(太陽のお蔭で野菜がたくさん採れます)


『異邦人』(カミュ)に倣って言えば「太陽が眩しかったから」日傘を買いました。主人公ムルソーが裁判の最後で語った言葉です。


カミュはブランデーの名前ではありません。フランスの小説家アルベール・カミュのことです。


ちなみにブランデーのカミュは学生時代、香港に行くキャセイ・パシフィックの機内で初めて飲みました。世の中にこんな美味い酒があるのか、と感動した覚えがあります。


脱線したついでに。三洋電機のカラーテレビのコマーシャルソングで使われた久保田早紀(現 久米小百合)の「異邦人 -シルクロードのテーマ-」も好きです。歌えませんが。


閑話休題。


文字通り、このところ太陽が眩しく感じられるようになりました。光も熱も強い。太陽活動が活発になったのか、あるいは日光が大気を透過しやすくなったのか。はたまた自身の身体が衰えてきた所以か。


参考まで国立研究開発法人情報通信研究機構の宇宙天気予報によると太陽活動は今後1日間活発な状態が予想されるとのこと。私自身は至って不活発なのに羨ましい限りです。


さて、日傘は女性が差すもの。そんな偏見を私は持ち続けていました。ハイカラさんの持ち物みたいな。


ところがです。最近、日傘を差す紳士が散見されるようになりました。同調圧力がないと行動できない日和った私への追い風です。


というわけで、本日から日傘始めました。

(ひと休み)


新しいソファーがほしい。そう思うようになってかれこれ10年近く経ちます。私はソファーが好きです。脱力しただらしない姿になります。


人様には見せられません。私の本性とも言うべき怠惰な痴態を曝け出します。ベッドとも違う。椅子でもない。ソファーはソファーです。


初めはもたれつつも背中は鉛直方向にあります。次第に寝そべり、ついには身体を横たえてしまう。ソファーには本来において懶惰性が宿命付けられているのだと思います。


そんなソファーですがすでに四半世紀が経過。猫もくつろぎ、子どものおむつ交換にも使い、いまやほとんど義父の定位置となりつつある布製のソファーです。経年劣化が著しく脚も不安定になってきました。


もうそろそろ結婚してはどうかと義父に勧められている私は我が家では居候の身。流浪の民と化しています。俺の部屋に泊まるかと先日は義父に温情をかけてもらいました。


家具店を見て回りました。お値段が異常なのではないのか。我が目を疑いました。たかがソファーされどソファー。いいものはやっぱり高い。


洋服は試着と言います。ソファーの場合は何て言うのでしょう。試座と呼ぶのでしょうか。とにかく座らせてもらいました。


嗚呼、これはいい。いつまでも座り続けたい。というより身体を横たえたい。ただでさえ遊惰安逸な私をもっと深刻なレベルに怠けさせる、そんな誘引を感じます。


危ない。きっと私は駄目になる。確信を深めました。ソファーに包まれながら「星々のつぶやき」を投稿している姿が目に浮かびます。


このままではボス猿の決着の戦いのようにソファーをめぐって義父と宣戦布告する羽目になりそうです。私は回避動機を発動し撤退することにしましょう。


ソファーは仕事に向いていません。にもかかわらず、かつて上役との打合せの部屋はソファーの応接セットでした。しかも腰がぐいっと沈むやつでした。校長室でも散見されるタイプです。


資料の説明もしづらい。出された麦茶の結露が股間に垂れる。まるで漏らしたかのように。時にコースターまで落ちます。


というわけで、お値段以上なのかあるいはお値段異常なのか。煩悶はしばらく続きそうです。

(おりこうになれなくてもおりこうな人に恵まれれば大丈夫です)


パン屋があり、お茶屋があり、本屋がありました。正体不明の喫茶店や中華料理店も。


客層が高齢者と高校生ばかり。SALEの札がそこかしこに貼ってある。空き店のスペースはがらんとしたまま。昭和歌謡のテープやCDが平籠に無造作に入っています。


昔、内郷ショッピングセンターはボウリング場も併設していました。遊んだ記憶がおぼろげにあります。屋上に巨大なボウリングのピンがあったように記憶しています。


廃業前の内郷ショッピングセンターは消えかかった点滅する蛍光灯にも似て、破れかけた街角のポスターにも似て、古い旅館のゲームコーナーにも似て退廃的なすえた雰囲気がありました。それを好んで私は通っていました。


