(ドトールのあさ。休み明けの気持ちをリセット)

休み明けのあさは弁当を作るのがしんどい。私は思います。弁当作りとは一定程度の気持ちの張りがあってはじめてなし得る作業である、と。

東京から友人一家が来訪。今春小学校に上がった可愛らしいひとり娘さんを連れての小旅行です。

海に行きたいという。正確に言えば、泳ぎたいとのこと。

連日梅雨の続きのような秋雨を思わせるどんよりとした日が続いています。当日は雨でした。

高速道路を北上中の友人に屋内で楽しめる施設をいくつか紹介。検討するようにアドバイスしました。

しばらくすると雨の降る海辺でお母さんと娘さんが喜ぶ画像が友人から送信されてきました。数人のサーファーを除いて海水浴客はいないという。貸切状態です。

驚きました。雨の中、歓喜雀躍と波と戯れる姿に感動すら覚えました。

友人がテント内に待避しながら見守っているのは予想がつきましたが、お母さんも娘さんとともに雨の海水浴を楽しんでいるのです。

夕方、みな我が家に来てくれました。

聞けばお母さんはかつて水泳部だったという。海水の温度を測り22度以上あることを確認。

一見無謀に思えた行為は、じつは細心の注意を払ってのことだったのです。

海で泳ぎたい。その願いをなんとしても叶えてあげたい。その一貫した意志に心揺さぶられました。

自分だったら、と思わざるを得ませんでした。二酸化硫黄の香る屋内レジャー施設でお茶を濁したであろう、と。


(イワナの里「川内村」)

翌日、隣村の釣り堀に案内。イワナを7匹釣り上げました。小1時間かけて炭火で焼きイワナを頬張りました。

この日も時折霧雨の降るあいにくの天気。イワナを堪能したあとは村内の温泉に入って旅の疲れを癒してもらおうと思いました。

「また海に行きたいっていってるんだよね」

「本当に海が好きなんだね」

友人一家は山を降りて一路海岸に向かったのでした。

のちに連絡があり、娘さんはふたたび歓喜雀躍と楽しんだとのことでした。

私は思いました。この頃、自分自身に貫くという心が失せてきた。やわになってきたな、と。

友人一家に触れて、私は心に期しました。「貫く心」をいまふたたび喚起したい。

というわけで、弁当作りを明日からまた頑張りたいと思います。身近な一歩が大事です。

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか、です。


(カエルの目線で撮ってみました)

高校2年生ときからマスターに髪を切ってもらってきました。もう35年になるでしょうか。この夏、マスターが突然亡くなりました。

心にぽっかりと穴が開いたようです。先月も当たり前のように整髪してもらいました。マスターとのたわいもない会話が大好きでした。

柔和な笑顔で私の話に相槌を打ち、そしてさりげなく私の近況を尋ねてくれました。

いま思えば、マスターは軽い咳をしていました。でも、肺を患っているとは知りませんでした。

次の月も当たり前のようにマスターに切ってもらえるものと信じて疑いませんでした。

当たり前に思っていること。じつは当たり前じゃないのですね。

庭に植えたナスが毎日のように実ります。有難いことだと心から思うようになりました。

ナスの実を採るとき、心の中で「ありがとう」とつぶやいています。ナスに包丁を入れるとき、「いただきますね」と心の中で声をかけます。

毎朝、山の端から太陽が昇ること。土手の上を風が吹くこと。田んぼの稲穂が出ること。カエルが鳴くこと。

全部、当たり前ではないのだと思うようになりました。

両親の亡くなった年齢に近づくにつれて日に日にその思いが強くなってきます。

映画「ふるさとがえり」の中で主人公の勘治が「ちゃんと生きよう」とつぶやくシーンがあります。一番心打たれる場面です。

私ももう少しちゃんと生きようと思います。

今夕は人生の大先輩と焼き鳥屋さんで懇親会です。まずはちゃんと飲もうと思います。


(「時季の森」にて)

