(福西本店ギャラリー)
異なる主体が時にぶつかり、そして寄り添い、ああでもないこうでもないと呻吟して作り上げたものは単体でやるよりも断然良い。
この歳になってわかってきたことの一つです。というわけで「しつらえ」でご紹介した大下邦弘・門馬寛子二人展を鑑賞してきました。
(生けてあることでこれもまた一幅の名画)
今秋で3年目の開催となる福西本店での「二人展」は全館を使っての展示です。
見せる意図が明瞭な作品に加えて、あたかもその床の間のために以前から飾ってあったかのような自然さゆえに、いい意味で素通りしてしまう作品もあります。あまりにもはまり過ぎているのです。
(ワイングラスが花瓶に)
まさに「しつらえ」として置かれているといった感じです。
ガラスというものがこれほど福西本店という空間に馴染むものとは思いもしませんでした。しかも今回はプロデュースした吉田孝さんの選定による掛け軸との協業が加わりました。
(秋です)
硝子作家の大下さんご夫妻もまた吉田さんの仕掛けに応えんと試行錯誤。掛け軸の主題に沿ったものを作り、時に主題から着想を得て展開した作品とするなど、掛け軸とガラス作品との対話に注目するのも一興です。
掛け軸に精通し天眼を持つ吉田さんだからこそ可能となった展示だと心の底から思いました。その吉田さんの思いを受けて今回のために全力で作品を作り上げた大下さん・門馬さんのエネルギーにも感服しました。
(彼岸花には濃い緑が合います)
また、文字通り縁の下の力持ちとしての木製の台座や支えにも心が込められています。作品一つひとつに合わせて(安定的に支えるという物理的な意味と、主題に合わせるという芸術上の意味で)オリジナルのものとして木材を削り、磨き、塗るという、ガラス作品と同じくらい心血を注いだものとなっています。
目に見えないものにどれだけ力をかけるか。本物と偽物の違いはここにあると私は思います。
(フラスコ風の作品。これにはススキだと先生があとで用意してきたとのこと)
加えて、今回特筆すべきは地元の生け花の先生が参画協力したことです。
「合うように生けるのに生け花の先生は相当な花を用意したのではないですか」
大下さんに尋ねます。
(剣山が真ん中ではなくずれて置かれています。翠色はガラス本来の色。着色はしていないという)
「そうなんです。ガラス作品と聞いて先生は洋物の花をたくさん用意しました。ところが(作品を見て)和とよく調和すると気づき、和の花を揃えてくれたようです」
「花が生けてあることで作品がより生き生きとなっていますね」
(月や月光を表現した作品。台座は太陽の運行を模しています)
「これは剣山が真ん中ではなくずれたところに置かれていますが...」
「そうなんです。先生が『この皿の真ん中は見せたいのでしょ?』と言われ、見えなくなってもいいと思っていたのですが、先生が意を汲んでくれて、あえてずらしていただいたんです」
(よく見るとトンボが剣を持っています。掛け軸は百舌鳥をモチーフに。百舌鳥は獲物を突き刺す早贄の習性を持つ)
本物の人とは違うものだ。芸術家の心中まで読み解くのだ、と私は感銘を受けました。
ガラス作家、展示会をプロデュースする人、生け花の先生。これら三者が共鳴し、昇華した世界が「現代のしつらえ 〜道と硝子〜 大下邦弘・門馬寛子 二人展」(福西本店ギャラリー及び各床の間)なのです。今月15日(日)まで。
(会期中にもう一度行きたかった)
14日(土)及び15日(日)にはガラス作品(茶碗や柄杓など)を使っての作家本人による呈茶があります。参加できず残念です。
美しさのあまり見惚れて、ガラスの柄杓を撮るのを失念してしまいました。