(バターしょうゆご飯)
ふだんは雑穀米を食べています。精白の米は美味しすぎて食が進むからです。
たまに白米をバターしょうゆで食べたくなります。
炊き立ての上顎の天井がやけどするくらいのご飯にうりゃっとえぐり取ったバターを茶碗の中心部に乗せます。溶け始めるバターにしょうゆを垂らします。
言い忘れました。バターはやっぱり発酵バターに限ります。乳酸菌の力で旨みが増しています。
人間にとって精白した炭水化物ほど贅沢なものはありません。ヒトにとって計画的・意図的に糖質を入手する習慣を得たのは人類史上ごく最近のことです。
だから、身体に脂肪という形で蓄えるのです。滅多にないことだったのです。
美味しい肴が並ぶと私は銀シャリでかっ込みたくなる衝動に駆られます。
バターしょうゆご飯に話を戻します。輝くばかりの炊き上がったばかりの白米に上質のバターしょうゆ。
まるでコクのある卵かけご飯のような味わいです。罪悪感を振り切って、掘り進んだご飯の中心核に追いバターを入れ、しばしの間ご飯で覆います。さらに数滴のしょうゆをかけます。
数度ほど箸でかんまがした(混ぜた)とき、えも言われぬバターしょうゆの蒸気がほのかに立ち上ります。
何も足さない、何も引かない。あらゆるおかずを排除してもなお多幸感を創出するバターしょうゆご飯。
糖質と脂質と塩分とアミノ酸の組み合わせは人をして幸せにする力があります。
]]>(税込980円の日替わり御膳。店員さんに言いました。「幸せ御膳」と命名したい、と)
40年来通う理髪店。髪を切ってもらう以上の人間関係が自ずと築かれています。
創業者が亡くなりました。現在、その夫人、子息やスタッフが変わらぬサービスを提供しています。
40代の頃、言われました。
「◯◯◯さんもこの辺、ちょっと薄くなってきたね」
高校生のときから頭髪を診てもらっています。毛髪に力がなくなってきているのは自明の理です。
ところが最近は違うのです。
「髪がありますね」
あと数年で還暦を迎えるという年齢の割には、髪がある、ということなのでしょう。言わば「頭髪特殊相対性理論」です。
今回、何十年と言えなかった、ある意味どうでもいいこと、しかし私にとっては重要なことを創業者夫人に尋ねました。
「スタッフの◯◯さんに切ってもらうと数本襟に髪の毛が残っていることがあってチクチクするんです。でも、これまで奥さんに切ってもらって一度もチクチクがないんです」
「そうでしょう。◯◯さん(先代のオーナー)はチクチクにうるさかったんです。だからチクチクしないよう工夫しています」
「偶然ではなく努力の結果だったのですね。納得です」
些細な、一見どうでもいいようなところに弛まぬ努力の成果があることに感銘を受けました。
毛髪進入防止のために首に巻く紙。先代のオーナーや夫人の巻き方は苦しくもなく、かつ緩すぎず絶妙な圧力だったことを思い出しました。
]]>(結球しなかった白菜の姿です)
後遺症というより、一連の症状と捉えた方がいいのではないか。身をもって現在進行形で患って得た私の感想です。
食事、トイレ、入浴といった日常生活動作には問題ありません。しかし、社会生活活動に難があります。
仕事は職責上行かざるを得ない。気合をグッと入れて毎日出勤しています。ただ、今週は2回早退しました。
土日や退庁後の夜に入れていた活動は縮小しました。付加価値を生み出す活動がすっかり停滞しています。
大好きな畑作業や楽器の練習、読書なども休止。意欲はあるものの、身体がついていけません。どうしようもない倦怠感に襲われます。体の鬱とでも称していい状態です。
肺胞での酸素の取込が十分ではないのではないかもしれない。ヘモグロビンの酸素の吸着力が弱っているのではないか。加えて、身体全体の筋力の衰えを感じます。
昨日久しぶりに最寄り駅から自宅まで2kmを歩いて帰りました。家に着いた途端、身体が濡れ雑巾のように萎えました。翌朝、下肢全体に疲労感を覚えました。