新たな商業施設ができるたびに人で溢れかえります。でも、やがて飽きてその賑わいも消滅していきます。見事なまでに限界効用曲線をたどります。


なぜならどんなに新しい施設ができても財布は膨らまないからです。家計支出が決して増えるわけではない。基本はゼロサムゲームです。


あるショッピングセンターに行きました。既視感がありました。内郷ショッピングセンターの廃業前に漂っていたあの匂い、雰囲気です。空き店舗が目立ちます。イトーヨーカドー平店の閉店前にも色濃くあったものです。


線香花火がいままさに燃え尽き火球を落とす今際(いまわ)の際(きわ)です。


というわけで短冊の願いにあるように私もおりこうになりたい。

(スターインドキッチンにて)


いますぐの話ではありません。フルートを買い換えたいと思っています。総銀製のものに憧れています。


現在使っている楽器は30年前に購入しました。値段は覚えていません。10数万円だったような気がします。


フルートという楽器は3つのパートで構成されています。歌口のある頭部管、長い部分の胴部管、そして足部管です。


どの楽器も価格帯に幅があります。が、フルートは文字通りピンからキリまであります。ノートパソコン1台程度から高級外車並みの値が付きます。


どのような金属を使うかによって左右されると言ってよいでしょう。私のフルートは頭部管のみ銀製で、それ以外は洋銀製です。


洋銀は白銅と亜鉛の合金です。銀は含まれていません。この金属は身近には500円硬貨があります。


洋銀製だからダメなのか。銀だとよいのか。そう簡単ではないようなのです。


響きやすいのは洋銀製らしいのです。理由は硬いから。プロの奏者でも洋銀製をこよなく愛した人もいるというのです。


でも、メーカーはこぞって総銀製や総金製の音色の素晴らしさをまるでボジョレーヌーボーの毎年の出来の品評のように訴えます。


総銀製について某メーカー曰く「重厚な響きと抵抗感」、また曰く「味わい深い音色」。実際に聞いてみましたが、私のテキトーな耳では区別できません。


総金製や総プラチナ製に至ると音色のことは二の次になります。装飾の素晴らしさや職人のこだわりなどといった音とは直接関係のない説明が美しく語られます。


ちなみにボジョレーヌーボーの2011年のキャッチコピーは「出来が良く、豊満で絹のように滑らかな味わい」。2021年は「挑戦の末たどり着いた、納得のヌーヴォー」です。


というわけで、総銀製に買い替えたところで私の音色がよくなるわけではありません。それは太陽が東から昇るのと同じくらい確かなことです。


ま、心の問題です。

(グラスも好きです。チャンド・メラにて)

 

ピッチャーに弱いことは再三お伝えしてきました。ステンレス、陶器、ガラス製のいずれを問わず、ピッチャーをこよなく愛します。まさかこんなところで出逢うとは思いもよりませんでした。

 

耕作放棄地を開墾しました。面積にして1%。たったこれだけの耕地再生にどれほどのエネルギーが必要か。背筋痛、腰痛、上腕二頭筋痛に苦しんでいます。雑草の根切りがとにかくしんどい。

 

耕せば自分のものにできるという墾田永年私財法。それほど甘いものではなかったはずと確信を持って私は言えます。奈良時代に生まれなくてよかった。

 

(刈り取った雑草を被せます。循環型農業を目指します)

 

何種類ものナスの苗を移植し終えました。大脳の報酬系に褒美を与える必要があります。不急ではあるものの、不要とは言えない。ひと気の少ないところに腹を満たしに行こう。

 

田人町にあるインド料理・紅茶「チャンドメラ」を20数年ぶりに訪ねました。森に囲まれたレストランです。自宅から約50km。山道を通って行きました。

 

新宿から八王子までの距離を越えます。中央線でたどれば、新宿区、中野区、杉並区、武蔵野市、三鷹市、小金井市、国分寺市、国立市、立川市、日野市、八王子市の11自治体です。本市の広さを改めて実感しました。

 

(サフランライスは色だけで味がないのが以前からの不満です)

 

午後2時近くということもあって、客はまばら。チキンカレーを注文。ナンと小盛りのサフランライス付きです。大きな手羽元が一本入っています。私の好物のナスの素揚げが添えられています。嬉しい。

 

食事を終え、隣接の「ギャラリー咋明」を何気なく覗いてみました。本日までの会期で「Glassと陶 三人展」が開かれています。作品を見て回っていたとき、一つのガラス製の器が私を捉えました。ピッチャーです。

 

