(古布展を見に行きました。ギャラリー木もれびにて)

今月7日に土木学会が発表した「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」を読んでいます。80頁弱のボリュームです。

「南海トラフ地震が発生した場合、その後20年間の経済被害は最大で1240兆円との推計を発表した」(時事通信、2018.6.7)等と報道では1240兆円の被害額が注目されています。だから、まさに国難である、と。

私が興味を持ったのは違う箇所でした。なるほどそういう視点で見る必要もあるのだ、と災害と国家運営の関連性に注目しています。

同報告書2頁から3頁にかけて歴史に禍根を残した「国難災害」が参考資料として簡潔に紹介されています。以下、抜粋です。

<リスボン大地震>
1755年にポルトガルの首都リスボンを襲ったマグニチュード8.5〜9.0の巨大海溝型地震。リスボンの建築物は壊滅に崩壊し、大火災が発生するとともに15メートルの巨大津波が都市を襲った。

リスボン人口の約3分の1に相当する9万人が死亡したと推定され、被害額は最大で当時のポルトガルのGDP比で153パーセントと言われている。

復興政策で内政の混乱を引き起こし、海外植民地拡大の勢いが削ぎ落とされ、国力の衰退を招いた要因の一つとも指摘されている。

<幕末・安政の複合災害>
1854年11月4日(旧暦、以下同じ)に安政東海地震、32時間後の翌5日に安政南海地震。いずれもマグニチュード8.4の規模。約3万人が死亡。

翌1855年10月2日に安政江戸地震が発生、マグニチュード6.9の首都直下型地震により約1万人が犠牲に。

さらに翌1856年8月25日に安政江戸暴風雨が発生、約10万人が死亡したとの記録もある。

1853年の黒船来航以来、幕府の求心力が低下していていたところにこれらの災害が追い打ちをかけ、倒幕の流れが加速された。

江戸幕府が終焉を迎えたのは、地震発生から12年後のことであった。

<ボーラサイクロン>
1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(現在のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲った巨大サイクロン。

沿岸の島々が高潮に襲われ、最大死者数の推計が25〜50万人というサイクロン史上最大級の犠牲者を出した。近代の自然災害としては最悪のものと言われている。

この災害の対応をめぐって東パキスタンはパキスタン中央政府に反発し、サイクロンから4か月後の1971年3月に内戦状態に陥り、その直後にバングラデシュの独立が宣言された。

つまりそれは、国家を分裂させ、バングラデシュを産み出すほどの巨大な破壊力を持ったものであった。

というわけで、まさに国難とはこういうことを言うのだと得心した次第です。

備えあれば憂いなし。その先憂後楽がなかなかできない。巨大災害は、死に似ていて、今日明日にでも起きるかもしれないし、当面、大丈夫かもしれない。

そこに油断が生じるのでしょうね。

油断大敵。私も油断してここ2か月で2.7kg体重が増えました。こういうものは“私難”と称するのでしょうか。

もうはまだなり、まだはもうなり。

もう2.7、いや、まだ2.7です。これから右肩上がりで増えていく予感。

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