「活躍」とは付加価値を生み出すことと定義しましょう。そうすると、調子の悪い人にとって「活躍」はけっこうプレッシャーになる要素です。
「一億総活躍」という言葉が喧伝されました。みんなが活躍できる、あるいは活躍させるという意でしょうか。
私は思います。
社会の構成員全員に活躍させることよりも、活躍が困難な人たちも存在自体が価値あるという社会の方が活力があるに違いない、と。
どういうことか。
継続的にせよ一時的にせよ活躍ができないとしても、その人の存在価値が絶対的であるがゆえに、本人が卑下せずに生きていける。周囲がその人のために動く。そういった社会が結果として活力ある社会となる。
言い換えれば、マージナル(縁辺に位置すると見られる人々)に目が行き届く社会です。
困っている人がいるからこそ、社会の存在意義があるとも言えます。
ともあれ、世帯類型の最たる類型が単独世帯です。約4割が独り暮らし。感染症という災厄に見舞われたあと後遺症にひとり苦しむのは切ないことだと感じました。
もっとアンテナを鋭敏にしなければと思いつつ身体がついていかないもどかしさに悶えています。
(小川郷駅は仙台支社管内なので仙台ナンバーの工事車両が目立ちます)
体力温存のため、午後2時過ぎに早退。駅近くで行方知れずとなっていた知人と出くわしました。元気そうでよかった。
6番線ホームにディーゼルカーが入線していました。
対面の1人掛けの椅子に座ります。
廊下を挟んで4人掛け対面ボックスには70代と思しき婦人が脚を伸ばしています。
常磐ものでしょうか。膝の上には寿司が広げられ、美味しそうに召し上がっています。
時間は午後3時半過ぎ。遅い昼なのか、早い夕食なのか、はたまた単なるオヤツなのか。判別がつきません。
車内の客はまばらです。4人ボックスを1人で占めてもまったく支障がありません。年間7億円を超える赤字を計上して運行されています。
乗合バスにしろ鉄道にしろ路線廃止となると反対運動が起きます。反対の声を上げる人にはぜひ当該路線を使ってほしいと願っています。それが路線維持のいちばんの近道となるからです。
この脱力した、まるで居間という空間が延長したような車内の空気は笠岡駅近くの笠岡港から北木島行きのフェリーの船内に酷似しています。井戸端と形容していい雰囲気が漂っていました。
グリーン車しか使わないという私の友人はグリーン車は家庭の匂いがしない、と以前言っていたことを思い出しました。その意味で磐越東線の車内は家庭の団欒の場そのものです。
勤労者、高校生、旅人などなどのそれぞれの思いの交錯したゆうゆうあぶくまラインこと磐越東線。ひたすら赤字が拡大していきます。
最寄りの駅舎は建て直しが進み、間もなく竣工です。
]]>(土いじりからも遠ざかってしまいました)
丸1週間も病臥に伏していたのは初めてのことです。
この間、関係各方面に多大なるご迷惑をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。
金曜日のあさです。喉が乾燥しているなぁ。軽い違和感を感じました。午前中は何事もなく打合せなどに臨んでいました。
午後に入って強烈なだるさと悪寒に襲われました。正直言って早退したい、と思いました。
しかし、「採決」があったため職責を果たさなければなりません。それまでは我慢しよう、と。
デスクに突っ伏していると周りから心配する声がかかりました。
「どうしたんですか」
「具合が悪いんですけど採決まで待っています」
「採血するんですか」
「いや、採決を待っています」
同じ「サイケツ」ですが意味がまるで違う。
さて、帰宅してからもだるさはあったものの、喉の痛みもなく咳もありませんでした。ただの風邪だろう、と。
土曜日、そして日曜日になっても熱が下がりません。これは様子がおかしい。