ペンギンに似た曲線のフォルムが愛おしいまでに美しい。仙台出身の志賀英二氏の作品です。手元に置いておきたい。これで冷酒を酌んだらさぞ美味しいだろう。妄想が幾重にも広がります。

 

(ギャラリー咋明にて)

 

いつものことなのですが、ピッチャーを見た瞬間、理性という回路が遮断され、「ほしい」という思いがだけが嵩じていきます。抑えられないのです。

 

気がついたときにはピッチャーを持ってレジの前に立っていました。工房が宮城県村田町にあるという。『みちのくひとり旅』が脳内に流れ始めました。行かなければ未練が募るだけです。


(左がオイルレスのヒーター。右が当たるかもしれないカフェマシン)

義父の部屋を暖かくしたい。ほとんど自室にこもっています。火に異常な警戒心を抱くので、炎の出る暖房器具は除外。

最近は燃えると言ってコタツも怖がります。認知症の影響なのでしょうか。

暖房としても使えるエアコンはそれなりの値段がします。量販店で勧められたのは最低でも 20万円クラス。厳寒期に車のフロントガラスが凍るように室外機に霜が付着するのだそうです。それを防ぐ機能があるものは高い。

先日、業務である場所に出向きました。そこにあったのがデロンギのオイルヒーター。めかぶのような放熱板のあるやつです。

ひだつきのヒーターは子どものころ入院した病院の窓辺にあったように記憶しています。じんわりと温かい。安全性も高いように思います。

ふたたび量販店で物色です。イタリアの著名な暖房器具メーカーのデロンギのオイルヒーターのほか、日本製のオイルヒーターもありました。

オイルヒーターの弱点は立ち上がりが遅いことです。オイルレスという製品もありました。やはりデロンギです。展示品限りということで Amazon 価格の3分の2ほどの値段に惹かれました。即決し購入。

安全性を確かめるため、まず廊下で空焚きを試します。くさい。大いににおいます。欠陥品なのかと思い、デロンギのウェブサイトを確認すると、1週間くらいはにおいがするとのこと。

Amazon などのネットのコメントにもにおいがひどいと書かれています。吐き気がするほどの臭気です。大腸内視鏡の前に飲む下剤を服用しているときのような感覚です。気持ち悪い。日本のメーカーだったらこんなもの売らないと思うほどのものです。

が、そこはイタリアのデロンギ。生産地は中国ですが、デロンギの方針なのでしょうね。生産段階で空焚きしてほしい。

デロンギと言えばコーヒーメーカーで有名です。特にエスプレッソマシンには定評があります。エントリークラスで5万円ほどします。高いけどほしい。

今回購入したデロンギのヒーターにアンケートが付いていました。抽選でデロンギのコーヒーメーカー (十万円相当のマシン)が当たるとのこと。臭気を相殺する嬉しい計らいです。

当選したら、いよいよカフェ開店向けて始動です。


(ピッチャー勢ぞろい)

「無形の小さな喜び」の()()()で散々無形が大切だと訴えた私。その舌の根も乾かぬうちに有形のピッチャーについて言及するのはいささか心苦しい。というよりは恥ずかしい。

私はピッチャーが大好きです。以前、そのことについては「ピッチャー交代」でお話している通りです。なぜそこまで執着するのか。自分でもわかりません。言わば道楽の部類なのでしょう。だから余計に始末が悪い。

密かに“ペンギン”と私が呼んでいる温冷両用のシルバーのピッチャー。ドイツ製です。職場で0.3リットルサイズのピッチャーをお茶を淹れるポットとして使ってきました。

職場でいわゆる“お茶出し”がなくなって久しい。飲みたい人は自分で給湯コーナーに行って好みの飲み物を淹れます。

私はピッチャーにお湯を注ぎ、ほうじ茶か玄米茶のティーバッグを入れています。午後眠気に襲われたときはマグカップに直接コーヒーを淹れます。

お茶をカップに注ぎ入れると所詮0.3リットルなので残りはわずかになります。底が尽きるたびに“ペンギン”を持って歩く姿はまるでレストランのウェイターのようです。頻尿ならぬ頻茶の管理職。あまり格好良くありません。

そこで、ふたたびピッチャー交代です。0.3リットルから0.6リットルサイズへ。先発が1リットル(ドイツ・ツヴィリング製)でした。中継ぎが0.3(ドイツ・エムザ製)、そして抑えが0.6(ドイツ・エムザ製)です。

