(親友にいただいたドーナツ)

夜、ちょっと寝つけないときは日ごろ疑問に感じている難問について考えることにします。

ネットで検索したりはしません。余計に眠れなくなるので。

夕べは二つ考えてみました。

(1)盛岡冷麺になぜ鋭角な扇形のスイカが添えられているのか。

(2)「後先を考えずに」の「後先」という漢字は時系列上、どっちが未来を指すのかを「100年後」と「100年先」の意味との整合を図って説明できるか。

と、考え始めたら眠りに落ちてしまいました。

というわけで、難問は未解決のまま思惑通りに眠れました。

今日は全国からお客様をお迎えします。「加賀屋の流儀」ほどのことはできませんけれども、無事故・大成功を期していきたいと思います。

なお、加賀屋の流儀の一つは「『できません』『ありません』『わかりません』は決して言わない」ことだそうです。

だいこんくんの今日の「ん〜」でした。


(宇宙人スタンプ。こういうものを送ってくれる親友のセンスが好き)

モントリオール大学のK先生ご夫妻と郊外のローレンシャン高原を旅したときのことです。

ローレンシャンは、夏の避暑地、秋の紅葉狩り、冬はスキー場で知られる森と湖の広大な高原です。私たちは「モン・トランブラン(Mont-Tremblant)」というリゾート地を訪れました。フランス語で「震える(揺れる)山」という意味だそうです。

「だいこんさん、私、枕が変わると眠れないんです」

「そういう方っていますよね。場所が変わると眠れないって」

K先生は車のトランクを開け、大きな枕を取り出しました。

そう、K先生は文字通り、枕が変わると眠れないのでした。

枕といえば、安心したときに「これで枕を高くして寝ることができる」と言いますね。これっていったいなんのことなのでしょう。

話は中国の戦国時代にさかのぼります。

NHKの「『情報まるごと』トクする日本語」のサイトによると、紀元前の中国の歴史書『史記・張儀列伝』にある一節、「無楚韓之患、則大王高枕而臥、国必無憂矣。(楚と韓の患いがなくなれば、大王は枕を高くしておやすみになれ、国には必ずや憂いがなくなりましょう)」に由来するのだそうです。

「敵がいつどこから攻めてくるかわからないため、夜も着の身着のまま、遠くの物音を聞きつけられるよう地面に耳をつけて横になっていた」そうです。

肩が凝りそうですね。集音機能を施した枕を開発すればいいのにと思います。

「戦の心配がなくなれば地面から耳を離し、高さのある枕をして眠ることができる」ことから、「枕を高くする」あるいは「枕を高くして眠る」という表現になったとのこと。

だいこんくんの「今日のへ〜」でした。

蛇足ですが、矢追純一UFOスペシャルを見た夜は、あの「ちゃららら〜ちゃらら」の音楽が耳から離れず、枕元に宇宙人が立っているのではないかと恐怖の一夜を過ごしたものでした。

最近は自分のいびきの音にびっくりして目を覚まします。


(職場から撤去されてしまった伊藤園自販機。バナナオーレが好きでした)

「道連れ」という言葉は、私の中ではどうしても悪いイメージがつきまといます。

「道連れにされる」とか、「道連れにしてやる」といった表現がすぐ思い浮かびます。私は被害妄想狂なのでしょうか。

辞書をひもとくと特段ネガティブな意味はなく、中性です。

脱線しますが、夕べは塩素系洗剤と酸性洗剤を混ぜ合わせた夢を見ました。

「まぜるな危険」の表示の意味を「ボトルを激しく振ってはいけない」だと思っている方がいます。そういう意味ではありません。

ついでに、野口雨情(茨城・磯原出身)作詞の童謡「シャボン玉」について。「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ」を台風か何かで屋根が吹き飛ばされたと解する方がいますけれど、これも違いますのでご注意ください。

