(注文しちゃいました)

重松清『きよしこ』(新潮文庫)から

――星の光る夜、きよしこは我が家にやってくる。すくい飲みをする子は、「みはは」という笑い声で胸をいっぱいにして、もう眠ってしまった。糸が安いから――
(中略)
 これは、昔むかし、ある町に住んでいた少年が勘違いして覚えた『きよしこの夜』の歌詞だ。
「きよし、この夜」を「きよしこ、の夜」と間違えていた。「救いの御子」が「すくい飲み子」になり、「御母の胸に」は「『みはは』の胸に」になった。「眠り給う」は「眠りた、もう」、「いと易く」は「糸、安く」……。


私も「きよしこの、夜」だとずっと思っていました。いったい「きよしこ」ってなんだろう。女の子の名前にしては変だなぁと思っていました。

『きよしこ』の著者、重松清氏は子どものころ吃音で相当苦労したという。私も難聴のため発語が円滑ではなく悩みました。

聴覚や言語に障害があると言葉の勘違いをしやすいのかもしれません。

いまも言語化することが苦手な私。

歌詞と言えば、「君が代」の一節の「さざれ石の巌となりて」は難しいですよね。

まず息継ぎの場所からして間違い。

「さ〜ざ〜れ〜。い〜し〜の〜岩音鳴りて〜」だと思っていました。

「さざれ〜っ!」ってなにか命じているのかと勘違い。

ちなみに、細石(さざれいし)とは「長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す」もので実際に存在するそうです。(出典:Wikipedia)

ところで、話は540度変わりますが、外交安保の世界は「やられたらやり返す」「やれるもんならやってみな」って世界なんでしょうかね。

わかりやすいけど、人間の進歩が感じられないですね。古代ローマ時代よりも劣化してる気がします。


(ダチョウ枕)

ユリウス・カエサルのような総合力による外交安保戦略を築くことは現代では無理なのだろうかと思いをめぐらせながら、明日到着予定の「ダチョウ枕」を楽しみにしているだいこんくんなのでした。


(福島民友新聞2014.6.13。アロハシャツの子どもたちが可愛い)


毎週金曜日、職場ではアロハシャツの着用が推奨されます。別に金曜日でなくてもクールビズ期間中はアロハシャツを着ていて問題ありません。

アロハシャツは日系移民によってもたらされた和服が元となったと言われています。確かに、浴衣(ゆかた)と相通ずるものを感じます。日本人に似合いますよね。

ハワイではアロハシャツは冠婚葬祭で着用が許される「正装」です。いまやハワイの民族衣装と言ってよいでしょう。

アロハシャツは不思議です。

どんな上位役職者も一兵卒も分け隔てない雰囲気が職場に漂います。会議も和やかに運ぶように感じられます。

アロハシャツ姿で叱っても、迫力に欠けますし、叱られる方もアロハの精神で受け止めます。

アロハ・スピリットとは一言で言えば「あなたの魂を感じることができる」ということになるでしょうか。

先日、アロハシャツ姿の社長が私の机の数メートル前に立っていて、気づくのに5秒ほどかかりました。

ごく一部ですが、アロハシャツによって返って凄みが増す人がいます。それは誤差の範囲でしょう。

じつは、ハワイにはAloha Spirit Lawという法律があり、ハワイの人々はアロハの精神に則って行動しなければならないと規定されています。

なお、アロハシャツの効用については「こちら葛飾区亀有公園前派出所」第100巻「アロハ天国の巻」で両津勘吉が面白く解説しています。

署長のおじいさんの葬式に両津がアロハシャツで行きひんしゅくを買う場面があります。

でも、本場ハワイではOKです。ただ、着ていい絵柄に決まりがあるようです。

そもそも、なぜ私の職場がアロハシャツなのかについては、1965年の炭鉱閉山から「常磐ハワイアンセンター」の誕生を支えた人々の物語、映画「フラガール」をご覧ください。

自分の葬式は参列者も導師も柩の私もアロハシャツ着用でお願いしようかと思案しているだいこんくんでした。BGMはもちろん「アロハ・オエ(あなたにアロハ)」です。


(アロハ・オエの歌詞 抜粋)
あなたにアロハ あなたにアロハ

木の陰に佇む心優しき人

去っていく前に

もう一度あなたを抱きしめよう

また会えるその時まで


(待ち遠しいダチョウ枕。机でうつ伏せ寝OK)

