(私のオアシス「讃香」)

先日エントリーした「サシオフ」の続編です。ネット業界を熟知しているYさん。じつは自身の投稿で苦い思い出があるという。

ある日、自信をもって制作した動画作品を投稿。多くの賞賛のコメントが寄せられる中、数はわずかではあるものの誹謗中傷のコメントが書き込まれたそうです。

そのときの心境についてYさんはいう。

「『死ね』や『二度とアップするな』といった心無い言葉にひどく傷つきました」

ところが、とYさんはその話のつづきを語ってくれました。ある人の言葉により心の回復を果したのだと。


(飲み会後のぜんざい。身体に毒だとはわかっていても...。「讃香」にて)

「そういった心無い非難のコメントが寄せられたということは、作品が末端まで届いた証である。そうとらえることが大事です」

末端まで届いた。要するに、すべての層に行き渡ったということを意味するのでしょう。

心温まる励ましの言葉で救われたYさん。

それ以来、誹謗中傷のコメントがあってもYさんは気にしなくなったそうです。

次元は異なりますが、Yさんを励ました言葉は、偽造品の話を想起させます。

「偽造品が世に出回るようになって初めて本物となる」

換言すれば、一流の製品というものは、偽造される宿命にあるともいえましょう。

逆にいえば、偽造品が出回らないうちは一流になっていないといえるかもしれません。

というわけで、「星々のつぶやき」もまだまだだなと思っています。

願わくば、地より湧き出でよ、無数のフェイクだいこんくん!


(地魚料理「東や」)

「星々のつぶやき」の愛読者であるYさんとの約1年ぶりのオフ会。私の生まれ育った植田町で催していただきました。

ブロガーとファンとの交流をオフ会と称します。中でも一対一のオフ会を「サシオフ」というのだそうです。

前回のサシオフは「たまゆらの語らい 〜ITろくろ〜」で紹介しています。

「サシオフってどういうことですか」

「要するに差しでオフ会をするという、ネットスラングです。もう古い言葉ですよ」

「初めて聞きました。勉強になります」

話題は縦横無尽。古生代の三葉虫からサザエさんの視聴率の低迷に至るまで多岐に。

まず、最近のエントリー「時計代わりにされていた私」の読後感に言及。

哲学者のカントが登場したことで書き手が読者に対してフィルタリングをかける効果が認められるとの指摘を受けました。

いわば“逆フィルタリング”。通常はユーザーがサービスを制限する。そのフィルタリングが逆転している、と。

「カントなんて知らねーしっていう人が必ずいます。そういう人を寄せ付けないフィルタリングです」

ネットの世界を知悉している業界人ならではの見立てだと思いました。

サザエさんの視聴率の低迷については、早晩そういった事態が起きることは予想されていたという。

にもかかわらず、手を打ってこなかったところに問題がある、と。

まるで、サザエさんのスポンサーの運命と軌を一にしているかのよう。

「もうあの家族構成はいまの日本にはあり得ない設定なんですよ。それを続けてきた」


(芳醇な香りが湧き立つ「勿来の関」)

純米酒「勿来の関」を飲みながら、話題は「星々のつぶやき」の誕生の経緯に。詳細は割愛します。

「ところで、読者のオフ会をやってみたい気持ちがあるんですけど、気恥ずかしさが立って自分ではやれない。幹事を務めてくれる人がいるといいんですけど」

下心を持って切り出しました。

「インパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将がのちに『(作戦の中止を)私の顔を見て真意を察して欲しかった』といっていますけど、上官に対して『察してください』じゃだめなんです」

「思っている本人が言葉にして実行しなければならないということですね」

「そうです。やるなら、やるということです」

忖度を頼む私の弱い心に100万ボルトの電撃が走りました。

最後に私のお気に入りのエントリー「我が家のビオトープ」を朗読。Yさんは呵々大笑してくれました。

午後9時半、サシオフ終了。「東や」を辞し、二人で植田駅に向かいました。

Yさんは常磐線上り方面、私は下り方面。再会を約し別れました。


(心癒される画風です)

