(新政府軍は海からやって来ました)

逆行催眠あるいは退行催眠にあこがれた時期がありました。自分の過去はどのようだったのだろう、と。

退行催眠は、出生を通り越して、前世の自分を垣間見ることができるという。記憶の奥底をたどることによって前世の記憶が蘇るのだそうです。

ところが、長じるにつれて退行催眠への憧憬は薄らいでいきました。人類の歴史を知れば知るほど、殺し合いがあまりにも多いことに気づいたからです。

私自身、加害者・被害者、双方ともになっていた可能性があります。刀を振るってずばっとやっていたかもしれないですし、背後から突き刺されていたかもしれません。

先日、6回連続講座の「いわきの『戊辰戦争』」第4回に参加しました。今回のテーマは「笠間藩神谷陣屋の受難 〜中神谷から薬王寺、八茎へ〜」です。

初めて知りました。現在のいわき市域の人々が新政府軍と旧幕府軍とに分かれて相争い、殺し合ったことを。

これまでの私の理解は、単純に新政府軍が北茨城の平潟港から上陸し、平城を攻めに来たとばかり思っていました。

違っていたのですね。あまりにも単純でした。浅学を恥ずるのみです。

当時、市北部には笠間藩の飛び地があり、同藩の神谷(かべや)陣屋がありました。大雑把に言えば、夏井川の北側が笠間藩領、そして南側が磐城平藩領です。

笠間藩本藩の牧野家は新政府軍に恭順の意を示していました。奥州越列藩同盟に属する磐城平藩にとっては敵ということになります。

150年前、この地で、言うなれば“市民戦争”が行われたのです。

毎日、通勤で歩いているこの地は、じつは死屍累々の血塗られた戦場だったのです。

鼻歌を歌いながら、ほろ酔い気分で歩くこの道にも凄惨な歴史が留められているのです。

私は知っています。たまに待ち合わせに使う、あの角の薬局が刑場跡だったことも。

というわけで、きょうの教訓です。

知ることも大事、知らぬことも大事。

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