(磐越東線の鉄橋)

東北電力夏井川第一発電所に行きました。1916(大正5)年12月に運用開始となった水力発電所です。101年の歴史の重みを感じます。

「霜月橋」と名付けられた発電所へ通ずる橋。これを車で渡ります。車幅ぎりぎりです。しばしの橋上の興奮を体験できました。

渡り終えてから、発電所回りの紅葉スポットを探索。

雨の日が多かったからなのでしょうか。いま一つ色鮮やかさに欠けるような気がします。立ち枯れているようにも見えます。


(LOOKが好きです)

紅葉を見ながら、不二家のルック・チョコレートを一口。

以前になかった表示がアルミ箔にあることに気づきました。

バナナ、アーモンド、イチゴ、キャラメルの各味がどこに配置されているかが記されているのです。小さな親切、余計なお世話であります。

世阿弥は「風姿花伝」で訴えています。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」


(霜月橋を渡る)

そう、秘するからこそ花になるのです。わかってしまっては面白くない。

はっきりいって、この4種類のフレーバーの中でバナナはさほど好きではありません。バナナに当たると少しがっかりします。

にもかかわらず、「東京ばな奈」は好きだという天邪鬼。

さて、舌上のLOOKの序列は、イチゴ→アーモンド→キャラメル→バナナとなります。

だからといって、バナナがなくなればいいというのではない。


(重厚な造りの夏井川第一発電所)

ここが不思議です。

好きではないが、なくても困る。4種類があって私の好きなイチゴが引き立つ。4分の1の確率でイチゴに出逢ううれしさ。ここが大事なのだろうと私は思います。

したがって、4種類のフレーバーの位置が明らかにされたパッケージは私の意図する喜びを台無しににしてしまうのです。

イチゴかな、キャラメルかな等と舌のリハビリよろしく、己の味蕾(みらい)を試す。これが不二家LOOKの楽しみ方なのだと私は声を大にして申し上げたいのであります。

チョコレートと4種類のフレーバーの妙なるハーモニーは錦秋織りなす夏井川の渓谷のようでした。


(休日出勤のあさ。撮影後、肩がつりました)

午前10時に仕事。しかし、2時間前に着く列車に乗って行く私。以前「経年変化」で述べたように早く行かないと落ち着かなくなりました。

家を出て小川郷駅に向かって歩き始めます。日差しが強い。オゾン層が薄くなっているのか、紫外線を感じます。いや、皮膚が弱くなっているのか。

県道を横切ろうとするとマムシがいました。センターラインの手前で休んでいます。暑いのでしょう。変温動物はつらい。

「そんなところにいたら車に轢かれちゃうよ」

手を叩いて気づかせようとしました。ヘビは音には反応しないのでしょうか。S字を描いたままじっとしています。

ヘビは苦手です。にもかかわらずときおりヘビの夢を見ます。「初期化」で言及したことがあります。

ヘビの後ろ姿にエールを送りつつ、川沿いの道に向かいます。


(アユの友釣り)

アユ釣が解禁となりました。友釣りをしている太公望が数人。縄張りを持つアユの習性を利用しての友釣りです。

川で泳いでいるアユにとって侵入者(侵入魚?)は、少なくとも「友」ではないでしょう。

ポイントを変えるためか、釣り人が竿を上げました。「友」のぐったりしている姿が見えました。けっこうなストレスだと思います。

川沿いから田んぼの広がる農道に入ります。1匹の立派なミミズが用水路に向かってくねって進んでいます。

「もう少しだ。がんばれ」

ミミズは水のあることをどうしてわかるのでしょう。皮膚で湿度を感じるのでしょうか。

見事に用水路にダイブしました。じつに気持ちよさそうに泳いでいます。サウナのあとの冷水風呂を想いました。


(車内はほどよく冷えています)

「川で魚に喰われるなよ」

束の間の快楽には危険が潜んでいます。流れ行くミミズの安穏無事を思いました。

どれ、仕事に行くべ。


(岩間町から火力発電所を望む。知人から画像をいただきました)

