余計なものは入れない。
余計なことはしない。

Pascoこと敷島製パンの食パン「超熟」が好きです。上記のキャッチコピーは裏を返せば、他社のパンは余計なものが入っている、余計なことをしているという挑戦状の意味もありますね。

震災時に大変お世話になったので悪口は言いたくないのですけど、Yパンはあまり好きではありません。

そういえば、モルトウィスキーのキャッチコピーにも「なにも足さない。なにも引かない」というのがありました。

おそらくそれまでは、いろいろ足したり、引いたりしていたんでしょうね。

敷島製パンは愛知の会社です。愛知は食文化を支えています。カゴメも、ミツカンも愛知です。

Yパンの独擅場(どくせんじょう)だった市販パン市場に果敢にチャレンジするPascoを応援しています。

なお、「超熟」で画像検索するとパンとともに裸婦がヒットしますのでくれぐれもご注意ください。



先日、絵本作家ののぶみさんのワークショップに運営スタッフとして参加しました。

準備が一段落し、スタッフのみなさんと昼食をとっているとき、ワークショップでのぶみさんが怪獣の着ぐるみを着ることが話題になりました。

スタッフの一人が、そう言えば、○○○さんも茄子だかだいこんだか、なにかの着ぐるみを着るんですよねと私に尋ねました。

その方の職場の同僚が私とフェイスブックの友達で私が着ぐるみが好きなことを知っていて、周りの人に話しているというのです。


私にまつわる機密情報がこんなふうに漏えいしていたとは・・・。

学生のときに、寮のコンパで上級生から、「己を捨てるんだ!」と脅され、さまざまな芸に挑戦していく中で、いつしかおかしなことをやるのが好きになっていきました。

いまでは、己を捨てることなく自然にできます。

もう少しすると歓送迎会の季節になりますので、さらに芸を磨いてまいりたいと思います。


絵本作家ののぶみさんのワークショップにスタッフとして初めて参加しました。


子どものころ、火力発電所の社宅に住んでいました。社宅にはさまざまな行商がやってきました。

夕方になると、二音階だけのラッパの響きのあと、「えーとー」と語尾を長くこだまさせながら、バイクの豆腐屋さんが来ました。「えーとー」が「えーとうふ」だということに気づいたのはかなりあとのことです。

母はなぜかこの豆腐屋さんから買ったことがありませんでした。

アパートの4階のベランダから覗くと、水を張った金属製の箱に豆腐が並んでいます。おのおのボウルを持参して、切り分けられた豆腐を買って行きます。私もボウルを持って買いに行きたいと何度も思いました。

ある日、母に「えーとー」の豆腐屋さんのところに行って豆腐を買おうよと言ったところ、あの豆腐屋さんは悪い人だと言うのです。

以前、豆腐屋さんが来たとき、4階のベランダから「お豆腐ください」と母が声をかけたところ、「えーとー」のおじさんに、「そんなところまで行けるわけね」と言われたそうです。

母はそういう意図ではなく、買いに行くので待っていてほしいということだったというのです。それ以来、母はこの豆腐屋さんからは絶対に買わないと決めたと私に語ってくれました。

その日から、私は「えーとー」の豆腐屋さんがとても悪い人だと思うようになりました。


(写真は草野心平記念文学館)


日々、自分の行動や依頼を受けたことなどを詳細に分刻みで日誌に記録しています。うれしいとか悲しいとか悔しいとか、そういった感情についてはあえて言及しません。

むしろ、「事実」を淡々と描くことによってそのときの情感が蘇えるようにしています。日本の伝統的な文学は、研ぎ澄まされた「事実」をもってその芸術性を高めてきたように感じます。


松尾芭蕉は詠います。

古池や蛙飛びこむ水の音

淡々と平凡な「事実」を描くことによってそのときの情趣を抉り出す、日本の優れた技法だと思います。美しい、きれい、淋しい、悲しい、苦しい等といった形容詞は、じつは他者と思いを共有することが困難です。

蛇足になりますが、上述の芭蕉の句を英訳で蛙が複数形になっているものを見たことがあります。次々とダイビングする無数の蛙たちといったところでしょうか。

石川啄木は詠います。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


ここで誤解してならないのは、「事実」とは「客観」と異なるということです。その人が切り取った「事実」は、すでに切り取った時点で、その人の主観が入っています。ですから、「事実」の中にその人の思いが盛り込まれているのです。