古代エジプトの壁画にダチョウの飼育の様子が描かれています。古代ローマでも食用にされていたようです。

カエル、カンガルー、ワニの肉を食べたことがあります。が、ダチョウの肉は未経験です。

ダチョウの卵黄は地球上で最大の細胞です。白身は加熱してもゼリー状のままだそうです。

町おこしの取組として各地でダチョウの飼育がされるようになってきました。

福島県双葉郡内でもダチョウ園が設けられていました。

しかし、震災と原発事故によってダチョウたちはそのままに置いておかれ野生化しました。

ダチョウは飛べません。ゴーストタウンと化した町を徘徊するダチョウの姿はひときわ物悲しいものがありました。産卵もしていたという。

現在はどうなっているのでしょうか。



ところで、イギリスのプリンス・オブ・ウェールズの徽章(きしょう)である「プリンス・オブ・ウェールズ の羽根」はダチョウの羽根。

「ICH DIEN」とはドイツ語で「私は仕える」という意味です。

英国皇太子の徽章がなぜドイツ語で書かれているのか。語れば長い物語となるので割愛します。

というわけで、親友がネットに「ダチョウ枕」をアップ。私の琴線が激しく揺さぶられました。「いいね」を連打したくなりました。

これは仕える、もとい、使える。ほしい。即座にAmazonで注文。

これを被って(できれば4、5人徒党を組み)町を歩いてみたいと思うだいこんくんなのでした。

そのうち銀行やコンビニの入口には「ダチョウ枕でのご入店はご遠慮ください」という貼り紙が...。

夢は「ダチョウ枕倶楽部」の結成です。


(私の大好きな映画「ふるさとがえり」。7/19にアリオスで上映)

腰を痛めているとき和式トイレは危険な空間に様変わりします。背筋の硬直により重心が背中側にあるため、ひっくり返りそうになるのです。私の職場のトイレには手すりがありません。

まるで気功師に顔面に気を送られて後方に転倒するかのようです。万が一のため携帯電話が必携です。

トイレから出られなくなる事故は意外にあるのです。

埼玉県消費生活支援センターには、「築13年のマンションでトイレの鍵が動かなくなり9時間閉じ込められた」との相談が寄せられています。

また、東京都港区のマンションに住む63歳の女性は、深夜、トイレに入ったところ、扉が閉まり開かなくなり、8日目に救出されたという事例もあります。

女性が見舞いに来なくなったことを心配した入院中の母親が看護師に安否確認を依頼。女性は警察官に救助されましたが、母親はその日に永眠したそうです。

ところで、いま苦しんでいる腰痛。父も若いころ腰痛に悩んでいました。椎間板ヘルニアです。

うどん粉に酢を混ぜて練り上げ、さらに、ガスコンロであぶった柏の葉を細かくして入れて、母が父の背中に塗っていたのを覚えています。妖しげな民間療法に見えました。

父は結局入院し、手術を受けました。同じ病室で3人がヘルニアの手術をして、父以外は治らなかったそうです。

父の入院中に私が生まれました。

私の血液型はO型、父はA型で母はB型。なぜAとBの間にOが生まれるのか。疑問に思った父は保健所に電話をしたそうです。

赤血球の表面にA型抗原もB型抗原もないのをO型といい、両方あるのをAB型といった説明があったことでしょう。

というわけで、父の寿命まで10年を切り、トイレなどに閉じ込められることなく、ちゃんと生きようと改めて思っただいこんくんでした。


(どこの腸まで生きてるんだろう)

「人生に必要な知恵はすべて12人部屋の学生寮で学んだ」といえる2年間を終え、大学3年生のとき私は初めてアパートで独り住まいをしました。

4畳半ひと間の部屋です。コタツも電気ストーブも、もちろんエアコンもない貧乏暮らしでした。畳が1畳半多いですがあこがれの「神田川」の世界です。

八王子の冬は寒い。東北の湘南を標榜する我が故郷よりはるかに冷える。

凍えるような日、あまりの寒さに私は肌色の片手鍋に水をたっぷり入れて、とろ火にして蒸気を立てることにしました。

加湿器代わりです。我ながらグッドアイデアだと思いました。

午前10時ごろ出かける用事があり外出しました。午後3時過ぎタイの友達と会っていたときのことです。

もしかして、鍋のガスを止めてこなかったかも...。

急に不安になり、胸騒ぎがしました。

父が故郷の山で拾って修理してくれた自転車(職務質問で連行された曰く付きの自転車)を全速力で走らせてアパートに戻りました。

アパートは外見は何事もありませんでした。「よかった!燃えていなかった」とほっとしました。

しかし、部屋を開けるとものすごい熱気に包まれました。ガスに火がかかったままで、肌色の片手鍋が焼け焦げ、変形していました。6時間近く炎が点いていたことになります。

ドラマ「半沢直樹」の大和田常務の土下座のシーンのように膝をがくがくさせてしまいました。

大惨事になるところだった。血の気が一気に引いていくのを感じました。

ちなみに、親友に教えてもらったのですけれど、現在、日本のクレヨンメーカーでは「肌色」という表現はpolitical correctnessに反する言葉として使わないのだそうです。要するに差別用語になるということです。