火力発電所の風景写真です。生まれ育った思い出の地です。潮の香りとともにあふれる思いが込み上げてきます。

海岸ではハマグリに似たコダマガイが面白いように採れました。当時、海岸は中洲のようになっていて、渡し船で渡りました。

砂の中からこれでもかというほど貝を“発掘”しました。異常繁殖していたのでしょうか。

川の浜辺ではシジミやアサリが棲んでいました。河口の淀んだ水辺ではウナギがよく釣れました。ハゼやタイなども釣り上げました。

子どものころ、魚介類は買うものではなくて自らの手で採るものだと思っていました。

アメフラシ(ウミウシ)を採っては揉み上げ紫色の墨を吐かす。フグを釣っては、防潮堤のコンクリートの壁に打ち付けて破裂させていました。

ワナを仕掛けてスズメを獲り、お腹の白い部分をマジックで色を塗り、放しました。間近で見て、スズメというものが意外に可愛くないことがわかったのもこのときでした。

近くの材木工場の空き地にはカブトムシが幼虫がざっくざく眠っていました。採集して自分のカゴにおがくずといっしょに入れておきました。

あの幼虫の腰の曲がったぷりぷりした様が氷で着膨れした冷凍のむき海老に見えてしまう。だから、冷凍むき海老は買いません。

ガマの穂が茂る、社宅の裏の小さな沼にはアメリカザリガニが気味が悪いくらいに繁殖していました。

人間の気配を感じると後ろ向きに一斉に逃げる。余計に釣り上げてやろうと闘争心が燃えました。

ザリガニを釣っては胴体をパキパキ割って共喰いをさせていました。

子どもというものは残酷な一面があるものだと我ながら思います。

発電所に三交代勤務で働く父に母親の作った弁当を届けるのは私の役目でした。アルマイトの素朴な弁当箱が温かく母の温もりが伝わってきました。

その両親もすでになく、この思い出の地もまた津波に襲われ一変しました。

でも、発電所脇の河津桜は季節を忘れず花を咲かせてくれます。ちょうど自分の誕生日のころに満開になります。


ひとり静かに桜花爛漫を楽しもうかな。春になったら潮の香りとともに...。


(上空から見る夜景は切なくなります)

ありきたりの風景を備忘録として2題。日常のふとしたことに人生の「をかし」が転がっているような気がします。

1題目は、締めるべきかどうかの迷い。

トイレで私以外に小用者がいる場合、先に済ませ手を洗っている最中、迷うことがあります。

それは、手を洗い終える間際に隣でジッパーを上げる音がするときに起こります。

トイレの蛇口は何度も触りたいと思う代物ではありません。

ですので、私が手を洗い終えようとするときに、後ろ控えている人がいる場合は、蛇口を締めずに水を流したままにすることがあります。

蛇口に触れずに手洗いができるだろうとの小さな親切心の発露です。

いずれにしても、洗ったあとに締める動作は残っていますが、先に開ける動作がスキップされるという小さなラッキー感を味わえるのではないか、と思うのです。

あの蛇口は調べたことはありませんが、汚いはずです。

でも、蛇口に触れる瞬間、私たちは、そのことを無意識下に押しやり、考えないようにしているのです。

さて、小用する隣人の話に戻します。

ジッパーを上げたあと、手洗い体勢にスムーズに移行できない人がまれにいます。

これが困る。そうすると、水がむなしく流れ落ちるだけ。

おそらく、小用者も「この人なんで水を流しっぱなしにしているのだろう」と思っているはずです。

このタイミングが難しい。高度な判断を迫られるのです。

というわけで、いっそのこと、後ろに待機者がいる場合でも、その都度、きっちり蛇口は締めたほうがいいのではないか。

最近はそんなふうに思っています。

もう1題の「をかし」は、よく考えたら、上述以上にくだらないことだと気付いたので、今回はこの辺で筆を置きたいと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


(花はいいですね)

お盆の時期、子どものころから苦手なのが、あの回転する行灯。ガリガリ君ソーダ色をベースとした行灯の内壁を淡い光が照らし出すやつです。

新盆を演出する回転行灯。じつはモーターは付いていません。

行灯の内部にある色付きのセロハンの巻かれた筒が重要な役割を果たしています。

筒の上方に羽根があり、白熱灯で温められた空気の上昇気流によって、筒が回る仕組みになっています。気象学的にいえば、低気圧が発生しているのです。

ですから、対流の起こらない国際宇宙ステーションでは、回転行灯は回転しません。無重力状態では、モーター付きの回転行灯が必要となります。

ところで、新盆で飾られるこの回転行灯はいったいなんのためにあるのか。なにを演出しようとしているのか。

新盆を迎えた訪問先でガリガリ君ソーダ色の、この行灯を見ると、私はふと思うのです。

あの世を模した世界を演出しようとしているのか。はたまた、涼を求めての演出なのか。

仮にお盆が真夏でなく、真冬にあったとしたら、回転行灯の色は、一世代前の昭和なコタツのように赤色を中心とした配色になったのではないかと私は想像します。

回転行灯が苦手な理由はなにか。それは、新倉イワオの「怪奇特集!あなたの知らない世界」を想起させるからです。

放送当時、お盆の時期には、夏休み特集を組み、恐怖を一層煽っていました。

「あなたの知らない世界」のなにが怖かったか。

それは、再現ドラマが、演技を超えたリアル感に満ちていたことです。胸をドキドキさせながら、画面に引き込まれていきました。

もちろん、新倉イワオさんの存在も、その名前とともに恐ろしさ満載でした。

新倉さんが「笑点」の企画・構成を亡くなるまで携わっていたなど、想像できません。

というわけで、子どものころ見ていたテレビの影響というのは、意外に侮れないものだと最近気づき始めました。

テレビによって脳がかなり蝕まれているようです。毒には毒をもって制すということで、任侠映画に没入しつつある今日このごろです。


(写真家の友人が撮影)

