(カフェ「ZAGURI」)

東京に行くたびにほぼ毎回立ち寄る阿佐ヶ谷の松山通り(旧中杉通り)。通りの商店街には私を捉えて離さない、不思議な魅力があります。これまで10数回訪れています。

阿佐ヶ谷駅北口を降りると、うらびれた北口駅前ビルが迎えてくれます。イトーヨーカドー食品館が入居する、このビルの1階はアーケード造りです。

このアーケードから松山通りの匂いがします。入境した、と感じます。ここはいわば松山通りの結界。

東北から上京する際の、かつての上野のポジションと言えましょう。風除室であり、緩衝材であり、心の控室です。


(酒粕入りの和風ココアを注文)

松山通りの匂いとは何か。それは「持ち帰り」のそれです。店舗の多くがテイクアウトの店構えなのです。

脱線しますが、近年、この「持ち帰り」に「お」を冠することによって異なった意味になることを知りました。気をつけねばなるまい。

さて、松山通りには華やかさはない。かといって古都のような情緒があるわけでもない。表参道のような洗練さとも無縁です。

道も狭い。車道にもかかわらず歩道の趣きがあります。油断していると突如ぬっと車が通る。

しかし、何かがあります。惹きつけてやまない磁力が張っています。


(店主のデザインしたフォントの見本)

潰れそうで潰れない古本屋が数店舗健気に頑張っている。つい最近まで「貸本屋」も存在していました。

中年男を拒むおしゃれなジェラートのショップ/手作り煎餅店/手作りコロッケもある量り売りだけの精肉店/雑穀米中心の定食屋/頑固オヤジの寿司店/イタリアン/中華料理店/ぬいぐるみを豊富に置く雑貨屋/渋いワインバー/趣向を凝らしたラーメン屋/量り売りの唐揚げ屋/小さなパン屋/窓に水が流れる美容室等々。

数百メートルの通りに目移りするほどの店舗がこれでもかと並んでいます。

老舗がある一方、訪れるたびに新しい店が生まれている。新陳代謝を繰り返すことによって松山通りの独特の不易流行を形作っています。


(不思議空間が私を覆う)

通りの私の拠点は「中央花壇」。親友の勤める生花店です。その斜向(はすむ)かいに小さなカフェ「座繰(ZAGURI)」に今回入店しました。

昨年末に発見したものの、店が放つ強い個性にドアを開けるのをためらった経緯があります。

中央花壇のUP氏の勧めもあり、勇気を出して入りました。

「松山通り商店街のおしゃれなカフェ。 自家焙煎珈琲豆ハンドドリップコーヒーとデザート、ラテ、甘酒とパイナップルのスムージー、ココア、天然麹から発酵させて作る自家製甘酒、かき氷(夏季)、あんみつなどのメニュー。お一人様にもおすすめの小さなカフェです」(「ZAGURI」ウェブサイトから)


(店内から中央花壇を望む)

和風ココアをいただきながら店主夫妻と小1時間ほど談話しました。店はすべて店主夫妻の手作りだという。

ご主人はフォントデザイナー、奥様は組紐作家。

「古い看板のフォントに古さを感じるのはどうしてなのでしょうか。一方で書の手本となる中国の古い文字にはむしろ古さを感じない」

私は以前から感じていた疑問を投げかけました。

「本来、フォントは強い個性を持つべきではないと考えています。しかし、時代と強く結びついた文字は時代の影響を受けて個性を持ってしまうのです」


(奥様が座繰りして製作した組紐の作品)

「なるほど。ところでカフェは個性を強く出すと客が集まらず、その辺の兼ね合いが難しいですよね」

「誰もが来易い店にしてしまうと本当に来てほしいお客様が来なくなってしまいます。ですから、ちょっと入りにくい店構えにしているのです」

「ブレーキの役目ですね」

いつまでも座して語りたくなる居心地のよいZAGURI。客は私一人。店名に込められた意味や照明への気遣いなども伺い、実りある語らいができました。


(身も心も温まりました)

私は決意しました。今後数年かけて、ここ松山通りの魅力を綴っていこう、と。

が、果たして私は店主の期待する客だったのだろうか。ZAGURIのフィルタリングを意図せずしてすり抜けてしまったのかもしれない。かすかな不安がよぎるなか店を辞去しました。


(重厚な造りの夏井川第一発電所)

