で時間は砂時計で計ります。茹で釜に投入する麺は基本的に2人前。多いときでも3人分です。


湯切りの仕草に見とれます。切れが見事です。どんぶりに麺を分け終わると、釜に残った麺を丁寧に掬い上げ捨てます。そして、不足した分の水を足します。


白菜ラーメンは白菜、人参、たけのこ、きくらげ、そしてあさりが入っています。ものすごい火力で一気に炒め上げます。炒め終わるとスープを中華鍋に投入。


同じ釜でチャーハンも作ります。東風は釜が一つしかないことに私は不満と不審を抱いていました。


最近ようやくわかりました。丁寧な仕事をしたい。店主の思いが炒めるという作業を同時並行させないのに違いない、と。


鶏がらスープと白菜の甘みとあさりの旨味がハーモニーを成して私の報酬系神経回路を揺さぶります。


たまには腹いっぱい食べて、多幸感に満たされるのもいい。と、言い聞かせてチャーハンもいただきました。

(いもむしを想起する形状)


ランチはチョココロネ。ひそかに好きなんです。


チョコレートは熱を加えると風味が劣化します。チョコレートパンはチョコレートをパン生地で包んで焼いています。


でも、チョココロネは違う。パン生地を巻き貝状に巻きつけて焼き上げてから、チョコレートクリームを詰めます。「焼き上げ後」なんです。


断然違います。天地雲泥の差がそこにあります。だから好きなんです。


コルネはcornet。フランス語で角(つの)を意味します。金管楽器のコルネットと同じ綴りです。トランペットよりも柔らかい音色を出す楽器です。


チョココロネはとんがりから食べるか、あるいはおしりから挑むか、いつも迷います。先端からの場合、チョコレートクリームが圧力を受けて脱出することがあります。手が汚れます。


きょうは先から上手に食べました。幸い漏出は起きませんでした。


ともあれ、いつも美味しいチョココロネを探しています。


(「野みつ」の極上プリン)


物事が上手くいかなかったときはプリンを食べるに限ります。また、嬉しいことがあったときもプリン。そして、何もなくてもプリンはじつに美味しい。


プリンは奥が深い。


ぷるるんとした弾力性の豊かなものから、ねっとりとしたクリーミーなものまで多種多様です。加えて、苦みばしったカラメルがプリンをお子ちゃまな存在からアダルトな世界に誘(いざな)います。


(「Kawaberry cafe」の最高のプリン)


幼い頃、プリンは風邪で床に臥したとき気兼ねなく親におねだりできる贅沢な食べ物でした。健康体では食べられなかったプリン。


そんなプリンが1972年グリコによって一大旋風を巻き起こします。プッチンプリンです。市販のカッププリンは掘り進んで底に至って初めてカラメルにありつける。


グリコの担当者は考えました。喫茶店で食べるプリンのように最初からカラメルを食べられないか。試行錯誤の結果、カップの底にプラスチックの突起を付けることを発案。


(「RAILWAY STATION」の究極のプリン)


発売当初は「グリコプリン」という名称でした。1974年にリニューアルし「プッチンプリン」に変更し、テレビCMの効果もあって大ヒットしました。


生来の面倒くさがり屋の私はそのプッチンプリンを皿にプッチンもせず、スプーンも使わず息の吸圧のみによって口に入れようと試みました。


詳細は「プリンで息詰まる」に譲ります。丸ごと吸い上げてしまい窒息しそうになりました。プリンが食道を嚥下する際、ヘビが卵を飲み込む様子が脳裏に浮かびました。


(「秋風舎」の濃厚カボチャプリン)


いまではほろ苦い思い出となっています。


私のプリン好きは多分にプリンを愛好する友人の影響を受けています。一個のプリンは同質のようでいて食べ進めるうちに食感の変化やカラメルの絡み具合によって幾重にも楽しめます。


そこがなんとなく食感に類似性のある豆腐との決定的な違いです。豆腐は上から食べても横から削いでも最初から最後まで一貫して大豆の味です。


(南山城村の至高の抹茶プリン)


JR常磐線泉駅前の関根菓子店の「いずみ半熟プリン」についてかつて次のように記しました。


「楕円の筒状のケースにプリンが納まっています。スプーンを表面に挿すと半熟とは名ばかりかと思うほどチーズ並みの強い硬性を感じます」


「硬いという一歩手前です。ねっとりの2乗倍の濃厚さで舌を堪能させてくれます。表面の超ねっとり層を掘り終えると、なめらかでとろっとした層が現出します。まさに半熟です。濃厚な中にもとろっとした食感が口中を多幸感で包みます」


(大好きなタイのカボチャプリン「サンカヤーファクトーン」)


「表面から始まったいずみ半熟ぷりんの旅も最終章です。底辺部のクリーミーでかつとろっとろとした半熟層が苦味ばしたったカラメルとのハーモニーで締めくくられます」


今回は、ある案件が当方の思惑とは異なる結果となり、落胆してからの「野みつ」のプリンでした。一口入れるとあまりにも美味しく私は衝撃を受けました。元気が出ました。プリン担当の方に最大の称賛を伝え再びの来店を約しました。


プリンは人を幸せにする力がある。私の揺るぎない確信です。

(大好きなカオマンガイ  )