大人になってから私は滅多に風邪を引かなくなりました。風邪になったとしても関ヶ原の合戦並みで半日で決着が付きました。
月曜日、かかりつけ医を受診。ただの風邪ではないことが判明。
この頃から味覚異常がありました。何を食べても美味しいのです。1.3〜1.5倍程度美味に感じられるようになりました。初めての経験です。
セブンプレミアムの鍋焼きうどんってこんなに美味しかったのか。納豆の旨さに感動。市販の安いイチゴが糖度20度はあるのではと思うほど味覚が鋭敏になってしまいました。
「こんなイチゴ、食べたことがない!」
たまたま二男が一時帰郷していました。野菜ジュースに鶏肉や野菜・キノコなどを入れて煮込んだ二男作の不思議系スープが絶品に感じ、思わず飲み干してしまいました。東京でシェフの修業をしてきたのか。
3日経っても、そして4日目に至っても39度前後の高熱が続きます。夜中から未明にかけて体温が上がってしまうのです。
頭痛は左側を中心にどうしていいかわからないひどさになっていました。次亜塩素酸ナトリウムの濃いプールに入って副鼻腔を刺激されたときの「ツーン」の10乗倍の痛みです。
この頃から、体内で応仁の乱が起きている、と感じ始めました。東軍と西軍に分かれ、ひたすら11年もの間戦い続け、京都を焼け野原にした、あの合戦です。お互い何のために戦っているのか、もはや当事者たちも訳わからなくなっていたであろう応仁の乱。
朝方になると一旦平定したように落ち着きを戻します。しかし、物陰にいた残兵が蜂起し、また戦いが始まるのです。
6日目に至り、体内で掃討作戦が繰り広げられ、ついに敵軍も白旗を掲げました。この間、体重が5キロ減。筋力と気力が減退しました。
週明けから通常通り職務に当たれるのだろうか。一抹の不安を感じています。
『徒然草』で吉田兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として3番目に「病なく、身強き人」を挙げています。
それ、わがる。実感を持って心の底から思います。
今回の罹患は反省と学びが多くありました。
疲れが十分に取れていないのに次から次へといろいろなことに関わろうとしていました。自身の体力を正視眼で見ていませんでした。過信です。油断です。
そして、何よりの会得は現身に苦しみを感じなければ他人の苦しみは理解し難いものだということです。もっと優しくなれる自分になろうと思いました。
]]>(春になったら秋風舎)
「突然の電話」--- この表現に物心就いたころから理解できず、もう半世紀余経過しています。
「そのとき、突然、電話がけたたましく鳴った」
この意味を探るため反義語から考察しましょう。つまり、「突然ではない電話」とはどのような電話なのか。
まず、「突然」の字義を確認します。「前触れなしに急に何かが起こるさま」と辞書は紹介しています。
では、前触れのある、急ではなく掛けられる電話とはいったいどういう電話なのか。
黒電話時代であれば、一瞬だけ鳴る「ちりん」のことなのか。P波のあとにS波が襲ってくる、地震と同じです。「ちりん」を経て本鈴(ほんりん)が鳴る。
これが突然ではない電話。虫の知らせもこれに包含されるかもしれません。
次に、スマホ時代の「突然ではない電話」はどうでしょう。
LINE等で事前に、いつ電話したいがいいかと了承を求める行為によって掛けられるところの電話が「突然ではない電話」と解されるでしょう。
ドラマ、映画、小説等々の「そのとき突然、〇〇氏の電話が鳴った」という表現を用いる際は、上述の定義に照らして、果たしてどこまで「突然性」があるのか、検証する必要がある。
本稿の私の結論です。反論をお待ちしております。
]]>(早春の畑。白菜は結球しませんでした。菜の花を待ちたいと思います)
こちらの方が大切かもしれない。話を聞いていて私は思いました。「巻き込まれ力」のことです。