「あなたの住んでいる所に、昔からある植物を10種類あげてください」、「あなたの家にいる人以外の生き物は何ですか 」

東京財団週末学校の「地元学の実践」で講師は私たちに質問を投げかけてきました。鋭い質問に時に肝を冷やしながら、風貌とともにその独特の語りに魅せられていきました。

地元学とは何か。

「地域の歴史や風土、成り立ちを調べるが、過去を振り返り懐かしむものではない。足元にあるものを確認し、その意味を知る。まず今あるものと向き合い、そして時代の変化を地域の個性となじませながら、地域の力を引き出していく」(東京財団週末学校

講師は訴えます。「自分たちの地域のことをいかに知らないかということに気づくことが地元学のスタートだ」と。

私の住む小川町には夏井川が流れています。渓流沿いに水力発電所がいくつか設置されています。

でも、いつどのように設置され、どのような発電所なのか、詳しくは知りませんでした。

いつしか、知りたい、と思うようになりました。

知人の紹介で水力発電所に詳しい方から話を聞く機会がめぐってきました。

夏井川第一発電所は、実業家の久原房之助(くはらふさのすけ)氏によって、大正5(1916)年に設置されました。

同氏は、日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所や久原財閥の総帥で、当時、鉱山王の異名を取ったという。

2・26事件にも深く関わっていた氏がどのような経緯で夏井川水系に着目したのかは不明。

同発電所の落差は約90メートル。水車は横軸フランシス水車が2台。総出力4626kw。発電機はもちろん日立製作所製です。

100年前の発電機が今もなお稼働していることの驚き以上の驚きが私にはありました。

それは何か。

大正5年と言えば江戸時代が終わって50年。電気もない江戸時代からわずか半世紀で水力発電所を建造できた技術の進歩に驚嘆せざるを得ません。

翻って我が身の半世紀を顧みるに、いったい何が進歩したのか。

父のようにうなぎの頭ををまな板に釘で刺して捌けるようになったのか。否であります。

父のように自転車のパンクしたタイヤをベンジンで汚れを拭いてゴムを貼り付けて修理できるようになったのか。否であります。

母のように油揚を出汁醤油に浸して、美味しいいなり寿司を作れるようになったのか。否であります。

母のように鮟鱇の肝を潰して美味しい友酢を作れるようになったのか。否であります。

というわけで、我が半世紀の歩みは牛歩に似て極めて緩慢だということが判明しました。たかが半世紀、されど半世紀。

先人たちの偉業をただ仰ぎ見るだけです。来年は半歩は前進したい。

以上が私の地元学の実践でした。


(まもなく飛来してきます)

講師の話を聞きながら、自分の性格や興味になじむと思いました。じつに面白い。

「知的財産苅技能検定3級講座」の第1回講座を受講しての感想です。あくまでも「個人の感想」ですが、奥の深さを感じました。

「小学生の発明が特許になる?」との朝日新聞の記事を通して、講師は発明というものの考え方の一例を挙げました。

特許になる発明とは、次の通りであるとしています。

・特許法上の発明であるか
・産業として実施できるか(産業利用性)
・新しいかどうか(新規性)
・容易に考え出すことができないか(進歩性)
・先に出願されていないかどうか(先願主義)
・公序良俗に反する発明ではないか
・明細書の記載は規定どおりか
(出典:川口竜二『知財と研究開発戦略』)

さて、愛知県安城市の小学校6年生の発明した空き缶分別。磁石の性質を利用してスチール缶とアルミ缶を分別するというものです。

じつはこの分別の仕組みには先行技術がありました。同じように磁石の性質を使ったものです。

(1)どこが今までと違うのか?(相違点)
(2)その相違点は際立っているか? 〜今までにない考え方か〜

講師からこのような問いが演習として出されました。

説明の詳細は割愛します。その中で私が深く感銘を受けたことがありました。

それは、開発の方向性として相違点を際立たせるように特徴付けること(今までにない考え方)は当然として、そのうえで、権利化の方向性においても、特徴が明確となるように権利化することが大切である、ということです。

