(野ねずみが朝日を浴びて目を閉じていました)

幼少期に母にたくさんの絵本を読んでもらいました。聴力がやがて失われると診断された息子に母は必死に読み聞かせをしてくれました。

絵本はいまでも好きです。でも、絵は上手く描けません。

中学2年生のときです。自分なりに一生懸命に描いた絵。それを美術の先生に「なんだこれは。描き直せ」と言われたときはショックでした。

河川で砂利を採取するキャタピラー式の重機を描いたつもりでした。

いったい何の絵なのか先生に理解されなかったようです。悲しい思い出です。この種の重機は私のトラウマです。

それからさかのぼること数年、小学生のときには「音痴」と家族に言われ、やはり心に傷を負いました。

感じていることをそのまま当人に伝えることはときに危険です。否、多くの場合、危険を伴います。

率直に伝えることのリスクを自身の体験から私は学びました。

事実は、事実という理由によって告げていいのか。もちろんウソを言うことはよくない。

しかし、事実もまた必ずしも伝えていいとは限らない。そう私は思うようになりました。

かように「事実」と「伝える」ことには、千尋の谷ほどの乖離があります。

ですから、大声で「ハゲー」などと言う人は非情な心の持ち主だと思います。たとえ事実であったとしても。

とともに、言葉の持つ不思議な力を子ども心にも感じました。言葉はまさに呪文です。

いったん「音痴」と称されてしまうと、自分もそう信じ、その呪縛から解き放たれないのです。

閑話休題。

ずいぶん遠回りしましたが、本日の本題は、絵本のことです。このごろ、絵本を書いてみたいという思いがふつふつと湧いてきます。

家の周りには野鼠、狸、狐、ハクビシン、雉、川鵜、鴨、鷺といった小動物が棲んでいます。

彼ら彼女らを登場させて物語が作れないか。そんなことを夢想しています。

ま、夢想しているうちが花なんですけどね。

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