(夕闇のアリオスカフェ)

朗ブロ「星々のつぶやき」の会場となるカフェに閉店まぎわに寄りました。ちょっとご挨拶のつもりでした。

もう一つ、朗読会当日と同じ時間帯の雰囲気を感じてみたいということもありました。

店員さんと談笑していると懐かしい同僚のTさんがやってきました。かなり前に仕事でプロジェクトチームを組んだ仲です。

彼が出演する演劇の告知のためにチラシを持ってカフェにやってきたようです。部署が異なるため、しばらくぶりに会いました。

旧交を温めつつ、私の催しについて話をしました。

「時間は大丈夫ですから一杯お飲みになったらどうですか」

店員さんに促され、私たちはお言葉に甘えました。

「じつはね、来月28日にここでブログの朗読会を催すんだよ」

「そうなんですか。当初、プロの朗読者にお願いしようと思っていたんだけど、まずは自分でやってみようと思って...」

「読ませてください。いま、ここで」


(落ち着いた雰囲気の店内)

「ほんとに?演劇をやってるから朗読ももちろんできるもんね。ぜひお願いします」

Tさんは「岩塩低温サウナ」「野望の党
『あ』に濁点の事態」を朗読。

カフェの店員さんも、そして私も大笑いしました。作者であることを忘れて涙を流して笑ってしまいました。

なんという表現力なのでしょう。演劇で培った演出力がなせる技なのでしょうか。

ドラマにおいても作品は脚本家の手から離れたら監督のものだという。演出がいかに大事か、私は改めて思いました。

「もし当日都合がつくようだったら数編、朗読してくれないですか」

「いいですよ」

快諾を得ました。

コラボの力って大事ですね。これぞ相乗効果ですね。 「異体同心」とは算術級数ではなく、幾何級数的なのです。

なんでもかんでも自分でやろうとするといい成果を得られません。自分と異なる人の力をいかに結集するか。生かしていけるか。

その力こそがいま求められているのだ、と野望の党代表は思うのでありました。


(守谷サービスエリア下り線にて)

カフェの店内に掲げてある額縁に惹きつけられました。見ると書道家・武田双雲さんの作品。

右側の壁に篆書体(てんしょたい)で「星」、そして対面の壁には行書体で同じく「星」と書かれていました。見事な大書です。

星乃珈琲店で私は友人と向き合い、話に耳を傾けました。

学生時代、文字通り同じ釜の飯を食った仲です。

いまその彼が苦境にあります。うつを患っています。

「この苦しみはドアのないサウナのようなものだよね」

ひと通り話を聞き終えてから私がいいました。私も10年ほど前にうつを発症。死ぬことまで考えました。

「ドアのないサウナ?」

「そう。サウナはドアがあっていつでも出られるとわかっているから、あの暑苦しい中で耐えられる。でも、もしドアがなかったら苦しみが永遠に続くと感じると思う」

「なるほど」

人はどんなに苦しくても、それがいつまでなのかがわかれば心は軽くなる。乗り越えられます。

サウナもあと5分で出て、次に冷水風呂、そして上がったらビールだ、と思えばこそ、苦しみもまた楽しみになります。

心を込めて私は友人に語りました。

「必ず必ず薄皮をはがすようによくなっていくよ。調子のよいときもあると思う」

でも、と私は続けました。

「それを基準としないことが大事。そして、調子の悪いときも、同じく、それを基準としない。波があるのは当たり前ということ」

調子のよいときは、これで治ったのかと思ってしまいがちです。一方で、調子の悪いときは、もう治らないのかと落ち込む。

「復職に向けて大事なことは、波があるということを知っておくことだと思う。必ず良くなるよ」

かといって、うつの真っ最中は己を達観するなどということはできないものです。ただただ苦しいだけ。

思考の視野狭窄が進み、自分自身を俯瞰(ふかん)できないところにうつの辛さがあります。

いま私の胸には山本周五郎著『樅の木は残った』の主人公・原田甲斐の言葉が蘇ってきます。

禅僧・快川紹喜の辞世をめぐって鬼役(毒見役)に向かう丹三郎に対して甲斐が言います。

「(前略)火中にあって、心頭滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあらわれていて、好ましい、私には好ましく思われる」