エムザ製には若干の不満があります。雫のキレがいまひとつなのです。

注ぎ終わってピッチャーを立てると露がわずかに注ぎ口から戻ってきてしまいます。ハルンケアで治るのかもしれないと思いつつ諦めています。その一点を除けば大満足のピッチャーです。

私宛にお客様が来訪したときも、これでお客様と自分の分をたっぷりとサーブすることができます。お茶やコーヒーは目の前でポットやピッチャーから注ぐことでちょっと贅沢な気持ちにさせてくれます。

このピッチャー交代劇に気づいたスタッフにはお昼をご馳走しようかなと思案しています。

徹底確認力の秀でた“右腕”も変化に勘づいていないようです。もしかすると気づいているものの、趣味の領域には踏み込まないようにしているだけなのかもしれません。


(モモイロシロツメクサ。昔、荷物の緩衝材として詰めていた草です)

地方のステホ(stay home)生活に合致したアプリ「でまえっぽ」の紹介です。まだ開発段階。考案者のだいこんくんに取材しました。

編集部:どのようなアプリなのでしょうか。Uber Eatsのパクリではないかと噂されていますが。

だいこんくん:いやいや違います。確かにヒントは得ています。簡単に言えば移動販売の代表格である軽トラの石焼き芋屋のIT版と思っていただいて結構です。

編集部:どういうことですか。最近は流しの石焼き芋屋は見なくなりました。スーパーの入口付近に電気式の石焼き芋に取って代わられた感じですね。

だ:昔の話になりますけど、家にいて石焼き芋屋が近づいてくることをどのように知りましたか。

編集部:ピーという汽笛のような音と定番の「い〜しや〜き〜い〜も〜やきいも」のアナウンスですかね。

だ:音ですよね。聞き漏らしたり、気がついたときには遠方に行ってしまっているといった経験があったと思います。音ってアナログだと思いませんか。現在もサイレンなど報知する機能として活用されていますが。

編集部:まぁアナログと言えばアナログですけど。

だ:物理的な音ではなくスマホの画面で自宅に近づいて来ると通知してくれるという機能です。「雨雲が近づいて来ました」というお知らせと同じです。画面を開くと様々な移動販売車両がアイコンで表示されていて、例えば半径3キロ以内という設定にするとその範囲内の車両について通知してくれます。

編集部:なるほど。あらかじめお気に入りに登録しておいた車両であれば、範囲内に入っていなくても稼働と同時に知らせてくれるとか。

だ:もちろんです。アイコンをタップすると本日の予定ルートや販売品目・数量が表示され、しかもルート上で売られるたびにデータが時々刻々アップデートされます。もちろん予約することもでき自宅に届けてくれます。

編集部:昔ながらの石焼き芋屋の場合は偶然性に頼っていた。一方で従前の出前はいつ来るかわからない注文を待機するという不安定さがある。

だ:おっしゃる通りです。「でまえっぽ」の画面を開けばまるで航空レーダーのように移動販売車両が識別され、積載されている品目までわかる。売る側にとっても買う側にとっても都合のいいシステムです。

編集部:ステホが今後常態化していく中で、さらには単身世帯化や高齢化の伸展にあって必須のアプリになりそうですね。

だ:売る側、つまり移動販売車両にはアプリと連動したナビゲーションシステムによって注文予約を発信している家を表示すると同時に最適ルートを案内してくれます。将来的には自動運転で無人化を視野に入れています。顧客情報を蓄積していくことできめ細かな品揃えを用意することができ無駄を省けます。

編集部:買いに行くという需要は消えないとは思いますが、「でまえっぽ」は試してみる価値がありますね。

だ:店で待って売るという方法は近い将来、主流でなくなるかもしれません。


(やさい直売&カフェ 晴レル家にて)

ニトリの枕コーナーでしばし立ちすくむ私。これほど多種多様で価格帯の広いものはないのではないか。たかが枕なのに、と思いました。さらに専門店を覗いたら一桁値札が違っていました。

枕の中の材質だけでも蕎麦殻といった植物性のものから水鳥の羽毛、化繊やパイプ、チップ、ウレタン等々じつに富んでいます。低反発、仰向け専用とか、横向き寝用など、大きさ、形状、材質等々枕の種類はなぜこれほど多いのか。

憧れは磐城高箸の「眠り杉枕」

「杉に含まれる香り成分『セドロール』は、自律神経に作用し、心身をリラックスさせる効果があります。『眠り杉枕』に使われる磐城杉には、純度の高いセドロールがふんだんに含まれており、まるで森林浴をしているような、心地よい誘眠をサポートします。また、ヒノキ等に含まれる、覚醒効果のある香り成分が少ないため、安眠を妨げにくくなっています」(磐城高箸ウェブサイト)

