(かわうちの湯にて)

年頭に当たり本年の目標を掲げます。第一に小川のカントたらんとすること。第二に列車の中、待機している間、就寝前に本を読むこと。第三に逆流性食道炎を治すこと。

「小川のカント」については、「時計代わりにされていた私」を参照。

カントは『純粋理性批判』で述べています。「認識が対象に依存するのではなく、対象が認識に依存する」と。

リンゴが赤いのはそう見えている人間の側の認識によるものであり、赤い色を認識しないミツバチは赤色とは見ていない。

つまり、認識次第で対象の見え方が異なる。ありのままに見るということは幻想の世界であり、人はみな色眼鏡をかけて物事を見ている。

このような発想の転換をコペルニクス的転回と呼んでいます。

人間は複雑な存在です。半世紀を生きてきたいまだ自分を認識できていません。

さて、オランダ語に由来する「レッテル」。

レッテルを貼ることは対象に対する認識の正確性に誤謬をはらむおそれがある一方で、把握を容易にします。一言で言えば便利です。

「北朝鮮」にどのようなレッテルを貼っているでしょうか。東北人、関西人に対してはどうでしょうか。現職の総理大臣に対してはどうでしょう。

心理的距離が遠くなるほど、私たちは単純なレッテルを貼りたがる傾向があります。

自分の親、配偶者、子どもに対してはどのようなレッテルを貼っているでしょうか。あるいは貼っていないでしょうか。

親しい人にはレッテルは貼らないものです。不要だからです。

さて、コンビニでアルバイトをしている息子が言います。

「お客さんってだいたい同じ物を買いに来るんだよ」

「そうなんだ」

「だから、たとえば、あるおじさんは、いつもタバコはクール・マックス8。心の中で『クール・マックス』って呼んでいるんだ」

ちなみに、「マックス8」はメンソールボール内蔵、メンソールを超強化していることを意味します。8はタール8mgの意。

「そうするとお父さんもレジの人に心の中でレッテル貼りされているのかな」

「そうだよ」

私は馴染みのセブンイレブンで干し芋をよく買います。飲み会のあとはハーゲンダッツのストロベリー、塩気がほしいときはカルビーのポテトチップス限定版。

「干し芋のおじさんが来た。ほんとこの人は干し芋が好きなんだね。顔が赤いときはいつもハーゲンダッツのストロベリー」というようにおそらく認識されているに違いありません。

というわけで、小川のカントたらんとする私であります。店員さんの心の中でいかに呼ばれようとも「干し芋おじさん」を貫く決意を固めたのでありました。

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