うつにおいては、どうしても周りにどう見られるかが気になります。

しかし、この弱さをさらけ出せる友を持つこと、寄り添う友の存在こそが肝要です。

自分自身のときもまさに寄り添う友によって救われました。

当初まったく予定になかった今回の語らい。お互いが引き寄せ合い、星と星が出逢ったかのようです。

まさに星々のつぶやきにふさわしい。


(落石注意)

会津から自宅への帰り道。市内に至り、国道49号線からは近道を使おうと思いました。

いわき三和インターから県道66号線を経由し、いよいよ山深い道に入ります。県道135号三株下市萱小川線です。

車1台がやっとの隘路(あいろ)です。ときおり「落石注意」の看板が目に入ります。

「落石注意」を見て、いつも私は思い悩んでいました。

すでに落ちた石に注意を払えということなのか、あるいは石が落ちてくるかもしれないことへの注意喚起なのか。いったいどちらなのだ、と。

家人に言うと、「どっちもなんじゃない」との返答。納得です。これぞアウフヘーベン(止揚)。

さて、車をしばらく走らせると、対向車の気配。軽自動車が見えてきました。

すれ違い困難の隘路です。私が後退して山側に幅寄せをしました。すると軽自動車が止まり、80歳過ぎの男性の運転手が降りてきました。

「どこさ行くんだい」

「自宅に帰るところです。この先は通れますか。台風の被害はないですか」

「ああ、大丈夫だよ。家はどこ」

「○○です」

「ああ、うちの近くだね。新しい団地のほうげ」

「もともとの家で、義父が昔から住んでいます。義父は○○と申します」

「ああ、知ってる。むかし、いっしょに働いていたもの」

「お名前はなんとおっしゃるのですか」

「○○だよ」

「もしかしたら息子さん市役所の...私もなんですよ。どちらに行くんですか」

「どこにも行がね。栗、拾ってんだ。ほら、これだ。山には上がんね。道路に落ちてる山栗、拾ってんだ」

「ずいぶん採りましたね」

「そんなごどねぇ」

「では、お気をつけて」

車は木漏れ日の中に消えていきました。

台風のあとは栗拾いの絶好の機会なのですね。山の幸も海の幸も台風のあとはおこぼれにあずかることができます。

以前「今日もアワビなのか」に記しました。台風後に海辺に流れ着いた無数の鮑を父が拾ってきたことがあります。

もう見るのも嫌だと思うほどアワビを食べた思い出です。


(「はじまりの美術館」を初訪問。撮影可が嬉しい)

半世紀も生きていると己の至らぬ点や短所を指摘してくれる人はまれになります。勇気の要ることですから。

その意味でそのような指摘をしてくれる人を持つことは幸せです。しかも、真心からの発意であればなおのことです。

会津の地に仕事の師匠を訪ねました。


(左奥は鈴木祥太氏製作の作品。「はじまりの美術館」)

冷製茶碗蒸し、たたききゅうりの漬物、鶏のケチャップ炒めブロッコリー添え、まいたけとぶなしめじと豚肉の炒め、筋子の酒粕漬け等々。

手料理を作ってくださいました。すじこは絶品でした。熱々のご飯でかっこみたい誘惑に何度も駆られました。

真心の品々に舌鼓を打ちながら、語りに熱が入っていきます。


(鈴木祥太氏製作 同)

師匠の指摘は鋭く、ときに容赦ない。

たとえて言えば、浴室の鏡に濡れた己の頭髪が映り、思いのほか貧弱になっていることを知ったときのショック。

あるいは、ビルのガラスに映る己の歩く姿の弱々しさに気づいたときの気持ちといったところでしょうか。


(宮原克人氏製作 同)