思いは、言葉となって紡ぎ出されます。沁み渡る言葉は生きる勇気を与えてくれます。あなたの生きる力になることを願って書き留めます。

卒業間近。両親の病により当初の夢をあきらめ、帰郷しようと決めたときのKさんの言葉。

「好きな道をあきらめてはいけない。でも、行く道を好きになることもできるからね」

いまになってわかります。Kさんは好きな道を行けなかったのだ、と。

帰郷し両親を看病するかたわら、自動車教習所に通っていたときに出会ったMさんの言葉。

「語学は石にかじりついてでもやり続けなさい」

Mさんの励ましのお蔭で、いまも出勤時タイ語のテキストを聴きながら歩いています。当時Mさんは60歳前後。それでもドイツ語を毎朝勉強していました。

肺に非結核性の陰影があり精密検査を受けていたときのYさんとNさんの言葉。


(「時季の森」にて)

看護師のYさん曰く。「絶対に大丈夫。治るよ」

主治医ががんと診断しているにもかかわらず呼吸器病棟の婦長(当時)のYさんの言葉は一筋の光明でした。

Nさんの言葉は叱咤でした。「肺に影があるくらいで弱気になっちゃいけない」

病魔に食い破られていた私の心を奮い立たせてくれました。

上司との人間関係に悩み、うつ病を発症。死ぬことばかり考えていたころのYさんの言葉。

「夏は暑い。夏が暑いことを嘆いてもしょうがない。相手を変えようと思うのではなく、そういうものなのだと受け容れることです」

「夏は暑い」--- この言葉によって救われました。

同じ時期、尊敬する元上司のSさんがしんみりと語ってくれました。

「大変なところで頑張るのも大事だぞ」

私もまた相手に響く言葉を紡ぎ出していきたい。裏山のヒグラシの声を聞きながら、そう思う夏の夕べでした。


(ナスの苗ナスの花咲く何の不思議なけれど)

いまになって思います。タイに留学していたころは笑いの感覚が鋭敏になっていたと。

小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」をバンコク市内の古本屋で立ち読みしていたときのことです。

相原コージの4コマ漫画「コージ苑」の可笑しさに我慢ができず、ついに極まって店内で大声で笑ったことがありました。なぜか爽快な気持ちになりました。

「嗚呼、あの人は暑熱に頭がやられてしまったんだろう」と周りのお客さんは見ていたと思います。

当時、私の住んでいたバンコクの学生寮にO君という日本人留学生がいました。

経済学に秀でた学生でした。単に優秀だということに留まらず、私にわかるように噛み砕いて教えてくれる。つまり、教えることも優秀なO君でした。

ある日のこと、米国人留学生にコージ苑を見せた。そうO君が話し出しました。

「あいつにさコージ苑見せたんだよ」

「で、どうだった」

「受けてたよ。特にこの場面。日本的だって。いかにも日本人らしいっていってた」

「え、なになに」

「これだよ」

中年のおばさんが家でシャワーを浴びています。名前と年齢も1コマ目に出ていたように思います。

気持ち良さげに浴びています。

3コマ目で展開があります。お尻に付着していたものを発見。トイレットペーパーの小さな塊です。指先で弾いて洗い流します。

4コマ目で何事もなかったかのように、ふたたび気持ち良さそうに浴び続ける場面でむすびとなります。

この4コマ漫画に米国人留学生は反応したというのです。しかも「これはいかにも日本的だ」と。

日本的だといいつつも、ウケる。反応するということは米国人も日本人も同じような共鳴装置があるのでしょう。きっと経験もあるのでしょう。

ただし、通常の出来事をネタとして認識することは困難です。言語化することは至難といえます。

わかるということと言語化することは別次元の話なのです。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は多くの人がそのいわんとすることを感じます。でも、常人は言語化できない。

