(エレンと友達。夏井川にて)


相手はどう思っているかは知りません。でも、気になってしょうがない存在。それが小川地内の夏井川に棲む二羽のハクチョウです。


おそらくは気にかけている地域の人々も少なくないはず。川沿いの国道399号線を通るたびについ姿を追い求めてしまいます。


首を後ろに曲げて二羽揃って昼寝している様子に安堵したり、姿が見えないと心配になったりする私です。


昨冬もシベリアに回帰しなかった通称エレン。今春は頭頂部が灰色の幼鳥と見られるもう一羽も残留組となりました。


この二羽はべったりくっついているわけでもなく、かといって遠く離れているわけでもない。数メートル離れた位置でお互いを意識しつつ自由を謳歌しているように見えます。


幼いころ、私は団体生活が苦手でした。いろんなことについていけませんでした。以前触れたことがあるようにリードオルガンが私は好きではありません。あの足踏みオルガンの音色と幼いころの苦い思い出が結び付いているからです。


ひとりぽつんとしていることもよくありました。他の人と同じような行動を取れない。その切なさを私は早くに味わいました。


そのためか、長じてから読書の対象として山岳小説や漂流物を好むようになりました。新田次郎著『孤高の人』や吉村昭著『漂流』などです。強い生き方に憧れたのかもしれません。


帰還しない二羽のハクチョウを見ていたらそんなことをぼんやりと考えてしまいました。


でも、案外そんなペーソスの漂う話ではなく積極的選択によって夏井川を安住の地にしているのかもしれません。


「エレンさんは去年シベリアに帰らず寂しくなかったのですか」


「ぜーんぜん。夏はたしかに暑かったけどさ、水に入っていれば凌げるし人間どもがエサを持ってくるから食物の心配はしなくていいしね」


「そうですよね。危険を冒して何千キロも飛ぶ方がおかしいですよね」


「そうなんだよ。先祖代々やってきたからと言って踏襲する必要なんかないんだよ。やってみりゃ日本で十分暮らしていける。問題ない。他の奴らがやってるからと同調圧力で渡り鳥ごっこをやってるわけよ」


「ほんとですね。あはは」


ハクチョウの鳴き声が心なしか笑い声に聞こえたのでした。


(夜のアリオスカフェ)

現在のいわき駅。以前は平駅(たいらえき)と称していました。

子どものころ茨城県境の市南部に住んでいた私。最寄駅は植田駅でした。平までは植田、泉、湯本、内郷と北上しなければなりません。

平に行くということは、小旅行であり、「よそ行き」の出来事でした。平と聞いただけで当時は興奮したものです。

楽しみのネタは豊富にありました。

まず、駅ホームの立ち食いそばの店。かき揚げの天ぷらうどんを親に注文してもらいます。当時、市内の駅で立ち食いそばがあったのは平駅だけでした。その意味で別格の位置づけだったのです。

背伸びをしてどんぶりを抱え、真っ黒なつゆの中から白く太い麺をすくい出します。残り汁に漂うふやけたかき揚げとうどんの切れ端を吸い上げます。多幸感に包まれる瞬間です。

向かいの1番線には特急が止まっています。平駅始発の特急は長い時間、ホームに待機しています。特急で一番の目玉は食堂車。

食堂車のキッチンで白く長い帽子を被ったコックさんが忙しそうに動いています。フライパンから上がるオレンジ色の炎を見つめながら私は思いました。

嗚呼、いいなぁ。一度でいいから特急に乗ってみたいな。何を作っているんだろう。食堂車で食べてみたいな。

私の住む日常とは隔絶した異次元の世界がそこにはありました。手の届かないものがあることを皮膚感覚で感じた瞬間でした。電車から発する機械の唸る音とともに憧憬の原風景です。

そして、現在、かつての平駅であったいわき駅に通う日々。ディーゼル車の中できなこ飴を食べて満足する人間になりました。

あの炎の憧憬はいったいどこに行ってしまったのでしょう。いまや逆流性食道炎です。


(あんみつ。好きです)