一見すると主体性がなく、また率先垂範でもない。砕氷船のようにぐいぐい分け入って開拓する積極性があるわけでもない。
無理をしない。可能な範囲でできるときに関わる。
しかし、声がかかれば手伝う。これが地域活動に入っていくコツかもしれない。そう感じました。
その姿勢を保つとき不思議とさまざまな主体から声がかかる。巻き込まれていく。受動的でありながら、有機的かつ連鎖的に巻き込まれていく、この力こそ「巻き込まれ力」です。
(熱い仲間に巻き込まれてきました。郡山市労働福祉会館にて)
「あの人」に頼めば、と声をかけられる引力とも言えます。周囲は「あの人」をよく見ています。他人は鋭い。人は案外に自分のことがわかりません。目されていなければ、頼まれません。
ある年齢以上になったら「巻き込まれ力」に沿って動いた方が本人にとっても周囲にとっても幸せなのかもしれない。
その意味で会津にいる師匠は「巻き込まれ力」がじつに優れているように思うのです。そして、幸せそうです。
西城秀樹の曲『激しい恋』の一節に「巻き込まれたら最後さ〜♪」というのがありました。ふと思い出しました。
本稿とは関係ありません。
(我が子の成長のように嬉しい)
心が痛みました。
地元のスーパーの野菜コーナーに陳列されていたブロッコリーが157円(税抜き)で売られていました。熊本産です。
私は昨年10月に植え付けを行い、やっと最近ブロッコリーを収穫。毎日のように様子を窺い、声をかけ、そして肥をかけ、手塩に育ててきました。
強風で傾いていれば、茎を起こしました。厳冬期には稲藁を敷いてやりました。無農薬有機栽培です。
売る気はありません。が、流通に出すとすれば、出荷価額500円の値を付けてやりたい。もっと価値があると私は思っています。
(茎も美味しい。合掌する思いでいただきました)
熊本産の157円はいったい原価はいくらなのでしょう。生産者の手元にはいくら入るのでしょう。
陳列というよりは無造作に転がっていました。月面着陸したSLIMのように反転し、茎を晒しているブロッコリーもありました。
ブロッコリーを眺めているうちに『椰子の実』がBGMのように流れてきました。
まさに流離の憂い。伊良湖岬の恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実と思いを重ねている自分がいました。
2026年度にブロッコリーが指定野菜となります。半世紀ぶりの指定追加。立派に出世してほしい。
]]>(タイにいたときにもよく買っていたデンファーレ)
近くに住むガラス作家をお招きしての茶話会。よく使う幹線道路沿いの気になる建物が話題になりました。
「白鳥のいるところのカーブの手前に少し前から小屋が建てられ始めたんです。初めは柱だけで何ができるのかなと思っていたら...」
「そんな建物ありましたっけ。私、けっこう周囲の変化を気にしながら運転する方なのですが気がつきませんでした」
「小川方面から向かうと見えません。平方面からだとわかります。小さな小屋です。木造かプレハブですね」
「そうですか。全然わかりませんでした」
「それで、その小屋にしっかりとした白抜きの字で『談話室』と書いてあるんです。◯◯診療所というくらいの勢いではっきりわかるように記されています」
「自分の家で使うのなら表示は必要ないですよね。しかも談話室というのが気になりますね。入って行っていいんでしょうかね」
「柱が立ち、そして建物が完成したと思ったら『談話室』なんです」
「見てみます。気になってしょうがない」
お二人が帰ったあと見に行きました。ありました。引戸のガラスに縦書きでしっかりと「談話室」と丸ゴシック太字で表示されていました。6畳ほどの大きさの小屋です。
談話とはフランス語のparleに由来するらしい。派生してできた言葉がパーラー。わいわい話をする場所・部屋。パチンコ店の名前に使われることもあります。