暑気払いの芸は、大和田常務の土下座シーンをだいこんの着ぐるみでやろうかと企んでいるだいこんくんでした。

その前にがくがくしている腰を治さねば...。


(美味しいお酒が勢ぞろい)

私の住む地域では火葬の際、全部を収骨する習慣があります。ですので、部分収骨(のど仏と歯骨など)が主流の西日本と比べ骨壺が大きい。

それでも、細かな灰は取りきれず残ります。この残灰はどこに行くのか。

廃棄物とはなりません。丁寧に集めて袋に入れ、倉庫に保管しておきます。倉庫がいっぱいになったら、墓地の一画に設けた大きな施設に埋納します。

誰かがきちんとやっているのです。

さて、家庭で出た空缶やガラスビンはどうしていますか。分別していますか。

ごみ処理施設に以前行った際、私は驚く光景を目にしました。人海戦術で一つひとつ細かく分別しているのです。

山のように積まれた空缶・ビンを金属の種類やビンの色などによって分別作業をしていました。際限のない作業に見えました。

ビンに栓が付いていればそれを手で回して取り除いていました。また、空缶やビンの中の汚れをバケツに沈めて洗い流していました。

ここでも誰かがやっているのです。

大きな話ではありません。でも、最後は人間の手でなされる、こういった地味な作業なしには、じつは何事もなし得ないのだと思うのです。

そして、こういった地味な作業を行う人に大きな負担がかかっているとき、ある日突然、想定外の問題が表舞台に噴出するのではないか。

そんなことを考えている、腰痛に悩む週初めのだいこんくんでした。

痛みの原因は、胴がかなり長い(脚が短い)こと、そして、その胴回りに脂肪が無意識のうちに蓄積しているからに違いありません。

胴を短くすることは困難なので、敵は胴回りです。なかなか手ごわいエネミー・オブ・だいこん。地味な作業ですね。


(噛り付き派ですか、手ちぎり派ですか)

ダイエットとは異なる類いの少食の人がいることに最近気がつきました。

上司の一人はお昼をほとんど食べません。なにも口にしない日も多く、隣にいる私はなんとなく気まずい気持ちになります。

また、職場には昼はカロリーメイトを一袋(2本入り)だけを常食としている男性職員がいます。1本100kcalですので200kcalで済ませているわけです。

午後0時5分、カップ麺にお湯を入れにやおら給湯室に行こうとすると、彼はすでに歯を磨いています。初めのころ、昼食前に歯磨きする習慣なのかと思っていました。

さらに、別な部署には朝と昼は絶食で夜しか食べない人がいます。かなりほっそりしています。

努力してダイエットをしているというのではなく、少食を常態としている、いわば「少食人種」とも言うべき人が、私の周りに少なくとも3人います。

偶然なのか、あるいは社会現象なのか、私にはわかりません。一石を投じたいと思い、勇気を出してブログに書いてみました。

そういう私も学生時代は少食人種でした。

朝と昼を抜き、空腹の限界に達する午後9時過ぎに吉野家に自転車で行き「特盛」を注文。

紅生姜を肉が見えなくなるくらい敷き詰め、その上からよく溶いた生卵を豪快にかけます。どんぶりに箸を突き刺し、かき混ぜまてから食べるのです。

牛肉と卵のにおいが湯気とともに鼻腔を刺激します。

最初の一口を口に入れるとき、それは至福の瞬間。飢餓と至福が織りなす毎日でした。

やはり学生時代。ヘミングウェイの『老人と海』をアパートで読んでいたときのことです。

主人公の老漁師サンチャゴが釣り上げたカジキマグロを船上で生で食らいつく場面があります。

朝昼抜きだったこともあり、小説に刺激され刺身が食べたくなってどうしようもなくなり、貧乏なのに近くのスーパーいなげやでマグロの刺身を買ってしまいました。

熱々のご飯をかっこみながら読書を再開した思い出があります。

自分はいまさら少食人種にはなれないなぁと思いながら、こんな時間にとうもろこしを食べるだいこんくんなのでした。


(八橋検校の碑です。職場の近くにあります)

夏になると停車中の車に向かって虻(アブ)が寄って来ます。排気ガスに含まれる二酸化炭素が好きなようです。

虻はハエの仲間ですけれど、蚊と同じように二酸化炭素を頼って吸血の対象を探すのです。

ところで、虻にまつわることわざに「虻蜂取らず」があります。

この「虻蜂取らず」の主語ってなんだろう、とふと思いました。虻や蜂を好んで取るような人がいるのだろうかと疑問に感じました。

似たような意味のことわざで「二兎を追う者は一兎をも得ず」があります。

これは、西洋のことわざで主語は人間です。

If you run after two hares you will catch neither.