日々の出来事を無機質なまで詳述する手法をある友人に紹介しました。その友人はすぐに素直に取り入れて、現在もなお「日誌」を実践しているというのです。

この世に同志がいるというのはいいものですね。


あまり口外できないのですけど、私はフライドポテトが大好きです。ホテルの朝のバイキングで出されていると思わず、瞳孔が広がります。

ファーストフード店ではモスバーガーのフライドポテトが秀逸でしょう。外はカリッとして、中はホクホクです。いくらでも食べられます。そのときだけは健診の結果など忘却の彼方です。

マクドナルドは細い身に油分が過剰に染み込んでいます。すぐに固くなります。ケンタッキーも悪くはないですけど、冷めると格段に味が落ちますね。


これまで食べたフライドポテトのナンバーワンは、白河市にある「櫓(やぐら)」といううどん屋さんのものです。夜は居酒屋にもなるこの店の「クレイジーポテト」は文字通りクレイジーになります。

うどん屋さんになぜフライドポテトがあるのかわかりませんけど、この食感はチェーン店では絶対に味わえない。

生のじゃがいもからフライドポテトを作るコツは二度揚げにあります。

まずカットしたじゃがいもを150度でじっくり揚げて水分を気泡にして飛ばします。いったんトレーにあけて粗熱を取ったあと、180度でカラッと揚げればできあがりです。

ぜひご家庭でお試しください。


珈琲蔵人珈蔵という風雅の薫りのするカフェで小休憩。友人に案内していただきました。

石庭もあります。このようなところで手紙を認めたり本を読んでみたいものです。心休まる空間です。


私が注文したコーヒーは公達(きんだち)という私のような下々の人間が飲むには憚れる高貴な名を冠しています。生クリームの入った大福とみかんのシャーベットが付いたセットでいただきました。

開店当初は閑散としていたそうですけど、結構賑わっていました。

次回来店の際は、便箋を持参して典雅な文章を書いてみようと思います。

※標題の俳句は蕪村作です。


加茂駅近くの「かよちゃん」という名の焼きそば屋に入りました。私は富士宮焼きそば、友人は太田焼きそばを注文しました。いずれも600円です。

煤けた店内には各地のご当地焼きそばのメニューが並んでいます。次の列車の時間をご主人に告げて暗に急ぐよう促したのですけど、お客さんとの会話に余念がありません。


できあがった富士宮焼きそばは、相当な歯ごたえのある濃いめの焼きそばで、太田焼きそばは太麺でソースの味は異なっていました。目玉焼きをくずして、麺にからめていただきました。

ご主人に浪江焼きそばについて伺うとご存じでした。

いつの日かまたかよちゃんで焼きそばを食べたいと願っています。



「この茶わん、大きさも柄も違いますね」--- いっしょにいた友人に言われるまで私はぜんぜん気がつきませんでした。

この定番の茶わんを目にした瞬間、同じものが並べられているはずだと、なんの疑いもなく思い、まったく関心の埒外でした。

しかし、よく見ると友人の指摘のとおり、大きさも高さも、デザインも違うのです。その違いを瞬時に見抜いた友人を尊崇の眼差しで仰ぎ見ました。

それとともに、このような定番の茶わんに手づくりで違いを出す努力に驚きました。水玉模様も左側の茶わんは縦に二つと一つを織り交ぜているのがわかるでしょうか。

「神は細部に宿る」--- 違いがわかる、気づくということは、つねに外界に対して関心を抱いているということの表れです。

もちろん、大局を把握する力も大切ですけれど、日常においては、ちょっとした違いに気づくことが重要だと感じます。


(炊き込み御飯をいただきました)

地域の集まりに参加しました。私以外の10人の参加者はご婦人。還暦を迎えるという方や年配の方からよもやま話を伺いました。

いろんな話題で盛り上がる中、70歳くらいの方がゲートボールの話で興奮されています。


Aさん:私は楽しくやりたいの。楽しめればいいのよ。それが、チームでやるんだけど、仲間が言うには、勝たなきゃダメだって。ゲートボールは戦争よって言うのよ。

Bさん:ゲートボールが戦争ですって?ゲートボールは人間関係が難しいのよね。Aさん、無理してやることないわ。ご自分の趣味を楽しんだ方がいいわよ。


「ゲートボールは戦争」との言葉に、競技名からは想像もつかない熾烈な戦いがコートで繰り広げられていることを知りました。『戦争論』を著したクラウゼヴィッツもびっくりですね。

お茶の間の語らいから、第二の人生も安穏としていられないことを痛切に感じました。



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