親しく交誼をいただいている友人の写真を見て、ふと、子ども時代の「秘密基地」を思い出しました。

友人は、毎日、花や風景を中心とした優れた写真をアップしていて、インスピレーションを掻き立てられます。

さて、父が勤めていた火力発電所は福島県浜通り南部を流れる鮫川の河口にあり、社宅も同様に河口に隣接していました。

河口の土手にはススキが群生していました。社宅に住む子どもたちにとってそのススキの群生地は格好の遊び場。いわば秘密基地でした。

「基地に行こう」といえば、そのススキが繁茂する場所に行くことを意味していました。

秘密基地は、枯れススキになってからが面白い。背丈を超えるススキを踏み倒し、トンネルのような秘密の通路を作ります。

そして、奥まったところに自分と仲間だけのエリアを確保し、秘密基地とするのです。

北風の吹く真冬でもススキに覆われた秘密基地は、意外なほど暖かく、そして静寂が漂っています。

床もススキを踏み倒して作っているため、ちょっとイガイガ感はありますが、快適です。

秘密基地にいると、支配者となったような、なんともいえない不思議な心地よさがありました。その感覚を表す適切な言葉が見つかりません。

そしてまた、秘密基地を出るときは、「現実世界に戻るのだ、ここは仮の場所なのだ」という、ちょっぴり残念な思いを残しながら、去るのでした。

写真家でもあり、阿佐ヶ谷の中央花壇に勤める友人の写真を見て、脳髄の奥にしまってあった遠い記憶がよみがえりました。


(マネキン案山子)

先日の未明、夢を見ていて大声を出してしまいました。

なぜか露店で柏餅を買う私。その帰り道、古びた公共施設の薄暗いロビーでソファに腰掛けていました。

話に脈絡がないのは、夢なので勘弁してください。ロビーの奥にあるピアノがじりっじりっと動いていることに気づきました。ちょっと嫌な予感。

次の瞬間、ピアノが空中に舞い上がり、私に襲いかかってきたのです。思わず、あ〜っと大声を出して、目が覚めました。緊急時に意味のある発語は困難だと学びました。

柏餅とピアノ。いったいなにを意味するのか。

柏餅は好物で、餅は“プレーン”よりも“よもぎ餅”が好きです。よもぎの香りの主成分「シネオール」はいい香りです。でも、桜餅の香り「クマリン」は苦手。「クマリン」については以前「官能試験とクマリン」で触れています。

さて、田んぼは、いま実りの季節を迎えています。スズメやカラスの食害を防ぐため、案山子(かかし)が立てられ始めました。

近所にマネキンを使ったリアルな案山子があります。昨年、目が見開いたままその案山子が畦道に仰向けに倒れていました。スズメにとってはなんでもなくても人間には脅威です。

それにしても、案山子という字は難しいですね。美人局(つつもたせ)と同様に漢字と読みが一致しません。

これだから日本語は嫌いです。フランスの自動車メーカー「ルノー」の綴り「Renault」がむしろまだ親切に感じてしまいます。

案山子って効果があるのでしょうか。田んぼを見ながらいつも思うのです。

案山子のかたちはバラエティに富んでいます。人の姿以外にも、きらきら光るテープであったり、大きな目をしたラグビーボール状のものであったり、CDをぶらさげただけのものもあります。


(「ヘルメットを被ったユニークな案山子」としてウィキペディアに紹介されている案山子。怖いです)