「hare」は「野うさぎ」。

さて、「虻蜂取らず」に戻ります。調べてみたら、主語は蜘蛛(クモ)なんだそうです。

蜘蛛の巣に虻が引っかかり、虻を捕ろうとしたところ、蜂が引っかかり、蜂を捕ろうとしているうちに虻に逃げられ、虻に気を取られているうちに蜂にも逃げられる、というものです。

「虻蜂取らず」の主語は蜘蛛なのでした。

だいこんくんの今日のへ〜でした。


(店内の様子)

数少ない嫌いな食べ物の一つにエノキタケ(市販のもやし風のもの)があります。

キノコを意味する「タケ」は本来どんなキノコも「ダケ」というように濁りません。

エノキタケは、第一に歯間に挟まるのがいやです。そして、嚥下するとき先端が食道に届いているのに最後尾が喉の奥に引っかかっている、あの不快感が苦手です。

閑話休題。

もうどうにも腰が痛くてなにもやる気が起きません。

そうだ。タイ古式マッサージを受けてみようと思いました。

ポータイいわきを予約。1時間コースにしました。店内は薄暗くアジアンないい雰囲気です。静かなピアノ曲が流れています。

初めに、少し熱めの湯に両足を入れて温めてもらいました。私の足は冷えているそうです。足を温めるだけでずいぶん気持ちよくなります。

うつ伏せになって経絡(タイ語ではセン。線と同じ意)を押してもらいながらストレッチが加わります。ときおり、凝り固まった筋を揉んでもらいます。

全身がほぐれてきたところで、ちょっとだけアクロバティックな感じでゆっくりとストレッチをします。ポキポキはやりません。気持ちがいいです。

タイ古式マッサージは施術する人と施術される人との相互作用が大事だそうで、一方的に力を加えているのではないという。長時間施術をしていても疲れないそうです。

タイ古式マッサージにはいくつか流派があります。こちらのお店はチェンマイ方式です。

いつまでも身をゆだねていたい気持ちになりながら、仰向けになって同じように経絡に力を加えながら筋を伸ばしてもらいます。

不思議なことに下半身に血流が感じ、特にふくらはぎと足首に血が流れているのを実感します。温かいです。

詰まっていた側溝の浚渫をして流れがよくなったというような感じです。

気がつくと1時間半近く経っていました。もっと早く来ればよかったと思いました。

体がほぐれ、もう少し頑張れそうな気持ちになっただいこんくんでした。でも、エノキタケはやっぱり嫌いです。


(職場のビル外観です)


今朝の産経新聞に「世界初“会話できる車” トヨタ新サービス ビッグデータ連携」との記事が掲載されていました。

記事によると、新サービスは、車とITの融合で世界的に注目されている自動運転車など、“考える車”の本格的な実用化を促す技術としても期待されるものだそう。

「車が心を通わせるパートナーになる」という。

例えば運転者が「○○通り沿いのおそば屋さんを探して」とカーナビに問いかけると、該当するそば店をナビが提示してくれるというのだ。その後、細かい条件を言うとナビが考えてくれるらしい。

私の考える「心を通わせる車(※イメージ)」

「そばって言ったら、やっぱり大石(おおいし)のそばだよね」

「そうですか。私はいわき更科の洗練された味が好きです」

「飲んだ後、いまぐらいの時間に駅近くでやってる美味しい店って大石くらいでしょ。鴨南そばがおいしいよね」

「大石はカレーそばが好きです。あっ!もしかして、飲んだのですか」

「ま、まさか。飲んでないよ。誤解だよ」

「ただいま、空気分析中です....分析終了。この車は自動的に停車します」

「おいおいどうしたんだよ」

「110番通報しました。おとなしくしていてください。ドアをロックしました。間もなくパトカーが到着します」

今後、家電とかも対話型になるんでしょうかね。

広告連動型の洗濯機なども登場しそうです。

「うわっ、お客さまの加齢臭、きつぅ〜。夕べ、飲みましたね」

「そんなこと洗濯機に言われたくないよ」

「お客さま、花王の『アタック Neo(ネオ)抗菌EX Wパワー』でお洗濯すると、洗濯槽のカビもだんだんとれるし、加齢臭も防止できますよ。おススメです」

未来は対話の相手に囲まれて明るいなぁと思う今日このごろのだいこんくんでした。


Calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< June 2014 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM