- 2017.10.13 Friday
水戸黄門と排除の論理
(夕暮れのいわき駅)
学校から帰るとテレビドラマ「水戸黄門」の再放送に見入っていました。午後4時開始が楽しみでした。
「水戸黄門」の面白さは、煮詰まった地域課題を解決してみせるところにあります。「煮詰まった」とは、当事者ではどうにもこうにも解決策が見出せない状況を言います。
地域課題の多くは、広い意味での統治する側と統治される側との齟齬(そご)や軋轢(あつれき)によって起こされるといってよいでしょう。
では、黄門様はどのようにして解決するのか。
それは、いまで言うところのリセットによってであります。
リセットとは「排除の論理」です。要するに取り除くということです。
「お主も悪よのう」「お代官様こそ」と互いにいやらしい高笑いをする悪代官や悪徳商人を成敗し、排除する外科的手法によって行うのです。
劇的であるがゆえにスカッとします。じつに気持ちがいい。小学生の私でもカタルシスを感じたものです。
ときに「もはやこれまで」とか「こいつは御老公様などではない」などと悪あがきをする者もいます。が、基本的に成敗されます。
しかし、と私は言いたい。これでいいのだろうか、と。
黄門様は当地の地域課題に対してアフターフォローをしません。黄門様もまた高笑いをしながら当地を去って行ってしまいます。
煮詰まった地域課題は、じつはそこに住む人々の長年のしがらみによって統治者と被統治者の間に蔓のようにからまっているものなのです。
したがって、当地に住む人々の意識改革がなされなければ真の課題解決はなされないことを知る必要があります。
これは言わば漸進主義です。時間がかかります。排除ではなく、包括的です。
創業は易く守成は難し。
新たなことをすることは難しいように見えて簡単なことです。劇的でスカッとする。本来、政治にカタルシスを求めてはいけないのです。
一方、より良い方向につねにメンテナンスすることこそ至難です。面倒で手間がかかる。
この面倒くささを厭わぬリーダーこそ本物のリーダーであると私は言いたい。その意味で黄門様はリーダーではありません。
私を含め、印籠登場時間の45分程度で解決を喜ぶ国民性を改めずしてこの国の未来はない、とつぶやきたいのです。
同様にリーダーも「排除の論理」によってすべてが解決するかのような言説をふりかざすことはやめてもらいたい。
漸進主義こそ真の解決方法であり、「排除の論理」の究極は戦争に行き着くのですから。
- 思うこと
- 19:55
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- by だいこんくん