(ダイニング・マナにて。手前はコーヒーの木)

納豆のタレ袋。シャワー付き便座。髭剃りの刃。こういったものこそ日本の真骨頂だな、とつくづく思います。

これでもか、これでもかと思うほどじわじわと進化していきます。

納豆のタレ袋。

どこからでも切れます。もうそれで十分に改善の余地はないのではないか。私は喝采を送りました。でも、進化はとどまることを知りません。

“どこからでも切れますタレ袋”の場合、長方形の短辺をびゃっと切る瞬間にタレが飛び出すおそれがあります。よしんば慎重に切ったとしても、タレの入ったタレ袋本体と引きちぎられる側との最後の綱引きにおいて約3割の確率で失敗します。

つまり、最後の綱引き時に引きちぎる右手の力に抗するため、タレ袋を持つ左手にも作用・反作用の力学により、つい余計な力が入り、タレ袋の側面を圧迫してしまうのです。

映画館でポテトチップスの袋を音を立てずに開ける、あの息詰まる技と力学が必要となります。

さらに、引きちぎられた側の残渣にもわずかながらもタレが含有していることがあり、右手によっても液体の飛散が発生します。

※利き手が右の場合。

これらの飛散事件の発生を防止するために次に登場したのが、擬似ノズル方式です。

「どこでも」から「ここから」切る、と先祖返りしたかのような指示。カーブに沿って切っていくと、あら不思議、注ぎ口の完成です。

「どこでも」タイプとの違いは、何と言っても切り口の断面積が小さいこと。「どこでも」タイプの場合、最大でタレ袋の長方形の短辺すべてが断面積となります。

しかし、残念ながら、最後の綱引きの問題は小さくなったとはいえ残っています。びゃっと引きちぎる瞬間は用心するに越したことはありません。

この一連のタレ袋問題解決の切り札として納豆の上蓋にゼリー状のタレを内蔵するシロモノも登場しました。あれとて、発泡スチロール製のふたを押し割る瞬間、内蔵ゼリータレが飛散するおそれは十分にあります。

次にシャワー付き便座です。

先日、オープン間もない東横INN新宿御苑前駅3番出口に泊まりました。もちろんシャワー付き便座が完備されています。

シャワーボタンとともに「ムーブ(マッサージ)」ボタンも押してみました。

こっこれは...。

名状しがたい気持ちよさに襲われました。これまで味わったことのない、新しい世界に誘(いざな)われる予感がしました。

これは危険過ぎる。「止」ボタンを押さなければ、いやもう少し味わっていたい。アンビバレントな気持ちの狭間で葛藤が生じました。

というわけで、このようなタコツボ的技術を磨き上げていくことにかけては日本人は世界一だと思います。

一方、イノベーションとはこれまでにない仕組みを世に出していくことと言ってよいでしょう。

イノベーション (innovation)の語源はラテン語のインノバーレ(innovare)。「中に」を意味するinと「新しい」という意味のnovaによって構成されています。新たな仕組みの構築には旧態のそれを破壊し、葬り去る必要があります。

つまり、泣く人が出るということです。私たちにそれを敢然と行うことができるでしょうか。泣く人とは既得権益を享受している人です。

イノベーションとは、新しいことを創り出すだけではなく、旧い人々(組織)を市場から弾き出すことを意味します。

果たして私たちにできるだろうか、と考えながら「止」ボタンを押しました。

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