人がふだん認識していないものをネタとしていかに表象させ、かつ、共鳴装置に響かせる言語として表すことができるか。

そこに常人と奇人との違いがあるのでしょう。「星々のつぶやき」の挑戦もまたここにあります。


(私のオアシス「讃香」)

先日エントリーした「サシオフ」の続編です。ネット業界を熟知しているYさん。じつは自身の投稿で苦い思い出があるという。

ある日、自信をもって制作した動画作品を投稿。多くの賞賛のコメントが寄せられる中、数はわずかではあるものの誹謗中傷のコメントが書き込まれたそうです。

そのときの心境についてYさんはいう。

「『死ね』や『二度とアップするな』といった心無い言葉にひどく傷つきました」

ところが、とYさんはその話のつづきを語ってくれました。ある人の言葉により心の回復を果したのだと。


(飲み会後のぜんざい。身体に毒だとはわかっていても...。「讃香」にて)

「そういった心無い非難のコメントが寄せられたということは、作品が末端まで届いた証である。そうとらえることが大事です」

末端まで届いた。要するに、すべての層に行き渡ったということを意味するのでしょう。

心温まる励ましの言葉で救われたYさん。

それ以来、誹謗中傷のコメントがあってもYさんは気にしなくなったそうです。

次元は異なりますが、Yさんを励ました言葉は、偽造品の話を想起させます。

「偽造品が世に出回るようになって初めて本物となる」

換言すれば、一流の製品というものは、偽造される宿命にあるともいえましょう。

逆にいえば、偽造品が出回らないうちは一流になっていないといえるかもしれません。

というわけで、「星々のつぶやき」もまだまだだなと思っています。

願わくば、地より湧き出でよ、無数のフェイクだいこんくん!


(地魚料理「東や」)

「星々のつぶやき」の愛読者であるYさんとの約1年ぶりのオフ会。私の生まれ育った植田町で催していただきました。

ブロガーとファンとの交流をオフ会と称します。中でも一対一のオフ会を「サシオフ」というのだそうです。

前回のサシオフは「たまゆらの語らい 〜ITろくろ〜」で紹介しています。

「サシオフってどういうことですか」

「要するに差しでオフ会をするという、ネットスラングです。もう古い言葉ですよ」

「初めて聞きました。勉強になります」

話題は縦横無尽。古生代の三葉虫からサザエさんの視聴率の低迷に至るまで多岐に。

まず、最近のエントリー「時計代わりにされていた私」の読後感に言及。

哲学者のカントが登場したことで書き手が読者に対してフィルタリングをかける効果が認められるとの指摘を受けました。

いわば“逆フィルタリング”。通常はユーザーがサービスを制限する。そのフィルタリングが逆転している、と。

「カントなんて知らねーしっていう人が必ずいます。そういう人を寄せ付けないフィルタリングです」

ネットの世界を知悉している業界人ならではの見立てだと思いました。

サザエさんの視聴率の低迷については、早晩そういった事態が起きることは予想されていたという。

にもかかわらず、手を打ってこなかったところに問題がある、と。

まるで、サザエさんのスポンサーの運命と軌を一にしているかのよう。

「もうあの家族構成はいまの日本にはあり得ない設定なんですよ。それを続けてきた」


(芳醇な香りが湧き立つ「勿来の関」)

純米酒「勿来の関」を飲みながら、話題は「星々のつぶやき」の誕生の経緯に。詳細は割愛します。

「ところで、読者のオフ会をやってみたい気持ちがあるんですけど、気恥ずかしさが立って自分ではやれない。幹事を務めてくれる人がいるといいんですけど」

下心を持って切り出しました。

「インパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将がのちに『(作戦の中止を)私の顔を見て真意を察して欲しかった』といっていますけど、上官に対して『察してください』じゃだめなんです」

「思っている本人が言葉にして実行しなければならないということですね」

「そうです。やるなら、やるということです」

忖度を頼む私の弱い心に100万ボルトの電撃が走りました。

最後に私のお気に入りのエントリー「我が家のビオトープ」を朗読。Yさんは呵々大笑してくれました。

午後9時半、サシオフ終了。「東や」を辞し、二人で植田駅に向かいました。

Yさんは常磐線上り方面、私は下り方面。再会を約し別れました。


(心癒される画風です)

20年前のことです。カナダ・モントリオールに滞在中、ダウンタウンの複合商業施設によく行きました。

いまもあるのかどうかわかりません。

フォーボーグという名の複合商業施設です。私の大のお気に入りでした。

3階だったでしょうか。フードコートに世界各国の料理店が屋台のように並んでいました。

タイ料理の店もあり、その店主からタイ政府から派遣されていた職員を紹介してもらったこともあります。

怪しげなすし店もありました。まな板に置いたこんもりとした酢飯の山を両手で粘土細工を作るかのように分割して、すしを作っていました。

“握る”という動作は見られませんでした。

フォーボーグにはテラスがありました。中庭にはカエデの木が繁っています。

初夏から初秋にかけてはそよ風に吹かれながらテラスで英語やタイ語の個人レッスンを受けていました。

英語の先生は画家を目指すアメリカ生まれのユダヤ人。タイ語の先生はタイ政府の職員でした。

英語の先生は私より少し年上の男性。タイ語の先生は女性で私より若く、当時20代後半だったと記憶しています。

いつも極めて短いミニスカートを履いていました。しかも、ぱっつんぱっつん。学習環境としては適切ではなかったように思います。

露出度の高い脚を組んでレッスンに臨む姿は政府職員というイメージからはかけ離れていました。

さて、レッスンのあと、なにげに商業施設の中を散策していました。するとフリースペースで絵画の個展が開かれていることに気がつきました。

画家は、どこかで見覚えのある名前です。そう、『地球の歩き方』のカナダ・東部編によく登場していたYuji Yokoyama(横山雄二)さんだったのです。

モントリオールを拠点にカナダや日本の風景などをパステルで描いているということでした。

その後、ご自宅に招かれ、すき焼きをご馳走になったり、日本での個展などにお邪魔したりするなど交流させていただいています。

来週、大阪で個展が開催されるとのお知らせが届きました。あいにく伺うことができません。心癒される素敵な作品です。

お近くにお住まいの方はぜひ足をお運びください。

期間 2月22日(水)〜28日(火)午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)

会場 近鉄百貨店 近鉄上本町店8階アートギャラリー(大阪市天王寺区)


(好きじゃないけど気になる葉牡丹)

忘れていた遠い記憶が沼地の底から浮かび上がるガスのように断片となって意識の領域を通過することがあります。

いわき駅の前の旧平駅の駅ビル「ヤンヤン」。そこにあった喫茶店の名前が思い出せません。東南アジア系の名称だったように思います。

「バリ」だったような気がしますが確証が持てません。

異国情緒満点でした。大人の雰囲気に彩られ、子どもが容易に近づけないなにかがありました。

なぜそんなことを思い出したのでしょう。

ところで、どうもこの頃、頭が靄(もや)がかかっているようですっきりしません。目覚めのときに軽い鬱屈感(うっくつかん)があります。

気象用語では、視程1km未満の状態を「霧(きり)」、視程1km以上10km未満を「靄(もや)」と呼ぶそうです。要するに1km先を見通せないときに「霧」を使います。

