(笑いーとの朝食)
なんとなくとっつきにくいなぁと長らく感じていました。学年も一緒で同じ年に今の職場に入ったにも関わらずです。
もしかしたら相手も同じ思いを抱いていたのかもしれません。
相談がある、と先方から連絡がありました。話を聞くと組織マネジメントに対し同じような課題認識を持っていました。ちょっと意外でした。
その解決策としてある研修を独自に企画しているという。合同でやらないか、との誘いでした。
挨拶の「挨」は心を開く、「拶」には相手に迫るという意味があると何かの本に書いてありました。
今回、先方から開き迫ってきました。嬉しさを感じ、私も呼応しました。
そう言えば、彼はチャットツールやメールではなく、必ず会って話をする人だということに気づきました。
「◯◯◯さんって必ず対面で話をしてくれるよね。大事だよね」
「文字で表せないことってたくさんあるからね」
先入観を持ってはいけない。そう心に戒めていました。が、容貌から発する雰囲気や周囲の噂から勝手な印象が固着していました。
深く反省するとともに、なんだかとっても嬉しい日になりました。体調も不思議といい感じです。
倦怠感への最良の対処法は嬉しい出来事を重ねることかもしれません。
]]>(Café Amazonにて)
後遺症と思しき倦怠感からようやく脱出しつつあります。
目の前の行動はほぼつつがなくできるのですが、翌日以降に疲労感が倍増します。現在のことは進行できるものの、追っての倦怠感が蓄積してしまいます。
睡眠時間が長くなりました。午後9時を過ぎると強い睡魔に襲われます。午後6時前に目覚めます。
(好物のモンブランケーキ)
しかし、背中が敷き布団に粘着して起き上がれません。あと数時間は横になっていたい。そんな感じです。睡眠負債が継続していると言ったらいいのでしょうか。
焦らないことにします。
隣村の温泉に浸かってきました。久しぶりにサウナにも入りました。冷水風呂は心臓が止まりそうでした。これからは万が一のために氏名と連絡先を記載した札を首に掛けて入ろうかと思いました。
お昼はガパオバーガーなるものを初めて食べました。これはじつに美味い。感激しました。
]]>(Uluruのワッフルは絶品)
30年余の旧知の友が家族で来訪。しかも、タイ・バンコクから。嬉しさ百倍です。
日系企業に勤め、タイ在住30年近くになる友です。時期は若干ずれるもののバンコク市内の同じ大学に留学していました。
盛り上がる共通の話題は独房のようであったと私たちが口をそろえる学生寮の生活。
天井から落ちてくるヤモリ、見事なタキシードを身にまとまった夜の徘徊の王者・ゴキブリ。キノコの生えるロッカー。
「タイも変わった部分、変わらない部分があるよね」
「あの頃、エアコンのない2バーツ(十数円)がありましたよね。ちょっと荷物を持って立っていると座っているお客さんが荷物を持ってくれたりしました。いまはもうそういう習慣はないです」
(アンティーク調のUluru)
「そうだったね。みんな、優しかったね」
「変わらない部分と言えば、料理に髪の毛が入っていて指摘すると、毛をその場と取り除き満面の笑みで『マイペンライナ(大丈夫だね)』で言うことですね」
「そうそう。あの笑顔はたまらないね。ぴゅって髪の毛を料理から抜いて最高の笑顔を見せる。そうだよ、その手があったかと思わせる仕草だね」
旧友は13年前の東日本大震災時もバンコクに滞在。当時の様子のわかる伝承施設や展示を案内しました。
旅の最後にワッフルの美味しいカフェ「Uluru」で歓談。次回はバンコクのチャオプラヤ川沿いのレストランで再会することを約しました。
]]>(春の味覚、ふきのとう。天ぷらにして塩でいただきます)
ジャガイモの植え付けをしました。
倦怠感が抜けずにいます。好きなことをやることで体力を回復しようと試みました。
男爵、キタアカリ、メークインの3種です。半分に切って、草木灰を切り口に付けて植えました。
ジャガイモは種イモの上部に実るとのことで、芽が出て葉が繁るようになったら、さらに土を盛りましょう。
うまくいけば、15〜20倍の収穫量があるという。いまから捕らぬ狸の皮算用をしてほくそ笑んでいます。最大の天敵はイノシシです。
ところで、昨今、不耕起栽培あるいは協生農法といった取組が一部の栽培家の間で広まりつつあります。ソニーなどは事業として展開し始まりました。
確かに、雑草の生えている土はふかふかと柔らかく、一定の生態系が維持されていることは実感としてわかります。
しかし、その場所に多様な野菜や果樹を植えて雑草に負けずに収穫ができるものなのか、疑念をぬぐい切れません。
とはいえ、失敗覚悟で試してみる価値はありそうです。雑草との共生が可能なのか、挑戦します。
蛇蝎のごとく私が嫌っているヤブガラシやエゾノギシギシといった雑草。どう対処したらいいのか、悩みどころです。
]]>(バターしょうゆご飯)
ふだんは雑穀米を食べています。精白の米は美味しすぎて食が進むからです。
たまに白米をバターしょうゆで食べたくなります。
炊き立ての上顎の天井がやけどするくらいのご飯にうりゃっとえぐり取ったバターを茶碗の中心部に乗せます。溶け始めるバターにしょうゆを垂らします。
言い忘れました。バターはやっぱり発酵バターに限ります。乳酸菌の力で旨みが増しています。
人間にとって精白した炭水化物ほど贅沢なものはありません。ヒトにとって計画的・意図的に糖質を入手する習慣を得たのは人類史上ごく最近のことです。
だから、身体に脂肪という形で蓄えるのです。滅多にないことだったのです。
美味しい肴が並ぶと私は銀シャリでかっ込みたくなる衝動に駆られます。
バターしょうゆご飯に話を戻します。輝くばかりの炊き上がったばかりの白米に上質のバターしょうゆ。
まるでコクのある卵かけご飯のような味わいです。罪悪感を振り切って、掘り進んだご飯の中心核に追いバターを入れ、しばしの間ご飯で覆います。さらに数滴のしょうゆをかけます。
数度ほど箸でかんまがした(混ぜた)とき、えも言われぬバターしょうゆの蒸気がほのかに立ち上ります。
何も足さない、何も引かない。あらゆるおかずを排除してもなお多幸感を創出するバターしょうゆご飯。
糖質と脂質と塩分とアミノ酸の組み合わせは人をして幸せにする力があります。
]]>(税込980円の日替わり御膳。店員さんに言いました。「幸せ御膳」と命名したい、と)
40年来通う理髪店。髪を切ってもらう以上の人間関係が自ずと築かれています。
創業者が亡くなりました。現在、その夫人、子息やスタッフが変わらぬサービスを提供しています。
40代の頃、言われました。
「◯◯◯さんもこの辺、ちょっと薄くなってきたね」
高校生のときから頭髪を診てもらっています。毛髪に力がなくなってきているのは自明の理です。
ところが最近は違うのです。
「髪がありますね」
あと数年で還暦を迎えるという年齢の割には、髪がある、ということなのでしょう。言わば「頭髪特殊相対性理論」です。
今回、何十年と言えなかった、ある意味どうでもいいこと、しかし私にとっては重要なことを創業者夫人に尋ねました。
「スタッフの◯◯さんに切ってもらうと数本襟に髪の毛が残っていることがあってチクチクするんです。でも、これまで奥さんに切ってもらって一度もチクチクがないんです」
「そうでしょう。◯◯さん(先代のオーナー)はチクチクにうるさかったんです。だからチクチクしないよう工夫しています」
「偶然ではなく努力の結果だったのですね。納得です」
些細な、一見どうでもいいようなところに弛まぬ努力の成果があることに感銘を受けました。
毛髪進入防止のために首に巻く紙。先代のオーナーや夫人の巻き方は苦しくもなく、かつ緩すぎず絶妙な圧力だったことを思い出しました。
]]>(結球しなかった白菜の姿です)
後遺症というより、一連の症状と捉えた方がいいのではないか。身をもって現在進行形で患って得た私の感想です。
食事、トイレ、入浴といった日常生活動作には問題ありません。しかし、社会生活活動に難があります。
仕事は職責上行かざるを得ない。気合をグッと入れて毎日出勤しています。ただ、今週は2回早退しました。
土日や退庁後の夜に入れていた活動は縮小しました。付加価値を生み出す活動がすっかり停滞しています。
大好きな畑作業や楽器の練習、読書なども休止。意欲はあるものの、身体がついていけません。どうしようもない倦怠感に襲われます。体の鬱とでも称していい状態です。
肺胞での酸素の取込が十分ではないのではないかもしれない。ヘモグロビンの酸素の吸着力が弱っているのではないか。加えて、身体全体の筋力の衰えを感じます。
昨日久しぶりに最寄り駅から自宅まで2kmを歩いて帰りました。家に着いた途端、身体が濡れ雑巾のように萎えました。翌朝、下肢全体に疲労感を覚えました。
「活躍」とは付加価値を生み出すことと定義しましょう。そうすると、調子の悪い人にとって「活躍」はけっこうプレッシャーになる要素です。
「一億総活躍」という言葉が喧伝されました。みんなが活躍できる、あるいは活躍させるという意でしょうか。
私は思います。
社会の構成員全員に活躍させることよりも、活躍が困難な人たちも存在自体が価値あるという社会の方が活力があるに違いない、と。
どういうことか。
継続的にせよ一時的にせよ活躍ができないとしても、その人の存在価値が絶対的であるがゆえに、本人が卑下せずに生きていける。周囲がその人のために動く。そういった社会が結果として活力ある社会となる。
言い換えれば、マージナル(縁辺に位置すると見られる人々)に目が行き届く社会です。
困っている人がいるからこそ、社会の存在意義があるとも言えます。
ともあれ、世帯類型の最たる類型が単独世帯です。約4割が独り暮らし。感染症という災厄に見舞われたあと後遺症にひとり苦しむのは切ないことだと感じました。
もっとアンテナを鋭敏にしなければと思いつつ身体がついていかないもどかしさに悶えています。
(小川郷駅は仙台支社管内なので仙台ナンバーの工事車両が目立ちます)
体力温存のため、午後2時過ぎに早退。駅近くで行方知れずとなっていた知人と出くわしました。元気そうでよかった。
6番線ホームにディーゼルカーが入線していました。
対面の1人掛けの椅子に座ります。
廊下を挟んで4人掛け対面ボックスには70代と思しき婦人が脚を伸ばしています。
常磐ものでしょうか。膝の上には寿司が広げられ、美味しそうに召し上がっています。
時間は午後3時半過ぎ。遅い昼なのか、早い夕食なのか、はたまた単なるオヤツなのか。判別がつきません。
車内の客はまばらです。4人ボックスを1人で占めてもまったく支障がありません。年間7億円を超える赤字を計上して運行されています。
乗合バスにしろ鉄道にしろ路線廃止となると反対運動が起きます。反対の声を上げる人にはぜひ当該路線を使ってほしいと願っています。それが路線維持のいちばんの近道となるからです。
この脱力した、まるで居間という空間が延長したような車内の空気は笠岡駅近くの笠岡港から北木島行きのフェリーの船内に酷似しています。井戸端と形容していい雰囲気が漂っていました。
グリーン車しか使わないという私の友人はグリーン車は家庭の匂いがしない、と以前言っていたことを思い出しました。その意味で磐越東線の車内は家庭の団欒の場そのものです。
勤労者、高校生、旅人などなどのそれぞれの思いの交錯したゆうゆうあぶくまラインこと磐越東線。ひたすら赤字が拡大していきます。
最寄りの駅舎は建て直しが進み、間もなく竣工です。
]]>(土いじりからも遠ざかってしまいました)
丸1週間も病臥に伏していたのは初めてのことです。
この間、関係各方面に多大なるご迷惑をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。