20年前のことです。カナダ・モントリオールに滞在中、ダウンタウンの複合商業施設によく行きました。

いまもあるのかどうかわかりません。

フォーボーグという名の複合商業施設です。私の大のお気に入りでした。

3階だったでしょうか。フードコートに世界各国の料理店が屋台のように並んでいました。

タイ料理の店もあり、その店主からタイ政府から派遣されていた職員を紹介してもらったこともあります。

怪しげなすし店もありました。まな板に置いたこんもりとした酢飯の山を両手で粘土細工を作るかのように分割して、すしを作っていました。

“握る”という動作は見られませんでした。

フォーボーグにはテラスがありました。中庭にはカエデの木が繁っています。

初夏から初秋にかけてはそよ風に吹かれながらテラスで英語やタイ語の個人レッスンを受けていました。

英語の先生は画家を目指すアメリカ生まれのユダヤ人。タイ語の先生はタイ政府の職員でした。

英語の先生は私より少し年上の男性。タイ語の先生は女性で私より若く、当時20代後半だったと記憶しています。

いつも極めて短いミニスカートを履いていました。しかも、ぱっつんぱっつん。学習環境としては適切ではなかったように思います。

露出度の高い脚を組んでレッスンに臨む姿は政府職員というイメージからはかけ離れていました。

さて、レッスンのあと、なにげに商業施設の中を散策していました。するとフリースペースで絵画の個展が開かれていることに気がつきました。

画家は、どこかで見覚えのある名前です。そう、『地球の歩き方』のカナダ・東部編によく登場していたYuji Yokoyama(横山雄二)さんだったのです。

モントリオールを拠点にカナダや日本の風景などをパステルで描いているということでした。

その後、ご自宅に招かれ、すき焼きをご馳走になったり、日本での個展などにお邪魔したりするなど交流させていただいています。

来週、大阪で個展が開催されるとのお知らせが届きました。あいにく伺うことができません。心癒される素敵な作品です。

お近くにお住まいの方はぜひ足をお運びください。

期間 2月22日(水)〜28日(火)午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)

会場 近鉄百貨店 近鉄上本町店8階アートギャラリー(大阪市天王寺区)


(好きじゃないけど気になる葉牡丹)

忘れていた遠い記憶が沼地の底から浮かび上がるガスのように断片となって意識の領域を通過することがあります。

いわき駅の前の旧平駅の駅ビル「ヤンヤン」。そこにあった喫茶店の名前が思い出せません。東南アジア系の名称だったように思います。

「バリ」だったような気がしますが確証が持てません。

異国情緒満点でした。大人の雰囲気に彩られ、子どもが容易に近づけないなにかがありました。

なぜそんなことを思い出したのでしょう。

ところで、どうもこの頃、頭が靄(もや)がかかっているようですっきりしません。目覚めのときに軽い鬱屈感(うっくつかん)があります。

気象用語では、視程1km未満の状態を「霧(きり)」、視程1km以上10km未満を「靄(もや)」と呼ぶそうです。要するに1km先を見通せないときに「霧」を使います。

その意味では私の脳を覆っているのは「靄」ではなく、より濃い「霧」なのかもしれません。特段の原因は見当たりません。

最近の若者言葉でいえばバイブス(vibes)が上がらないということでしょうか。

先日、鬱(うつ)に悩む友人と食事を共にしました。

兵庫県出身の女将さんが切り盛りする、いわき四倉「くさの根」で海鮮丼を食らいました。

鬱に悩むという表現は正確ではありません。職場の人間関係に悩み、鬱を発症したのです。鬱という病気に悩んでいるのではなく、苦悩の結果が鬱なのです。

ゆっくりと穏やかに友人と対話をしました。別れてから、私と話す中でアインシュタインの言葉を思い出したとメッセージを送ってきてくれました。

「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」

与えられる自分になりたいと添えられたメッセージに対し、私は伝えました。

「焦る必要はないよ」と。

彼からは十分に私は与えてもらっています。私自身が職場の人間関係で悩み一番しんどいに彼は素晴らしい歌声で私を励ましてくれました。

「励まし」は、万の力と綴ります。彼からもらった万の力を私は忘れません。


(100倍届いたからといってどうなのか。でも美味しい)