その意味では私の脳を覆っているのは「靄」ではなく、より濃い「霧」なのかもしれません。特段の原因は見当たりません。

最近の若者言葉でいえばバイブス(vibes)が上がらないということでしょうか。

先日、鬱(うつ)に悩む友人と食事を共にしました。

兵庫県出身の女将さんが切り盛りする、いわき四倉「くさの根」で海鮮丼を食らいました。

鬱に悩むという表現は正確ではありません。職場の人間関係に悩み、鬱を発症したのです。鬱という病気に悩んでいるのではなく、苦悩の結果が鬱なのです。

ゆっくりと穏やかに友人と対話をしました。別れてから、私と話す中でアインシュタインの言葉を思い出したとメッセージを送ってきてくれました。

「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」

与えられる自分になりたいと添えられたメッセージに対し、私は伝えました。

「焦る必要はないよ」と。

彼からは十分に私は与えてもらっています。私自身が職場の人間関係で悩み一番しんどいに彼は素晴らしい歌声で私を励ましてくれました。

「励まし」は、万の力と綴ります。彼からもらった万の力を私は忘れません。


(100倍届いたからといってどうなのか。でも美味しい)

週が明けても厳しい状況には変わらず、善後策を鳩首凝議(きゅうしゅぎょうぎ)。

どうにも元気が湧いてこないなぁと思った矢先、上司から「相田みつを美術館」のお土産をいただきました。

「ありがとうございます。私も相田みつをさんの作品が好きで二度ほど美術館に行っているんです」

「やっぱりそうげ、好きなんじゃないかなって思って買ってきたんだ」

「見どころの多い美術館ですよね。私を元気づけようと思って買われたんですよね」

「んだよ。そう」

心の中にほっこりと温かいものが流れてきました。状況に変化はないのに気分が変わる。これが人の力なのでしょうね。

頂戴したのは卓上カレンダー。

1月に記されているのは「道」という詩。

道はじぶんで
つくる
道は自分で
ひらく
人のつくったものは
じぶんの道にはならない

ところで、退職した元上司にランチのお誘いをいただき、昼食を一緒にしました。

現在は文字通り晴耕雨読の日々という。

仕事を共にしたときのことをいまでも私に感謝の言葉で伝えてくださる、その謙虚さに感銘を受けました。

「あのときはすごかったね。当時の部長に先日会う機会があったけど、すごかったっていってたよ」

「あのときは上司、スタッフのすべての歯車ががっちりと噛み合って大回転していた感じですね。大きな原点になっています。ありがとうございます」

元上司の言葉にじんわりと心の中に暖炉が灯ったような気がしました。励ましをいただいた上、すっかりご馳走になってしまいました。

御礼のはがきをしたためポストに投函。

あしたはきょうより少し頑張れそうです。


(イルミネーションは一人で見るとただの小さい電球)


人にいえない場所に白髪が生えている悩みを吐露できるのは同性の同窓生だけです。たった二人の同窓会を催しました。

美容師の預言について友人が話し始めました。

「十数年前に美容師の友達に俺の頭をじっと見つめられてさ、いわれたんだよ」

「なんて」

「このままだと将来ハゲるって。タンパク質の摂取と体温を上げないと駄目だって」

「タンパク質と体温が大事なんだ。その美容師さん、預言者だね」

「そんときは髪がふさふさあったから気にも留めなかったけど、ちゃんと実行しておけばよかったよ。後悔してる」

「髪が抜けていくって物悲しいね。安倍総理はなんであんなに濃いんだろうね」

「んだね。最近さ、髪もそうだけど、記憶力がすごい落ちてさ、どうすればいいんだろう」

「そうなんだよ。携帯にかけてさ、相手が出なくて、少し経ってから相手方から折り返し電話があるときあるじゃない」

「あるね」

「相手からかかってきたとき、自分がなんでその人に電話したのか思い出せないことがあるんだよ」

「あるある。そんなのしょっちゅだよ」

「やっぱりあるんだ。悲しいね」

「どうしたらいいんだろう。いやになっちゃうね」

草野心平の詩「秋の夜の会話」のようなやり取りになっていきました。

「友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる」とはドイツの詩人シラーの言。

私の場合、特段、友情によって喜びが二倍にも悲しみが半分にもなりません。

けれども、温かな安心感が心に満たされるのを感じます。

抜け毛が加速した暁には二人で剃髪して出家しようと思います。

というか、剃髪すべき髪が残存しているのだろうか。


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