金曜日のあさです。喉が乾燥しているなぁ。軽い違和感を感じました。午前中は何事もなく打合せなどに臨んでいました。
午後に入って強烈なだるさと悪寒に襲われました。正直言って早退したい、と思いました。
しかし、「採決」があったため職責を果たさなければなりません。それまでは我慢しよう、と。
デスクに突っ伏していると周りから心配する声がかかりました。
「どうしたんですか」
「具合が悪いんですけど採決まで待っています」
「採血するんですか」
「いや、採決を待っています」
同じ「サイケツ」ですが意味がまるで違う。
さて、帰宅してからもだるさはあったものの、喉の痛みもなく咳もありませんでした。ただの風邪だろう、と。
土曜日、そして日曜日になっても熱が下がりません。これは様子がおかしい。
大人になってから私は滅多に風邪を引かなくなりました。風邪になったとしても関ヶ原の合戦並みで半日で決着が付きました。
月曜日、かかりつけ医を受診。ただの風邪ではないことが判明。
この頃から味覚異常がありました。何を食べても美味しいのです。1.3〜1.5倍程度美味に感じられるようになりました。初めての経験です。
セブンプレミアムの鍋焼きうどんってこんなに美味しかったのか。納豆の旨さに感動。市販の安いイチゴが糖度20度はあるのではと思うほど味覚が鋭敏になってしまいました。
「こんなイチゴ、食べたことがない!」
たまたま二男が一時帰郷していました。野菜ジュースに鶏肉や野菜・キノコなどを入れて煮込んだ二男作の不思議系スープが絶品に感じ、思わず飲み干してしまいました。東京でシェフの修業をしてきたのか。
3日経っても、そして4日目に至っても39度前後の高熱が続きます。夜中から未明にかけて体温が上がってしまうのです。
頭痛は左側を中心にどうしていいかわからないひどさになっていました。次亜塩素酸ナトリウムの濃いプールに入って副鼻腔を刺激されたときの「ツーン」の10乗倍の痛みです。
この頃から、体内で応仁の乱が起きている、と感じ始めました。東軍と西軍に分かれ、ひたすら11年もの間戦い続け、京都を焼け野原にした、あの合戦です。お互い何のために戦っているのか、もはや当事者たちも訳わからなくなっていたであろう応仁の乱。
朝方になると一旦平定したように落ち着きを戻します。しかし、物陰にいた残兵が蜂起し、また戦いが始まるのです。
6日目に至り、体内で掃討作戦が繰り広げられ、ついに敵軍も白旗を掲げました。この間、体重が5キロ減。筋力と気力が減退しました。
週明けから通常通り職務に当たれるのだろうか。一抹の不安を感じています。
『徒然草』で吉田兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として3番目に「病なく、身強き人」を挙げています。
それ、わがる。実感を持って心の底から思います。
今回の罹患は反省と学びが多くありました。
疲れが十分に取れていないのに次から次へといろいろなことに関わろうとしていました。自身の体力を正視眼で見ていませんでした。過信です。油断です。
そして、何よりの会得は現身に苦しみを感じなければ他人の苦しみは理解し難いものだということです。もっと優しくなれる自分になろうと思いました。
]]>(春になったら秋風舎)
「突然の電話」--- この表現に物心就いたころから理解できず、もう半世紀余経過しています。
「そのとき、突然、電話がけたたましく鳴った」
この意味を探るため反義語から考察しましょう。つまり、「突然ではない電話」とはどのような電話なのか。
まず、「突然」の字義を確認します。「前触れなしに急に何かが起こるさま」と辞書は紹介しています。
では、前触れのある、急ではなく掛けられる電話とはいったいどういう電話なのか。
黒電話時代であれば、一瞬だけ鳴る「ちりん」のことなのか。P波のあとにS波が襲ってくる、地震と同じです。「ちりん」を経て本鈴(ほんりん)が鳴る。
これが突然ではない電話。虫の知らせもこれに包含されるかもしれません。
次に、スマホ時代の「突然ではない電話」はどうでしょう。
LINE等で事前に、いつ電話したいがいいかと了承を求める行為によって掛けられるところの電話が「突然ではない電話」と解されるでしょう。
ドラマ、映画、小説等々の「そのとき突然、〇〇氏の電話が鳴った」という表現を用いる際は、上述の定義に照らして、果たしてどこまで「突然性」があるのか、検証する必要がある。
本稿の私の結論です。反論をお待ちしております。
]]>(早春の畑。白菜は結球しませんでした。菜の花を待ちたいと思います)
こちらの方が大切かもしれない。話を聞いていて私は思いました。「巻き込まれ力」のことです。
一見すると主体性がなく、また率先垂範でもない。砕氷船のようにぐいぐい分け入って開拓する積極性があるわけでもない。
無理をしない。可能な範囲でできるときに関わる。
しかし、声がかかれば手伝う。これが地域活動に入っていくコツかもしれない。そう感じました。
その姿勢を保つとき不思議とさまざまな主体から声がかかる。巻き込まれていく。受動的でありながら、有機的かつ連鎖的に巻き込まれていく、この力こそ「巻き込まれ力」です。
(熱い仲間に巻き込まれてきました。郡山市労働福祉会館にて)
「あの人」に頼めば、と声をかけられる引力とも言えます。周囲は「あの人」をよく見ています。他人は鋭い。人は案外に自分のことがわかりません。目されていなければ、頼まれません。
ある年齢以上になったら「巻き込まれ力」に沿って動いた方が本人にとっても周囲にとっても幸せなのかもしれない。
その意味で会津にいる師匠は「巻き込まれ力」がじつに優れているように思うのです。そして、幸せそうです。
西城秀樹の曲『激しい恋』の一節に「巻き込まれたら最後さ〜♪」というのがありました。ふと思い出しました。
本稿とは関係ありません。
(我が子の成長のように嬉しい)
心が痛みました。
地元のスーパーの野菜コーナーに陳列されていたブロッコリーが157円(税抜き)で売られていました。熊本産です。
私は昨年10月に植え付けを行い、やっと最近ブロッコリーを収穫。毎日のように様子を窺い、声をかけ、そして肥をかけ、手塩に育ててきました。
強風で傾いていれば、茎を起こしました。厳冬期には稲藁を敷いてやりました。無農薬有機栽培です。
売る気はありません。が、流通に出すとすれば、出荷価額500円の値を付けてやりたい。もっと価値があると私は思っています。
(茎も美味しい。合掌する思いでいただきました)
熊本産の157円はいったい原価はいくらなのでしょう。生産者の手元にはいくら入るのでしょう。
陳列というよりは無造作に転がっていました。月面着陸したSLIMのように反転し、茎を晒しているブロッコリーもありました。
ブロッコリーを眺めているうちに『椰子の実』がBGMのように流れてきました。
まさに流離の憂い。伊良湖岬の恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実と思いを重ねている自分がいました。
2026年度にブロッコリーが指定野菜となります。半世紀ぶりの指定追加。立派に出世してほしい。
]]>(タイにいたときにもよく買っていたデンファーレ)
近くに住むガラス作家をお招きしての茶話会。よく使う幹線道路沿いの気になる建物が話題になりました。
「白鳥のいるところのカーブの手前に少し前から小屋が建てられ始めたんです。初めは柱だけで何ができるのかなと思っていたら...」
「そんな建物ありましたっけ。私、けっこう周囲の変化を気にしながら運転する方なのですが気がつきませんでした」
「小川方面から向かうと見えません。平方面からだとわかります。小さな小屋です。木造かプレハブですね」
「そうですか。全然わかりませんでした」
「それで、その小屋にしっかりとした白抜きの字で『談話室』と書いてあるんです。◯◯診療所というくらいの勢いではっきりわかるように記されています」
「自分の家で使うのなら表示は必要ないですよね。しかも談話室というのが気になりますね。入って行っていいんでしょうかね」
「柱が立ち、そして建物が完成したと思ったら『談話室』なんです」
「見てみます。気になってしょうがない」
お二人が帰ったあと見に行きました。ありました。引戸のガラスに縦書きでしっかりと「談話室」と丸ゴシック太字で表示されていました。6畳ほどの大きさの小屋です。
談話とはフランス語のparleに由来するらしい。派生してできた言葉がパーラー。わいわい話をする場所・部屋。パチンコ店の名前に使われることもあります。
まさに私が目指すところのものです。我が執務室こそ「談話室」にほかなりません。
(お客様にカオマンガイを作りました。水菜、ブロッコリー、おひたしの小松菜は自家製です)
新鮮でした。間違いを一切指摘しないのです。
皆が発言する雰囲気に満ち満ちているため私も思わず手を挙げて発言しました。
すると教授は「Why do you think so?(どうしてそう思うのか)」と尋ねてきました。一瞬私はドキッとして口ごもりました。まずいことを質問してしまったのだろうか。
そういう意図ではないことを後に覚ります。
モントリオール大学での授業では教授からミスを指摘する場面に遭遇した記憶がありません。
作文の授業。あるテーマが出されます。手が挙がり、黒板に学生が一文を書きます。教授がいいねぇと言いながら促します。
「もっと美しく書けないだろうか」
するとまた誰かが書き足します。
「いいねぇ。もっと美しく!」
次々と学生が出てきては書きます。じつにのびのびと自由闊達に授業が運ばれていきます。
(庭先のふきのとうを天ぷらにしました。春の香りがします)
結局、正解というものは教授から示されません。正しいのか間違っているのか白黒させてほしい私はいつも不満が残りました。
先日、ホールで人前でフルートを演奏しました。恐れていたのはミスです。間違って吹かないだろうか。
私たちの住む社会はミスに厳しい。音楽の世界もそうです。間違わずに演奏することが優れていることの証しのように思われています。
本来、音楽は感動を与えるものであり、多少のミスはその感動の有無とは関係がないと言えます。にもかかわらず、私たちはミスを気にする。
減点主義の弊害はDNAレベルにまで浸み込み、国家レベルにまで価値を毀損している。そんな目に見えない窮屈さが社会の閉塞感と諦念に結びついているように思うのです。
と、演奏のミスを棚に上げる思考実験をしてみました。舞台入場の際は昨年のように甲子園初出場入場行進の球児の歩き方にはならず右手には左足が出ました。
一歩前進です。
]]>(思い出の塩屋埼灯台)
大切なお客様がご家族で来訪します。1泊2日です。さて、どこをご案内するか。
当地は初めて。しかも、熱帯地方から来ます。温泉好きの高齢のお母様もいらっしゃる。
3案の中から選んでもらいましょう。ぎっしりスケジュールを詰め込むのではなく、要所を決めてあとは融通無碍なるままに。
浜通は海あり山ありですので、まず海コースと山コースに分けます。
【海コースの1(震災振り返りと温泉の旅)】
趣旨:原子力災害を中心とした学びと海を見ながらの温泉の癒しの旅です。
08:30湯本を出発。1時間少々常磐道を北上し双葉町に向かいます。
10:00〜10:50東日本大震災・原子力災害伝承館見学(入館料600円)。
11:00伝承館を出発。南下して楢葉町に向かいます。
11:30〜12:20天神岬しおかぜ荘にて入泉(入浴料700円)。黄金色のしっとりとした塩化物泉(海を望む露天風呂がある)が旅の疲れを癒してくれます。