つまり、弁理士が特許申請する際にどう特徴付けるか、その目利きが重要だということです。

発明特許とは、どんなに偉大な発明であったとしても、特許庁が認めなければ、発明になりません。新規性や進歩性の見極め、あるいは目利きが物言う世界だということです。

講師は用途発明という考えも教えてくれました。一例として、鮭の卵巣膜自体が特許になるのだ、と。

降圧作用や肌荒れ防止に効果があると実験で証明されれば、「用途発明」となり得るのです。

実際に鮭の卵巣膜をタンパク質分解酵素で分解した物質が次の8つもの特許を取得しています。

「加速度脈波加齢指数上昇剤(特許3946239号)」「皮膚アレルギー症状抑制用化粧料(特許3981387号)」「肌荒れ防止剤(特許3899116号)」「IGF-1値上昇剤(特許3946238号)」「皮膚を白くする皮膚状態改善用化粧料(特許4005113号)「経皮投与育毛剤(特許4679138号)「毛穴黒ずみ防止剤(特許4792588号)」「変形性関節症NTX値低減剤(特許4875865号)

というわけで、よく食べるサンマやサバを見る私の目が最近らんらんと光っています。一攫千金の心が躍ります。

知財はじつに奥深い。


(アスファルトの遠赤外線を感じます)

「年齢確認をお願いします」。ビールや酎ハイをかごに入れた記憶がないのにレジの音声案内が流れました。ヨークベニマル好間店です。

「これですよ」

いぶかしげな顔をしていたであろう私にレジの店員さんが商品を見せてくれました。

「みりん」でした。なるほど、本みりんは確かに、と思いました。

アルコール度約14度。立派なアルコール飲料です。酒税法に基づき酒税が課税されています。

お屠蘇や養命酒の原酒はみりんだという。知りませんでした。みりんにハーブを浸したら自家製ハーブ酒ができそうです。

未成年は買えない本みりん。

地元の歴史や当たり前にわかっていなければいけないことが欠落、いや、欠損していることに半世紀生きてきて、最近、ようやく気付き始めました。

焦らない。でも、あきらめない。発見があるということは学びがあります。

それにしても、ノンアルコールビールも「年齢確認をお願いします」となるのはいったいどうしてなのでしょう。

なお、書籍購入で音声が流れたことはまだありません。


(夜のいわき駅)

旧友と久しぶりに会い、寿司店で夕食を共にしました。翌日、人間ドック受診のため、私は酒抜きでの食事です。

友人はある県庁所在地の地方議員を務めています。政治家の感覚ということが話題になりました。

私が尋ねます。

「国会議員の問題発言とか振る舞いを見てると、やっぱり赤じゅうたんボケってあるのげ」

「あると思うよ。地方議員だってそういう感覚になるもの」

「どういうふうになるの」

「新幹線での移動は視察などの公務はグリーン車なんだ」

「おれは乗ったことないな」

「でね、グリーン車って椅子の幅が違うもんだから、たまに私用で普通車に乗ると狭いって感じるよ」

いまだかつて乗車したことのないグリーン車に思いを馳せていると友人が尋ねます。

「グリーン車と普通車って違うなって感じることがあるんだ。何だと思う」

「何だろうね。客層かな」

「においなんだよ」

「へ〜においね」

「グリーン車から普通車に移動するとわかるんだけど、食べ物やらお客さんのにおいやら、雑多なにおいがするんだ。で、グリーン車に移動すると、その生活のにおいがないんだ」

「なるほどね。においね」

「それから、音も違う。普通車は子どももいるのでがやがやうるさい。でも、グリーン車は静かだ。明確に違う」

友人は言う。グリーン車に乗ることが当たり前という感覚がこわい、と。

私は友人のにおいの話に強く惹きつけられました。

超一流と言われるホテルには、かぐわしい香りがあり、においでホテルのランクがわかるのではないか。かねがね私はそんな考えを持っていました。

ひとしきりにおいの話題で盛り上がったあと、お互いが服用しているクスリの話に花が咲きました。友人は血圧が高いのだという。

「おれ、上が150で下が100なんだよ」

「無理に下げない方がいいんじゃないの。大脳が血液を送ってくれって命令してるんだろうから。ちなみにおれは上が100。飲んでるクスリは逆流性食道炎を抑えるやつ」

というわけで、最後は加齢臭漂う、じつにオヤジくさい話で終わりました。

「特別」が当たり前の感覚になり、さらに、当たり前という意識すらなくなったとき、人間は腐ってくるのだろうなと思いました。

加齢臭はにおっても、人間としての腐臭だけは漂わせたくないものです。


(玄関を出て北側を見たら気持ちのよい空でした)