週が明けても厳しい状況には変わらず、善後策を鳩首凝議(きゅうしゅぎょうぎ)。

どうにも元気が湧いてこないなぁと思った矢先、上司から「相田みつを美術館」のお土産をいただきました。

「ありがとうございます。私も相田みつをさんの作品が好きで二度ほど美術館に行っているんです」

「やっぱりそうげ、好きなんじゃないかなって思って買ってきたんだ」

「見どころの多い美術館ですよね。私を元気づけようと思って買われたんですよね」

「んだよ。そう」

心の中にほっこりと温かいものが流れてきました。状況に変化はないのに気分が変わる。これが人の力なのでしょうね。

頂戴したのは卓上カレンダー。

1月に記されているのは「道」という詩。

道はじぶんで
つくる
道は自分で
ひらく
人のつくったものは
じぶんの道にはならない

ところで、退職した元上司にランチのお誘いをいただき、昼食を一緒にしました。

現在は文字通り晴耕雨読の日々という。

仕事を共にしたときのことをいまでも私に感謝の言葉で伝えてくださる、その謙虚さに感銘を受けました。

「あのときはすごかったね。当時の部長に先日会う機会があったけど、すごかったっていってたよ」

「あのときは上司、スタッフのすべての歯車ががっちりと噛み合って大回転していた感じですね。大きな原点になっています。ありがとうございます」

元上司の言葉にじんわりと心の中に暖炉が灯ったような気がしました。励ましをいただいた上、すっかりご馳走になってしまいました。

御礼のはがきをしたためポストに投函。

あしたはきょうより少し頑張れそうです。


(イルミネーションは一人で見るとただの小さい電球)


人にいえない場所に白髪が生えている悩みを吐露できるのは同性の同窓生だけです。たった二人の同窓会を催しました。

美容師の預言について友人が話し始めました。

「十数年前に美容師の友達に俺の頭をじっと見つめられてさ、いわれたんだよ」

「なんて」

「このままだと将来ハゲるって。タンパク質の摂取と体温を上げないと駄目だって」

「タンパク質と体温が大事なんだ。その美容師さん、預言者だね」

「そんときは髪がふさふさあったから気にも留めなかったけど、ちゃんと実行しておけばよかったよ。後悔してる」

「髪が抜けていくって物悲しいね。安倍総理はなんであんなに濃いんだろうね」

「んだね。最近さ、髪もそうだけど、記憶力がすごい落ちてさ、どうすればいいんだろう」

「そうなんだよ。携帯にかけてさ、相手が出なくて、少し経ってから相手方から折り返し電話があるときあるじゃない」

「あるね」

「相手からかかってきたとき、自分がなんでその人に電話したのか思い出せないことがあるんだよ」

「あるある。そんなのしょっちゅだよ」

「やっぱりあるんだ。悲しいね」

「どうしたらいいんだろう。いやになっちゃうね」

草野心平の詩「秋の夜の会話」のようなやり取りになっていきました。

「友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる」とはドイツの詩人シラーの言。

私の場合、特段、友情によって喜びが二倍にも悲しみが半分にもなりません。

けれども、温かな安心感が心に満たされるのを感じます。

抜け毛が加速した暁には二人で剃髪して出家しようと思います。

というか、剃髪すべき髪が残存しているのだろうか。


(いつものカフェ「讃香」)

会津で国際交流の集まりがありました。終了後、紅葉彩る戸外で集合写真を撮影。

私は集合写真が好きではありません。特に立ったままのものはきらい。

私、かなりのO脚なのです。みっともないくらいO脚です。集合写真の際、内側にキュッと力を入れるものの無駄なあがき。

どうしてもデレっとした感じに写ってしまうのです。写真を見るたびにがっかりします。矯正できるものなら直したい。

さて、そんな集合写真が仙台から封書で届きました。会津で行われた国際交流の集まりでの一コマです。


(葉書はモントリオール在住の画家の作品。ボールペンは米国加州のお土産でいただいたもの)

わざわざ写真屋さんでプリントアウトし封書で、一筆添えて投函する。アナログです。面倒極まりない。だからこそ送り手の思いが伝わってきます。

昼前、心のオアシスことカフェ「讃香」にきました。

私もまた礼状を電子メールではなく、葉書でしたためます。紅茶を飲み終えたら切手を貼り投函しましょう。

店内では美輪明宏の歌声が流れています。昭和な雰囲気が好きです。

それにしても、このO脚。なんとかならないものでしょうか。


(ほぼ毎日お弁当を作っています)

うまみ調味料で有名な食品メーカーの方の来訪を受けました。社会貢献活動として震災時から社員を被災地に派遣。食の分野で支援活動に取り組んでいます。

お話を聞きながら、ふと30年前のタイでの出会いを思い出しました。

「私、タイに留学していたとき、貴社から同じ大学に派遣留学されていた方にお世話になったんです。でも、名前を失念し思い出せないんです」

業務とは関係のない話をお客様に切り出しました。

「どんな感じでしたか」

「小柄でがっちりしていて...」

「頭はどうでしたか、もしかして、こう、なんていうか、ちりちりというか」

「そうです、髪の毛はちりちりでした」

「それでしたら、Tさんです」

「ああ、そうですTさんです!」

「いまどちらにいらっしゃるんですか」

「ポーランドです。海外が長いですね」

きょうはじつに懐かしいお名前を思い出すことができました。

留学中、うまみ調味料のことやマヨネーズのことなど、タイ料理を食べながらTさんといろんな話を聞かせてもらいました。

暑熱のタイにいながらも、ワイシャツの第一ボタンをきちっと閉めていました。紳士でした。同じ東北出身で親近感を持っていました。

ポーランド。

どのくらい遠いのでしょう。ショパンと「ワレサ 連帯の男」しか思い浮かびません。

行ってみようかなって、ひそかに思い始めました。


(北木島の浜辺で散策)

職場のスタッフの結婚披露宴。新郎の主賓として挨拶しました。1か月前に原稿を作り、直前まで推敲。

本当は数着持っている野菜の着ぐるみを着て喜びを表したかったこと、しかし、パフォーマンスすればこのような上司の下に新郎がいることに不安を覚えるであろうことを冒頭に開陳。

特に受けませんでした。私は座の白けた雰囲気を味わうことも趣味としており、この程度でリジリエンス(折れない心)は揺らぎません。

返って、だいこんの着ぐるみを羽織ればよかったかもしれないと思いました。後悔先に立たず。

新婦側の主賓挨拶は職場の同期の友人です。歩んできた職場は違うけれど、お互い会えば、声をかける仲です。

主賓同士で隣席に座りながら、近況を報告し合いました。友人が私に語りかけます。

「あのときつらかったでしょう。◯◯経営課にいたとき」

「よく知ってますね。本当に大変でした」

同期のその友人の人柄や仕事ぶりはそれなりに知ってはいたつもりでした。

が、私が彼を知る以上に私のことを深く知っていたことに驚きとともに温かいものが胸の中に広がりました。

他者の苦しみに共感できる心を持つこと。これこそが大切である、と。

様々な意味において心温まる披露宴に出席させていただきました。


(読むほどに切なくなる本です)

駅前のビルの一角で同僚たちと勉強会。ノンアルコールです。こういう同志がいることを誇りに思います。

ロビーでばったり元上司と会いました。期日前投票の立会人だという。

「会いたいと思っていたんだよぉ」

「私もです。『東京砂漠』を聞きたいと思っていました」

元上司のカラオケは絶品です。昭和歌謡曲を情緒豊かに、しかも譜面より半テンポ遅らせる、いやらしい歌い方がたまらない。

以前、「瀬戸の花嫁」をリクエストしたら、あまりにも感動的で私は大喝采しました。

学生時代、合唱部に所属していた元上司曰く。

「『東京砂漠』はね、架空の話じゃなくて、そういう事実があったことがわかったんだよ」

「へ〜、東京が砂漠になったんですか」

「そうなんだよ。渇水で東京に水がなくなって東京砂漠って呼ばれたんだ」

昭和39年に発生した関東地方の大渇水を通称「東京砂漠」といっていたらしい。ダムが干上がり、水没した村まで出現したとか。

東京で発生した渇水を東京砂漠と称していたなんて私は知りませんでした。

元上司は私が「東京砂漠」をリクエストすることを楽しみにして、わざわざ調べていたようです。心が温かくなりました。

「東京砂漠」の2番目の歌詞「ビルの谷間の 川は流れない/ひとの波だけが 黒く流れて行く」が特に好きです。

元上司と私との間には心通うものが流れています。近々、昭和歌謡大会を元上司と催したいと思います。

ちなみに私は正真正銘の本格派の音痴。ですから、まったく歌いません。

本格派の音痴。それは、無理に歌わせた場合、歌っている当人はもちろんのこと、聞いている方もいたたまれない思いになります。

人生とは、いたたまれない思いをした数だけ優しくなっていくのかもしれない。


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