反対にウィキペディアにあるような人間に似過ぎのリアルな案山子もあります。

これだけ多種多様な案山子があるということは、効き目がないことの証なのでしょう。きっと。

たぶん気休めというか、習わしでやっているのでしょうね。そんなふうに私は思います。

本来「かかし」は「かがし」だといわれています。むかしは、獣肉を焼き焦がして串に通し、地に立て、その匂いで鳥獣を追い払ったようです。

ちなみに我が家の庭木に大群をなして止まっているスズメたちは、威嚇しても動じません。私もなめられたものです。

ここで「糞害に憤慨してる」といったオヤジギャグを言わないのがスマートなブログの秘訣です。

追伸:さだまさしの「案山子」。いい歌ですが、語尾に「か」が多用されていて、つい答えたくなります。


♪元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る♪


→元気だし街にも慣れたし友達もいるし寂しくはないけど、お金はない。


2年間の寮生活に別れを告げ、私は清水荘という四畳半のアパートを借りました。「常勝の間」という12人部屋での寮生活は生涯忘れられないでしょう。

清水荘の家賃は1万5千円。東京郊外とは言え破格の家賃でした。

1階部分は月極駐車場。2階部分に四畳半の部屋が土間の中廊下を挟んで3部屋ずつ合計6部屋あり、いずれも男子学生が住んでいました。トイレ・風呂・洗濯機は共同使用。

ある日、弟がひょっこりとやってきました。おそらく親の差し金でしょう。幕府の隠密の如く、生活状況を探索に来たに違いありません。

トイレに行った弟が、目を真っ赤にし涙を流しながら部屋に戻ってきました。「兄貴、あんなくさいトイレでやってんのか」と。

汲み取り式のトイレです。

トイレが2階にあるため、便槽からの臭気が速力のある上昇気流となって便座の穴から吹き上がってくるのです。

外に設置してある「臭突」は口径が狭いため、流体力学上、便槽からの臭気が逃げていきません。

それにしても、斜めにうらびれて立つ「臭突」に物の哀れというか、郷愁のようなものを私は感じます。

真夏だったせいもあり、臭気に嫌気をさした弟はすぐに実家に帰ってしまいました。

そんなある日、タイの大学での交換留学を終えたK先輩が私の部屋に居候することになりました。

イケメンで優秀な先輩なのですが、ちょっと変なところがあり、私と波長が合いました。

あるとき、唐突に先輩が「屁って燃えると思う?」と尋ねてきました。

「さあ、どうでしょうね。メタンガスですからね」と私。

すると、K先輩はごろんと仰向けになり、お尻を天井に向けて上げて、ライターをかざすではありませんか。

そして、ライターに向けておならを発し、見事に発火したのです。

「百聞は一見にしかず」とはまさにこれだと思いました。ほんとうに屁が燃えるということに私は感動すら覚えました。

震災後、K先輩はタイから真っ黄色に熟した美味しいマンゴーをたくさん送ってくださいました。

スーパーでマンゴーを見ると、四畳半での発火事件を思い出し微笑んでしまうだいこんくんなのでした。


ちょうど四半世紀前、私はタイ・バンコクにある大学院への進学をあきらめ、地元に戻ってきました。両親がともに病に倒れ、入院してしまったからです。

私は北茨城市の五浦海岸に友人を誘いました。その友人は国家公務員一種試験に合格したにもかかわらず、卒業単位が足りず留年することになり、意気消沈していました。

岡倉天心が創建した六角堂を二人で逍遥しました。五浦は、岡倉天心が失意と挫折から蘇生した地です。私たちは海を見たまま無言でした。

五浦の海を見渡しながら、いつかまたこの大海原を越えて、外国に行こうと私は胸の奥深く決意しました。友人も頑張ろうと決意したようでした。

友人は翌年も国家公務員一種試験に合格し、そして無事卒業して入省しました。

その5年後、私は文字通り太平洋を越えて、カナダ・モントリオール大学に派遣研修の機会を得ました。


五浦は、私にとって再生の地であり、原点でもあります。

先日、大好きな親友を五浦に案内しました。以前から見せたいと思っていました。親友は五浦を逍遥しながら、なにを感じたでしょうか。


今日は全国的に雪模様ですね。

新沼謙治「津軽恋女」にこんな歌詞があります。ちなみに私は音痴なので歌いません。

津軽には七つの雪が降るとか
こな雪 つぶ雪  わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪

しかし、七つのうち三つは積雪の状態を表す言葉だそうで、結果として津軽では「七つの雪」は降らないそうです。

つまり、津軽の降雪の種類は四種類。妥当なところです。私もそんなに雪の種類があるわけないと思っていました。

雪といえばちょっといやな思い出があります。真冬にカナダ・ケベックの州都・ケベックシティを旅したときのことです。

鉄道を使った一人旅です。雪道で何度も転倒し、やっと駅舎に着きました。ベンチに座って靴を脱いで、しばし乾かしていました。

そうしたところ、少し遠くにいた駅員が険しい顔つきで私に対し、靴を履きなさいと大きな声で注意したのです。


(叱責を受けたカナダ製の靴。いまも気弱に活躍中)

公衆の場で靴を脱ぐのが失礼にあたるというのはわかっていましたけど、なにも声高に注意しなくてもいいんじゃないか、いまでもちょっと憤りの思いが消えません。


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