いずれも自分自身も薄々とは感じているのです。頭ではわかっているのです。

でも、それを直視できない。否、直視しようとしない。つまり、己の弱さに勝てないのです。ずるい生命(いのち)です。

一夜の語らいによって心洗われ、お腹も満たされ、師匠宅を辞去。次は真冬の会津を訪れたいと願っています。


(中央と左は片桐功敦氏、右は今村文氏製作 同)

雪のない浜の人間のわがままです。


(神戸方面を望む。たぶん)

30年前に友人とタイ南部のハジャイを旅しました。ハジャイ(Hatyai)とは大きな浜を意味します。

現地の大学の学生たちとJBホテルという中規模クラスのホテルのラウンジで夜に飲むことになりました。

ステージでは演奏が奏でられ、女性の歌手がタイ語の歌を歌っていました。男性の歌手がステージに立ちました。

聞き覚えのあるイントロが流れ始めました。

んっ、何だろう。と思っていると歌い始めました。

♪目を閉じて何も見えず

そうです。谷村新司さんの名曲「昴」です。じつに上手い。どうしてこんなに上手に歌えるのだろう。熱唱でした。

異国の田舎町で聞く昴。熱帯で聞く昴。妙に旅情が高揚したのを覚えています。

ハジャイはマレーシアに近い町です。イスラム系住民も少なくない。辺境の地と言っていいかもしれません。

こんな場所で完璧に昴を歌う人に出会ったことに胸が熱くなりました。

しかし、不思議な歌詞です。

「目を閉じて何も見えず」

当たり前のことです。当たり前のことなのですが気になる言葉です。

ハジャイで昴を聞いて10年後、成田空港で谷村新司さんを偶然見かけました。どうもあの頭髪を見ると芸人のコロッケのパカパカ動かすカツラを連想してしまいます。

モノマネは大切な価値を毀損する場合もあると感じました。

さて、その10年後、2007年にハジャイのJBホテルはテロの脅威にさらされます。爆弾が爆発し多数の死傷者が出ました。

そして、その10年後の本年、ハジャイやその近隣から青少年たちが研修でいわき市を訪問。50日間の滞在中、何度か交流させていただきました。

というわけで、ふと思い出したことを備忘録として書き留めました。

動画サイトで谷村新司さんの昴を久しぶりに聞いてみました。が、やっぱり頭髪のパカパカが気になって厳粛に聞くことができませんでした。


(畦道に咲く花。名前がわからない)

東日本大震災の前年のことです。うつから立ち直って1年半ほど経ったとき職場のメンタルヘルス研修を受講しました。

講師の話に深く共鳴し、癒され、そして勇気づけられました。研修終了後の控室に講師を訪ねました。

しかし、いま、講師の話の何に共鳴し、納得したのか。情けないことに思い出せません。

勇気づけられた、励まされたという心の作用だけが温かな灯となっていまもなお続いています。

先日、月刊誌の編集部の知人から連絡がありました。

特集記事の取材先でのこと。インタビューをする中で出身地のことが話題になったという。知人は、私のいま住むまちと同じであることに気づいたそうです。

もしかしたら知り合いかもと思い尋ねたところ、研修の受講生であったことを覚えてくださっていたとのこと。

昨日、発行されたばかりの「潮」10月号が贈呈として送られてきました。早速ページを開きました。

懐かしい顔写真とともに「社員のメンタルヘルスと企業に経営倫理」と題した記事が載っています。根本忠一さん(公益財団法人日本生産性本部メンタル・ヘルス研究所主幹)は訴えます。


(特集は「ストレス社会を生きる」です)

「過労自殺を生む最大の要因は、労働時間の問題というより、むしろ個々人が抱える孤立感と虚しさ、そして先行きの不安にあると私は考えています」

その通りだ。私自身の経験も踏まえ、納得がいきます。

「各企業が実施しているストレス対策を見ていると、『チャレンジをすれば社員にストレスがかかってしまう。だからあまり無理をさせるな』という暗黙のメッセージを感じますが、それが組織としての合意を得られるとは思えません」

「大切なことは『チャレンジをしてストレスがかかったとしても、会社はあなたを守る』というメッセージを、いかに社員に伝えるかということです。チャレンジなくして組織の活性化はあり得ません」

