(もうそろそろ蛍が飛び交います)

私はよく聞き間違いをします。軽度の難聴があり両耳に補聴器を入れています。

日常の会話であれば、聞き返すことで相手の話の意図を知ることもできます。

大きな問題にはなりません。

しかし、重要な会議の場合では、聞き返すということは勇気が要ります。

ですので、緊張して聞き耳を立てて聞き取ろうとします。質問がよく聞き取れなかったときは、前後の言葉や表情から推し量って質問の主旨を考えます。

それが的中すればいいのですが、ときに外れます。とんちんかんな答弁をして顔を赤くすることが何度もあります。

そのようなとき、周りの職員がすぐ間違いを指摘するなど、助けてくれます。でも、やっぱり、恥ずかしい。気落ちします。

が、最近はこれでいいのだと思うようになりました。

以前は失敗した際、落ち込みました。嫌な感情がいつまでも残りました。自己否定の思いを強くしていました。負のスパイラルというやつです。

ところが、いつしか、開き直りというのか、面が厚くなってきたというのか、感情が鈍磨してきたのか、とにかく気になるという感情が薄らいできました。

我が国の政治家を見ていると私は勇気付けられます。自信が湧いてきます。

なぜなら、いかなる非難・中傷があろうとびくともしない。嘘つきと言われても自信に揺るぎがない。堂々たる姿です。惚れ惚れします。

落ち込んでいる為政者を私は未だかつて見たことがありません。

私もまた腹の据わった生き方をしてみたい。そう思うようになりました。

ここでナポレオンの箴言(しんげん)を引きます。

「状況?何が状況だ。俺が状況を作るのだ」

この図太さに私たちは学びたいのです。どのようにすればこういった威風を身に着けることができるのか。

「これでいいのだ」 --- この世に生を得て50年が過ぎ、ようやくたどり着いた私の結論です。

というわけで、これでいいのでしょうか。


(出国したい)

33年前、18歳のとき初めて外国に行きました。キャセイパシフィック航空を使い香港経由でタイとシンガポールを訪問。キャセイの名は契丹(きったん)に由来します。

機内食が意外なほど美味しかったのを覚えています。重々しい金属製のナイフ、フォーク、スプーンが揃えられていました。カミュのコニャックも試飲できました。

さて、香港啓徳空港に近づいてきたとき、思わず足に力が入りました。体全体で力みました。

ビルの合間を縫うように着陸態勢に入ったからです。翼がビルに触れるのではないか、いや、衝突するのではないか。ぶ、ぶつかる、と本気で思いました。

いまだに飛行機がなぜ飛ぶのか、心から納得がいかない私。ずんぐりむっくりした機体を見るたびに思います。無理なことをやっているのではないだろうか、と。

啓徳空港の着陸態勢への恐怖は、たびたび夢の中に登場する墜落シーンの土壌になっているような気がします。

唯識論で言うところの第七識の末那識(まなしき)にトラウマとなって沈殿しているのでしょう。

一方で矛盾しているようですが、飛行機を操縦してみたいという願望があります。20年前、カナダ上空で日本航空のボーイング747-400のコックピットに入らせてもらいました。操縦桿を握ってみたいと強く思いました。

どこまでも広がる高高度の空を眺めながら、機長と言葉を交わしたことは貴重な思い出となっています。

「離陸と着陸はどちらが緊張しますか」

「じつは離陸なんです。着陸は案外、簡単なんですよ」

「そうなんですか。反対だと思っていました」

「この747-400、いわゆるジャンボ機は搭載燃料がものすごいのです。重いということです。万が一何かあれば、引火し、爆発します。それを恐れています」

爆発は嫌ですね。熱いのは苦手です。

このところ感じるのです。飛行機と違って人生は着陸の方が難しい。そもそもどこに着陸していいのか見当がつかない。着陸の仕方もわからない。

というか、私の場合、すでにコケているような気がします。

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