お小遣いを貯めて、いつかは眠り杉枕で寝てみたい。願わくば私の自律神経を整えたい。

ところで、私は朝方によくうつ伏せ寝になっています。しかも右腕が変な感じに胴体の下敷きになってねじれています。私の心に似て折れそうで折れない。

うつ伏せ寝用の枕は店舗にはありませんでした。残念です。ぜひ開発してほしい。


(ガトーショコラ。晴レル家にて)

枕の中身と言えば、幼い頃、よその家か旅先で枕をほじって小豆を取り出して喜んでいたことがあります。ぼろの部分を拡張するのがとても好きでした。

それにしても、枕はなぜ投げたくなるのでしょう。本能に近い欲求が枕投げにはあります。いっそのこと正式に五輪の競技種目に加えてはいかがでしょう。永田町の住民の皆様も童心に帰って友好的な関係を構築できるかもしれません。

『男はつらいよ』の名台詞「おい、枕、さくら取ってくれ」と叫べば、さらに雰囲気が盛り上がること請け合いです。桜吹雪ならぬ枕吹雪が現出されることでしょう。まさに枕を見る会。

20数年前。モントリオール大学日本語科の教授夫妻とケベックのローレンシャン高原に車で旅行に行きました。

「私ね、枕が変わると眠れなくなるんです」と教授。

「その気持ち、わかります」

教授はホテルの前で車のトランクを開け、大きな枕を二つ取り出しました。

さてさて、清少納言の「枕草子」の枕とはどのような意味なのでしょう。枕上(ちんじょう)で考えるとしましょう。

でも、私はやっぱり厠上(しじょう)の星。厠上が一番冴えます。馬上は眠くなります。


(私の読書時間は湯船と列車の中)

立花隆著『ぼくはこんな本を読んできた』(1999年、文春文庫)。第5章「私の読書日記」に350冊ほどの書籍が紹介されています。

どれもが興味深い。

「『私の読書日記』まえがきにかえて」で著者は述べます。

「私は、九二年夏から『週刊文春』の『私の読書日記』の書き手の一人になった。(中略)そういうわけで、私はこの欄を私的な読書生活の記録としてではなく、一種の新刊紹介として書いている」

今となっては30年近く前の書評とも言えます。当然、新刊ではありません。逆に言えば、古本として流通している可能性が大きい。

新刊よりも古本こそAmazonの本領発揮です。瞬時にして当該書籍の有無と価格がわかります。

スーザン・シャラー著『言葉のない世界に生きた男』(晶文社)は「二七歳になるまで、言葉を全くしゃべれないどころか、言葉というものが存在するということすら理解できなかった聾者に、手話で言葉を教えていった記録である」(『ぼくはこんな本を読んできた』以下、引用は同書から)

森浩一著『日本神話の考古学』(朝日新聞社)。「(前略)それら神話が、思いがけない歴史的事実と結びついている可能性が、十分な説得力をもって説かれていて、教えられるところが多かった」

忠田敏男著『参勤交代道中記ーー加賀藩史料を読む』(平凡社)。「参勤交代の存在それ自体は前から知っていたが、それがこんなにも大変なものだったとは、この本を読むまでわからなかった」

毎日新聞社会部医療取材班著『いのちがあやつられるとき』(情報センター出版局)。「(前略)最近は、妊婦の羊水検査による遺伝子スクリーニングというような形で、新しい優生学が登場している。この新しい優生学をどう評価すべきなのか。答えは簡単に出ない」

立石勝規著『東京国税局政界伏流マネー』(徳間書店)。「これはフィクションの体裁をとっているが、半分以上ノンフィクションである」

赤塚不二夫著『これでいいのだ』(NHK出版)。「満洲の特務警察官だった赤塚の父はソ連軍につかまってシベリア送りとなり、母親は六人の子供をかかえて日本に引揚げ、悪戦苦闘の連続で子供たちを育てていく」

以上、6冊を古本で注文。合計510円(送料別)です。

興味はあったのですが注文ボタンを押すのをためらったのが、次の2冊。

佐藤清彦著『おなら考』(青弓社)と蕣露庵主人著『江戸川柳 花秘めやかなれど』(三樹書房)。立花隆氏がチョイスした川柳の一句を紹介して筆を置きます。

「飯よりも好きなものだが腹が減り」


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