(ホロホロ鳥の卵)

かつて東京財団週末学校で学ぶ機会をいただきました。「公とは何か」。同学校でまっさきに問われ、そして終始提起されていた問いでした。

その答えは別な機会にゆずるとして、今回は「公」の対比としての「民」について少し触れたいと思います。

まず「民」という字のつくりについてです。

「民」は、片目を針で刺した象形に由来します。つまり、片目をつぶされた被支配民を意味するというのです。

確かに「民」の字の中に針があるような気がします。ぞっとする話です。

さて、行政サービスの目的は何か。サービスの受益者(住民)の満足度を高めることでしょうか。

住民に満足してもらうことは当然なことでしょう。

さらに重要な視点は、限られた税収の中から、なぜそのサービスが提供されるのか。その理由を明確に説明し、住民に納得してもらえるかどうかにかかっているのではないか。

今井照氏は述べています。

「『ある程度の満足』というときの『ある程度』を最大化することが政策選択なのであって、百%の満足を提供することではないのです。むしろ、誰かが百%の満足を得たとしたら、そこには問題があるのではないかと疑ってかかるべきかもしれません」と。
(出典:今井照『新自治体の政策形成』、2001年、学陽書房)

ある程度を満足してもらう「手続き」の透明さこそが求められている。そうとらえることができます。

その意味で「満足」以上に「納得」が重要であると私は思っています。

「納得」とは、情報の開示であり、手続きへの関わりであり、意思決定プロセスへの住民の参画のことです。ここに「顧客主義」の視点を超えた別な「民」の姿が見えてきます。

というわけで、針が刺された「民」に刺激されて、谷崎潤一郎著『春琴抄』を再読したくなってきました。春琴を思う佐助は自ら両眼を針で突き、失明しました。

さらに、「佐助」に影響を受けたのでしょうか。久しぶりに映画「犬神家の一族」も見たくなってきました。犬神家の方は、佐清(すけきよ)です。

Comment
勉強になった!
深いね
  • おこちゃん
  • 2017/04/21 13:22





   

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