ソーダアイス色とスイカの果肉の色、そして線香の匂いの織り交ざる世界。それが私の子どものころのお盆のイメージです。

加えて、なぜか新倉イワオさんの存在もそのイメージに重なっています。

お盆とは何なのか。親からも学校でもきちんと教えられた記憶がありません。仏教に由来するのでしょうか。盂蘭盆経は釈迦の教説とは関係がないことは定説となっています。

ほうずきや精霊馬の飾りにインド伝来の仏教とは異なる日本土着のアニミズムを感じます。

父の実家である祖父母の陰気な家。炭鉱で栄えた内郷駅の裏にありました。

南側の庭に小さな池があり、中央に築山と噴水がこしらえてありました。北側の勝手口の外にある水栓にホースをつなぐと水が噴き出すようになっていました。

祖父母の家を訪れるたびに私はホースをつないで噴水を眺めていたものです。そのうち水圧に負けて水栓からホースが外れ、いったん外れ始まると何度水栓につないでも持ちこたえてくれません。

天井から吊り下げられる戒名の記された巨大な盆提灯。ソーダアイス色とともに私には死者の存在を感じさせる物体でした。圧倒的な存在感です。気味の悪さを感じ、正直、片づけてほしいと思っていました。

昼間、祖父と父は囲碁や将棋を打つか、テレビで高校野球を観ていました。座卓にはスイカが切られて皿に盛られ、茹で上げられたとうもろこしとともにハエ除けのネットに収まっていました。

ときおりテレビから聞こえる金属バッドの弾く音。首ふり扇風機の風。子どもの私にとって、間延びした時間を過ごすのは退屈でした。

夕方になると回転櫓盆踊りの音色が聞こえてきます。母に浴衣に着替えさせてもらいます。小さな提灯のろうそくを灯し、回転櫓に向かうのです。横笛の高い音色がだんだんと大きくなってきます。

屋台の発動機のぶーんという音と白熱電球の明かりが私の興奮を助長します。金魚すくいに興じ、綿菓子を食べます。雑踏を歩き疲れ、また祖父母の家に戻ります。

蚊取り線香にいぶされた部屋には蚊帳(かや)が吊ってあります。蚊帳に入る瞬間、何とも言えないわくわく感がありました。

しっかりと記憶にある、これらのお盆の思い出はもう半世紀ほど前の出来事。ソーダアイス色のお盆の思い出です。

なんだか、ソーダアイスが食べたくなりました。


(夏井川)

徒歩通勤の途上、小川郷駅近くの夏井川に架かる橋を渡ります。小川橋と称するコンクリート造りの古く堅牢な橋です。現在、架け替え工事が行われています。

工事看板に現在の古い橋の由来が記されていることに気づきました。

93年前(昭和7年)の6月。小雨の降る日に駅前に住む小学3年生の少女が親類宅に行った帰り、朽ちた木橋の穴から川に転落して水死するという痛ましい事故があったという。


(鴨が遊ぶ小川の田んぼ)

橋の近くに住んでいた県議会議員が「私の近くの県道の橋で、こんな悲惨な事故が起きたのは恥ずかしい」と県当局に強く働きかけ、事故後すぐに改修工事が始まり、昭和11年に現在の橋が竣工。

練りスコ(スコップでセメントを練る)を施した堅牢な橋に仕上がり、当時の平土木事務所もその建設技術を称賛したと後に所長となる担当技師が述べた記録が残っています。小さな橋ながらも風情のある橋です。


(夕暮れの小川)

幾度もの洪水にも耐え抜き、重量車両の往来にもびくともしなかったこの橋も老朽化が進み、ついに架け替えとなりました。

80年前に施工した業者(堀江工業株式会社)が、いま同じく新しい橋梁建設に当たっていることを知り、私は不思議な感慨を覚えました。


(小川の田園風景)