「洪水」という言葉は日本において子どもがふだんに使うものではないだろうと思います。


洪水を意味するタイ語の「ナム・トゥアム(nam thuam)」はおそらくは子どもたちも当たり前に使っているはず。ナムは水、トゥアムはあふれるの意です。


ちなみにナム・プラーは魚の水(魚醤)を意味します。


いわき市植田町にあるタイ料理店「アーリータイ」に初めて入店。お昼はたたきつけるような豪雨でした。


店内に入ろうとすると床は水浸し。思わず「ナム・トゥアム!」と言いました。すると、二人のタイ人店員も「ナム・トゥアム!」と返してくれました。


店の名前の「アーリー」は思いやりのあるといった意味のようです。二人ともタイ北部出身(異なる県)でいずれも私がかつて訪れたことのある地域でした。


当地の方言を少し知っていたので、発音すると喜んでくれました。言葉は大切ですね。心の距離を縮めます。


カオマンガイを注文。絶品でした。カオはご飯、マンは脂、ガイは鶏です。

(私の大好きなカオマンガイ。これはうるち米です。クルアクンメーにて)


地元のタイ料理店でのやり取りです。私はいつもカウンターに陣取ります。 タイ語も交えての対話。


「今年1月にバンコクに行ったんですけど、東北(イサーン)料理の店でもち米を食べようとしたんですよ」


「ええ」


「かつて留学していた35年前は手指を使ってもち米をむにゃむにゃして、おかずといっしょに食べてました」


「私もそうです」


「ところが、そのレストランでタイ人で手指を使って食べている人がいなかったんです」


「最近、手指を使って食べることが上品ではない、という雰囲気になってしまったんです」


「そうなんですか。それはコロナの影響ですか」


「コロナ以前からそういう感じになっていました」


「手でこねながら食べる、あれが美味しいですよね。でも、みなスプーンとフォークを使って食べているのを見て私もそうしました」


「私はいまも手指でこねて食べていますよ。美味しいですもの」


「日本でもね、ちょっと違うんですけど、人の手で握られたおにぎりが苦手、食べられないという人がいます」


「へぇ、そうなんですか」


タイのもち米は特に東北料理で出されることが多い。日本のような特別な料理としてではなく、白米そのものを主食として口にします。


なお、いわゆる「お餅」はタイで見たことがありません。あるのかもしれませんが。


私にとってタイのもち米は日本のものを凌駕する美味しさです。細くて長くてもちもち。


タイのもち米も通販で買えるようです。試しに蒸しあげてみようかしらん。試食したい方、こっそりご連絡ください。

(こんな美味しい豚バラは教えたくない)


まさに私のような人間に需要がある。そう確信しています。どこまでニッチ(狭隘)なニーズを喚起できるか。そこにかかっていると言えます。


ごはん屋 さんしょく」に3回目の入店です。残業あり、次の列車までに時間がある。仕事に集中したせいか空腹です。


そんな私に「ごはん屋 さんしょく」です。駅周辺で定食が廉価に食べられる。ありそうでなかった業態です。


「少しずつですが、出張者がホテルにチェックイン後にこちらに来てくれるようになりました」


「それはよかったですね」


食の業界を知悉しているオーナーとの語らいが料理と同じくらい楽しみです。


今回はアルコールはなし。今週、来週と気の抜けない仕事が続きます。精進しなければなりません。


「豚バラ定食をお願いします」


「ご飯は白米にしますか、玄米にしますか」


「玄米で」


美味しいだろうとは推測しました。が、さほどの期待は抱きませんでした。


しかし、配膳されたトレーに乗っている豚バラは見るからに、また香りも絶品の予感が満載です。


「オーナー!これ、美味すぎます。玄米も美味しい。玄米を美味しく炊くって難しいですよね」


「この玄米は『そのふぁ』(農産物直売所)の米です。うちの店長が研究、工夫して美味しく炊き上げています」


豚バラは熱々の鉄板に新鮮なネギもボリュームたっぷりに炒められています。次回はビールのおつまみにしたい。


豆腐のキッシュなどの前菜も付いて、そしてソフトドリンクも付いて税込み1,000円。安い。


まだ行っていない「ごはん屋 さんしょく」のランチも楽しみ。主菜(7〜8種類)から好きなものを取るビュッフェスタイル。


ご飯(白米・玄米)、みそ汁、飲み物、プチデザートが付いて1,500円。無農薬・有機野菜にこだわっています。私の農事師匠のトマトも使われているという。


次回は食後に姉妹店の「夜パフェ」に寄って、スイーツも堪能したい。

(畝作りは重労働です)


もうそれがどこの店だったのか思い出せないのです。脳細胞が確実に日々壊れています。でも、美味しかったという記憶だけは残っています。


旨いあら汁を飲みました。鯛のあらでした。こんがりと焼いてありました。鯛の旨みが汁に滲み出ていました。


焼いてから鍋に投入するといいのか。やってみよう。そのとき決意したことは覚えています。しかし、どこでいつだったのか記憶が蘇りません。


以前は思い出そうと脳みそに力みを入れました。捻り出せるときもありました。が、しかしいまや出るのはため息だけ。DNAに傷が付いているのか認知症の一歩手前です。



(天丼と鰤のあら汁)

魚店で鰤(ブリ)のあらを買いました。弱火で少し時間をかけてこんがりと焼きました。針生姜、玉ねぎ、ブナしめじを鍋に入れて沸騰させたあとに焼いたあらを入れて一煮立ちさせ味噌を入れて完成です。


見切り品のヤナギガレイの開きとナス、大葉を天ぷらにして天丼を作りました。つけ汁はちょっと甘めです。


きょうは耕作放棄地の一角を開墾してきた畑の畝作りが終わりました。苗植え前の「畝祭り」。そんな祝い事があるのかどうかわかりませんが勝手に祝杯を上げています。


セブンイレブンで売っているほぼワンコインのオーガニックワイン「ビノセント アイレン」が今宵のお供です。


明日はいよいよ苗植えです。トウモロコシ、ナス、カボチャ、モロヘイヤ、ミニトマト。


夜になって専業農家を営む甥がやってきて、食事を共にしながら肥料談義に花を咲かせました。アブラカスが菜種油のカスだということを初めて知りました。


Calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM