(ドトールのひととき)

管理職になって数年が経ちます。管理職の職務とは何か。けさの師匠のメルマガは簡潔にポイントを提示しています。

「『判断する』、そして『管理する』、この二つに絞られる」とし、「まさに、管理職は『判断する』ために存在している」と。

また、管理職の職責にないものを提示して、管理職の職務の在りようをより明瞭に浮かび上がらせています。

管理職の果たせない、あるいは果たすべきではない職務とは何か。

「『現場を知る』ことであり、『実行する』こと」

どんなに頑張っても現場を担うスタッフの情報量には敵いません。また、助言はできても、実行部隊の一員として管理職が担当と同じことは物理的にも能力的にも困難です。

師匠は言います。「問題は、管理職の『判断』と『管理』の質」である、と。

そうなのです。特に判断に必要な情報をどう分析するか。そこが重要であると日々の仕事で感じています。

自分の目や耳で見聞きした生の情報ではなく、スタッフからの報告によって判断しなければならない管理職。皮膚感覚でじかに情報に接することができません。

そのため、断片的な情報に基づいて判断を迫られることもあります。

素手ではなく厚手のゴム手袋で触っているような、隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いをすることもあります。

そのよう中、断片ではなく網羅的に情報がほしい、燃え盛る現場を直接見たいとの思いに駆られることもあります。

東日本大震災の際、時の総理がヘリを使って福島第一原発に行きました。自分の目で見て判断したい。その気持ちはわからないでもありません。

でも、管理職はそうであってはならない。特に「卒の将」ではなく全軍の指揮を執る「将の将」は、寄せられた断片的な情報に基づいて重い判断をしなければならないこともあるのです。

決して現場をないがしろしていいという意味ではありません。

現場を直接見なければ判断できない、すべてを知らなければ判断できない。そのような思考を断ち切る必要があるということです。

ここに師匠の言う「判断」と「管理」の質が問われるのだろうと思います。では、どのようにその質を高めればよいのか。

「管理職は普遍性の世界にあります。より広い視野を持ち、より多くの事象を知っています」

この言葉にヒントが隠されているように感じます。つまり、広い視野を持ち、より多くの事象を知ることによって普遍性を獲得する。俯瞰(ふかん)する眼を持つ。そういうことではないか。

「判断」とは、見極めであり、勇気であり、そして腹です。「情報量の多寡」と「判断の質」とはあまり関係はないように思います。

一見仕事とは関係のない分野の読書や講演会、異業種の交流会、そういったものから普遍性なるものが養われていくような気がするのです。

というわけで、私のカフェめぐりや「朗ブロ」(ブログの朗読会)もまたそんな一面もあるとご理解いただけたら筆者望外の喜びです。

じつは9割9分は好きでやっています。うそをついてしまいました。


(溜池山王の眺望。右手は首相官邸の石垣)

最近とみに忘却力が増しています。失念力あるいは亡失力と称してもよいでしょう。

「老人運転中につきよろしくお願いします」

数十年前に町を走る車のリア部分に黒々と筆文字で書かれた軽自動車を見かけました。

私もまた肩から次のようなたすきを掛けたい誘惑に駆られます。

「忘却力、増強中につきよろしくお願いします」

凄まじい忘却力の勢い。対抗措置としてこまめにメモを取る。職場の自分のパソコン宛に用件を記したメールを送る等の工夫を心がけています。

が、最近、そのメモを取ったメモ用紙がどこにしまったのかがわからなくなる失態を演じました。

また、増強した忘却力によって電話でのやり取りをすっかり失念し、相手を失望させてしまいました。決して先方を軽んじているわけではないのに相手はそのように取ります。当然です。

ここまでくれば唯一の方法はドライブレコーダーならぬ「ヒューマンレコーダー」をヘッドギアに付けて記録を撮るしかないのではないか。そのように思うようになりました。

「記憶にございません」

かつて昭和の時代に国会を席巻(せっけん)した答弁です。子ども心にも大人たちの欺瞞(ぎまん)にひとかどの憤りを感じたものでした。

ところがどうしたことでしょう。齢(よわい)五十に至り、心境が変化してきました。

彼らは文字通り記憶になかったのではないか。悪事は働いていたのかもしれない。たぶんやっていたんでしょう。でも、襲いくる忘却の嵐によって忘れてしまったのだろうと思います。

このように証人喚問された人々に対して共感の情が湧いてくるのですから、人間とは不思議な生き物です。

ブログとはウェブログ。つまりウェブの記録です。「星々のつぶやき」は言わば私の外付け記憶装置の役割を果たしています。

書き上げてアップすると大脳からきれいに記憶が消去されます。思いを排出していると言ってもいいでしょう。

やがて、「星々のつぶやき」って面白いな。作者のだいこんくんとやらに会ってみたいと言い出したとき、このブログも結末を迎えることでしょう。


(この葉牡丹は美味しくないらしい)

カナダ・ケベック州はフランス語が公用語です。英語を話す人も多くいますがフランス語のみという人も少なくありません。

ケベック人は自分たちのことをケベコワと言います。生粋の英語系の人は含みません。また、「ケベコワが話すフランス語」の意味もあります。

ケベコワとは、誇りの響きと同時に周辺に位置する地方人であることの意味もあるように私には感じます。

ケベコワの友人が私に言いました。

「フランスに旅行に行ったら、あなたの言葉は何語ですかって私言われたの。ショックでした。私のフランス語が通じなかったんです」と。

フランス本国とはイントネーションが違うのかもしれません。

そう言えば、私は学生時代、タイ・バンコクに留学中、日系企業のご婦人の会に伺った際「ずいぶん日本語がお上手ですね」とお褒めの言葉をいただきました。

丁重に御礼を言うとともに、面倒くさいので最後まで日本語のよくできるタイ人学生ということで通しました。

さて、標題の「うぃ」。フランス語では「はい」を意味します。英語の「YES」に相当します。

ケベックでは「ウィ、ウィ」と町中で言葉が交わされ、英語のイエスより耳に馴染むと私は感じました。私もついウィウィと返したものでした。

そんな「うぃ」が私のスマホの画面で頻出。ローマ字変換で「を」と書くために「wo」と入力しようとするのですが、つい「wi」と打ってしまうのです。そのたびに「うぃ」と表示。

いい加減に私の癖を理解してほしいと願いつつ何年も経過。結局、ユーザー辞書に「うぃ」は「を」と変換するよう登録した次第です。


(この葉牡丹は美味しいのだそうです)

フランス国旗は同国憲法によって自由・平等・友愛を意味するとされています。

フランス語のフラテルニテは、ラテン語のフラテルニタスに由来すると言われています。兄弟を意味するフラテルというラテン語から派生した言葉です。

強い信頼の絆や親愛の情を表わす愛の概念です。

さて、五反田の家庭料理「うさぎ」でその友愛をめぐっての語らいです。

「お昼って外に出ているときはどこで食べるんですか」と生花店に勤めるUさんに尋ねます。

「食堂などで食べることもあります」

「そうすると駐車違反でつかまりませんか」

「店から見ていて、緑のおじさんが車に近づいて来たら、『あれ、おれのだから』って言うようにしています。そうするとさっと引いていきますよ」

「なるほど」

“緑のおじさん”とは、放置車両確認事務の業務を委託された民間法人の従業員のことです。

ふだんは擬態生物のように樹木の陰に隠れ、まったく気がつきません。路上駐車した途端に湧いたように現れる。まるで忍者のようです。

「最近は自分の車でなくても同業者の車両に近づくと『おれのだよ』と言って助けます。これを『友愛運動』って言ってます」

「いい運動ですね〜」

「もともとは水道工事の業者から始まった運動なんです。お互いを助ける運動です。で、われわれ花屋も始めたっていうわけです」

フランス革命に起源を持つ「友愛運動」。周恩来がキッシンジャーにフランス革命の評価を尋ねられ、「結論を出すのはまだ早い」と答えたという。

いま、こうして阿佐ヶ谷を中心に形を変え、“緑のおじさん防衛軍”として繰り広げられていることを周恩来が知ったなら、どう答えるでしょうか。

その普遍性と応用性にきっと感銘を深くすることでしょう。


(雨のいわき駅前の通り)

五反田の家庭料理「うさぎ」で牛乳をめぐっての語らいです。なぜ牛乳が話題になったのかは不明です。

「牛乳ってテトラパックで出てきたとき新鮮でしたよね」

「わかる、わかる。新鮮な感じがした」

「んで、その後四角になって残念な感じがした」

「テトラってなんであのような形なんですかね。あれは確か北欧の特許じゃなかったでしたっけ」

「一連の紙型で組み立てられるんですよ。無駄がないんです」

「なるほど。そうそう、いまでもスーパー銭湯などで瓶で牛乳が売られていますよ。しかも針でフタを取ります。丸い輪っかが付いて」

「あの針ってどうなの。ぶら下がっているわよね」

「飲む前の牛乳だけど、確実に針が牛乳に触れてるよね」

「触れてる。触れてる。確かに」

「不衛生だよね。牛乳に触れたあと、あの針ってぶら下がったまま空気に触れてるでしょ。そんでまた次の牛乳に刺さる」

「次の牛乳に刺さるね。そう言われれば気になりますね。注射器の使い回し」

うさぎの女将さんが作る美味しい料理に舌鼓を打ちながら、牛乳をめぐるどうでもいい語らいに熱くなるのでした。なんの結論も出ない、このような会話が大好きです。


(親友にいただいた極上のマーマレード)

毎週月曜日は私が朝礼でひとこと話すことになっています。話題は職場に着いてから考える横着さ。でも、きょうは違いました。

午前8時24分、音楽が鳴り止んで全員がおもむろに起立します。以下、けさの挨拶の要旨です。

「おはようございます。きょうのひとことはICBMの大気圏再突入についてです」

「どうにも引っかかるんです。『再突入』という言葉が。皆さん思いませんか」

スタッフ一同きょとんとした表情をしています。

「私思うに『再突入』はしていないんじゃないか。要するに初めての大気圏突入なんじゃないかと思うんです。初突入です」

「友達に再会する。これは以前会ったことがあるから再会なのです。再突入と言うからには以前に突入体験があることを意味します」

スタッフたちはだんだんと私の言わんとすることがわかってきたようです。朝からどうでもいいことを聞かせられるスタッフも切ない。

「で、この『再突入』は誤用なんじゃないかと思って調べてみました。すると、英語のreentryの訳なんだそうです。reentryとは、再入場を意味します。つまり、コンサートでホールに入場したあと、トイレに行きたくなって場外にいったん出て、再入場するアレです」

要は大気圏に戻ってきたということのようです。reentryのreはreturnのreと同じ。

どうでもいいことを真剣に調べ、熱く語る上司に呆れつつ、時計は午前8時28分になろうとしていました。

「では、本日もよろしくお願いします」

というわけで、まったくオチのない課長のあいさつにスタッフ一同唖然としながら、12月4日がスタートしたのでした。


(静かなカフェ「TORAYA TOKYO」。東京駅直結のステーションホテル2階にある“私の隠れ家”)

(からつづく)

昨年3月に会って以来の再会。これまた“ユルつながり”の月刊誌編集部に勤めるHさんとの緩い語らいです。Hさんはあんペーストカフェオレ、私は紅茶。少し高いけど“隠れ家”代です。

丸の内側を望む窓際のカウンター席に男が二人並ぶのも悪くない。贈呈で送っていただいた10月号の記事をめぐってしばしの談論。

お互いが持たない情報を交換し合う。現代人は「物々交換」ならぬ「情報情報交換」なのだろうと私は思います。見合う情報あるいはそれ以上のものを持っているかが問われます。

瞬く間に楽しい時間は過ぎ、次回はお酒を飲みながらと再会を約して辞去しました。

自由通路を通って八重洲側に移動。

大学時代の旧友に八重洲地下街の玉乃光酒造で再会。夕方からは居酒屋ですが、昼間は廉価で美味しい定食が食べられます。


(新丸ビルの重厚な姿が好きです。10年が経ちました)

その旧友とはお盆に一家で我が家に来てくれて以来です。寮もいっしょで文字通り寝食を共にした仲。現在、鬱からの回復の途上にあります。試し出勤をして1か月が過ぎました。

「9年前、鬱に自分自身がなったときどのように立ち直ることができたか。じつは緩いつながりの人々によって励まされたんだよ」

「そうなんだ」

「その意味でふだんから職場とは別な次元での緩いつながりを持っておくって大事だと思うんだよね。頻繁に会うわけではないけどつながっている。そういう関係っていうのかな」

旧友の目に光が蘇ってきました。頬の血色も良い。おそらく、しばらくは波はあるものの、必ず回復し以前のように飛翔していくことでしょう。

玉乃光酒造の名物、キンキンに冷えた「みぞれ酒」を酌み交わしながら、帰りの高速バスの中でお腹が緩くなりそうな気配を感じるのでした。

いわき駅に着いてすぐにトイレに向かったのは言うまでもありません。


(首相官邸裏の朝。柳が美しい)

(からつづく)

公開フォーラム「ユルいつながりの強さ」に出席したあと、“ユルつながり”の一人である親友のUさんと深夜まで語らいました。

地下鉄も止まり、山手線も止まって新橋駅から徒歩で溜池山王に向かいます。駅ではホームに座り込んだまま動かない酔客を駅員が抱きかかえて移動させようとしています。

ピンク色の電飾が目立つ新橋の繁華街。呼び込みを避けながら大通りに出ました。交差点に差しかかったときです。

ハザードランプが点滅しているタクシーの脇で40歳前後と思しき男女が乗りそうで乗らない。

何かひそひそと話をしています。結局、女性だけが乗って車は走り去りました。手を振る男性の背中が寂しそうに見えました。午前1時25分。


(神宮外苑の銀杏並木)

虎ノ門に近づいて来ました。文部科学省をはじめ霞が関の省庁の照明がところどころ点いています。特許庁からも灯りが漏れていました。巨大なショートケーキのような懐かしの日本財団ビルの前を通り過ぎます。午前1時30分。

目指す首相官邸の裏に近づくに連れて緊張してくるのを感じます。各所に配置された警察車両。立哨中の警察官の視線が私を捉えているのがわかります。

職務質問されたらどうしよう。粘着性のある視線を振り切って宿に着いたのは午前1時40分過ぎのことでした。

翌朝午前6時に目が覚めました。加齢なる現象の証しです。学生時代だったら正午まで前後不覚で寝ていたはず。

さあ、神宮外苑経由で東京駅に向かおう。“ユルつながり”の月刊誌編集部の知人と会う約束です。

「しがらみ」と「きずな」とは何が違うのか。どちらも関係性であることに変わりはない。ユルさの度合いなのか。そんなことを考えながら神宮外苑の銀杏並木にたどり着きました。

ぎんなん臭くないので安心しました。雄株だけの銀杏並木のようです。

(へつづく)


(銀杏並木が尖塔のよう)

対家庭においては「研修」と称し、対職場においては「有給休暇」を申請しての東京行きです。背広にネクタイを締めて出かけました。

やっぱり最高学府は違うと思いました。トイレットペーパーが柔らかい。しかも、予備のペーパーに丁寧にカバーがしてある。

かつてカナダ・ケベック市の著名なホテル「シャトーフロントナック」に泊まった際、感銘を受けたのもトイレットペーパーの素晴らしさでした。


(東京大学情報学環・ダイワユビキタス学術研究館の男子トイレにて)

報道によると中国の習近平国家主席は観光業の振興のため「トイレ革命」を指示したという。突然お腹が緩くなる私のような人間にとって快適なトイレは極めて大事なポイントです。

さて、東京大学公共政策大学院主催の公開フォーラム「ユルいつながりの強さ」に出席しました。三井不動産による寄付講座です。

メルマガで同フォーラムの案内が届いたとき、まずテーマにぐいっと惹かれました。

「ユルいつながり」

クスッと心の中でほくそ笑みました。もしや、私のような腹痛系の人種同士の絆を確認し合う場なのではないのか、と。これまでの苦闘や悲劇を共有し合う場なのかもしれない。

もちろん違いました。


(ドトールでフォーラムの振り返り)

基調講演、パネルディスカッションともに有意義でした。特に若いながも明晰な論を展開したパネリストの一人、信岡良亮氏(1982年生まれ、株式会社アスノオト代表取締役)に今後も注目したいと思います。

会場からの質問に信岡氏は即座にかつ論理的に答えていました。瞬時に質問に答えられるということ、それは常日頃から深く思索を重ねていることの証しです。

話の上手な人は少なくありません。でも、様々な質問に対して即座に答えることは至難です。私の仕事の師匠のYさんも電光石火で答えが返ってきます。そこにすごさを感じています。


(こんなに美味しいスナップエンドウに出逢ったのは初めて。五反田家庭料理「うさぎ」)

フォーラムのあと、「うさぎ」において久しぶりに阿佐ヶ谷の生花店に勤める親友と再会。熱い語らいの結果、終電を逃しました。未明の東京を歩くという得難い経験をすることができました。

首相官邸の向かいに上京の際に定宿にしている宿舎があります。夜の官邸は静まり返っています。警護の警察官の鋭い視線を午前1時40分に浴びました。

それにしても、悪いことをしていないのにどうして心臓が高鳴るのでしょう。

(へつづく)


(私が来店するということでわざわざ千葉の漁師から取り寄せた鯵ほか。五反田家庭料理「うさぎ」にて)

小学生のころ古代文明に魅せられていました。『ツタンカーメンの呪い』と題した本を読み進めるうちに恐怖におののく私。

当時、就寝前に本を読む癖がありました。寝床で恐怖に震えました。こんなもの読むんじゃなかった、と。

喉が渇き、目が冴えていきました。闇の空気が重くのしかかってきます。目をつむるとツタンカーメンの黄金のマスクが迫ってくるような気配を感じました。

ツタンカーメンのミイラ発掘に携わった人々が次々に不審な死に見舞われていく。それはツタンカーメンの呪いによるものなのである、と。そんな内容の本でした。

閑話休題。駐エジプト日本国大使館の香川剛廣大使の講演会が地元の大学で開催されました。大使は聴衆に尋ねます。

「エジプトと聞いて何を連想するか」

幸いにして私は指されなかったため、「ツタンカーメンの呪い」との答えを述べる機会を逸してしまいました。

大使にとってエジプトとは何か。それは「ナイルの民」である、と話していました。また、エジプトが農産物の輸出国であることを教えてくれました。日本でも玉ねぎや冷凍イチゴをエジプトから輸入しているとのこと。


(親友との語らい。五反田家庭料理の店「うさぎ」にて)

大使は外務省入省後、研修で2年間エジプトに派遣され、下宿生活を営むこととなったという。下宿先の主人の名はクレオパトラ。

「クレオパトラのイメージが一瞬で崩壊した」というクレオパトラおばさんの下での2年間。その貴重な生活体験を聞かせてくれました。

上述のような大使の話を都内の生花店に勤める親友のUさんに披露すると、親友はおもむろに話し出しました。

「遠方から地域に住む人からの依頼で毎年同じ時期に同じ女性に同じ内容の花のお届けの依頼があるんです」

「へ〜、そうなんですか」

「それで、毎年同じ花をお届けしているんですけど、依頼主のご指定ですからね、でも『毎年同じね』って苦情を言われるんです」

「しょうがないですよね」

「で、その人の名前は山◯百◯って言うんです」

「本当ですか。すごいですね。百恵ちゃんにお花のお届けですか」

「同じ姓名ですけど、80歳を過ぎたふつうの人です。初めてお届けに行ったときはドキドキしたものでした」

というわけで、人生半世紀も過ぎると恐怖のおののきも期待のドキドキも薄まってくるようです。枯れて、いや、涸れてきたのでしょうか。


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