少女の悲劇と2代の橋造りに関わる施工の業者の縁をひとり思いながら橋を渡りました。生きていれば少女は現在、90歳弱。

当時のご両親の心痛はいかばかりであったか。親になってわかる痛み。この頃増えてきました。


(夏井川)

けさは橋を渡る歩みが少し遅くなりました。


(また買ってしまった。にんじんくんです)

就寝少し前になると母はある器具を使って豆炭をガスコンロで火起こししました。

何と呼ぶのでしょうか。名称はわかりません。内側にこんもりと盛り上がった鉄製の網目の付いた鍋のような器具です。

どら焼きを四角にしたような豆炭独特の形状が私は好きでした。いかにも「まめたん」という感じがしたからです。

豆炭がぱちぱちと火の粉を弾き、室内が炭の匂いで充満してきます。我が家の冬の匂いです。“火起こし鍋”の中で豆炭がある程度赤くなるとトングを使ってあんかに移します。

あんかは広辞苑大の大きさで丸みを帯びています。豆炭に比して大げさな大きさに思えました。

二枚貝のように開くあんか。中心のくぼみに豆炭を据え置いたあと、二枚貝のふたを閉じ、カチッと締めます。

このあんかの外側の色は朱色です。にんじんより少し赤みがかった色。朱の墨汁に似ています。

赤い袋状のカバーにあんかを入れて、布団の中に入れて置くのです。寒がりの私はあんかを抱いたり、足裏で挟み込むようにして暖を取りました。

朝、目が覚めてあんかを開けると、豆炭は形こそ豆炭のままですが、冷えてふんわりした灰になっていました。

きっとあの豆炭あんかは石綿がぎっしりと詰まっていたんだろうなぁといまになって思います。

気にしないことが一番。気にしても解決できないことが思ったより多いことにこの頃気が付き始めました。


(磐越東線の鉄橋)

東北電力夏井川第一発電所に行きました。1916(大正5)年12月に運用開始となった水力発電所です。101年の歴史の重みを感じます。

「霜月橋」と名付けられた発電所へ通ずる橋。これを車で渡ります。車幅ぎりぎりです。しばしの橋上の興奮を体験できました。

渡り終えてから、発電所回りの紅葉スポットを探索。

雨の日が多かったからなのでしょうか。いま一つ色鮮やかさに欠けるような気がします。立ち枯れているようにも見えます。


(LOOKが好きです)

紅葉を見ながら、不二家のルック・チョコレートを一口。

以前になかった表示がアルミ箔にあることに気づきました。

バナナ、アーモンド、イチゴ、キャラメルの各味がどこに配置されているかが記されているのです。小さな親切、余計なお世話であります。

世阿弥は「風姿花伝」で訴えています。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」


(霜月橋を渡る)

そう、秘するからこそ花になるのです。わかってしまっては面白くない。

はっきりいって、この4種類のフレーバーの中でバナナはさほど好きではありません。バナナに当たると少しがっかりします。

にもかかわらず、「東京ばな奈」は好きだという天邪鬼。

さて、舌上のLOOKの序列は、イチゴ→アーモンド→キャラメル→バナナとなります。

だからといって、バナナがなくなればいいというのではない。


(重厚な造りの夏井川第一発電所)

ここが不思議です。

好きではないが、なくても困る。4種類があって私の好きなイチゴが引き立つ。4分の1の確率でイチゴに出逢ううれしさ。ここが大事なのだろうと私は思います。

したがって、4種類のフレーバーの位置が明らかにされたパッケージは私の意図する喜びを台無しににしてしまうのです。

イチゴかな、キャラメルかな等と舌のリハビリよろしく、己の味蕾(みらい)を試す。これが不二家LOOKの楽しみ方なのだと私は声を大にして申し上げたいのであります。

チョコレートと4種類のフレーバーの妙なるハーモニーは錦秋織りなす夏井川の渓谷のようでした。


(休日出勤のあさ。撮影後、肩がつりました)