根本さんはこう結論します。

「自らの仕事に意味を見出すことこそが、じつは最大のストレス対策になるのです」と。


(ドトールのあさ。休み明けの気持ちをリセット)

休み明けのあさは弁当を作るのがしんどい。私は思います。弁当作りとは一定程度の気持ちの張りがあってはじめてなし得る作業である、と。

東京から友人一家が来訪。今春小学校に上がった可愛らしいひとり娘さんを連れての小旅行です。

海に行きたいという。正確に言えば、泳ぎたいとのこと。

連日梅雨の続きのような秋雨を思わせるどんよりとした日が続いています。当日は雨でした。

高速道路を北上中の友人に屋内で楽しめる施設をいくつか紹介。検討するようにアドバイスしました。

しばらくすると雨の降る海辺でお母さんと娘さんが喜ぶ画像が友人から送信されてきました。数人のサーファーを除いて海水浴客はいないという。貸切状態です。

驚きました。雨の中、歓喜雀躍と波と戯れる姿に感動すら覚えました。

友人がテント内に待避しながら見守っているのは予想がつきましたが、お母さんも娘さんとともに雨の海水浴を楽しんでいるのです。

夕方、みな我が家に来てくれました。

聞けばお母さんはかつて水泳部だったという。海水の温度を測り22度以上あることを確認。

一見無謀に思えた行為は、じつは細心の注意を払ってのことだったのです。

海で泳ぎたい。その願いをなんとしても叶えてあげたい。その一貫した意志に心揺さぶられました。

自分だったら、と思わざるを得ませんでした。二酸化硫黄の香る屋内レジャー施設でお茶を濁したであろう、と。


(イワナの里「川内村」)

翌日、隣村の釣り堀に案内。イワナを7匹釣り上げました。小1時間かけて炭火で焼きイワナを頬張りました。

この日も時折霧雨の降るあいにくの天気。イワナを堪能したあとは村内の温泉に入って旅の疲れを癒してもらおうと思いました。

「また海に行きたいっていってるんだよね」

「本当に海が好きなんだね」

友人一家は山を降りて一路海岸に向かったのでした。

のちに連絡があり、娘さんはふたたび歓喜雀躍と楽しんだとのことでした。

私は思いました。この頃、自分自身に貫くという心が失せてきた。やわになってきたな、と。

友人一家に触れて、私は心に期しました。「貫く心」をいまふたたび喚起したい。

というわけで、弁当作りを明日からまた頑張りたいと思います。身近な一歩が大事です。

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか、です。


(カエルの目線で撮ってみました)

高校2年生ときからマスターに髪を切ってもらってきました。もう35年になるでしょうか。この夏、マスターが突然亡くなりました。

心にぽっかりと穴が開いたようです。先月も当たり前のように整髪してもらいました。マスターとのたわいもない会話が大好きでした。

柔和な笑顔で私の話に相槌を打ち、そしてさりげなく私の近況を尋ねてくれました。

いま思えば、マスターは軽い咳をしていました。でも、肺を患っているとは知りませんでした。

次の月も当たり前のようにマスターに切ってもらえるものと信じて疑いませんでした。

当たり前に思っていること。じつは当たり前じゃないのですね。

庭に植えたナスが毎日のように実ります。有難いことだと心から思うようになりました。

ナスの実を採るとき、心の中で「ありがとう」とつぶやいています。ナスに包丁を入れるとき、「いただきますね」と心の中で声をかけます。

毎朝、山の端から太陽が昇ること。土手の上を風が吹くこと。田んぼの稲穂が出ること。カエルが鳴くこと。

全部、当たり前ではないのだと思うようになりました。

両親の亡くなった年齢に近づくにつれて日に日にその思いが強くなってきます。

映画「ふるさとがえり」の中で主人公の勘治が「ちゃんと生きよう」とつぶやくシーンがあります。一番心打たれる場面です。

私ももう少しちゃんと生きようと思います。

今夕は人生の大先輩と焼き鳥屋さんで懇親会です。まずはちゃんと飲もうと思います。


(「時季の森」にて)

