上司に勧められて土橋章宏著『超高速!参勤交代』を読みました。

痛快なストーリー展開で、あっという間に読了。読んでいて、もしかすると山本周五郎著『樅の木は残った』からモチーフを得たのかなと思いました。

「ときは享保二○年初夏、改革の嵐吹き荒れる八代将軍徳川吉宗の時代。一万五○○○石の磐城湯長谷藩に隠し金山嫌疑がかかり、老中から『五日以内に参勤せよ』と無理難題ふっかけられた」ことから物語が始まります。

湯長谷藩は、現在の福島県いわき市常磐下湯長谷町にあった藩です。

映画化が決定、本年6月21日に全国ロードショー。佐々木蔵之介が主演、深田恭子がヒロインを務めます。

ふと、本の帯の女優の着物姿を見ていて、私は、はっと思い出しました。子どものころ、女装をしたことがあるのです。

姉が七五三で晴着を着たときのことです。姉が翌月に7歳になるときですので、私は2歳8か月です。

姉の晴れ着姿を見て、私はどうしても着物を着たくなり、母になんどもせがんだことを覚えています。根負けした母は私に晴着を着せてくれたのです。

写真を見ると、小首をかしげて手を頬にかざし、しなをつくっている姿が見て取れます。簪(かんざし)まで挿しています。

親はどんな気持ちだったのでしょう。両親の心痛如何ばかりだったか。大人になっただいこんくんは思うのでした。


幼いころ、私は耳鼻咽喉科通いの日々でした。40年以上前のことです。

当時市内でいちばんよく知られていたT耳鼻科や温泉地のY耳鼻科などに母親に連れて行かれました。アデノイドを摘出したのはT耳鼻科です。

いずれも自分の住む町から離れていたため、鉄路でした。

朱色の電気機関車で牽引される木製の列車に乗って行きました。

すりガラス製のお椀型の車内の電灯はおもむきがありました。椅子はすべて4人掛けのボックス席で背もたれが直角でした。ドアは手動式。その気になれば走行中でも飛び降りれたことと思います。

走り始めや停車時に玉突きで生じる衝撃が牽引列車の醍醐味です。

T耳鼻科は「ヤンヤン」というパンダの名前のような駅ビルのわきにありました。和室の待合室にはいつも火鉢があり炭火が熾されていました。

耳鼻科でなにがいちばん嫌か。

それは細い針金を鼻腔の奥に突っ込まれることです。真ん中に穴のある凹面鏡もきらいです。片目で見つめないでほしい。

ですので、だいこんくんはそれらの形状のものに過敏に反応します。細い針金や穴の空いた凹面鏡を絶対に近づけないでください。

「お子さんの聴力はやがて失われますよ」

ある日、医師に母はそう宣告され、ショックで町をさまようように歩いた、と後年教えてくれました。


その母逝いて20年。本日、祥月命日です。覚えていてくれた親友から真心の菓子をいただきました。うれしいです。ありがとうございます。


自宅の各部屋の壁時計はみな電波時計です。

にもかかわらず、ダイニングの時計はぴったり2時間進んでおり、別な部屋のはいつも5分遅れています。標準電波送信所が隣町にあるのに不思議です。

子どもころ、ゼンマイ式の柱時計がありました。ゼンマイを巻くのは父の役割でした。仕上げの儀式のようにNHKの時報に合わせて父が振り子を動かし始めて完了です。

父には不思議なところがありました。

よく父と鰻釣りに行ったのですけど、自宅に戻ると父はまな板に鰻の頭を釘で刺して淡々と捌いていました。

炭鉱時代に背中に刀傷を負った父。

アルバムの写真を見ると、若いころはゴルフ、スキー、テニス、山登りなどをやっていたようです。私はどれもやりません。

理髪や自転車修理の技はいったいどこで覚えたのでしょう。

亡くなって四半世紀。生きていれば来月末でちょうど傘寿です。

だいこんくんも父に倣って、もう少し不思議なところを増殖したいと思い、ただいま新たな着ぐるみを物色中です。


このブログでたびたび述べているように私は音痴です。

高校1年生のとき、クラスで毎日1人ずつ順番で歌を歌うようにと担任から指導がありました。自分の順番が来るのが、もう恐ろしくてたまりませんでした。

ついにその日が来ました。前日、級友は「氷雨」を上手に歌いあげました。

私は直立不動で「リンゴの唄」を歌いました。

歌い終わった後のクラスの雰囲気は、例えていえば、夏の夜の田んぼで盛んに鳴いていたカエルが一瞬鳴き止んで静まり返った瞬間に似ていました。

だからいったのに...と思いました。

「リンゴの唄」は、作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正。並木路子とデュエットで霧島昇が歌いましたけど、霧島昇は、双葉郡大久村(現いわき市)の出身です。

大人になってから歌の強要から解放され、だいこんくんはほっとしています。

カラオケでは、青少年期の怨念を晴らすかのように、マシンガンのようにリクエストをして「東京砂漠」の上手い館長をはじめ、歌好きの同僚に歌ってもらって悦に浸っています。


かつて、『広辞苑』と『コージ苑』が愛読書でした。

広辞苑は、まくらにするのにほどよい大きさで、読書時にわからない言葉に出合うと、広辞苑を開いて調べ、新聞紙になんどか書いて覚えるようにしていました。

ただ、私の後頭部は右側が陥没(自然由来による)しているので、長時間、広辞苑をまくらにしていると痛みを覚えました。

一方、コージ苑は、私の心のオアシスでした。

『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に1985年から1988年まで連載された、相原コージによる4コマギャグ漫画です。

当時人気を博したいわゆる「不条理マンガ」の元祖的な作品といえます。実存君の登場など、キャラ立ちが鮮やかで、読むものを飽きさせません。

タイ・バンコクに滞在しているときに単行本化され、たまたまタイに遊びに来るという友人の友人に単行本を買ってきてほしいと依頼しました。

それまでは、かなり遅れて入荷する毎週のビッグコミックスピリッツをバンコクの古本屋で立ち読みしては、店内で涙腺と腹筋に猛烈な圧力をかけながら、ひとり楽しんでいました。

あるときは、がまんできず店内に響く大きな声で笑ってしまいました。

ところで、女子学生だった友人の友人は、購入してからはじめて電車の中でコージ苑を開き、赤面してしまったそうです。こんな内容のものだとわかっていれば買わなかったと叱られました。

コージ苑の一コマ一コマは、だいこんくんのメンタルのベーシックな部分にいまもなお影響を及ぼしています。


※キャラ立ち(キャラだち)とは、自らの個性を際立たせ、1つの独立したキャラクターとして他者に認識させること。(出典:ウィキペディア)


当時、生命保険の営業の世界で成績優秀者を表彰・慰労する「招待」という事業がありました。おそらくいまもあるはずです。

かつて、たまたま成績がよいことがあり、「東北営業局招待」に招かれたことがありました。

松島を臨む景勝地に立つ「松島 一の坊」を全館貸切っての「招待」にまず驚きました。

お風呂から上がって、大宴会場に向かいました。

収容600名の旅館を貸切っての宴会です。ものすごい人数で、どこに座ろうかと思案していたら、座布団に番号札が置いてあります。

よく見ると、その番号は当該期間の東北営業局管内の営業成績の順位だったのです。私は下座の端っこでした。上座の人々は、まるで御簾の向こうの殿上人のようで、かすんで見えました。

知り合いのいない宴会に気疲れして、ラウンジに向かいました。ピアノが聞こえてきます。

異国の若いピアニストがピアノを弾いていました。私の方を向いてにっこりとほほ笑み、ビートルズのイエスタデイを弾き始めました。

親の看病と祖母の世話をしながらの毎日で、疲れていた私は、心地よさと憂愁の入り交ざった不思議な気持ちになり、音色が深く胸に沁みわたりました。

その後、だいこんくんは、二度と「招待」されませんでした。



学生時代は、ずっと自転車でした。

ある日の夜、国道16号線の坂を必死にペダルを踏み込んでいたとき、暴走族の兄さんに「がんばれ〜っ!」と励まされたのが今も胸に残っています。

いつものように自転車に乗っていると、警察官に呼び止められました。

「カギはどうしたの」
「壊しました」
「どうして」
「キーを失くしてしまったので、壊したんです。チェーン錠にしました」
「防犯登録がないようだけど」
「はい。これは父が故郷の山で拾って父が自分で修理して、東京に送ってきてくれたんです。拾得物横領罪になるんですか」
「なるね。署まできてもらうよ」

私は警察署に連れて行かれました。警察署から実家に電話があり、実家では大騒ぎになったようです。

この職務質問初体験のことを後年、警視庁の後輩に話しました。

「先輩!われわれは検挙件数をかせがにゃならんのです。大きい事件とか小さい事件とか関係ないんです。数なんです。それで自転車コソ泥を狙うんです。先輩も大変でしたね」とねぎらいの言葉をかけてもらいました。

この後輩、警察学校時代に射撃の成績が悪く、中野区の喫茶店で会ったとき「先輩!おれ、拳銃打てないんです!玉が当たんないんです!」と店内に響く大きな声で訴えられて肝を冷やしました。

妹尾堅一郎著『研究計画書の考え方』に研究の4タイプということが述べられています。

ちょっと古い本(1999年出版、3,675円)ですけど、生き方にも通ずるような気がします。今思うと値段が高いですね。

研究の4タイプ
Type1 ある程度予期できることを、普通のやり方で
Type2 意外なことを、普通のやり方で
Type3 ある程度予期できることを、意外なやり方で
Type4 意外なことを、意外なやり方で


だいこんくんは、Type2に魅力を感じます。もちろん、Type4にも魅力を感じますけど、「意外なやり方」というのは、やはり天性のものが必要だと思います。


3年前、職場の忘年会で「オラ、だいこんくん」という着ぐるみを着てタイ語であいさつをし、部下に日本語訳を言わせました。

当時の上司に大変に喜んでいただきました。

自宅にはもう一つの着ぐるみ「天然ボケなすちゃん」もひっそりと登場を待っています。


※画像はいずれも注文したAmazonから借用したものです。だいこんくん本人ではありません。


このほど地元の文具店の老舗が店舗を改築し新装オープンしました。便箋など鳩居堂の製品も扱っているので、うれしいです。

文具は日進月歩で進んでおり、へ〜っと感じるものがあります。針の不要なホチキスはまだ使ったことはありませんが、面白いアイデアだと思います。

昨日は、ペンや便箋に加え、書に落款を押したくなったので、石印材(250円と400円の2種類)と印刀(400円)も買ってしまいました。高校生のときに習った篆刻を思い出しながら挑戦してみます。

文具といえば、学生のときに愛読した板坂元著『考える技術・書く技術』に著者の文具へのこだわりが随所に散りばめられていて、文具の世界へ目を開かされました。

板坂先生の文章は、わかりやすく洗練されています。あこがれの文章です。

私も先生のような品のある文章を書いてみたいものだと思いながら、そういえば板坂先生は深夜番組の「11PM」にときどき出演していたなぁと思い出すだいこんくんなのでした。


(だいこんくんの「花」)

デザイン書道家の田村嘉野先生のワークショップで「書」に挑戦しました。

まず、好きな書体を選んで「花」という字を練習します。最後に田村先生の書いた篆書体の「木」の周りに各々の「花」を書くという流れです。私は行書にしました。

「書」という個の営みが協働作業で一つの作品を表現できる。そんな楽しさを学びました。


ところで、10年ほど前に職場の同僚がSMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞に疑問があると言いました。

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one


同僚曰く「それでもやっぱり、ナンバーワンになろうという心や努力は必要なのではないか」と。

言わんとすることはわかるような気がしました。そのとき、ふと、世阿弥の「風姿花伝」が思い浮かびました。

若いときはその若さそのものが魅力であり、「時分の花」を咲かすことができる。でも、「時分の花」はやがて失われる。

確かに、私たちは「もともと特別なOnly one」。しかし、そのままでは「まことの花」は得られない。そう世阿弥は訴えたかったのではないのだろうか。


(隷書の「花」)

だいこんくんは墨で汚れた手を洗いながら、今日そんなことを考えました。


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