午前10時に仕事。しかし、2時間前に着く列車に乗って行く私。以前「経年変化」で述べたように早く行かないと落ち着かなくなりました。

家を出て小川郷駅に向かって歩き始めます。日差しが強い。オゾン層が薄くなっているのか、紫外線を感じます。いや、皮膚が弱くなっているのか。

県道を横切ろうとするとマムシがいました。センターラインの手前で休んでいます。暑いのでしょう。変温動物はつらい。

「そんなところにいたら車に轢かれちゃうよ」

手を叩いて気づかせようとしました。ヘビは音には反応しないのでしょうか。S字を描いたままじっとしています。

ヘビは苦手です。にもかかわらずときおりヘビの夢を見ます。「初期化」で言及したことがあります。

ヘビの後ろ姿にエールを送りつつ、川沿いの道に向かいます。


(アユの友釣り)

アユ釣が解禁となりました。友釣りをしている太公望が数人。縄張りを持つアユの習性を利用しての友釣りです。

川で泳いでいるアユにとって侵入者(侵入魚?)は、少なくとも「友」ではないでしょう。

ポイントを変えるためか、釣り人が竿を上げました。「友」のぐったりしている姿が見えました。けっこうなストレスだと思います。

川沿いから田んぼの広がる農道に入ります。1匹の立派なミミズが用水路に向かってくねって進んでいます。

「もう少しだ。がんばれ」

ミミズは水のあることをどうしてわかるのでしょう。皮膚で湿度を感じるのでしょうか。

見事に用水路にダイブしました。じつに気持ちよさそうに泳いでいます。サウナのあとの冷水風呂を想いました。


(車内はほどよく冷えています)

「川で魚に喰われるなよ」

束の間の快楽には危険が潜んでいます。流れ行くミミズの安穏無事を思いました。

どれ、仕事に行くべ。


(岩間町から火力発電所を望む。知人から画像をいただきました)

火力発電所の風景写真です。生まれ育った思い出の地です。潮の香りとともにあふれる思いが込み上げてきます。

海岸ではハマグリに似たコダマガイが面白いように採れました。当時、海岸は中洲のようになっていて、渡し船で渡りました。

砂の中からこれでもかというほど貝を“発掘”しました。異常繁殖していたのでしょうか。

川の浜辺ではシジミやアサリが棲んでいました。河口の淀んだ水辺ではウナギがよく釣れました。ハゼやタイなども釣り上げました。

子どものころ、魚介類は買うものではなくて自らの手で採るものだと思っていました。

アメフラシ(ウミウシ)を採っては揉み上げ紫色の墨を吐かす。フグを釣っては、防潮堤のコンクリートの壁に打ち付けて破裂させていました。

ワナを仕掛けてスズメを獲り、お腹の白い部分をマジックで色を塗り、放しました。間近で見て、スズメというものが意外に可愛くないことがわかったのもこのときでした。

近くの材木工場の空き地にはカブトムシが幼虫がざっくざく眠っていました。採集して自分のカゴにおがくずといっしょに入れておきました。

あの幼虫の腰の曲がったぷりぷりした様が氷で着膨れした冷凍のむき海老に見えてしまう。だから、冷凍むき海老は買いません。

ガマの穂が茂る、社宅の裏の小さな沼にはアメリカザリガニが気味が悪いくらいに繁殖していました。

人間の気配を感じると後ろ向きに一斉に逃げる。余計に釣り上げてやろうと闘争心が燃えました。

ザリガニを釣っては胴体をパキパキ割って共喰いをさせていました。

子どもというものは残酷な一面があるものだと我ながら思います。

発電所に三交代勤務で働く父に母親の作った弁当を届けるのは私の役目でした。アルマイトの素朴な弁当箱が温かく母の温もりが伝わってきました。

その両親もすでになく、この思い出の地もまた津波に襲われ一変しました。

でも、発電所脇の河津桜は季節を忘れず花を咲かせてくれます。ちょうど自分の誕生日のころに満開になります。


ひとり静かに桜花爛漫を楽しもうかな。春になったら潮の香りとともに...。


(上空から見る夜景は切なくなります)

