(朝のカフェで読書)

朔立木著『終の信託』(ついのしんたく)をカフェで読了。読み進めるうちにストーリーの展開に身に覚えがあることに気づきました。このデジャヴ感は何からくるのだろう。

患者を安楽死させた疑いで呼吸器科の医師が告発されるという物語。

呼吸器科には深い思い出がある私です。

「星々のつぶやき」でも何度か触れています。30歳のときに肺がんの疑いで私は公立病院で気管支鏡を飲んでいます。

※「アンドロメダ星雲(上)」を参照。

気管支鏡検査は憲法第36条の規定に違反するのではないか。私はそう信じています。

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」

「絶対に」というところがミソだと思うのです。私は見事にやられました。


(雨のせいでうなだれています)

担当医に私は尋ねます。

「先生、私、まだ胃カメラも飲んだことがないんですが、気管支鏡ってつらいんですか」

「頑張ってくださいっ」

私、本当に頑張りました。自慢してもどうしようもないことを知りつつ、やはり訴えたい。

今まで生きていた中でいちばん頑張った。そういえるのが、気管支鏡検査だと。今もなお強く自負しています。

さて、話を『終の信託』に戻します。

「最期のときは、長引かせないでほしい」― 重度の喘息患者の願いに医師はどう応えたのか。

最終盤にきてデジャヴ感の原因がわかりました。

そうです。今回、再読だったのです。

ショックでした。再読していることに気づかず読んでいたのです。

物語の内容そのものよりも、その記憶障害という事件にショックを受け、私は気落ちしています。

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