12:25しおかぜ荘を出発。南下していわき市北部に向かいます。
13:00〜13:45久之浜の浜風きららにて少し遅い昼食(すし1500円程度)。
13:50浜風きららを出発。
14:10〜14:50ブルーマグコーヒーまたはベジハーブカフェにて歓談。私お気に入りのカフェでくつろぎの時間。
15:00カフェを出発。
15:20いわき駅着。
(アクアマリンふくしま)
【海コースの2(震災振り返りと温泉の旅)】
趣旨:津波災害を中心とした学びと海の生き物に触れる癒しの旅です。
09:00湯本を出発。30分ほど海岸に向かいます。
09:40〜10:10いわき震災伝承みらい館見学(無料)。
※近くの塩屋埼灯台(東北地方の登れる灯台3か所のうちの1つ)の見学を希望する場合はお母様と私は近くのカフェで待機。
10:30塩屋埼灯台を出発し小名浜に向かいます。
11:00〜12:00アクアマリンふくしま見学(入館料1850円)。
12:10〜13:00いわき・ら・ら・ミュウまたは近隣の海鮮の店にて昼食(1500〜2000円)。
13:05いわき・ら・ら・ミュウを出発し、鉱泉の宿に向かいます。
13:30〜14:20神白温泉国元屋にて入泉(飲めるアルカリ泉で知られる。入浴料800円)。
14:30国元屋を出発しいわき駅に向かいます。
15:00いわき駅着。
(秋風舎)
【山コース(高原と単純アルカリ温泉の旅)】
趣旨:阿武隈高原と温泉の癒しの旅です。
09:00湯本を出発。1時間少々北西方向に川内村に向かいます。
10:30〜11:20かわうちの湯に入泉(入浴料700円)。近傍で私が最も愛する温泉です。静謐な雰囲気が心の奥底まで癒してくれます。
11:30かわうちの湯を出発。下川内にあるカフェ「秋風舎」に向かいます。江戸期の古民家を改修したカフェ。陶芸家がオーナーです。
11:45〜12:30秋風舎にて昼食(1500円程度)。
12:30秋風舎を出発し、拙宅に向かいます。 13:00〜14:00拙宅にてお茶。
14:00拙宅を出発。
14:30いわき駅着。
]]>(ガソリンスタンド併設のドトールコーヒー)
これまでと何が違うのか。自問自答して思うに変身したわけでも急成長したわけでもない。にもかかわらず以前とは異なる自分がいる。
他と伍することができるようになったのは頭脳が明晰になったわけでもなく、脱皮したわけでもない。ただ胆力を持つと決めただけです。
鐘楼の釣鐘を耳かきで撞けば音は微か。撞木で打てば大きな音が出ます。
人間も釣鐘と同じで撞木で突けばそれなりの音が響くようになるのです。いい音かどうは別として。
腹というものは本来に内在しているものなのです。特別な人だけが持っているものでもない。みんな所持しています。ただ機縁がないと顕現しないだけの話です。
胆力とは結局のところ想定されるあらゆる厄介に責任を持つことの異名です。あらゆる厄介にはとんでもないことまで含みます。
「ちょっといいですか」という挨拶とともに持ち込まれる案件でいいものはまずありません。当然のことです。なので、「ちょっといいですか」案件はいつも歓迎態勢です。
]]>(朝一番に職場近くのマクドナルドで勉強)
夢想するのが好きです。勝手に理論らしきことを妄想するのも私の性癖です。
そこでサツマイモ理論の登場です。サツマイモそのものではなく、あの形状が私に示唆を与えてくれます。
両端は細く途中は太い、いかにもの典型的なサツマイモの形です。
一人の人の誕生。最初は存在感は薄く、少年少女となり成人を迎え大人となる。最も太い部分です。やがて年老い、死を迎える。
言わば生老病死が私にはサツマイモの形に映るのです。企業や国家といった組織も同じ。繁栄と衰退といった消長もみなサツマイモの形。
人との出会いも多くはサツマイモの太い部分がぶつかり合って価値を生んだり、反目したりなどする。夫婦もそう。職場もそう。太めの部分が擦れたり、協力したりしている。
でも、太い部分はやがて終わり細くなっていく。
朝(あした)に出勤し昼に弁当を食べ、夕べに帰る。日常の当たり前のように思う日々の出来事はまたと来たらざる稀な出来事であることに気がつかない。
この日常が永続するかのような、サツマイモの太い部分がいつまでもあるかのように思うのは錯覚です。永遠に太いままだと勘違いしてしまう私たち。あっという間に己れのサツマイモは細くなり終わるのです。
野菜を収穫していて私は感じました。最盛期のちょっと前に、一番美味しい時期に頂戴している、と。サツマイモ理論で言うところのいままさに太くなろうとしている部分です。
人は旬のところで出会っている。
人との出会いも高度1万メートルで旅客機同士が音速ですれ違うように一瞬のことなのです。最も太い部分同士が同じ空間を共有するのは稀有の出来事だと後々にわかります。
という、どうでもいいようなサツマイモ理論を昨秋掘り起こした甘薯を見ながら思いました。以上は何らの科学的根拠もないフィクションです。
]]>(北千住にて)
初めて食べたチョコレートはロッテか明治か覚えていませんが、板チョコだったことは確かです。
テレビ番組『がんばれ!ロボコン』でロビンちゃんが生まれて初めてチョコレートを食べ感激する場面があります。当時、ああわかるぅといたく共感した覚えがあります。
ロビンちゃん扮する島田歌穂さんとはその後出逢いがありました。
学生時代に『レ・ミゼラブル』を帝国劇場に友達と見に行きました。エポニーヌ役で出演していた生の歌穂さんを遠くから見ました。時下りて、いま住んでいる地元の市民会館で歌穂さんの公演を手伝うこととなり、身近に接する機会を得ました。
チョコレートに話を戻します。チョコレートが好きです。バレンタインデーは贈られる意図の如何に関わらず、義理でも推しでも何でも、いただけるのは有難い。
いまもコーヒーを飲みつつチョコレートを食べながら綴っています。
これまでで最も美味しいと感じたチョコレートはOGGIの「ショコラデショコラ」。特にオレンジピールが美味しい。高価なのでこれまでで口にしたのは2回。
OGGIの素晴らしさを伝えたところ、栄養士の友達が模して作ってくれました。それがまた絶品でした。
模すことができるというのはすごいことだと思いました。再現力は生きる上で極めて大切な力です。
私は何を模すことができるのか。iPadにタイ語で話しかけたら正確に文字に変換されました。可愛いと思いました。
]]>(私は劇場スタッフのように立っています)
もしトラがいよいよほぼトラになるのではないか。いや、ガチトラになると私は見ています。
30年近く前にカナダに1年滞在していました。
米国の隣国にあって控え目な国です。アメリカ人の中にはカナダを自国の一つの州だと思っている人もいるという話を聞いたことがあります。
真偽のほどはわかりませんがおとなしい国ではあります。でも、魅力的な国です。社会全体が学習する国です。失敗からも学びます。学び続けるので静かに発展しています。
隣国から米国を見ていると、特に政府の振る舞いにあっては傲岸不遜さを感じました。でも、その傲慢さが国の力になっていることは間違いない。
あの傲岸不遜を解毒し、エッセンスを抽出すると矜持になる。そう私は思っています。そしてこの矜持こそ、言い換えれば無毒化した傲岸不遜さこそが我が国に必要なのではないか、と。
私の所属する業界では◯◯◯計画というものをよく作ります。冒頭に記載する「趣旨」に枕詞のように「国の動向を見据えて云々」と一段上のレベルの潮流に言及するくだりがあります。
国家レベルの計画においても「世界の潮流を捉えて云々」があります。
ところが、そういった感覚が米国にはない。自国が潮流そのものであり、周りがどうこうではない。周囲とか上の存在とか、そのようなことは気にしない。
◯◯したい。したいから◯◯する。
証券市場も同じです。日本の場合はニューヨーク証券取引所の動向に左右されます。規模の違いももちろんあります。が、根底には意識の差があるように思います。
もしトラがほぼトラになり、ガチトラになったら、いい意味での傲岸不遜さを持ちたい。いや、持つべきと思います。でなければただ右往左往するだけです。
温暖だからと言って当地を「東北の湘南」などと称し他人のふんどしを借りるのではなく、逆に「東海のいわき」と他地域に言わしめるくらいの傲岸さがほしい。
私が中心なのだ、というくらいの解毒された驕りを持ってもいいのではないか、とガチトラ時代を見据えて、世界の潮流を踏まえて私は思うのです。
]]>(4か月かかってブロッコリーが育ちました)
「『人生において遅いとか、早いということは、御座いません』という言葉にささえられて、サンスクリット語も挫折することなく学ぶことができました」
元々物理学出身の植木雅俊氏は、このように師である中村元博士の言葉を紹介しています。
なお、植木氏が出演したNHK−Eテレ「100分de名著 法華経」は好評によりアンコール放送されています。いい番組でした。
さて、ジョイントコンサートに出演しました。やっぱり緊張しました。ダメだった、というのが率直な感想です。
伴奏してくれたピアニスト(実感としては伴走してくれたに近い)に緊張について尋ねました。
「緊張を波乗りするかのように楽しんでいる」
すごい境涯です。いつか私もそのような境地に至るのでしょうか。
「伴奏していただいている最中、『がんばれ』との背中に温かな眼差しを感じました」と吐露すると、「自分たちもたどってきた道ですから」との返事。
いまあるのもいろんな人に支えられてきたことを示唆する言葉です。感銘を受けました。
指導してくれたフルート奏者の演奏を後半に聞きました。素晴らしい音色です。
エベレストの頂をはるかに望むふもとの集落にたたずむ思いです。「人生において遅いということはない」を胸に抱いて、とぼとぼと山頂に向かって歩んでいこうと思います。
で、早速、昨日、定例のレッスンを受けたところ、音が出ない。
「なんだか元にも戻っちゃいましたね」との師匠の厳しい言葉。落ち込みました。
※当日、駐車場の空きが十分でなくご来場いただけなかった皆様、心よりお詫び申し上げます。
]]>(一番だと思っています。蕎麦処たじま。自宅から車で数分)
心の中のひとりごと。
時間が有限であることを感じる昨今。来し方と比較して今後元気に動ける年月(としつき)はあっという間に過ぎ去っていくと思う。
できれば、「したい」と思うことをやりたい。「すべき」や「ねばならない」は避けたい。
とは言え、仕事のほとんどは「ねばならない」で占められている。
ではどうするか。
まず、仕事以外の時間に「したい」を増やしていく。これは誰もが思いつく、しかも実現性の高い方法です。
土いじり、横笛吹き、カフェめぐり等々はまさにその好例です。
でも、これでは限界があります。余暇はさほど増やせないからです。おそらくはあと10年以上は仕事はすると思うのです。
であれば、この仕事を変換するのです。仕事の中身を「すべき」から「したい」に変化させていく、もしくは「すべき」と「したい」を融合させていく。
(たじまの外観)
そんなことができれば、「したい」の領域が増やせるのはではないか。そう思っています。
現に、土日や夜に参加する行政や各種団体主催の講座や勉強会は仕事の色(黄色)ではなく「私事(プライベート)」の色である青の蛍光ペンで手帳に区分けしています。同じようにスマホのスケジュール管理でも色分けしています。
ですから、服装は私服です。目立たたないようにひっそりと座っています。時に上司と鉢合わせすることもありますが、「プライベートです」と一言添えるようにしています。
ふだんの「すべき」の領域と思われる仕事の中でもじつは「したい」がたくさんあります。同じ志(同じ価値観という意味ではない)を持った方々と対話をすることです。
