(いわき芸術文化交流館アリオス。しゃがむと世界が違って見える)

「平和と親善を目的とする五輪に、戦争と対決を招く空母が出場できる種目はない」--- 北朝鮮は祖国平和統一委員会のウェブサイトに米空母を牽制する論評を掲載したという(2018.1.13ソウル時事)。

なかなか上手いこと言うなと思いました。人は言葉の応酬をしている間はまだ後戻りできる余裕があります。いよいよのとき人は寡黙になります。

この北朝鮮の論評に対して、いずれにしても米空母は「金」を狙っている、とネット上でコメントした人がいました。これまた当意即妙な返しだと感じ入りました。

服を買いにユニクロに行きました。各コーナーにはモデルが着こなしている写真が貼られています。どれも素敵です。じつにカッコいい。

馬子(まご)にも衣装。公家にも襤褸(つづれ)。

そうは言うけれど、それは違うなと思いました。確かに人は着る服で立派にもなり、みすぼらしくもなる。そういった一面があることは否定しません。

けれども、カッコいいモデルが着れば何を着ても様になるのです。仮に蓑(みの)を着せたとしても、モデルはカッコいいはず。むしろワイルドさが際立つことでしょう。

私が蓑を着たらどうなるか。

「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」(後拾遺集)を彷彿とさせるひもじさ溢れる世界が現出すること間違いありません。

ですから、モデルが着ている写真を見ていい服だと思って買ったら、メーカーの思う壺。まるでスーパーの試食コーナーで食べた際の感激と食卓での落胆にも似た悲劇を味わうことになります。

というわけで、ふと気がつくと日曜日の夜が更けてきました。明日は月曜日。そう思うだけで気が滅入ります。

蓑を着た夢でも見てみましょう。なんだか無性に蓑が着たくなってきました。

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