(春到来)

私が時計代わりになっている。些細ではあるものの驚愕の事実を知りました。

毎朝、通勤で自宅から最寄りの小川郷駅まで2キロの道のりを歩いています。ルートはいつも同じ。出発時刻も午前7時10分、毎日変わりません。

そんな私が経路上の小川中学校への送り迎えのお母さん方に時計代わりにされているというのです。

「○○くんのお父さんがここまで来てるよ。きょうは学校に遅れちゃうよ」あるいは「○○くんのお父さんの姿がまだ遠いから間に合うね」「○○くんのお父さんとすれ違ったね」等々。

そういった会話が車内で交わされていることを家人から聞かされました。

地域のお母さん方に見られている。しかも、ただ見られているだけでなく、時計代わりにされている。

この話を聞いて、私は「小川のカント」たらんと思いました。

そして、背筋を伸ばして歩こう。音楽を聴きながら歌を口ずさむのはやめよう、と。

プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であったイマヌエル・カントは規則正しい生活をすることで有名でした。

特に散歩は時間にぴったりに行われていたため、散歩するカントを見て人々は時計を直したといわれているほどです。

私の場合、規則正しく最寄り駅に向かっているのではなく、徒歩で間に合うぎりぎりの出発時間が午前7時10分というだけの話。

ここが大きな違い。カントと比べるのもおこがましい。

ここまで綴っていたら、カントの墓碑に刻まれている言葉が蘇ってきました。

「ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、 天上の星の輝きとわが心の内なる道徳律」(『実践理性批判』)

というわけで、わが心の内には何らの道徳律もなく、慨嘆するばかりですが、午後8時に信号機が点滅信号になる田舎ゆえ、天上の星の輝きは抜群です。

しかし、それにしても見られているとは知らなかった。

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