さて、大辞泉によると、「道連れ」の意味は、まず「連れ立って行くこと。同行。また、その人。同行者」と説明し、例文として「旅は道連れ世は情け」を挙げています。

さらに、「一緒に行動させること。同じ道をとらせること」との意味もあると。

というわけで、前書きが長くなりました。映画は、映画館という隔絶された非現実の世界で、時間と空間を共有する道連れがあってこそ、その醍醐味があると私は思います。

道連れと同じ場面で笑い、同じ場面で涙する。

だから、「映画ってほんとうにいいですねぇ」ってなります。

ところで、どうして映画館にはポップコーンが付き物なのでしょうね。20粒に1つくらいの割合で硬いままのものがあり、ガリっとなるのが嫌いで私は買いません。

チャプリンの映画「サーカス」でチャプリン自身が綱渡りをする場面があります。

猿がチャプリンにまとわりついてチャプリンが綱から落ちそうになるとき、観客の子どもの一人が無我夢中でポップコーンを口に入れる場面が発祥なのかなと、だいこんくんは推測しています。

だいこんくんの今日の一口メモ。
「映画は道連れが大切」
でした。


(親友にいただいた「くぎ煮」)

偏食という言葉があります。なにをもって偏食というのでしょう。

世界大百科事典第2版によると「特定の食品をとくにきらって食べなかったり、あるいは好んで食べる傾向をいう」らしい。

私はときおり無性にかっぱえびせんが食べたくなることがあり、一袋空けてしまいます。立派な偏食ですね。

それから、納豆だけを食べるという偏食もあります。

偏食といえば、20年以上前に読んだ専門職による記録がいまも忘れられません。

「A(少年)は偏食があり、特にごはんですよが嫌いである」

海苔の佃煮は私もどちらかというと苦手で、桃屋の「ごはんですよ」がこの世からなくなっても平気ですし、弔いの気持ちも湧きません。

20年以上経ったいまでも、なぜ「ごはんですよ」が嫌いなことが偏食に当たるのか皆目わかりません。

ただ、同じ桃屋でも私は、穂先メンマの「やわらぎ」は好きです。大好きだということを桃屋にメールを送ったら丁寧な返事が来ました。

「大好き過ぎて自分では“やわらぎ病”と呼んでいる」と再度メールを送ったら返事がありませんでした。

ところで、いただいた「くぎ煮」は美味でした。どうもありがとう。

くぎ煮の原料である小女子(コウナゴ)は東北地方では、乱獲により激減してしまいました。瀬戸内では「イカナゴ」と呼ぶのですね。

なお、「くぎ煮」は神戸市長田区の珍味メーカーである株式会社伍魚福(ごぎょふく)の登録商標となっています。

青森名産の「いちご煮」にはいちごは入っていないし、瀬戸内名産の「くぎ煮」にはくぎが入っていない。

なんだか、もやもやしてるだいこんくんなのでした。



(かれこれ40年生きているオウムのムーちゃん。知人宅にて)

うつになってわかったこと。治って6年が経ったいま、当時のことに向き合うことができるようになりました。

仕事上の支障を挙げてみます。

一、朝、鬱屈感に襲われ出勤できない。

一、記憶力が悪くなる。

一、判断ができなくなる。

一、部下に指示ができない。

記憶力の減退と判断力の低下は、以前からその傾向はありましたけれど、別人になったのかと思うほどひどくなりました。

そして、うつになってもう一つわかったこと。

私を心底心配してくれる人が、かくもたくさんいたということです。

意外な方が心配をしてくださり、陰でいろいろ善処してくださったことも後で知りました。

「やりにくいところで頑張ることも大切だぞ」(尊敬する元上司。ランチに誘ってくれた)

「俺が守るから心配するな」(ちょっと苦手だった上司。じつは優しかった)

「みんなで応援してるよ」(カラオケのとっても上手な元上司。東京砂漠を歌わせたら右に出る人はいない)

主治医もまたマラソンの伴走者のようにつねに寄り添って支えてくれました。

うつは、自殺念慮を誘発するということもわかりました。

いま振り返ると貴重な経験をしました。苦しみましたが、たくさんのことを学びました。


(本気炙り。やっと本気になったようです)

「課長、ちょっと○○課とこじれているんです」

「先方の課長に仁義切ってなかったからだろ。俺が行ってくるよ」

「課長、すみません。よろしくお願いします」

(数日経って)

「仁義切ってきたぞ。話してみりゃ、向こうも反対しないそうだ。あとは担当レベルで話を進めておけば大丈夫だよ」

こんなやり取りが交わされることがあります。

「仁義を切る」とは、「任侠、テキヤなどが、初めて顔を合わせたとき挨拶をすること」(ウィキペディア)。

「任侠、テキヤ以外にも、かつては各地を渡り歩く鉱山夫や旅の職人なども仁義を切っていた」(同)そうで、「男はつらいよ フーテンの寅」の世界ですね。

ちなみに、フーテンとは、瘋癲(ふうてん)と書きます。元々は精神疾患の意味だそうです。

大辞泉では、「仁義を切る」の意味を、転じて「事をなすにあたって、先任者・関連部署などにひととおりのあいさつをしておく」ことだとも説明しています。

いまの仕事を20年以上務めていますけれど、「本質についての是非や議論よりも大切なことがある」ということが、ようやくわかってきました。

仕事が進まないことの多くの原因は、「聞いていない」や「私に最初に話がなかった」などということに起因します。

しかも、“対外”よりも“内部”の調整の方が面倒だということです。

だいこんくんの今日の一口メモ。
「事を始めるとき、ひととおりのあいさつって大切」
でした。

なお、ここだけの話ですが、任侠映画が好きで、コッソリ動画サイトで見ています。


(先日のブログで紹介した精肉店)

常磐線を上野で乗車して北上すると、千葉県松戸辺りから言語学的な変化が読み取れます。高校生たちの語尾が尻上がっているのです。

東北度20〜30%です。

「耳順う(みみしたがう)」といった感じです。親和性を感じます。

茨城県に入ると、東北度70%でアウエー感はほぼ解消されます。

大学1年のとき12人部屋の寮に住んでいました。地理上の人口分布はフォッサマグナの西縁「糸魚川静岡構造線」を境とすると西が10人、東が2人で東北出身は私だけでした。

関西弁とは、漫才のときだけ使われる言語だと本気で思っていた私。部屋内の標準語が関西弁に侵食され、アウエー感を感じました。

関西出身のルームメイトの話を聞いていて思いました。

「上方漫才というのは、大阪弁をふつうに喋っているだけなんだ」と。新鮮な発見でした。

上野駅構内の売店前で関西人と東京人のバトルがありました。東京人の男が列を無視し先頭に割り込んできました。

「あの、並んでんですけど」

関西弁の40歳少しと思われる女性がきっぱりと男に言います。「花咲舞」を想起させます。

「あんた関西か。日本の首都は東京だ」

男は、「関西の人間がなにを言うか」といった剣幕で睨んできました。

結局、女性が男を論破し、男は消えていきました。関西弁は論争にはもってこいな言語だと思います。

というわけで、今日のだいこんくんの一口メモ。

「関西人は関西弁をふつうに喋っているだけ」でした。

日本中どこに行ってもアウエー感はないんでしょうか。


(本文とは関係ありません)

カカオの産地として知られる西アフリカの国にMさんは赴任しました。

Mさんは、現地の日本大使館を表敬訪問し大使と懇談する機会がありました。

大使がMさんに語りかけます。

「アフリカに骨を埋めようとする覚悟を持っている人はまずいない。ここに赴任してくる駐在員はカレンダーに毎日バツ印をつけて、帰国する日を心待ちにしてるのです」

Mさんの姿勢に感銘を受けた大使はアフリカで生きるための3つのアドバイスをしたそうです。

一つは、権力には近づき過ぎてもいけないし、遠ざかり過ぎてもいけない。

二つは、語学は石に噛り付いてでもやりなさい。

三つは、バチカンの動きに注意しなさい。


当時、Mさんは大統領によくパーティーに招かれたそうです。しかし、大使のアドバイスが気にかかり、パーティーにはほとんど行かなかったというのです。

しばらくして、クーデターが起こり、大統領一派が根こそぎ粛清される事件が発生しました。

「あのとき、大統領と親しい関係にあったならば、私や私の仲間も一掃されたに違いありません」--- Mさんは大使のアドバイスの有難さを身に沁みて感じたそうです。

ここで本日のだいこんくんの一口メモ。

「権力には近づき過ぎてもいけないし遠ざかり過ぎてもいけない」
でした。


(本文とは関係ありません)


学生時代、ゼミナールは国際関係論というコースを選びました。

恩師は峻厳な先生でした。

ある日、ゼミ生の誰かがこれから世界で興隆していく地域は、環太平洋地域だとかなんとかと言っていました。

確かに文明史を俯瞰すると、四大文明を経て、産業革命の起きたヨーロッパが抜きん出て、世界の中心となりました。

その後、2度の世界大戦を経て、米国を中心とした西側諸国とソ連を中心とした東側諸国とが覇権を争いましたけれども、ソ連崩壊により米国一極体制となりました。

米国が勝ち誇ったかに見えたものの、国境を越えたテロリズムや中国のパワーの増大など、いまや世界の極は見えず、多極化へ。その潮流の中で環太平洋地域が注目されてきています。

ゼミ生たちが「今後の世界の趨勢は...」などと言いながら、世界の中心について議論していたところ、恩師がひとこと言いました。

「いまあなたがいるところが中心なんです」

ふと恩師の言葉を思い出しただいこんくんなのでした。



よく通る道沿いに精肉店があります。冷蔵のショーケースに和牛のブロック肉がいつも陳列してあるのですけど、不思議なことに“いつも”あるのです。減っているとか、欠品がないのです。

もしや、かっぱ橋道具街で作らせた蝋細工なのか?と思ったりすることもありますが、本物の肉のようです。

♪飾りじゃないのよブロック肉は...と思わず歌いたくなります。

「星々のつぶやき」で歌詞の一節を引用してブログをアップしたら、その日のうちに歌っていた歌手が「麻薬及び向精神薬取締法」違反で検挙されてしまいました。こんどは大丈夫でしょうか。

蛇足ですが、同法第1条に「麻薬中毒者について必要な医療を行う等の措置を講ずる」とあり、日本の優しさを感じます。

ところで、先日、生花店でお店に手伝いに来ていた人としばし花をめぐってお話をしました。

「2万円前後の胡蝶蘭が何鉢も置いてありますけど、注文を受けているんですか」

「いいえ。社長は世の中の動きを見て、これだけは売れるだろうと自分の判断で仕入れているんです」

「そうですか!生花店は勝負師の目がないとだめですね」

花、魚、肉の販売の歩留まりを順に並べると次のようになるでしょうか。

生花店<鮮魚店<精肉店

肉は、精肉で売れなくなっても、煮たり焼いたり、コロッケにしたりするなど二次加工が可能で歩留りがいいですね。ちなみに、「精肉」とは、大辞林によると「骨・腱・筋などをとりさって、食用とした肉」だそうです。

魚は、刺身は歩留りが悪いですけど、捌いていないものは干物にもできますし、煮たり焼いたり二次加工ができます。

しかし、花は、煮たり焼いたりできません。ドライフラワーという手もあるでしょうけど、元気のなくなった花をドライにしてもどうなのでしょう。

そうそう、「生花」と同じ音の「青果」は、野菜と果物という意味です。未熟な青い果物という意味ではないのですね。

というわけで、今日のだいこんくんの一口メモ。

「生花店は勝負師でなければ務まらない」
でした。


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