思いは、言葉となって紡ぎ出されます。沁み渡る言葉は生きる勇気を与えてくれます。あなたの生きる力になることを願って書き留めます。

卒業間近。両親の病により当初の夢をあきらめ、帰郷しようと決めたときのKさんの言葉。

「好きな道をあきらめてはいけない。でも、行く道を好きになることもできるからね」

いまになってわかります。Kさんは好きな道を行けなかったのだ、と。

帰郷し両親を看病するかたわら、自動車教習所に通っていたときに出会ったMさんの言葉。

「語学は石にかじりついてでもやり続けなさい」

Mさんの励ましのお蔭で、いまも出勤時タイ語のテキストを聴きながら歩いています。当時Mさんは60歳前後。それでもドイツ語を毎朝勉強していました。

肺に非結核性の陰影があり精密検査を受けていたときのYさんとNさんの言葉。


(「時季の森」にて)

看護師のYさん曰く。「絶対に大丈夫。治るよ」

主治医ががんと診断しているにもかかわらず呼吸器病棟の婦長(当時)のYさんの言葉は一筋の光明でした。

Nさんの言葉は叱咤でした。「肺に影があるくらいで弱気になっちゃいけない」

病魔に食い破られていた私の心を奮い立たせてくれました。

上司との人間関係に悩み、うつ病を発症。死ぬことばかり考えていたころのYさんの言葉。

「夏は暑い。夏が暑いことを嘆いてもしょうがない。相手を変えようと思うのではなく、そういうものなのだと受け容れることです」

「夏は暑い」--- この言葉によって救われました。

同じ時期、尊敬する元上司のSさんがしんみりと語ってくれました。

「大変なところで頑張るのも大事だぞ」

私もまた相手に響く言葉を紡ぎ出していきたい。裏山のヒグラシの声を聞きながら、そう思う夏の夕べでした。


(ナスの苗ナスの花咲く何の不思議なけれど)

いまになって思います。タイに留学していたころは笑いの感覚が鋭敏になっていたと。

小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」をバンコク市内の古本屋で立ち読みしていたときのことです。

相原コージの4コマ漫画「コージ苑」の可笑しさに我慢ができず、ついに極まって店内で大声で笑ったことがありました。なぜか爽快な気持ちになりました。

「嗚呼、あの人は暑熱に頭がやられてしまったんだろう」と周りのお客さんは見ていたと思います。

当時、私の住んでいたバンコクの学生寮にO君という日本人留学生がいました。

経済学に秀でた学生でした。単に優秀だということに留まらず、私にわかるように噛み砕いて教えてくれる。つまり、教えることも優秀なO君でした。

ある日のこと、米国人留学生にコージ苑を見せた。そうO君が話し出しました。

「あいつにさコージ苑見せたんだよ」

「で、どうだった」

「受けてたよ。特にこの場面。日本的だって。いかにも日本人らしいっていってた」

「え、なになに」

「これだよ」

中年のおばさんが家でシャワーを浴びています。名前と年齢も1コマ目に出ていたように思います。

気持ち良さげに浴びています。

3コマ目で展開があります。お尻に付着していたものを発見。トイレットペーパーの小さな塊です。指先で弾いて洗い流します。

4コマ目で何事もなかったかのように、ふたたび気持ち良さそうに浴び続ける場面でむすびとなります。

この4コマ漫画に米国人留学生は反応したというのです。しかも「これはいかにも日本的だ」と。

日本的だといいつつも、ウケる。反応するということは米国人も日本人も同じような共鳴装置があるのでしょう。きっと経験もあるのでしょう。

ただし、通常の出来事をネタとして認識することは困難です。言語化することは至難といえます。

わかるということと言語化することは別次元の話なのです。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は多くの人がそのいわんとすることを感じます。でも、常人は言語化できない。

人がふだん認識していないものをネタとしていかに表象させ、かつ、共鳴装置に響かせる言語として表すことができるか。

そこに常人と奇人との違いがあるのでしょう。「星々のつぶやき」の挑戦もまたここにあります。


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