私はよくドジを踏みます。だいたいにおいて液体関連のドジが多い。

ファミリーマートでトイレを借りました。小用専用もあり他のコンビニと比してお手洗いが充実しているのがファミマです。清潔で広い。

小用を済ませ、ウェスタン風(両扉ではありませんが)のドアを開けて出ました。手を洗おうと手洗い場の左脇の狭いスペースに弁当箱を入れたバッグを置きました。

タイ製のピントーという鉄製の弁当箱で重量があります。

プシュっと押して泡状の石けん水を出しました。手に擦り付けようとしたそのとき、弁当箱のバッグのバランスが崩れ、落ちかけました。

手は泡だらけです。どうする。瞬時に脳が回転。

とっさに左の腰を壁側に振り、落下する弁当箱を壁との間に押さえ込みました。無事、弁当箱落下の食い止めに成功。

ホッとしたのもつかの間。ふと股間を見ると泡が付いているではないですか。一連の動作で遠心力が発生し手に付いていた泡が飛散したようです。

まるでモリアオガエルの卵塊のようです。

ま、きょうは一勝一敗ということで慰めることとしましょう。

じつはきょう一つ勉強になったことがあります。いえ、たいしたことではありません。

銀行の自動預払機(ATM)で10千円と入力すると千円札が10枚出てくることを知りました。

モリアオガエルの卵を被りましたがなんだか嬉しい日になりました。

人間がちっちぇーって自分でも思います。


(Cafe Karaku)

連休最終日。明日は苦手な月曜日です。日曜日の夕刻から気分が憂鬱になります。

まして連休明けの月曜日が目前に迫っています。こんな日はリハビリを兼ねて模擬通勤。

通勤時より一本遅い午前9時26分小川郷駅発の磐越東線に乗りました。図書館で本を読み、昼食ののちカフェに向かいます。

気になっていたカフェに初めて来ました。煉瓦造りの蔵を改装したお店です。カウンター3席、4人がけのテーブル2つと2人がけのテーブルが1つ。

店内はマスターと私だけ。


(「珈琲焙煎 香楽」の看板)

スマホで日本外務省ホームページの「アメリカ合衆国」を開きます。「朝鮮国連軍地位協定」をクリック。以下、その要約です。

・朝鮮国連軍は、1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い、国連安保理決議に基づき同年7月に創設された。また、同月、朝鮮国連軍司令部が東京に設立された。

・1953年7月の休戦協定成立を経た後、1957年7月に朝鮮国連軍司令部がソウルに移されたことに伴い、我が国に朝鮮国連軍後方司令部が設立された。

・在韓米軍司令官ブルックス陸軍大将が朝鮮国連軍司令官を兼ねている。

・横田飛行場に所在する朝鮮国連軍後方司令部には、ジャンセン司令官(豪空軍大佐)他3名が常駐しているほか、8か国(豪、英、加、仏、トルコ、ニュージーランド、フィリピン、タイ)の駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として在京各国大使館に常駐している。


(訳はいろいろあるのでしょうね)

というわけで、休戦中の国連軍の後方司令部が日本にあることを学びました。ピョンヤンが横田基地を狙う訳が一つわかったような気がします。


(しだれ桜が満開です)

タイ製の「ピントー」が地元の家具店にあると友人に教えてもらい、早速行ってきました。

ありました。何種類ものピントーが。

ピントーとは、ステンレス製の重ねるタイプの持ち運び用容器のことです。要するに弁当箱のこと。

語源が気になります。手元の冨田竹二郎著『タイ日辞典』をひも解いてみると次のようなことが書かれていました。


(ピントー)

「もとは竹編みの大きな手提げ重ね篭の称で(中略)ピントーの語源については最初ポルトガル語説が行われたが該当語がないので、日本語の“弁当”から来たという説が広まっている」としつつ、次のようにつないでいます。

「しかし江戸末期に日本語がタイに入るとは考えられない。『弁当』は古い中国語であるから、南中国の方言から入った可能性の方が大きいが、中国の辞典には見当たらない」

結局、語源は不明のようです。


(医療器具を思わせる堅固な作り)

