(自分と子どもの分の弁当を作っています)

このごろどうしたわけかずいぶん前に食べた食べ物が恋しくなっています。

先日はトルコ料理のピタ・シャワルマについて触れました。

こんどはソウルの「土俗村(トソッチョン)」のキムチがまた食べたくてしょうがない。発作のように欲しています。嗚呼、食べたい。

参鶏湯(サムゲタン)の名店として知られる土俗村。景福宮の近くにあります。

店内は大変に混み合っていました。座敷に通されると座卓の上に15センチほどの高さの壺が置かれていました。

キムチの壺です。ぎっしり詰まっていました。

参鶏湯が出てくるまでの間、キムチでもつまんでいようと思い、一口食べてみました。

これが美味しい。かつて経験したことのない美味しさです。

キムチが発酵食品であることを改めて気づかされました。魚介系の複雑なアミノ酸の旨味。そして、白菜を中心とした野菜がほどよく発酵しています。

酸味と旨味と辛味が効いた絶妙な美味しさです。旨味がずば抜けていました。

日本のスーパーで見かける、安易に砂糖で調味したキムチとは格段の違い。別な代物といってよいでしょう。

なんぼでも食べられる。気がつくと壺の中にあるキムチを平らげてしまいました。

その後に出されたメインディッシュの参鶏湯も当然に至極美味ではありました。

しかし、私が感銘を受けたのはお通しにしか過ぎないキムチがあまりにも美味すぎるということ。手抜きをしていない。

お通しとは序曲であり、プロローグです。脇役です。にもかかわらず、土俗村のキムチは主題と同等あるいはそれ以上の存在感で迫ってきました。

メインを大切にするのは当たり前です。そのような中で、メインではない部分にいかに本気で迫れるか、そこが大事だと最近になって感じられるようになりました。

そこに本物かどうかが表れるのだろうと思います。私自身においても脇道を極めていこうと決意した次第です。

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