(家のとなりの田んぼにホタルがいました)

星々のつぶやきは、「子どものころ」で始まる記事が多い。昔話の「昔々あるところに」、経典の「如是我聞」と同じ類いだと思ってほしい。

さて、子どものころ、父の枕のにおいが嫌でした。家族の中で父のものだけが異臭を放っていました。父だけが放つ特別なにおい。

子ども心にも不思議に感じました。そのころ、加齢臭という言葉は知らず、我が家の父固有の現象だと思っていました。

いまも即座に鼻腔の奥に父のにおいを再現することができます。

「うわっ、お父さんのにおいがする」と枕以外にも父のにおいのしみ込んだ作業着などを私たちきょうだいは敬遠していました。

「いいにおい」と安心感を与えてくれる母の枕とは対極的なインパクトが父の枕にはありました。

母の枕には包容性があるのに、父のそれには拒絶性がありました。

しかし、日常の父の振る舞いは、その放つにおいとは対照的で、包容力があったと思います。

父が白血病を患い、2人部屋に入院中のこと。同室の高齢の婦人が口癖のように「お父ちゃん来ないな、お父ちゃん来ないな」と発していました。

父は熱を出して具合が悪かったにもかかわらず、「もうじき来るよ」と慰めていました。父は自分の方がつらかったはずです。

看護師さんのことも名前を憶え、一人ひとり名前で呼んでいました。

“おやじ”という存在は、その成り立ちからして親和性だけでは生きていけないのでしょう。一族郎党を守るため、ときには敵と戦わなければならない。

その意味で一定程度の拒絶性を持つことは必然なのでしょう。しかしながら、それは真の敵に対してのみ行使されるものでなければなりません。

そうでなければ、“おやじ”はその放つ加齢臭と同じく周りから拒絶され、やがて放逐される存在となりましょう。

自分に敵対するという理由だけで、目の前にいる人を受容せず、拒む。無視する。せせら笑う。

目の前の人を馬鹿にするこの“おやじ”の狭量こそが、今回、皮膚感覚で嫌われたのではないか。

真の“おやじ”とは、真の敵に対してのみ戦うべきです。そのときこそおやじ臭を猛烈に放ちながら戦うのです。

しかし、「気に入らない人」と「敵」は、同義ではありません。そこを取り違えてはいけない。

というわけで、包容力のない、器の小さな“おやじ”が増えてきたのかもしれない。そんなふうに東京の喧騒を遠目に見て思いました。

蛇足ながら、最近、私も父のにおいに似てきました。遺伝というやつでしょうか。

耳のうしろと首周りはウェットティッシューで清拭するようにしています。

Comment
最近、息子のにおいが父に似てきました…
  • おこちゃん
  • 2017/07/05 20:45
おこちゃん 様 ご愛読いただきありがとうございます。においの隔世遺伝ですね。
  • だいこんくん
  • 2017/07/06 13:44





   

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