とは言え、狭義の「したい」も本気にならなけば得るものは少ない。本気モードに拍車をかけるため、あえて自分を追い込むことも大切です。
貴金属の塊であるフルートを新調したい。もう30年以上使っているお古のフルートを買い替えたい。
下手な人こそいい楽器を使うべき。私の信念です。
人生はフルートの丈のように短い。やりたいことを悔いなくやろう。
二倍濃く生きる。これからの私のモットーです。
]]>(いわき市医療センターにて)
半ドンの効用についてたびたび取り上げています。
4年前のちょうど今ごろも「半ドンのまち」として提案していました。
なぜ早春に掲載したのか。半ドンと春は私にとって切っても切れない関係にあるからです。
土曜日の午後に解放されるあの爽快感が最も高まるのが春だと私は思っています。詳しくは割愛します。
「半ドン」の魅力についての言説が見当たらないことに寂しさを感じます。週休2日制が普及し半ドン経験人口が減っているからでしょう。
詩人ホイットマンは謳いあげます。「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる」と。
サウナの暑苦しさがあるから、その後の快感がある。
午前中の苦役があるからこそ、午後の楽しみが増す。
というわけで、半ば強制的に土曜日の午前中は畑仕事をすることにしています。ところが、返って土いじりが楽しくて午後まで延長戦がしばしばです。
何かいい半ドンがないか。模索中です。
]]>(練習の合間のアリオスカフェ)
半世紀前の2月14日という日を思い浮かべます。どきどきとわくわく、そして一抹の不安が漂う一日でした。
あの子からもらえるだろうか。島崎藤村の『初恋』のリンゴのイメージと重なり合う、妄想の世界でした。
机の奥の方をまさぐったり、下駄箱を確かめたりするなど無用な行為をしばし行いました。いずれも不発。
学校行事は意外にもどきどきとわくわくが地雷のように埋め込められています。
フォークダンスは恥ずかしさと期待が入り混じる時間でした。女子と手が触れ合う普段はない機会でした。
この子の手は温かい。しっとりしている。冷たい。乾いている。握力がほぼゼロ。嫌がられているのかな。
その人の持つ肌の特質というのは独特なのだ。一つの発見でした。
そういった五感が交錯し、そして研ぎ澄まされる瞬間でもありました。
時下りて50年。職場でチョコレートをいただきました。「日ごろの感謝を込めて」との言葉を添えられて贈られました。
恐縮至極です。もはや動悸はあってもどきどきは起き得ない今日この頃。
ただし、3日後に今年最高潮となる動悸が発動します。300人を超える聴衆の前で吹きます。求心カプセルの購入を思案中です。
]]>(久しぶりの小島珈琲店。桜の季節が楽しみです)
失礼な言い方にはなるけれど、と前置きした上で述べました。
「豆腐とおから」の関係にたとえて私は言いました。
今回策定しようとしている指針はおからである。指針を作る過程で様々な団体や法人と意見を交わし信頼関係を構築したはずである。広く顔の見える関係を作ることができた。それが豆腐であり、こちらの方がより重要である、と。
怪訝そうな表情を見せる担当者に私は訴えました。
いざというときは結局のところ「人」である。ルールや仕組みはもちろん大事。しかし、どんなに仕組みを作っても問い合わせはくるし、例外は起きる。
そのようなときに、これまでに築いてきた顔の見える関係が生きてくる。問い合わせの質が変わっているはず、と。
「団体や法人とのやり取り、大変だったでしょう?」と私が問うと。
「大変でした」
「そこが大事なんです。やり取りで築いた人間関係が生きてくるんです」
いざというときのためのシステムはいざというときに動かない。東日本大震災で身に沁みて感じたことの一つです。
いざという事象は不定形です。ルーティンでは決してありません。だからこそ、「人」なのです。
システムが不要と言っているのではありません。システムがあれば安心という、“正常性バイアス”を排する不断の努力が必要だと私は思います。
顔の見える関係が「豆腐」であり、結果としてでき上った「システム」はおからなのです。その「豆腐」は人の手によって維持していかなければ劣化しやすい欠点を抱えています。
]]>(梅の花が大好きです)
梅の香りがいちばん好きです。
以前「遠き日の梅の香り」として文章にも綴り、そして地元の朗読家に朗読をしてもらいました。
梅の香りの漂う畑で久しぶりに農作業をしました。寒風の中にあっても陽射しが暖かい。春です。
(冬越しの野菜を驚異の目で見ています)
この土いじりの充実感は何から来るのでしょう。間違いなく価値を創造している。そういう実感があります。自らの発意で働いていることも関係していると思います。
「ねばならい」や「すべき」からは喜びは生じない。やっぱり「したい」ということが大事です。
日頃「ねばならい」と思っていることも自発能動で取り組めるようになれば充実度も変わるかもしれません。
冬越ししたブロッコリーを愛でながら一つ収穫しました。冬を耐えた野菜は美味しい。
(小ぶりです。でもじつに美味しい)
水菜も周りをトリミングするとみずみずしい葉が出てきました。シャキシャキ感が堪りません。
今週は公私共に緊張を強いられる行事が控えています。
一歩成長できるでしょうか。
]]>(FAROのランチ)
日本の人件費が相対的に安くなってきた。だからTSMC(台湾積体電路製造)が熊本に工場を新設したのかと思っていました。
第2工場も熊本に設けるという。熊本工場の運営子会社にトヨタが2%出資。ソニーとデンソーもすでに出資しています。
このTSMCの日本進出は対中国を見据えての動きが背景にあることは想像がつきます。その対中国という捉え方を私は単に経済安保、つまりサプライチェーンの観点からしか見ていませんでした。
日本を目指す台湾企業は同社だけではないという。
「理由のひとつは、強力な米軍と自衛隊に守られ、地理的にも近い日本が有事の際の逃避先になるからだ。(中略)中国の習近平政権は台湾統一の意志を明確にし、軍事圧力を高めている。地政学リスクに敏感なのは、戦争や内戦の歴史を生き延びた華人の本能かもしれない」(2024.2.4日本経済新聞)
さもありなん。そのような視点は持ち合わせていませんでした。
30年近く前に北米から日本への帰途、コックピットに入らせてもらいました。機長としばしの懇談。その際、私はGPSを積んでいるか、尋ねました。
「当機にGPSは搭載しておりません。ジャイロコンパスを使用しています。理由はGPSは米国のシステムです。二国間の関係が悪化した場合は使えなくなるおそれがあります。リスクをなるべく避けるのが企業です」
おそらく現在は日本のどの航空会社でもGPSを使っているとは思いますが、当時の機長の言葉は新鮮でした。
リスクというものに鈍感に生きてきたしっぺ返しがいま私の身に起きています。
]]>(カフェ「sons」)
コンビニでの出来事です。
レジに商品を持っていきました。20代と思しき女性の店員さんです。
レジに並んでいるとき私の思考は冷温停止状態です。トイレに立っているときとレジ待ちはほぼ同じ脳波を出しています。たぶん。
とにかく心穏やかに待つ。ただそれだけです。
「触っていいですか」
商品に触れていいか、と尋ねてきました。もちろん私は「どうぞ」と答えました。
変なことを訊くなぁ、と思い何気なく名札を見ると日本人の名前ではありません。肌の色から勝手に判断すると南アジア出身の方でしょうか。
おそらくは客に「触るな」と言われたことがあるに違いありません。胸が痛みました。
在住外国人を支援する方に話を聞く機会がありました。
「お前の肌はチョコレートの色をしているから、チョコレートのにおいがするのかな」と同級生に言われた子どもがいるという。心痛が走りました。
多様な人がいることが当たり前という「常識」をふだんの意識の中に根付かせるにはどうすればいいのか。思案しています。
]]>(大好きなカオマンガイ 。タイ料理アーリーにて)
社会での不満というよりは報道の世界で批判的に取り上げられる存在が「城郭の人たち」です。存在意義自体が疑問視されることもあります。
よく言われるのが「辞めるべき」。じつに多い。次に報酬を減らすべき、定数も削減すべきだ、等々の意見です。
そういった批判が喧(かまびす)しいにもかかわらず、意外と批判する側にも、そして批判を受ける側にも悲壮感はありません。深刻そうな表情を見せますが、深刻ではない。
太陽が毎日上ってくるように世の中が回っているからかもしれません。しかし、間違いなく社会の価値を棄損している。そう私は確信しています。
ランキングというものを過大視することは危険です。でも、やはり一定の物差しにはなる。その各種世界ランキングで我が国は低迷しています。
むべなるかな、と思います。
と、ここまで城郭の人たちについて言及してきました。が、問題は城外にいると思っている人たちにあるのです。
なぜなら、江戸時代は確かに城外のふつうの人が城郭の人になることは制度的にほぼ不可能でした。
しかし、いまは、実のところ城郭にいると思われる人たちは城外の人たちの代表として城外の人たちによって城外の人たちの中から選ばれたのです。
ですから、不適格という批判はまだしも、城郭にいる私たちが思っている人たちの権利(例えば報酬であるとか、定数など)を制限することは、城外の自分たちの制限を制約することにつながるのです。
現代において制度設計においては梨園の世界のように隔絶されたものではなく、したがってそもそも城郭も城外も存在しません。生業(なりわい)として城郭の人というものが「いない」と理解することが肝要です。
本来においては、いつでも・誰でも、成りたい人が成れる。それが現在の真の意味の「城郭の人」です。別世界の自分たちとはかけ離れた世界の人という意識こそを変えていく必要があると私は考えます。
「城郭の人」をかつての摂家のような存在にしてはならないのです。
と、言いながらも私は城外のさらに城外の陽関のほとりで詠嘆することで悦に入っています。保身ですね。よろしくない。
]]>(たこ焼き屋「ほんまもん」にて)
今後の50年分の地域の衰退を一気に可視化するものが震災かもしれない。そう思うようになりました。
ゆでガエルの例えの対とも言える漸減(徐々に減っていく現象)することに対し私たちは敏感ではありません。一気に減少し、形あるものがなくなることで「災害」として認識します。
健康においても同じことが言えます。劇症を発する感染症に対しては警戒します。が、生活習慣病に対して私たちは一般的に鈍感です。
災害が起きたあと復旧作業を行います。その後、以前にも増して活気ある町となるようソフト面も含め復興の段階に移ります。
復旧とは元に戻すとの意味です。その「元」とは何でしょうか。過疎化の進む地域の道路や港湾等のインフラの「元」とはどのような状態なのでしょうか。
じつは数十年後の姿を災害という突発的な事象によっていま姿を見せているだけなのかもしれない。経年劣化による町の衰退に対して復旧も、そしておそらくは復興もあり得ないでしょう。災害が発生したから元に戻すのです。
居住の自由は最大限に尊重されるべきものです。一方で、限られた(しかも多くは未来への借金という)社会資源をどのように配分するかを考えたとき、一定の地域に強く誘導する施策を発動する時期に来ているのではないか。
この頃、そんなことを考えています。
]]>(FAROにて)
前号「不安はある」で自分自身のことでの不安はほとんどない、と述べました。虚言でした。お詫びします。
アンサンブルの音合わせをしました。音はズレる、リズムも外す。同じパートを吹く方は幸いにも音大生です。発表会当日は「指パク」で誤魔化そう。周りと合わせるというのが幼児期から苦手でした。
気持ちはさほど緊張していないはずです。にもかかわらず、くちびるが硬直してしまう。生前硬直というやつでしょうか。死後はおろか私は生きているうちから硬直が始まっています。
何かいい方法がないでしょうか。演奏会まであと10日間余り。
民間療法でも何でもいいので教えてほしい。出演直前まで楽屋で『Mr.ビーン』の動画を見て思いっきり笑う。現時点でのせいぜいの私の思いつきです。微量の筋弛緩剤も有効な気がしますが入手は困難でしょう。
さて、アンサンブルは「指パク」で乗り切れても、ソロをどうするかです。ドボルザークの「ユモレスク」に挑戦します。どうする指パク。
(あと10日余り。緊張と不安が高じています)
本日のレッスン指導ではジョイントコンサートに出演するプロのフルート奏者、伴奏をする著名なピアニストに加え、私の日頃のフルートの師匠まで見守るという、まるで奉行所のお白洲のような環境でした。
フルート奏者者の先生からは「◯◯◯さんはどのような気持ちでこの部分を吹こうとしているのですか」と問われました。
「どのようなとおっしゃられましても、ただ私は吹ければいいのです。ただそれだけです」とは言えませんでした。聴衆の予約人数はすでに300人を超えているという。
この合同指導のあと、日頃の師匠による特別レッスンがありました。
「課題は何が見えてきましたか」
「曲の流れでしょうか」
「呼吸です。呼吸が浅くなっている。音色の問題も行き着くところ呼吸です」
「確かに焦って浅くなっていました」
「当日まで暗譜してください。このままではただの素人のままで終わってしまう。飛躍できるかどうかの境にいまあります」
「いや、私はただのど素人なんです」とは言えない真剣な空気がありました。異次元の世界に入ってしまった感があります。
それにしても師匠は有り難い。
もう不安いっぱいです。
]]>(スナップエンドウの苗を植えました)
自分自身のことでの不安はほとんどありません。
顔と名前が覚えられないこと、遅読であること、会議中に眠気を催すこと、外反拇趾である
(春になったらテラス席もおすすめです)
こと、逆流性食道炎を患っていること、付点音符が苦手であること。それらを除けば、すでに両親の寿命を超えているので幸せの部類にあると思っています。
とは言え、自分の掌中にない、つまり他に委ねている事柄で、かつ私が責任を負っている案件に対して漠とした不安をつねに感じています。責任職ゆえのやむを得ない、そして当然に生じる心理状態なのだと思います。
(ブルーマグコーヒーのエントランス)
こういった経常的な不安感からくる負の反応の一つとして、事細かに報告を求める、いわゆるマイクロ・マネジメントがあります。高じてくると業務中はおろか夜間・休日にも問い合わせてしまうようになります。
「それ、私、聞いていない」
この心の声が頻出し、かつ実際に声に出すようになったとき何らかの対処が必要です。
(お店のカラーのブルーが迎えてくれます)
不安を忘れる。それはできません。が、気持ちを切り替えることは可能です。私の場合、土をいじることとカフェでぼーっとすることです。
畑に行ってスナップエンドウの苗を植えました。まだまだ寒い日が続くので稲藁を敷いてやりました。耐えてくれるでしょうか。
昨秋剪定をし施肥を行った梅の木の育ち具合を見ました。心なしか蕾が密集しているように感じました。上の方は開花しています。蜜蜂は気づくのでしょうか。
(たっぷりの生クリームが嬉しい)
「におひをこせよ梅の花」と願わずにはいられません。
久しぶりにブルーマグコーヒーに行きました。私好みの酸味の利いたエチオピア産の浅煎りの豆が楽しめるカフェです。硬めのプリンといっしょにいただきました。
不安はいつもあります。消せません。消してもいけないと思っています。不安は楽しみのスパイスだからです。
]]>(最近、湖池屋をよく買うようになりました)
読書の速度が遅くなりました。しょうがないな、と受容しています。
遅読となったうえに読んだことが頭に残りません。
母が生前よく言っていました。本は若いうちにうんと読んでおきな、と。
小説は特に読まなくなりました。学生時代に読んだ『竜馬がゆく』。歴史事実とは異なるとの批判はありますが、大好きな作品です。
でも、いま読もうという気持ちは起きません。主人公がみんな私より年下だからです。どこかに鼻で「ふん」としてしまう自分が見えてしまうから読みません。慢心です。
とは言え、やっぱり読み続けないと、ただでさえ不足し、かつ錆びつつある脳細胞の情報が使い物にならなくなってしまいます。
昨今は誰かが推薦した本を読むようにしています。悲しいことにその本を手にしたころには推薦者が誰なのかを失念しています。やんぬるかな。
高坂正堯著『歴史としての二十世紀』を読み始めました。講演録を基に著書にしたものなので読みやすい。
誰がおすすめしてくれたのか、思い出そうとして思い出せない。記憶が直腸止まりです。すっきりしません。
日々の生活が目の前のことの対処に追われています。いけないですね。この本は大所高所から見る眼を養えそうです。
]]>(懐かしい友とタイ料理を囲みながら語らいました。器の模様はパイナップルを模しています)
「火の玉」が話題になっているようです。音の似た言葉に「火だるま」があります。意味は違います。
父は火の玉を見たと生前語っていました。河口で目撃したそうです。心霊といったものにまったくの無関心であった父は恐怖というものがなかったように思います。
古びた神社の雰囲気が好きでなく、怖いと私が言うと薄暗い社殿を勝手に開けて私の腕を引っ張って奥まで連れていかれました。
「ほら、何もないだろう」
何かあるかどうかが恐怖の元ではないのに、父はそれが理解できていないようでした。
父は実父(私の祖父)が亡くなったあと、どうしても会いたくなったことがあったそうです。祖父の幽霊が現れることを期待して夜中に墓に行ったと聞きました。結局のところ会えなかったそうです。
気持ちはわかりますが、私は絶対にしません。怖がりだからです。
水曜スペシャルを見た後は金属製の円盤が夢に現れました。小さな点が見えたかと思うと、みるみるうちに頭上に迫ってくる恐怖はいまもトラウマになっています。
個人的には矢追純一さんに精神的な損害賠償を請求したいくらいです。
火の玉と言えば、一時同居していた先輩がふつうに雑談している最中、「屁って燃えるの、知ってる」と突然言い出しました。仰向けにゴロンとなり、お尻を上げてライターを近づけて放屁しました。
生涯で唯一私が見た「火の玉」でした。不思議と無臭でした。
]]>(俺のカフェの一つ。カエルかえるカフェ)
仕事の都合の飲み会。基本的に一次会で失礼しています。
30年前くらいはちょっと事情が違いました。一次会がまず長い。延長戦10回裏あたりでようやく店の外に出ます。
そこでぐだぐだの時間があります。
「何、もう帰んのが。帰さねぇぞ。あははっ」
哄笑が間欠泉のように時折起きます。帰りたいと思っている人もいるのに帰りません。帰れないのです。真綿で包み込むような同調圧力がかかっているからです。
ぐだぐだタイムに一瞬の隙が生じた瞬間、中座組が数人抜けます。
「何だ帰んのがよ。付き合えよぉ」
「すみません。ちょっと...」
申し訳なさそうな表情を見せつつ、足早に去ります。二陣三陣と脱藩組が出そうな頃合いになって上司が言い放ちます。
「んじゃ、俺の店、行くがぁ」
と、そのとき「係長の店にみんなで行きましょうよ。きょうは係長の奢りですよね」とひときわ甲高い声でその場のナンバー2が宣言します。
「あら、いらっしゃ〜い」
係長の「俺の店」に入るとすでにマイクを握ってがなっているおじさんがいます。「俺の店」と思っている人が複数いることがわかります。
「俺の」の「の」は所有格ではないのに本人たちは所有格と勘違いしているようにも見えました。正確には「俺のよく行く店」くらいの意味しかありません。
「俺の」特権なのか、「俺」によってママさんに一人ひとりが紹介されます。そして、ママさんが「俺」に言います。
「◯◯さんにいつもお世話になっているんですよ」
「俺、ここ長いんだ。ねぇ、ママ」
香料の強いお手拭きタオルを顔に当てながら私はそんなやり取りを眺めていました。あの頃の「俺の店」はいまどうなっているのでしょう。
というわけで、「俺のカフェ」という店を出そうかと思案中です。もちろん蒸しタオルは香料ぷんぷんにします。
]]>(白菜は菜の花を楽しむことにします)
毎日、畑を見に行きます。
あさは出勤時にあぜ道を歩きながら、野菜の育ち具合を確認します。よるはイノシシなどの獣に荒らされていないか警戒します。
日の出と日の入りの時間も天気予報と合わせてチェック。少しずつ日の出の時間が早くなっています。
気温はこれからが寒さの谷に入ります。が、陽光は確実に明るくなってきています。嬉しい。
白菜は結球しませんでした。植える時期が遅かったからだと判断しています。
ブロッコリーはこの寒さの中にあって少しずつ大きくなっています。大したものです。
芽キャベツも生長しています。厳冬の中でも枯れずに頑張ってきました。
玉ねぎの苗は冬を越せそうです。見事です。あの細い葉で光合成をしています。撫でながら誉めてあげています。いよいよ地下の玉ねぎに栄養を送り始めることでしょう。
ほうれん草と蕪は元気がありません。冬越えはしました。枯れてはいません。ほんの少しずつ葉を大きくしています。でも、元気はありません。何かが足りないのかもしれません。
昨秋種まきしたスナップエンドウの苗も休眠状態です。これから伸びていくに違いありません。なお、予備用に元気のいい苗を購入しました。
畔にある梅の木が間もなく花を咲かせます。梅の凄いところは暖かくなってから準備をするのではなく、厳寒期に開花に向けた備えをしていることです。
桜とともに私の尊敬する花です。
桜色の染料も冬の寒い時期に表皮から採取した樹液を用いるという。
最もしんどいときこそ飛躍のエネルギーを蓄積するときなのでしょう。
]]>(小島珈琲店にて)
春が楽しみです。殊に今春は桜を見ながらコーヒーを楽しめるカフェを地元に見つけてしまいましたので。
昨年の店舗オープン時には葉桜になっていました。土手の桜の大樹を見上げながら、桜の季節は最高だろうな、と思いました。
静謐な空間に上質な音楽が流れ、居心地の良い落ち着きを醸し出しています。オーナーの優しさに包まれながら、酸味の利いたコーヒーを飲むとき心のサウナに入っているようで、文字通り精神が整います。
桜の木は河川の堤に植えられたものです。カフェの所有物ではありません。言わば借景です。
借り物の景色という意味の「借景」という言葉が好きです。なお、当地で「冷たい」を意味する「シャッケェ」とほぼ同音です。
(ペンギンを想起させるピッチャーが好きです)
全部自分の所有にする必要はない。自分の力でやろうとしない。いい意味で他力を上手に使う。他力を生かし、自力も他の人に使ってもらう。
この葦の根のような重なり具合がこそが大切です。
どのような友人、知人に囲まれているのか。あるいは、繋がっているのか。そこには人生の借景と言える世界が広がっています。借景を見れば、当人の姿も浮かび上がってきます。
このお話の続きは小島珈琲店で桜の咲く頃に...。
]]>(本年1月末でイタリアンダイニングが閉店となります。アリオスにて)
旧知の社会保険労務士の方との語らい。どのように糧を得ているのか尋ねました。私はけっこう失礼な人間です。
業務を請け負うことでの報酬の単価は自由契約であるという。では、都度払いなのか。
「生々しい話なんですが、報酬は決められているのですか」
「いや、単価は決まっていないんです」
「では、一定の請負に対して報酬を都度受け取ると..」
「最近はそういう方もいますが、うちは古いタイプの事務所なので業務があってもなくても月額で定額でいただいています」
「なるほど、サブスクですね」
「そうですね。サブスクですね」
「私思うんです。世の中でほんと設けているビジネスはサブスクである、と」
「ほう」
「使っても使わなくても一定額身銭が入る。この仕組みほど安定したものはないんです」
電気やガス料金は定額と従量制を組み合わせています。その方法も有効です。
「確かに都度払いは安定していませんものね」
「そうなんです。税金は対価としてのサービスが得られるかどうかにかかわらず、課金(課税)されます。これもある意味でサブスクに似ています」
ただし、税は対価とサービスに不均衡がありますし、サービスの選択に枠がはめられていることが多い。
「以前の職種は都度払いでの業務だったので、飯を食うために仕事をする。ライスワーク(rice work)でした。いまはいい仕事、生活をするために仕事をしているのでライフワーク(life work)となりました」
「いい言葉ですね。私も保険の営業職時代はまさにライスワークでした。とにかく、IT関連の巨大企業もよく見ると基本はサブスク、つまり一定額を顧客に払わせる仕組みで成り立っています。これが一番儲かるんです。薄く広くです」
居酒屋にもサブスクが導入できないだろうか。毎月5千を払うと、毎回の飲み代が2割引きになる、と。事業者も顧客も ウィンウィンになるのではないだろうか。
※サブスク=subscriptionは「下の方に署名すること」が原義のようです。要するに契約してずっと利用するという意味から現在のサブスクの意味として使われるようになったと解されます。
]]>(現代に生まれてよかった。絵画館近くのカフェのロールケーキ)
聖徳記念絵画館を初めて訪れました。都心の移動の上で駐車場が便利で安い。それが第一の目的ではありました。
明治神宮の所有であり管理運営も担っています。公的資金は一切入っていないという。
幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた絵画を展示しています。当代一流の画家らが年代順に80点の作品に仕上げました。
私が最も感銘を受けたのは幕末から明治維新に活躍した人々の年齢です。当時の立役者たちは若かった。
王政復古の大号令がなされた1868年1月3日(慶応3年12月9日)を基準としましょう。
明治天皇15歳。徳川慶喜26歳。伊藤博文26歳。坂本龍馬(1867年12月10日死去)は生きていれば32歳。江戸城無血開城の談判を行った西郷隆盛39歳、勝海舟44歳。
いわゆる志士と呼ばれる人はもっとたくさんいますが、とにかくみんな若い。全員私より年下です。参りました。
思いました。確かに平均寿命の短い時代ではあった。しかし、ここから学ぶことは多々ある、と。
当時の50代、60代の人々は口を挟まなかったのか。見守っていたのか。
豊臣秀吉に蟄居を命じられた千利休はそのとき70歳。高齢者が政治に物申すことは以前にもあったのです。
にもかかわらず、若者に任せた。託した。そういう時代だったのです。
これは現代でも行えるはず。我が職場でもできるはずです。
政策を打ち出し実行するのは若者に任せ、50代は責任を取ることと見守ることに徹してもいいのではないか。
そんなふうに思った絵画館観覧でした。それにしても勝海舟は江戸城無血開城をなしたとき私より一回りも若かったとは...。
肝っ玉が比べ物にならない。
]]>(木村家と記載されています)
むむ。これは何だ。
木村屋のアンパンを駅ビルで買いました。出張販売のようです。単価は高めですが美味しいことは間違いない。
衝動買いです。必要性の低いものを一時の欲望に駆られてアドレナリンの上昇とともに財布のひもを緩めてしまう行動を言います。
私の場合、ピッチャーやグラスで風変わりなものを見つけたときにも発動しやすいという症状もあります。合併症です。
それにしても、木村屋のパンを買ったのに、文字は「木村家」にしか見えない。夕食後にアンパンをおやつ代わりに食べながら、じっと文字を見つめました。
この「木村家」は山岡鉄舟の筆によるものだという。鉄舟はアンパンが好きだったのか。というか、明治初期にアンパンがあったのでしょうか。
ま、私にとっては木村家でも木村屋でもどちらでも差支えはありません。美味しければすべてよし。
あっという間に嚥下し胃袋に納まりました。
]]>(庁舎8階にある食堂。ガパオライスです。580円。卵焼きは‘かんまがす’のが現地流の食べ方)
※かんまがす=「混ぜる」の意
職場は7階にあります。出勤時、基本的に階段を利用します。
あくまでも「基本的に」です。時折、挫折します。心が弱いです。
さて、階段を登ることは苦痛です。できるだけ考え事をしながら上がっていきます。4階かなと思って表示を見上げると5階だったときは嬉しい。
でもこの誤差はせいぜい1階分。たいがいは推測した階はほぼ9割の確率で当たっています。得した気分になることは稀です。
毎度歯を食いしばり7階を上がり切ります。区間を走り終えた駅伝選手のようになだれ込むようにして自席に着きます。
もちろんタオルで抱きかかえてくれる人はいません。
駅伝と言えば、区間賞を獲るような選手は余裕の表情でゴールインします。まだまだ走れそうです。一方、鬼の形相というか苦悶の表情の選手は抜かれてしまっている選手に多い。私の個人的な感想です。
というわけで、今後の職場階への登攀(とうはん)は7階を目的地にするのではなく、塔屋階である9階を目指すつもりで歩みを進めてみようと思います。
あすから楽勝の表情を醸し出すことができるでしょうか。
]]>(Cabinのグリルサンドはパンが薄く食べやすい。薄皮グリルサンドと命名したい)
見える風景が変わる。そのことは想像していました。
職階によって当然に環境が異なります。立ち位置が変わるので目線が変わります。したがって、見える風景が変化します。
俯瞰する視点も多くなりました。一方で、意外にも現場の情報が、何らかの事案が発生した場合に限りますが、よく見えるようになりました。
Aという現場はAにいる職員にとってはAのみの世界です。
しかし、A、D、Gで事案が発生した場合、俯瞰できる立場にいる人間は比較できます。共通点と相違を見出しやすくなります。
職階の変化に関してもう一つ言及したい。心得るべきことの変化です。
私たちは外部からの情報に対して脊髄反射のように即座に反応することが多いものです。複数の人が集まっての協議においては様々な意見が交わされます。
私たちの頭の中では一つひとつの情報(刺激)に対して瞬時に思いつきが浮かびます。意見というほど理論整然としたものではなく、「反応」に近いレベルのものです。
その「反応(思いつき)」を口に出してはいけない。そう戒めるようにしています。
協議の場は、最適解を見出す場であって、私の意見を表明する場ではない。もちろん最終判断と責任は私が負います。しかし、私見を披露する場ではない。
以前の職階までは頭に浮かんだ自分の意見を述べることをふつうに行ってきました。 いまはそうしないよう注意しています。
半島北側のトップの周囲の人間が一斉にメモを取るあの感じが、私が口を開くと起きることに最近気が付きました。その風景は私の心得に変化をもたらしました。
ただ、その事案の対応に本当に合っているのか、適切か、間違いないか。当然、わからないこともあります。迷うこともあります。
だからこそ、責任を負うという意味での責任者なのだろうと思っています。
]]>(熱帯に合う5色の焼き物)
見舞うため山を越えて隣接の村に行って来ました。
認知症は進むことはあっても改善はないのでしょう。血の繋がりも記憶を呼び覚ます力になり得なくなってきました。
(モンブランケーキは人を幸せにします)
帰途、村内唯一のカフェに寄りました。夕刻の店内は誰もいません。
好物のモンブランケーキ。
(Cafe Amazon)
華やかな色彩のベンジャロン焼きを眺めていました。タイの焼き物です。ベンジャとは5つのという意味、ロンは色です。いずれもパーリ語に由来します。
]]>(会津若松市内の福西本店で開催)
いにしえの倣いからすればむしろ反対ではないか。
徳の高い優れた人物は、嘆いたりしないはず、と。仁者不憂たるゆえんです。
しかし、よくよく考えれば、標題の通りで、この世の騒擾(そうじょう)を見て「少憂」であるならば、むしろ徳のない人であると判ぜざるを得ません。
まともな人間は多憂である、との師匠ならではの警句なのであろうと勝手に推察しました。
聖哲の言葉に「賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く」とあります。
賢い人は世の中が安泰に見えても未来の危険性を鋭敏に感じ、愚かな人間はこの危うい社会にあって見せかけの安穏に身を浸す、との意です。
というわけで、会津若松市の福西本店で掛け軸の展示会です。大好きな会津の、しかもお気に入りの福西本店での催し。
行きたい。都合を調整中です。
]]>(元日のハンバーグカレー。「ナポレオン」にて)
相手方の納得が得られないまま、当方の案を進めざるを得ない局面が以前より増えてきました。
利害が錯綜し、また、相手方が頑迷に別案に固執することで隘路にはまったときどうすればいいのか。
私たちが立ち戻る原点は「何のため」なのだろうと思います。目的を目指すとき相手方と共有できるものはないか探ります。
単に対立だけで終わりたくない。決して敵と味方という関係ではない。戦っているわけでもない。
「目的」に至るルートが違うだけだ、という認識をまず共有します。目指す山頂は同じなのだ、と。ただ、その登り方において私たちの間に意見の相違がある。
この部分で認識を一致させることが肝要です。
すると案外にも合意とはいかないまでも「やむなし」となるものです。立場の相違が先鋭化したとき、この「やむなし」という着地点を私は重要視しています。
「やむなし」は論理の領域ではありません。正しさを押し通すことで「やむなし」は得られません。
優れて心理の領域であり、丁寧さや優しさなどの振る舞いの領域であり、人間性がものいう世界です。
とはいえ、「喜んで」とはかけ離れた世界であるので、後味の悪さは否めません。ゴルゴ13流に言わせれば、これも「仕事だ」ということでしょうか。
]]>(ガソリンスタンド併設のドトールコーヒー)
カフェで時間を過ごしていたところ、背後に座っている高齢の男性が勉強をしているように見えました。
その男性は小一時間ずっと書物に向かっていました。食器を返す際に一瞥すると『英検2級対策』と書かれています。軽い感動を覚えました。
私も負けられない。年頭に掲げた「実用タイ語検定試験準2級」への挑戦に真剣に取り組もうと思いました。萎えていた気持ちに張りが出ました。
聞く、読む、書く。テキストを何度も何度もこの三拍子で習得する。時期は6月上旬。あと4か月です。
準2級まではペーパーとヒアリングだけ。2級と1級は面接試験もあります。緊張しやすい私は面接は苦手です。
ともあれ、劣化しつつある脳細胞に鞭打ち、上半期の目標を勝ち取りたいと思います。
]]>(生パクチーを入れてグィティアオを作りました。ベトナムではフォーと称します)
以前は複数の案件を同時に処理することができていました。最近、二つ以上のことを並走させることが困難になってきました。
決してモチベーションが下がっているわけではない。精神衛生上も問題はない。
ただ、馬力というか気力、気合、それらの類いが若干衰えているように昨今感じます。
豆乳の飲みすぎでしょうか。
大豆イソフラボンはメス化を促進するという。戦闘モードの最たるホルモンであるテストステロンを促進させないらしい。
そういえば抜け毛がこのところ減ってきたように思います。抜けるべき分母の絶対値が減っているので、その結果、減っているのではないかとの声も聞こえます。たしかに禿げ頭の方は脱毛しません。
心身の変化を受け容れながら、日々、楽しく精進したいと思います。父の寿命を今年は1歳上回ります。
]]>(ほうれん草を株分けしました)
地位が人生を決めるものではない。旧友はそのことを十分に理解しています。
しかし、毎日の現実に直面したとき心は揺らぎ、憂鬱になります。
「上司は自分の年下。同期はみな出世している」
旧友はかつて上司から恒常的なパワハラを受け、うつ病を発症。休職ののちに現在は何とか通勤できる状況にまで回復したものの、服薬は続けています。
「地位」をめぐって当ブログの愛読者からこのようなメッセージが届きました。
「地位があってもなくても為すべき目の前のことに打ち込むことが大事。(中略)どんな立場でもやれることはあります。その、おかれた立場だからこそできることもあります。その立場だからこそ助けられる人もいます」
その通りだ。腑に落ちました。
メッセージを送ってくれた友人は正規職員ではない現在の立場について「コンプレックスに思うことも多々ありますが、あまり考えないようにしています」と現在の心境を吐露してくれました。
加えて、「今の自分の立場だからできることや、支援できる人のことを考えて仕事をするように」しているとし、「人間なので人を羨ましく思うことはたくさんありますが、私には私にしかできないこともあるはず、と自分を励ましている」という。
おそらくは我が旧友も頭ではそういったことをわかってはいるのでしょう。でも、執着から離れられない。
地位は待遇面にも直結しているので簡単に割り切れるものでもない。地位は「やる気」の最たるものの一つであることも事実です。
ここは徹して添え木となって旧友を支えていきたい。そう思いました。理を尽くすのではなく、受容することが大切なのであろう、と。
]]>(Matraにて)
決意は胸の内に納めておけばいいのかもしれません。
しかし、確固たる意志を持たない私は表明の力を借ります。忘れっぽいということもあります。忘却力だけは負けません。
一、よく噛みます。しっかり咀嚼してから嚥下します。液体を食道に注ぎ込まず、食べ物を噛んで飲み込みます。
(反省)けっこう早食いです。だから逆流性食道炎が治りません。
一、仕事での判断には私情・私憤を交えません。自分自身の意見と合うかどうかではなく、公(組織)として適切かどうかを基準とします。私見は狭量であると胸に刻み他人の意見をよく聞きます。
(反省)自分の意見を基準として判断してきらいがあります。
一、野菜作りを記録します。いつ、どのような作物を植え、どのように成長したのか。あるいは失敗したのか。勘に頼らず、記録を縁(よすが)とします。
(反省)テキトーにやってきて、やっぱりだめだと思った一年でした。
一、シャープやフラットの数を見て、何調かわかるようになります。そして、ドイツ語で音階が言えるようにします。
(反省)フルートの先生に「もうそろそろドイツ語でやりませんか」と言われました。
一、タイ語実用検定試験準2級試験を受験します。「合格します」と言いたいところですが、とにかく受験に挑戦します。
(反省)挑戦しないと勉強しません。
一、週に最低1冊の本を読みます。
(反省)最近読むと眠くなります。
]]>(枇杷の花が咲いています。バニラの香りがします)
うっかりは誰でもあるものです。これまで挙げれば私の場合、人生そのものがうっかりと言えます。
旧友が集まっての忘年会の誘いを受けました。遠方からの参加者もあっての久しぶりの集いです。
会場のすし店に着き、予約者の名前を告げました。ところが、そのような予約はない、という。
場所を間違えたのかな。メッセージを確認しました。が、店の名前も日時にも誤りはありません。
電話をかけました。
遠方の友が参加できないとのことで中止を決めたそうです。その連絡を失念してしまったとのこと。こちらが申し訳なく思うほど平謝りに謝っていました。
前日にも仕事関係の忘年会があり、私は胃の調子がよくなくノンアルにしようかと思案していたところでした。体調維持のために返って幸いに思っていることを幹事に伝え、気にしないよう強く念押ししました。
昨夕。玄関の呼び鈴が鳴り、出てみると幹事の友人です。どうしたのか。
ここ数日考え抜いたあげく、お詫びの印として市内の有名な卵屋さんの鶏卵、ロールケーキ、チーズケーキに加えカマンベールチーズまで。
過分な心遣いに恐縮してしまいました。何よりも山あいの拙宅までわざわざ来てくれたことに感銘を受けました。
学生時代は発酵学を修めた友人です。私もまた発酵系のお返しをと模索しています。
とりあえず、陸前高田市の発酵パークの情報を伝えました。
]]>(空はどこまでも青く)
自宅から車で20数分。高原の清流沿いに秋風舎はあります。春までカフェは基本的にお休みになるようです。
空を見上げると澄んだ空が目に沁みます。川の水は浅く静かに流れています。
(木戸川の水面が輝いています)
井戸の脇に霜柱を見つけました。地球温暖化のせいか、私の家の周りでは霜柱は見なくなりました。踏みつけると懐かしい音がしました。
古民家を再生した店内の雰囲気が好きです。子どものころよく遊びに行った農家を思い出します。
(入口から望む風景は一幅の名画のよう)
囲炉裏の炭火は見飽きません。童心のままにいつまでも見つめてしまいます。古来、火を崇め、炎を拝む信仰があるのもむべなるかな、と思います。
供される器は陶芸家であるオーナーの手によるもの。料理との調和がよくなされています。
(横木はどんな役割があるのか。支えなのでしょうか)
今回のランチはカレーです。あいがけの欲張りセットにしました。
食後のコーヒーを飲みながら今年一年を振り返ります。光陰矢の如しの感を深くします。
(水も美味しい)
たくさんの出逢いがあり、学びがありました。感謝の思いが尽きません。
(ご馳走さまでした)
(知人に勧められて図書館で借りました。著者は地元の出身です)
著者は「僕が意識した生き直しのコツは、『生活リズムを朝方に整える』『人間関係を取捨選択する』『しつこくなる』の3点」を推奨。
そして、訴えます。
「僕がそうであったように、人生のやり直しが『遅すぎる』なんてことは絶対にないはずだ」と。
新鮮に感じた視点が次です。著者の実体験を踏まえての言葉だけに重みがあります。人生の価値についての考察と解しました。
「ギャンブル依存によるダメージは、お金ではなく体力と時間の浪費にある、僕はそう考えている」
最近考えていることに「単体では力が出ない」ということ。私の目下のテーマの一つです。
諸橋氏の次のような言葉に惹きつけられました。
「僕は依頼や顧問契約をとるために、昔の人脈を頼ることは基本的にしていない。選挙、SNS発言、格闘技、カレー販売などさまざまな活動にガンガン飛び込んで方々で顔を売る。一つ一つの活動単体ではそこまでの成果を生まないが、継続しているうちにそれら個々の活動が有機的に結びついて相乗効果が生まれ、依頼につながっていく」
後段の「継続しているうちにそれらの個々の活動が有機的に結びついて相乗効果」の部分に共鳴しました。
また、網羅思考への反省ともとれる表現も見つけました。
「僕はヤクザだったころ、情報を集めすぎてそれらを整理できていなかった。パッと目に付いた情報に飛びついて、無駄に走り回っていた」
私も以前その傾向が顕著でした。
内田和成氏はそれを網羅思考と呼び、BCG在籍当初「手当たり次第に情報収集を行い、人一倍に分析作業を行うものの、有益な分析結果が少ない、ゆえにさらなる情報収集・分析が必要になるという悪循環に陥っていた」(内田和成著『仮説思考』)という。
諸橋氏は言います。
「競争にさらされると情報を集めたくなるが、そんな時こそ情報に踊らされないように情報収集をコントロールしなければならない。/まず大事なのは、縄張りを決めてフィールドを徹底調査すること」
『元ヤクザ弁護士』の中で最も印象に残ったくだりが次の箇所です。著者自身が執行猶予の判決を受けたときの模様となります。
「被告人質問で、『これからは、司法試験を目指します』と話した。弁護人の先生はさらっとした質問だったし、検察官の質問は覚えてすらいないけど、裁判官は『君ならできると思いますよ。頑張ってください』と言ってくれた」
司法にこのような人がいることに、そして著者がこの言葉通りに挑戦し、生き直しを果たしたことに深い感銘を覚えました。
(地元の珈琲館にて)
中西輝政著『大英帝国衰亡史』だったと記憶しています。30年ほど前です。
国家が衰亡していくとき、じつは国家運営の当事者たちもそれを認識しているというのです。
沈没の危機が迫っていることを知りつつ、その対策について船の上で侃侃諤諤の議論をしながら、それでも沈没していく。国家が衰亡するとはそういうものだ、と。
学生時代。40年近く前のこと。中国留学から帰国した人が言っていました。部屋に電灯がないため、街灯の下で学生が勉強している。学習への意欲がものすごい。数十年後、敵わない国になるのではないか、と。
国家形態はともかく学生の勉学への姿勢は将来の国力を左右する一因になり得ると私は思います。
もう一つ、未来を見ているか、どうかではないでしょうか。
ドラッカーは言います。
「優先順位の決定には、いくつか重要な原則がある。すべて分析ではなく勇気に関わるものである。第一に、過去ではなく未来を選ぶ。第二に、問題ではなく機会に焦点を合わせる。第三に、横並びではなく独自性をもつ。第四に、無難で容易なものではなく変革をもたらすものを選ぶ」(『経営者の条件』)
いま巷にあふれることのほとんどが過去に起きたことへの対処であり、意見であり、不満であり、感想です。過去の不始末への対応に追われているのがこの国の現状と言ってもいいかもしれません。
謝罪会見ではなく、「未来会見」というものを開いてみたいものです。未来をどうするかをもっと議論する、そんな雰囲気を作りたいと願っています。
国家が窓際に来ています。あまりにも「過去」が多い。
]]>(Guesthouse & Kitchen Haceの朝食)
厄介な問題がよく協議の俎上に乗せられます。
現場で埒が明かないから私のところに持ち込まれる、とも言えます。問題の多くはこんがらがっています。
とは言え、解決困難なものは私も解答を持ち合わせていません。
協議が一段落し、最後に私は言いました。
「もはやこういった解決困難な問題は解決ができないと悟ることが大事。無理に肩に力を入れて解決しようと思わない方がいい。解決にエネルギーを注ぐのではなく、問題を悪化させないようマネジメントすることです」
アドラー心理学では「課題の分離」を提唱します。
悩みの原因となる課題が自分自身にあるのか、それとも他者にあるのかを見極めます。
つまり、その悩みが自分でコントロールできるものか、それとも他者のコントロールにあるのかを分けるという考えです。取り組むべき課題と主体を明確にする作業とも言えます。
アドラーは言います。すべての悩みは対人関係の悩みである、と。自分の容姿についての悩みもどうみられるかを気にするという意味で結局のところ人間関係に帰せられます。
子どもが宿題をやらないことで親が悩みます。しかし、宿題をやる主体は子どもであり、子ども自身が宿題の重要性に気づかない限り、「宿題をやらない」という課題は解決しません。
世の中の厄介な問題の中には課題解決の主体と悩みを抱える主体とがごっちゃになっていることがあります。
そのような課題に対しては「解決しよう」と過度にエネルギーを注ぐのではなく、静かにマネジメントすることを私は選ぶようになりました。
]]>(霜に覆われました。春菊が心配です)
とにかく忘れっぽい。絶望的なくらい。再三再四にわたって吐露している通りです。
当ブログもじつは備忘録の意義を込めています。現況はもはや「忘却癖」あるいは「記憶喪失症」と称すべき状態です。
このままでは日常生活に、仕事に支障をきたすことは目に見えています。周囲に迷惑をかけてしまいます。
考えました。先回りして癖の対策を取ることを。
いかようにしているのか。癖を先回りして対策を打つ「地恵」(じえ)を埋め込んでいます。造語です。地雷の対義語としてご理解ください。
【ハンカチの場合】
出勤前ポケットにハンカチを入れるのをつい忘れます。そこで、職場の引き出しにハンカチの予備を事前に入れておくのです。
本日、トイレに行って手を洗おうと思ったら、ハンカチがないことに気づきました。でも、安心。そんなときに机の中の「地恵」が発動します。
【どこかで何かをする場合】
時間は未定であっても、その場所に行ったらすべきことがあるとき、私はそれを忘れます。
例えば、スーパーで〇〇を買ってくる。職場で〇〇さんに感謝を伝える、等々。
そんな私に心強い味方があります。スマホの場所のリマインダーです。指定の場所に近づくと「すべきこと」を知らせてくれる優れものです。
金曜日の飲み会で例えば上司にご馳走になったとして、週明けの月曜日に出勤したときに欠礼しないように職場をリマインダーの指定場所に設定します。
これも「地恵」です。ほんとにがっかりするほど私は忘れっぽいのでこのような装置を埋め込んでおく必要があるのです。
スケジュールもスマホと手帳の二正面作戦でフェイルセーフ機能を働かせています。
ほかにもいくつか「地恵」を埋設しています。恥ずかしいのでご紹介はこれくらいに留めます。
きょうは家に着いたら予備のハンカチをバッグに入れる、という「地恵」を設定して職場をあとにします。
]]>(結球し始めた白菜が愛おしい)
以前は自分の考えを補強してくれる意見を持つ人を好んで求めていました。書籍もそうです。
歳を重ねるごとに自分の意見の正しさに確信を持つようになったからでしょうか。その正しさをさらに確固たるものにしたい。自分の価値観を深掘りしたい。
また、似たような価値観に触れることは「快」でもあります。自信も深まります。
ところが、少し前から変わりました。 このままでは視野が狭くなる。重大な判断ミスを犯すおそれがある。そのように思うようになりました。
自分の意見と異なる、あるいは新しい考えを持つ人と進んで会う必要がある。仮にいっときは不快に感じても、異質を求めていこうと思うようになりました。
「異」を求める中で、正しさは一層補強され、誤りは矯正されます。そして、異質に触れることで思考に伸びが生まれます。
先日、30年来お世話になっている先輩を訪ねました。 ある合意形成の仕組みについて私は問いを投げかけました。価値が薄いのではないか、と。
先輩は同調すると思っていたところ、まったく異なる視点で、その重要性について説いてくれました。
今後、臨む姿勢を変えます。反省しました。 「異」をいかに求めていくか。明年の私に課すテーマとしようと思います。
]]>(ホームセンターで枯れかかっていた小松菜の苗。成長してきました)
驚きました。相手もきっとドキッとしたことでしょう。
仕事帰りに畑に寄りました。午後8時過ぎ。畑の作物は言わば”愛玩野菜”。朝な夕なに見守っています。
右の視野に動く何かを確認しました。水牛か、と見間違うほど大きなイノシシが3頭こちらを向いていました。
車のヘッドライトに反射し目が光りました。恐怖を感じます。左側にはテンかイタチがこそこそと逃げていきます。
翌朝畑に行きました。イノシシの踏み荒らした痕跡がそこかしこにありました。敷いた稲藁も乱れていました。
(ブロッコリーも大丈夫でした)
葉物は好まないのか、幸い水菜、春菊、白菜に害はなし。玉ねぎやほうれん草、蕪の苗も被害はありませんでした。ただ、所々畝が崩されていました。
一方、春からの植え付けに備えて耕していた一角がダンスをやったのかと思うほどイノシシの足で地面が荒れていました。きっとミミズを物色していたのでしょう。
このところ我が耕地で鳥獣をよく見かけます。
タヌキ、テンまたはイタチ、モグラ、イノシシ、カラス、キジ、アオサギ等々。まさに動物の楽園です。古代エジプトで再生の象徴だったアオサギ。この頃なついて逃げなくなりました。
楽園の侵入者はむしろ人間の私の方なのかもしれない、と近頃思っています。
]]>(第一部で皆様にお目にかかれれば...)
懲りたはずなのにふたたび挑もうとする。自分の相反する心理は何に由来するのか。
沼のザリガニのように退却したかったはずではなかったのか。それは間違いのない正直な気持ちでした。
山岳遭難の多くは撤退の判断の難しさに起因することは新田次郎の作品を読んで学んできました。戦わずして回避することも人生の知恵である。会津にいる仕事の師からの教えでもあります。
一方で、これまで習ってきた成果を披露したいという一分の心があったことも事実でした。葛藤しつつ当日を迎えた本年2月11日の「震災復興祈念ジョイントコンサート」。下手は下手なりのえもいわれぬ達成感がありました。
ただ、あれほどの緊張はここ数十年の中でありませんでした。甲子園初出場チームの行進のごとく右手と右足がいっしょに動いていたように思います。
初めての人前での演奏が400人近くの聴衆が見つめるホールでのコンサート。指が硬直しくちびるが震え出しました。尿意も催し出す始末。
(遠藤優衣さんのフルート、長瀬賢弘さんのピアノをお楽しみください!)
果たして音が出るだろうか。かすれた尺八のような音にならないだろうか。ピアノ伴奏とずれないだろうか。悩みは尽きませんでした。
もう二度とやるものか。出演し終えたときの率直な思いでした。
にもかかわらず、また来年2月に挑戦します。
なぜ山に登るのか。そこに山(エベレスト)があるからだ、とはイギリスの登山家ジョージ・マロリーの有名な言葉です。もはや哲学的な色彩を帯びた箴言(しんげん)になっています。
自ら私は問います。なぜステージに上がるのか。そこにステージがあるからだ、といった野暮なことは言いません。
紙一重でも、いや1ナノメートルでも上達した姿を見てほしい。ただそれだけです。
さあどうなるか。痴態を晒すのか。ザリガニのように逃げるのか。はたまた奇跡が起きて拍手喝采を浴びるのか。
震災復興祈念第2回フルート・ジョイントコンサート
2024年2月17日(土)
開場:13:00
開演:13:30
いわき市文化センター大ホール
入場無料
申し込みはチラシのQRコードを読み取るか、こちらからアクセスしてください。
]]>(やめられない美味しさ。とん平焼き)
とん平焼きを初めて食べたのは大阪。学生時代からの旧友に勧められました。美味しいよ、と。
私のいまの仕事に就けているのは彼がいたからで、言わば恩人です。関西方面に行くときはほぼ毎回会うようにしています。
娘さんがすこぶる秀才。当時小学2年生にして『イスラム教の成り立ち』という本を読んでいると当人自身が目をキラキラさせて私に語ってくれました。
さて、花より団子、紅葉より団子の私。とん平焼きに話を戻します。
通勤経路上にある「ごはん屋さんしょく」に本場に負けないくらいの美味なとん平焼きがあります。税込み500円。
飲食業界に精通しているオーナーとの対話が毎度楽しみです。
「今度道路沿いにできたあの店、どうなんでしょう。客層は何を狙っているんでしょうね。テイクアウト専門で時間帯が午前10時から午後2時、夜が午後7時から深夜零時までなんですよ」
「周辺の店に支えられているのか、出すものに相当の自信があるのか...なかなか難しいですよね」
「しかし、それにしてもこのとん平焼きはじつに美味しい。大阪で食べたものよりうまい。催事の屋台で出されるような粉粉した粉もんは苦手なんです」
「これは小麦は極力薄くして出しています」
「細かな千切りのキャベツが入っているのが旨味を出しています」
「自分自身野菜が苦手なのでキャベツの甘みが出るようにしています」
「豚肉を卵でふわっと包み込んでいる。ただそれだけでなく、甘みの染み出た千切りキャベツがアクセントを付けています。ほんとに美味しい」
大阪市お初天神通りの「本とん平」が発祥と言われます。シベリア抑留から帰ってきた夫婦が始めたという。
レシピはそれぞれの店ごとに工夫が凝らされているようです。
ごはん屋さんしょくのとん平焼きが私の味覚にはぴったりです。リピートしたくなる不思議な魔力があります。
]]>(柏市にて)
相田みつを美術館。数度訪れています。丸の内の東京都庁の跡地、東京国際フォーラム内にあります。
あの独特の文字に至る前にじつに丁寧な楷書での下積みがあったことを同美術館で知りました。
一流は一流にたどり着く以前に基礎を積み上げています。
東山魁夷もスケッチを幾枚も重ねたうえで本作を仕上げます。本作の縮小版のスケッチはもはや本作と同等のレベルです。
やないづ町立斎藤清美術館で観覧した斎藤氏の下絵に私は驚きました。
紙の版画作品はフォルムを単純化したりするなどデフォルメした作品が有名です。しかし、スケッチは異なります。微細な点に至るまで写実的です。
相田みつを氏の作品に戻ります。文字の持つ力に着目される紙の作品。私は文字よりも言葉そのもの表現力に不思議と惹きつけられます。
特に「にんげんだもの」は印象的です。
ついかっとなってしまった
にんげんだもの
どんな言葉を入れて「にんげんだもの」で結べば完結します。この包容力は無限大です。どんなことをしても許されるおおらかさが好きです。
キックバックしてしまった
にんげんだもの
]]>(魚錠の刺身盛り 陰にある2つの小鉢には鯵のたたきとホタテも。税抜999円)
メーカー直営の東京の店舗を訪ねました。予約制です。
フルートという楽器の性質から洗練された建物にあるイメージを勝手に抱いていました。
少し迷ったあげく、探し当てた建物は1階に立ち飲みの居酒屋が入居する庶民的な雰囲気の貸ビル。その6階にアトリエはありました。
「この楽器は長く使わずにいて、少し前からまた使うようになった。そんな使われ方ですね」
「ど、どうしてわかるんですか。まさに、30数年前に購入して数年間吹き、その後長らく使わずにいました。2年前にふたたび習い始めました。将来的には総銀製のフルートを買いたいと思っています」
「そうですか。オーバーホールを提案しようと思いましたが、新規購入をお考えであればきょうのところは最小限の調整に留めましょう。1時間ほどお待ちください」
「オーバーホールは費用はどの程度かかるんですか」
(総銀製のフルートを試奏)
「7万円弱です。来年の4月まで予約が埋まっています」
7万円かぁ。
待っている間に総銀製のフルートを試奏させてもらいました。定価80万円と60万円台の楽器を吹きました。
「響きが違いますね。吹きやすいです」
試奏しての感想を伝えました。
「このお持ちのフルートの頭部管は古いタイプですが、吹くのが比較的難しいものですが、いい音色が出ますよ。よく響いています」
長年連れ添った我がフルートもその場で吹いてみました。出にくかった低音のドが音がよく鳴りました。楽器がほめられたようで二重に嬉しい。
帰りに「魚錠池袋店」に寄り、祝杯を上げました。刺身盛りのお値打ち感に驚きました。胃袋もよく鳴りました。
]]>