まさに私が目指すところのものです。我が執務室こそ「談話室」にほかなりません。
(お客様にカオマンガイを作りました。水菜、ブロッコリー、おひたしの小松菜は自家製です)
新鮮でした。間違いを一切指摘しないのです。
皆が発言する雰囲気に満ち満ちているため私も思わず手を挙げて発言しました。
すると教授は「Why do you think so?(どうしてそう思うのか)」と尋ねてきました。一瞬私はドキッとして口ごもりました。まずいことを質問してしまったのだろうか。
そういう意図ではないことを後に覚ります。
モントリオール大学での授業では教授からミスを指摘する場面に遭遇した記憶がありません。
作文の授業。あるテーマが出されます。手が挙がり、黒板に学生が一文を書きます。教授がいいねぇと言いながら促します。
「もっと美しく書けないだろうか」
するとまた誰かが書き足します。
「いいねぇ。もっと美しく!」
次々と学生が出てきては書きます。じつにのびのびと自由闊達に授業が運ばれていきます。
(庭先のふきのとうを天ぷらにしました。春の香りがします)
結局、正解というものは教授から示されません。正しいのか間違っているのか白黒させてほしい私はいつも不満が残りました。
先日、ホールで人前でフルートを演奏しました。恐れていたのはミスです。間違って吹かないだろうか。
私たちの住む社会はミスに厳しい。音楽の世界もそうです。間違わずに演奏することが優れていることの証しのように思われています。
本来、音楽は感動を与えるものであり、多少のミスはその感動の有無とは関係がないと言えます。にもかかわらず、私たちはミスを気にする。
減点主義の弊害はDNAレベルにまで浸み込み、国家レベルにまで価値を毀損している。そんな目に見えない窮屈さが社会の閉塞感と諦念に結びついているように思うのです。
と、演奏のミスを棚に上げる思考実験をしてみました。舞台入場の際は昨年のように甲子園初出場入場行進の球児の歩き方にはならず右手には左足が出ました。
一歩前進です。
]]>(思い出の塩屋埼灯台)
大切なお客様がご家族で来訪します。1泊2日です。さて、どこをご案内するか。
当地は初めて。しかも、熱帯地方から来ます。温泉好きの高齢のお母様もいらっしゃる。
3案の中から選んでもらいましょう。ぎっしりスケジュールを詰め込むのではなく、要所を決めてあとは融通無碍なるままに。
浜通は海あり山ありですので、まず海コースと山コースに分けます。
【海コースの1(震災振り返りと温泉の旅)】
趣旨:原子力災害を中心とした学びと海を見ながらの温泉の癒しの旅です。
08:30湯本を出発。1時間少々常磐道を北上し双葉町に向かいます。
10:00〜10:50東日本大震災・原子力災害伝承館見学(入館料600円)。
11:00伝承館を出発。南下して楢葉町に向かいます。
11:30〜12:20天神岬しおかぜ荘にて入泉(入浴料700円)。黄金色のしっとりとした塩化物泉(海を望む露天風呂がある)が旅の疲れを癒してくれます。
12:25しおかぜ荘を出発。南下していわき市北部に向かいます。
13:00〜13:45久之浜の浜風きららにて少し遅い昼食(すし1500円程度)。
13:50浜風きららを出発。
14:10〜14:50ブルーマグコーヒーまたはベジハーブカフェにて歓談。私お気に入りのカフェでくつろぎの時間。
15:00カフェを出発。
15:20いわき駅着。
(アクアマリンふくしま)
【海コースの2(震災振り返りと温泉の旅)】
趣旨:津波災害を中心とした学びと海の生き物に触れる癒しの旅です。
09:00湯本を出発。30分ほど海岸に向かいます。
09:40〜10:10いわき震災伝承みらい館見学(無料)。
※近くの塩屋埼灯台(東北地方の登れる灯台3か所のうちの1つ)の見学を希望する場合はお母様と私は近くのカフェで待機。
