(川内村のカフェ・アメイゾンにて)

「まえがき」から心にずっしりとくるものがありました。高原のカフェで夏苅郁子著『人は、人を浴びて人になる』を読み始めました。私以外客は誰もいません。

この本と出会った経緯については前号「人は、人を浴びて人になる」で紹介しました。

冒頭、著者は綴っています。

「この本は、重い精神の病気になった母親に育てられ、青年期に自身も精神科の患者となり、後に精神科医となった私と、私を助けてくれた人たちの物語です」

次の文章に私は釘づけになりました。そして、胸が重苦しくなっていきました。

「人生は、基本的には不公平だと私は思っています」「過酷な体験は、その人の風貌にも人格にも影を落としてしまいます」

著者は語ります。

「私は青年期になると、父も母も殺したいと思うようになっていました。不公平の元凶を消して自分も死んで、私の代でこの家族はいなくなればいい・・・・・本気でそう思い、いつもカバンに出刃包丁を入れて歩いていました」

なぜカバンに包丁を入れていたのか。

「包丁を持っていると、ほっとしたのです。結局は親を殺すことはできず、その刃は自分に向けられました」

「まえがき」に続き「序章」、「第1章」と読み進めるうちに、ごつごつした険しい岩場を登っていくかのような辛さを感じました。

ところが、読み終えたいま感じることは、違います。不思議な安堵感であり、ある種の爽快感です。

心の中の長く暗い嵐が過ぎ去り、日の光が輝き出しました。滴の美しい音が聞こえます。

著者とともに半生を追体験したかのような、そんな読後感を持ちました。


(「私を回復に導いたのは『薬』ではなく『人』だった」)

「あとがき」で著者は述べています。

「いつもと同じ日々、何気ない平凡な日々を今日も送れたことに、穏やかな幸せを感じる。こんなにも平和な時間の中に自分が今いることが夢のようで、信じられない。こんな未来が待っていようとは、30年前の私は想像もできなかった」

著者は訴えます。

「人は、人との出会いで変わることができる」と。

どんな出会いが著者を変えていったのか。人が回復するとはどういうことか。

その物語が、著書の副題にある「人生をつないでくれた12の出会い」です。

秋の夜長に虫の声を聞きながら、もう一度じっくりと読もうと思います。

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