(夜のホールの静寂。アリオスにて)

からつづく)

人生初の「赤痢の一歩手前」の体験。赤痢は俳句の夏の季語にもなっているくらい以前はなじみの感染症でした。

さて、重症化していた妻は入院しなければなりませんでした。

「旦那さんは、前にタイに留学していたときに耐性ができているのでしょう。軽いので入院は大丈夫です」

「では、私は近くのホテルで泊まって明日の朝また病院に来てみます」

「奥さんと同じ部屋に泊まれるように手配しますから安心してください」

バンコク総合病院に入院(宿泊)して気が付いたことがあります。

それは、医師・看護師、配膳係など従事者が「患者に気を配る」ということです。「患者が気を使う」風景とは対照的でした。

海外で病気になると現地の食べ物は受け付けないものです。異国の食べ物はどんなに美味しくても、身体が健康のときにのみその美味しさを味わえるものなのです。

緊急外来の女性の医師は海外留学の経験から、おそらくそのことをわかっていたのでしょう。

日本食を配膳するよう、その医師が指示したのだと思います。翌日の朝食に日本食が出されました。

しかし、料理は天ぷらとスイカでした。代表的な日本食といえば天ぷらです。患者の症状までは厨房に伝えなかったのでしょう。

でも、その真心がうれしく、私は天ぷらもスイカもぜんぶいただきました。

同病院に貫かれている「患者に気を使う」あるいは「患者に気を配る」振る舞いは私に強いインパクトを与えました。

翻(ひるがえ)って思うに、新婚旅行で日本に来たタイ人夫妻が入院したと仮定して、もちろんタイ料理の食材はないにしても、「タイ料理を出してあげたい」という発想が自然に出てくるだろうか。

仮に私自身が医療従事者だとして、それは疑問です。

私たちの心には何が不足しているのか、と私は考えざるを得ませんでした。

へつづく)

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