10:30塩屋埼灯台を出発し小名浜に向かいます。
11:00〜12:00アクアマリンふくしま見学(入館料1850円)。
12:10〜13:00いわき・ら・ら・ミュウまたは近隣の海鮮の店にて昼食(1500〜2000円)。
13:05いわき・ら・ら・ミュウを出発し、鉱泉の宿に向かいます。
13:30〜14:20神白温泉国元屋にて入泉(飲めるアルカリ泉で知られる。入浴料800円)。
14:30国元屋を出発しいわき駅に向かいます。
15:00いわき駅着。
(秋風舎)
【山コース(高原と単純アルカリ温泉の旅)】
趣旨:阿武隈高原と温泉の癒しの旅です。
09:00湯本を出発。1時間少々北西方向に川内村に向かいます。
10:30〜11:20かわうちの湯に入泉(入浴料700円)。近傍で私が最も愛する温泉です。静謐な雰囲気が心の奥底まで癒してくれます。
11:30かわうちの湯を出発。下川内にあるカフェ「秋風舎」に向かいます。江戸期の古民家を改修したカフェ。陶芸家がオーナーです。
11:45〜12:30秋風舎にて昼食(1500円程度)。
12:30秋風舎を出発し、拙宅に向かいます。 13:00〜14:00拙宅にてお茶。
14:00拙宅を出発。
14:30いわき駅着。
]]>(ガソリンスタンド併設のドトールコーヒー)
これまでと何が違うのか。自問自答して思うに変身したわけでも急成長したわけでもない。にもかかわらず以前とは異なる自分がいる。
他と伍することができるようになったのは頭脳が明晰になったわけでもなく、脱皮したわけでもない。ただ胆力を持つと決めただけです。
鐘楼の釣鐘を耳かきで撞けば音は微か。撞木で打てば大きな音が出ます。
人間も釣鐘と同じで撞木で突けばそれなりの音が響くようになるのです。いい音かどうは別として。
腹というものは本来に内在しているものなのです。特別な人だけが持っているものでもない。みんな所持しています。ただ機縁がないと顕現しないだけの話です。
胆力とは結局のところ想定されるあらゆる厄介に責任を持つことの異名です。あらゆる厄介にはとんでもないことまで含みます。
「ちょっといいですか」という挨拶とともに持ち込まれる案件でいいものはまずありません。当然のことです。なので、「ちょっといいですか」案件はいつも歓迎態勢です。
]]>(朝一番に職場近くのマクドナルドで勉強)
夢想するのが好きです。勝手に理論らしきことを妄想するのも私の性癖です。
そこでサツマイモ理論の登場です。サツマイモそのものではなく、あの形状が私に示唆を与えてくれます。
両端は細く途中は太い、いかにもの典型的なサツマイモの形です。
一人の人の誕生。最初は存在感は薄く、少年少女となり成人を迎え大人となる。最も太い部分です。やがて年老い、死を迎える。
言わば生老病死が私にはサツマイモの形に映るのです。企業や国家といった組織も同じ。繁栄と衰退といった消長もみなサツマイモの形。
人との出会いも多くはサツマイモの太い部分がぶつかり合って価値を生んだり、反目したりなどする。夫婦もそう。職場もそう。太めの部分が擦れたり、協力したりしている。
でも、太い部分はやがて終わり細くなっていく。
朝(あした)に出勤し昼に弁当を食べ、夕べに帰る。日常の当たり前のように思う日々の出来事はまたと来たらざる稀な出来事であることに気がつかない。
この日常が永続するかのような、サツマイモの太い部分がいつまでもあるかのように思うのは錯覚です。永遠に太いままだと勘違いしてしまう私たち。あっという間に己れのサツマイモは細くなり終わるのです。
野菜を収穫していて私は感じました。最盛期のちょっと前に、一番美味しい時期に頂戴している、と。サツマイモ理論で言うところのいままさに太くなろうとしている部分です。
人は旬のところで出会っている。
人との出会いも高度1万メートルで旅客機同士が音速ですれ違うように一瞬のことなのです。最も太い部分同士が同じ空間を共有するのは稀有の出来事だと後々にわかります。