密閉がしっかりして、スープもこぼれない。鍋にもなる。なかなかの優れものです。

タイ留学中、僧が手に携えていたのを覚えています。

ところで、なぜか家具店を訪れるとお腹がむずむずしてトイレに行きたくなります。

家具の展示を縫うようにしてたどり着いた2階のトイレ。

洋式トイレではありましたが、私が称するところの“ししおどしタイプ”のそれだったのです。

便座に緩速装置がありません。ふたが上がった状態から着座状態にしようとすると、自由落下し、ししおどしのように響くタイプです。

硬質性の便座であり、暖房もありません。臀部(でんぶ)に伝わるひんやり感がせっかくピントーを見つけた喜びを減殺(げんさい)してしまいました。

家具店であり、サニタリー設備も販売している店です。足元のトイレにこそ気を配ってほしい。

でも、我が身を振り返ったとき、仕事において私も同じことをしているのではないか。

そんな後ろめたさを感じつつ、人肌に温まった便座と藤吉郎の懐中の草履に思いを重ねるのでした。

次なる見知らぬ客に思いを馳せて。


(春到来)

私が時計代わりになっている。些細ではあるものの驚愕の事実を知りました。

毎朝、通勤で自宅から最寄りの小川郷駅まで2キロの道のりを歩いています。ルートはいつも同じ。出発時刻も午前7時10分、毎日変わりません。

そんな私が経路上の小川中学校への送り迎えのお母さん方に時計代わりにされているというのです。

「○○くんのお父さんがここまで来てるよ。きょうは学校に遅れちゃうよ」あるいは「○○くんのお父さんの姿がまだ遠いから間に合うね」「○○くんのお父さんとすれ違ったね」等々。

そういった会話が車内で交わされていることを家人から聞かされました。

地域のお母さん方に見られている。しかも、ただ見られているだけでなく、時計代わりにされている。

この話を聞いて、私は「小川のカント」たらんと思いました。

そして、背筋を伸ばして歩こう。音楽を聴きながら歌を口ずさむのはやめよう、と。

プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であったイマヌエル・カントは規則正しい生活をすることで有名でした。

特に散歩は時間にぴったりに行われていたため、散歩するカントを見て人々は時計を直したといわれているほどです。

私の場合、規則正しく最寄り駅に向かっているのではなく、徒歩で間に合うぎりぎりの出発時間が午前7時10分というだけの話。

ここが大きな違い。カントと比べるのもおこがましい。

ここまで綴っていたら、カントの墓碑に刻まれている言葉が蘇ってきました。

「ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、 天上の星の輝きとわが心の内なる道徳律」(『実践理性批判』)

というわけで、わが心の内には何らの道徳律もなく、慨嘆するばかりですが、午後8時に信号機が点滅信号になる田舎ゆえ、天上の星の輝きは抜群です。

しかし、それにしても見られているとは知らなかった。


(磐越東線のワンマンカー)

「もしワンマンカーで急にお腹の具合が悪くなったらどうするんですか」。私は車掌の友人に尋ねました。

友人も決して胃腸が強い方ではないという。

「とにかく事前にトイレに何回も行くようにしています。それは常日頃から心がけています」

「車掌さんは走行中でも車内にトイレがあるのでまだ救いがありますよね」

「いや、そういうわけでもないんです」

「だって車内にトイレがあるでしょ」

「普通列車の場合、駅間の距離が短いので、なかなか大変なんです。いわき・水戸間の場合、5両編成で最も東京側の車両にトイレがあります」

「真ん中の車両じゃないんですか」

「そうなんです。下りはいいんですけど、東京方面に行く上りのときは車掌のいる最後尾から運転士のいる車両まで5両移動しないとトイレにたどりつけないんです」

5両はつらい。揺れるし振動もお腹を刺激するに違いない。それは想像しただけでも十分に悲劇を生む条件が満たされていると私は感じました。

「それで、最初の質問なんですけど、運転士が運転中にお腹の具合が悪くなったらどうするんですか。ワンマンカーも含めて」

「指令室に無線を入れて電車を止めます。会社としては無断で止めるのは駄目だけど、連絡さえくれれば止めることは禁じていません」


「そうなんですか。もちろん駅と駅の間で止めるんですよね」

「そうです。急いで用を足しますが3分くらいは遅れちゃいますね」


「3分!?」

3分で済ませる早ワザもすごい。しかしながら、運転席に戻ってから第二波が迫ってきたら、どうするのだろう。

「運転士の運転中のトイレは現実にあります。みんさんふつうに仕事しているように見えますけど、修羅場をくぐってきていますよ」

というわけで、友人の話を聞き、誰しもが艱難辛苦(かんなんしんく)を経て今日があるのだなぁと沁みじみと感じ入りました。


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