ありきたりの風景を備忘録として2題。日常のふとしたことに人生の「をかし」が転がっているような気がします。

1題目は、締めるべきかどうかの迷い。

トイレで私以外に小用者がいる場合、先に済ませ手を洗っている最中、迷うことがあります。

それは、手を洗い終える間際に隣でジッパーを上げる音がするときに起こります。

トイレの蛇口は何度も触りたいと思う代物ではありません。

ですので、私が手を洗い終えようとするときに、後ろ控えている人がいる場合は、蛇口を締めずに水を流したままにすることがあります。

蛇口に触れずに手洗いができるだろうとの小さな親切心の発露です。

いずれにしても、洗ったあとに締める動作は残っていますが、先に開ける動作がスキップされるという小さなラッキー感を味わえるのではないか、と思うのです。

あの蛇口は調べたことはありませんが、汚いはずです。

でも、蛇口に触れる瞬間、私たちは、そのことを無意識下に押しやり、考えないようにしているのです。

さて、小用する隣人の話に戻します。

ジッパーを上げたあと、手洗い体勢にスムーズに移行できない人がまれにいます。

これが困る。そうすると、水がむなしく流れ落ちるだけ。

おそらく、小用者も「この人なんで水を流しっぱなしにしているのだろう」と思っているはずです。

このタイミングが難しい。高度な判断を迫られるのです。

というわけで、いっそのこと、後ろに待機者がいる場合でも、その都度、きっちり蛇口は締めたほうがいいのではないか。

最近はそんなふうに思っています。

もう1題の「をかし」は、よく考えたら、上述以上にくだらないことだと気付いたので、今回はこの辺で筆を置きたいと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


(花はいいですね)

お盆の時期、子どものころから苦手なのが、あの回転する行灯。ガリガリ君ソーダ色をベースとした行灯の内壁を淡い光が照らし出すやつです。

新盆を演出する回転行灯。じつはモーターは付いていません。

行灯の内部にある色付きのセロハンの巻かれた筒が重要な役割を果たしています。

筒の上方に羽根があり、白熱灯で温められた空気の上昇気流によって、筒が回る仕組みになっています。気象学的にいえば、低気圧が発生しているのです。

ですから、対流の起こらない国際宇宙ステーションでは、回転行灯は回転しません。無重力状態では、モーター付きの回転行灯が必要となります。

ところで、新盆で飾られるこの回転行灯はいったいなんのためにあるのか。なにを演出しようとしているのか。

新盆を迎えた訪問先でガリガリ君ソーダ色の、この行灯を見ると、私はふと思うのです。

あの世を模した世界を演出しようとしているのか。はたまた、涼を求めての演出なのか。

仮にお盆が真夏でなく、真冬にあったとしたら、回転行灯の色は、一世代前の昭和なコタツのように赤色を中心とした配色になったのではないかと私は想像します。

回転行灯が苦手な理由はなにか。それは、新倉イワオの「怪奇特集!あなたの知らない世界」を想起させるからです。

放送当時、お盆の時期には、夏休み特集を組み、恐怖を一層煽っていました。

「あなたの知らない世界」のなにが怖かったか。

それは、再現ドラマが、演技を超えたリアル感に満ちていたことです。胸をドキドキさせながら、画面に引き込まれていきました。

もちろん、新倉イワオさんの存在も、その名前とともに恐ろしさ満載でした。

新倉さんが「笑点」の企画・構成を亡くなるまで携わっていたなど、想像できません。

というわけで、子どものころ見ていたテレビの影響というのは、意外に侮れないものだと最近気づき始めました。

テレビによって脳がかなり蝕まれているようです。毒には毒をもって制すということで、任侠映画に没入しつつある今日このごろです。


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