という、どうでもいいようなサツマイモ理論を昨秋掘り起こした甘薯を見ながら思いました。以上は何らの科学的根拠もないフィクションです。
]]>(北千住にて)
初めて食べたチョコレートはロッテか明治か覚えていませんが、板チョコだったことは確かです。
テレビ番組『がんばれ!ロボコン』でロビンちゃんが生まれて初めてチョコレートを食べ感激する場面があります。当時、ああわかるぅといたく共感した覚えがあります。
ロビンちゃん扮する島田歌穂さんとはその後出逢いがありました。
学生時代に『レ・ミゼラブル』を帝国劇場に友達と見に行きました。エポニーヌ役で出演していた生の歌穂さんを遠くから見ました。時下りて、いま住んでいる地元の市民会館で歌穂さんの公演を手伝うこととなり、身近に接する機会を得ました。
チョコレートに話を戻します。チョコレートが好きです。バレンタインデーは贈られる意図の如何に関わらず、義理でも推しでも何でも、いただけるのは有難い。
いまもコーヒーを飲みつつチョコレートを食べながら綴っています。
これまでで最も美味しいと感じたチョコレートはOGGIの「ショコラデショコラ」。特にオレンジピールが美味しい。高価なのでこれまでで口にしたのは2回。
OGGIの素晴らしさを伝えたところ、栄養士の友達が模して作ってくれました。それがまた絶品でした。
模すことができるというのはすごいことだと思いました。再現力は生きる上で極めて大切な力です。
私は何を模すことができるのか。iPadにタイ語で話しかけたら正確に文字に変換されました。可愛いと思いました。
]]>(私は劇場スタッフのように立っています)
もしトラがいよいよほぼトラになるのではないか。いや、ガチトラになると私は見ています。
30年近く前にカナダに1年滞在していました。
米国の隣国にあって控え目な国です。アメリカ人の中にはカナダを自国の一つの州だと思っている人もいるという話を聞いたことがあります。
真偽のほどはわかりませんがおとなしい国ではあります。でも、魅力的な国です。社会全体が学習する国です。失敗からも学びます。学び続けるので静かに発展しています。
隣国から米国を見ていると、特に政府の振る舞いにあっては傲岸不遜さを感じました。でも、その傲慢さが国の力になっていることは間違いない。
あの傲岸不遜を解毒し、エッセンスを抽出すると矜持になる。そう私は思っています。そしてこの矜持こそ、言い換えれば無毒化した傲岸不遜さこそが我が国に必要なのではないか、と。
私の所属する業界では◯◯◯計画というものをよく作ります。冒頭に記載する「趣旨」に枕詞のように「国の動向を見据えて云々」と一段上のレベルの潮流に言及するくだりがあります。
国家レベルの計画においても「世界の潮流を捉えて云々」があります。
ところが、そういった感覚が米国にはない。自国が潮流そのものであり、周りがどうこうではない。周囲とか上の存在とか、そのようなことは気にしない。
◯◯したい。したいから◯◯する。
証券市場も同じです。日本の場合はニューヨーク証券取引所の動向に左右されます。規模の違いももちろんあります。が、根底には意識の差があるように思います。
もしトラがほぼトラになり、ガチトラになったら、いい意味での傲岸不遜さを持ちたい。いや、持つべきと思います。でなければただ右往左往するだけです。
温暖だからと言って当地を「東北の湘南」などと称し他人のふんどしを借りるのではなく、逆に「東海のいわき」と他地域に言わしめるくらいの傲岸さがほしい。
私が中心なのだ、というくらいの解毒された驕りを持ってもいいのではないか、とガチトラ時代を見据えて、世界の潮流を踏まえて私は思うのです。
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