(「KIRIMIちゃん」もどき byだいこんくん)

どんな人なんだろう、会ってみたいなと思う人の一人に「いちごの王さま」こと辻信太郎氏(86歳)がいます。

同氏は1927年12月に山梨県に誕生。桐生工業専門学校化学工業学科(現・群馬大学工学部)卒業。その後、山梨県庁に入庁。

1960年8月に県庁を退職。辻氏32歳のときです。山梨県の物産である絹製品を販売する同県の外郭団体だった山梨シルクセンターを株式会社化。社名をそのまま引き継いで、創業しました。

でも、その本業で早々に失敗し、小物雑貨の販売に転じたそうです。最初の成功は花柄を付けたゴム草履だったという。

1973年に商号を株式会社サンリオに変更。創業時から現在に至るまで辻氏が社長を務めています。

同社のサイトで辻氏は「SanrioとはSaint River『聖なる河』を表す言葉なのです」と述べています。が、「山梨王(さんりおう)が由来」とのガセ情報のほうが信憑性があるような気がします。

「月刊いちご新聞」でいちごの王さま(辻氏)は、「いちごの王さまからのメッセージ」を毎回掲載しています。ちなみに「いちごの王さま」はサンリオで一番最初のキャラクターです。

同社のキャラクターの中で私は「KIRIMIちゃん」が好きです。

ところで、昨年8月29日付の日経新聞で「サンリオの辻邦彦副社長が19日死去した。邦彦氏は創業者の辻信太郎社長(85)の長男で61歳だった。かねて辻社長は『次は邦彦副社長に決めているのでいつ辞めても問題ない』と公言するなど交代は既定路線だった」と報じており、同社は目下後継者問題で揺れているようです。

まさに「創業は易く守成は難(かた)し」(唐書)ですね。新しく事業を興すことよりも、その事業を受け継いで守り続けていくことのほうが難しいものです。


(「初秋の松島」byだいこんくん。メーカー希望小売価格108円)

というわけで、私の描くイラストもごく一部の間で人気があります。

サンリオの代表的なキャラクターのハローキティは関連グッズで全世界で年間数千億円もの売上になるそうです。

不肖私もキャラクタービジネスを始めようかと“捕らぬ狸の皮算用”に余念のないだいこんくんなのでした。


(本文とは関係ありません。面白い本です)

子どもの頃、暇さえあれば私は釣りをしていました。私の住んでいた火力発電所の社宅は河口のすぐ近くにありました。

鮫川という阿武隈山系を源流とする延長65kmの2級河川です。上流には「鮫池伝説」が伝承されています。

土日は毎週のように釣竿を持って川に向かいました。社宅から徒歩数分。

釣果(ちょうか)はウナギやタイなど大物が獲れるときもあるし、一匹も釣れないときもありました。釣り糸を垂らし、水面(みなも)を眺めているだけで幸せでした。

釣った魚は家に持ち帰り、母に唐揚げにしてもらいました。特にハゼの唐揚げは絶品でした。

川岸の砂地を掘ればシジミ貝が、粘土のところを掘るとアサリ貝が採れました。

ところで、釣りにはエサが必要です。新聞で干潮の時間をチェックし、エサとなるゴカイを採りに発電所の脇のちょっとよどんだ小さな川に向かいました。

ゴカイといえば、職場のエレベーターが5階に停止したとき、「5階です」との女性のアナウンスが気になります。私にはなぜか「誤解です」と聞こえてしまうのです。

エレベーターの中でフィクションの世界に誘(いざな)われてしまいます。白昼夢も最近顕著になってきた私の加齢現象の一つです。

脱線したついでに干満について述べます。

「潮」は、朝のしお、「汐」は夕のしおを意味します。月の潮汐力(ちょうせきりょく)によって、海水が地殻に対してブレーキの働きを起こし、地球の自転速度はわずかずつ遅くなっています。

それに伴い「角運動量保存の法則」によって月は地球から少しずつ(年に3cmほど)遠ざかっています。

ノストラダムスの大預言を信じていたころの私は、月が地球から離れていくといった現象も恐怖の対象でした。いまは神経が鈍麻していて、なんでもありません。ちょっとのことでは驚かなくなりました。

話をゴカイに戻します。粘り気のある黒い川床をスコップで掘ると、「ようこそ」という感じでゴカイが蠢(うごめ)いています。丁寧に採らないと胴体の途中でちぎれてしまいます。

ウィキペディアによると、ゴカイは、環形動物門多毛綱に属する動物の一種、Hediste japonicaの和名でした。

ところが、近縁な複数の種の複合体であることが判明し、3種に分割されたそうで、ゴカイという単一種としての和名は分割後に消滅したと解説されています。

中学生のときに映画「スクワーム」(原題: Squirm、米国1976年)を見て衝撃を受けました。ゴカイの大群が凶暴化して人間を襲うという内容です。原作ではミミズなのですが、映画ではゴカイでした。

鼻から目から耳から口からものすごい数のゴカイが身体の中に入っていくシーンは圧巻でした。「スクワーム」と画像検索すると後悔しますのでお控えください。

これ以上、ゴカイのことを書いていると文字通り誤解を生むのでこの辺で筆を置きます。


(アリの2割は働いていない。本文とは関係ありません)

ふと思います。いまいるところから約40km北にある原子力発電所は、まさに「ダモクレスの剣」ではないか。

半世紀前に核時代の危うさについて警鐘を鳴らしたケネディ大統領の演説は、今日、色あせていないばかりか、別な意味でその含意は重みを増しているような気がします。

「老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ」(1961年、米国ケネディ大統領国連演説 出典:Wikipedia)
※演説の全文(英語)及び動画はこちらをクリック。

ところで、話題はまったく異なりますが、いまお取り寄せしたい干し芋の...あっ誤植...すみません。

改めて気を取り直しまして...いまお取り寄せしたい「ほしいモノ」は次の5点です。日々、ほしいなぁと夢想しています。

(1)タイガー魔法瓶IHホームベーカリー<やきたて>(メーカー希望小売価格67,000円税抜)
⇒タイガー魔法瓶がやってくれました。業界初のIHのホームベーカリーです。200度まで一気に高火力で焼き上げます。私はパン好き人間なので、ほしくてたまりません。

「タイガー魔法瓶株式会社」とライバル会社の「象印マホービン株式会社」は同じ大阪府内の企業です。「タイガー」が動物の方をカタカナで、「象印」がマホービンの方をカタカナで表記していることに留意したいと思います。

ちなみに、タイガー魔法瓶の創業者のお父さんは寅年生まれです。

(2)ドッペルギャンガーアウトドア「ヒューマノイドスリーピングバッグ」(歩ける寝袋)(楽天市場7,776円税込、送料別)
⇒以前、当ブログで「いま話題のダチョウ枕」で述べていますので詳細は割愛します。これを着用して町を歩くのが夢です。

なお、冷凍車内で着用してのレビューがGIGAZINEで記事になっています。

(3)大東寝具工業「ビーズクッション座椅子」TETRA(テトラ)(15,000〜25,000円税抜)
⇒座ると自然に背もたれが立ち上がり、深く腰掛けてゆったりと身を任せることができます。姿勢を変えるたびに中のビーズ素材が体に寄り添うようにフィットし、やすらぎのひとときへと誘います。(メーカーサイトより引用)  

大正14年創業の京都・伏見の会社です。座り心地がとても気持ちよさそうです。ほしい。

(4)膿盆(のうぼん) (Amazonで24cmサイズで1,460円税込)


(画像はステンレス製膿盆 出典:Wikipedia)
⇒英語でkidney dish、ドイツ語でNierenschale。どちらも腎臓の皿を意味します。ソラマメの形をした素敵なフォルム。かねてからほしいと思っています。文具入れにもいいですし、いざとなれば食器にもなります。山に登って膿盆でカレーライスを食べるのが夢です。

(5)<南部鉄器>馬場忠寛デザイン 印鑑ケース(朱肉付き) "ふくろう"(2,520円税込)

(南部鉄器の重厚感がたまりません。出典:有限会社渥美ゴザ屋)

⇒かつてお仕えした上司(部長)が使っていました。なかなか決裁書類に判を押してくれない上司で、私はいつも印鑑ケースのふくろうを祈るような思いでみつめていました。

以上、「ダモクレスの剣」が気になりつつも、世俗の欲望に邁進(まいしん)するだいこんくんなのでした。

※ダモクレスの剣とは、ディオニシオスの幸福をたたえたダモクレスを、天井に毛一本で剣をつるした玉座に座らせて、支配者の幸福の危うさを悟らせた故事から、繁栄の中にも危険が常にせまっていることをたとえたもの。
(一部筆者が編集。出典:大辞林第三版)


(不動産会社から送られてきた録音再生機能付きの鳥)

小学校に入学した日は、これまででもっとも緊張した日でした。私は過去に遡ればさかのぼるほど胸の痛む出来事が強く刻まれています。

幼稚園も思い出したくありません。

黄色の幼稚園バッグやバインダー付の連絡帳は恐怖の対象です。いまもトラウマとなって脳裏に焼き付いています。パイプオルガンは好きですが、足踏みのリードオルガンは、その音色が幼稚園時代を思い出すので嫌いです。

幼稚園ではいつも泣いて(泣かされて)いて、遊びの時間は砂場でひとりでうずくまっていました。私は幼稚園を半年で中退させられました。

母はよく昼寝をする人で、幼稚園に行かなくなった私もいっしょに横になっていました。母は熟睡していました。私はすぐに目が覚めてしまい、退屈な思いをしながらぼんやりと時間が過ぎるのを待っていました。

南に面していたベランダのサッシが海風でかたかたと鳴っていたのが耳に残っています。

自宅でぼんやりと過ごしていた、そんな私にとって小学校に行くということは、ほんとうに一大事でした。

1年5組19番。机の左上に名札が貼られていました。私の席は真ん中のうしろの方でした。右の前方にとてもカッコいい男の子を見つけました。

最初の授業はみんなを知ろうということで担任のY先生がリードオルガンを弾きながら、みんなが教室内をぐるぐる回り、音楽が終わったところで近くの席に座るというものでした。

カッコいい男の名前を知ろうと私は右前方に行きました。なんと、男の子と思っていた人は、女の子でした。

ちょっと複雑な気持ちになりましたが、ある意味でこれが初恋だったのかもしれません。

1学期の通信簿の担任が記入する欄に「ご家庭でひらがなをおぼえるようご指導ください」と書いてありました。それを読んだ母は落涙したそうです。いまも保管してあります。

そういえば、「ま」と「き」、「す」と「む」、「ち」と「さ」の違いがわからず、悩んだ記憶があります。カタカナを覚えるのも一苦労でした。

不惑から五十路に向かう中年になったいまも、じっと文字を見つめているとなんだかわからなくなるような恐怖に襲われます。

これってゲシュタルト崩壊の予兆なのでしょうか。そんな不安を抱きつつある今日この頃のだいこんくんなのでした。


※ゲシュタルト崩壊(独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。(出典:Wikipedia)


(カイヅカイブキ 出典:Wikipedia)
(から続く)

カイヅカイブキを含めビャクシン類は、庭木や生垣など利用範囲が広い一方、梨の栽培地では梨の赤星(あかぼし)病の中間宿主(しゅくしゅ)となるため、注意が必要なのです。

自治体によっては赤星病防止条例を設けてビャクシン類の植栽規制をかけているところもあります。

特に条例は制定されていないのですけれど、私の住む地域も梨の産地ですから、本来はカイヅカイブキは植えてはいけないのかもしれません。

梨といえば、私は少し前まで「梨園の妻」の意味がわかりませんでした。梨の観光農園の奥さんという意味かと思いきやさにあらず。歌舞伎俳優の奥さんのことなのですね。

この場合、“りえんのつま”と読みます。農帽をすっぽりとかぶりながら梨畑で作業している人は“なしえんのつま”となります。

梨園(りえん)とは中国・唐の宮廷音楽家養成所を意味していました。唐の玄宗の時代に梨の木の植えられた梨園と称される庭園に芸人達を集め、芸を磨いたことに由来します。

そこから転じて、一般社会の常識とかけ離れた特殊社会としての歌舞伎俳優の社会を指すようになったそうです。

なお、歌舞伎の創始者はお国という女性で、最初は女性による踊りだったいわれています。

そのため、江戸時代は「歌舞妓(伎ではない)」と称していました。ところが、幕府は風紀を乱すということで女性によるものは禁制とし、「野郎歌舞伎」へと発展していったそうです(一部異説あり)。

以上で、だいこんくんの「梨の思い出」を終わります。むすびに「梨の礫(なしのつぶて)」について触れようと思いましたけれども、この辺で筆を置きます。


(陶器屋さんの置物。地球外生命体かと思いました)

梨には思い出があります。子どものころ社宅で一人で夜に留守番をせざるを得ないときがありました。父が夜勤、母と姉たちが社宅の共同浴場に行くといった場面です。

そういうときでも私は矢追純一のUFOスペシャルを見ていました。

でも、だんだんと怖くなり、耐え切れず、同じ4階フロアーのKさん宅をノックし、部屋に入れてもらいました。Kさん宅にはなぜかいつも梨があり、Kさんのお父さんの膝に座りながら、私は梨をご馳走になっていました。

ところで、高級ホテル・旅館専門の宿泊予約サイト「一休.com」の森正文社長は、「仕事人生のアップダウンを乗り越えるには、常に自分を磨き続ける必要がある。その原動力になるのは『欠乏感』だ」と訴えています。詳しくは日経ビジネスオンラインのインタビュー記事をクリック。

私の場合、「欠乏感」ではなく、「恐怖感」とのせめぎ合いの中で人生のアップダウンを繰り返してきたような気がします。

閑話休題。

かつて市営墓園の管理業務を担当していたときのことです。園内の植栽のカイヅカイブキが繁茂して墓石に悪さをするようになっていました。

カイヅカイブキは、関西でよく見られ、大阪府貝塚市を含め西日本の3市1町の自治体の木に指定されています。つねに剪定をしていれば美しい植栽となる木です。

けれど、手入れを怠ると太陽のプロミネンス(紅炎)のように勝手気ままな枝ぶりとなり、巨木となってしまいます。

ちょっと脱線しますが、以前コンサルタントの仕事をしていたとき、上司がよく使っていた言葉が「枝ぶり」と「ダボハゼ」でした。

「計画の具体の枝ぶりが見えないなぁ」

「もう少し相手先と打合せしませんと...」

「相手の言うことをダボハゼのように取り入れちゃいかんよ」

すみません。話を戻します。
結局、カイヅカイブキを自分たちで伐採するこは無理だとわかり、専門の造園業者に依頼して伐採してもらいました。

この木はもう一つやっかいな問題を抱えています。
(へつづく)


(寿司を握ってみました)

友人のKさんは一時熱帯魚の飼育に凝っていました。

「魚たちがさあ、元気なくなってさ、そんで俺、栄養ドリンクを水槽に入れたんだよ」

「で、どうなった」

「みんな死んじゃったよ」

Kさんは「夏休みの自由研究『食品用ラップフィルム』」に登場してくる、ラップを体に巻きつけて脱皮するコントに起用した友人です。熱帯魚のアロワナが大きく成長し、水槽が手狭になった際、Kさんはひそかに近くの川に放してしまいました。

脱皮できたのは本人ではなくアロワナの方だったようです。その後、Kさんとはしばらく会っていません。

閑話休題。

日清のカップヌードルが世に登場したのは私が小学校に上がる前でした。姉といっしょに社宅の近くの富岡商店という駄菓子屋(ちびっ子たちは「とみおばさん」と店を呼んでいた)でカップヌードルを買いました。

「とみおばさん」は入口左手にフタバアイスクリームの冷凍庫があり、雪のように細かな氷が内壁にびっちり貼り付いていました。4畳半くらいの店内には駄菓子などが所狭しと置いてありました。

店の脇にはドブがありました。水はバスクリンのように緑色に混濁し、無数の糸ミミズがくねくねと遊泳していました。

さて、当時、カップヌードルには透明なフォークが付いていました。フォークは胚芽が取れた米のように先端の一部が欠けていて、初めて食べたときの感激とともに印象に残っています。

日経トレンディによると「日清食品のCMでは、どのタレントもフォークを使ってカップヌードルを食べているが、同アンケートによると、フォークでカップ麺を食べる人は3%しかいない」のだそうです。同記事では、なぜカップヌードルにフォークが付属されていたのかについても述べられています。

もう一つ気になっていたのがカップヌードルの原材料名にある「かやく」との表示です。かなりのちまで「火薬」が入っているのだと私は本気で思っていました。スパイスを利かせるために火薬が含まれていると信じていました。

「かやく」とは、「加薬」であり、薬味を加えるの意が転じて、具材を意味することをのちに知りました。「乾燥野菜屑(んそうさいず)」の略称でもありません。

なお、インスタント麺の「かやく」に入っている乾燥かまぼこ・なるとは、福島県いわき市の株式会社栄洋が国内の全メーカーのほぼ全量を供給しています。

そうそう。火薬といえば、親友のブログで知ったのですけれど、「花火大会が中止になったとき、花火は、そのまま保管するのではなく、一旦解体して、火薬を乾燥させ、再利用する」のだそうです。ちょっとこわい作業ですね。

というわけで、夕べは「ものがたり法人ファイアーワークス(英語で花火の意味)」の監督に地区の小さな花火大会をご覧いただきながら、筆者手作りのにぎり寿司を召し上がっていただきました。

なんだかカップヌードルが食べたくなってきました。


(振り込め詐欺に注意しましょう)

最近知ったことがあります。

二十四節気の中で「立秋」こそが暑さの頂点であり、そして「立春」は寒さの頂点を示すということです。

四季が生ずるのは、地軸が傾いているためだと小学校の理科で習いました。地軸は、地球の公転軌道面に対して約23.4度傾いています。

そしてその地軸はじつは月と深い関係にあります。月がなければ地軸は安定して傾いていることができなくなり、地球の気象は大きな変動にされされてしまいます。人類の生存も困難となるでしょう。

ところで、ずいぶん前に祖母(母の母)といっしょに披露宴に出席した際、祖母が童謡「月の沙漠」を歌いました。お祝いの歌なのかどうか、私はいまだにわかりません。4番面の歌詞に至ると場内がしんみりとした雰囲気で満たされました。

「月の沙漠」は荒涼とした真空の月面の様子を歌ったものかと思いきや、さにあらず。

千葉県御宿町(おんじゅくまち)の御宿海岸を舞台にしたものだそうです(作詞者・加藤まさをの生地である静岡県藤枝市近隣の海岸との説も)。

個人的には内山田洋とクール・ファイブの「東京砂漠」が好きです。特に2番目の出だし「ビルの谷間には川は流れない。人の波だけが黒く流れて行く」にしびれます。

なお、「月の沙漠」は“沙”を用い、「東京砂漠」は“砂”であることに留意したいと思います。

御宿海岸の砂浜の中央には「月の沙漠」に登場する2頭のラクダに乗った王子と王女をあしらったブロンズ像が建てられています。Googleアースで2頭のラクダの影を見ることができます。自分撮りしたい筆頭の地です。

なお、1609年に現在の御宿町の沖合にメキシコに向かっていたスペイン船籍「サン・フランシスコ号」が遭難(約50人が死亡、370人が救助)した関係で、メキシコとスペインとゆかりの深い町として知られています。

詳細は、「大御所四百年記念 家康公を学ぶ」を参照ください。乗船していたスペイン領フィリピン臨時総督のドン・ロドリゴは家康に謁見。家康は船を作らせ、彼らをメキシコに帰還させました。

というわけで、立秋の話から地軸の傾き、次いで月、ラクダ、メキシコ、最後に家康まで来たのですが、どうもうまくまとまらないので、この辺で筆を置きたいと思います。

メキシコといえば、西麻布のメキシコ料理店「ゼストキャンティーナ」は安くて美味しいと思います。特にタコスはオススメです。


(不思議な雲)

おととい見た夢。

夜道で私を見たオヤジが後ずさりして逃げて行きました。私の表情が固かったのでしょうか。任侠映画の見過ぎかもしれません。

ところで、私は音痴です。「星々のつぶやき」でも約4回話題にしています。音程だけでなく、リズムも音痴です。「つまらない失敗『習い事編』」の中でコンサートで手拍子が周りの聴衆と合わなくなるという症状があることを述べました。

そんな私がディスコで踊ったことがたった一度だけあります。25年前、バンコクの高級ホテル「デュシタニ・バンコク(The Dusit Thani)」での出来事でした。大学の先輩に誘われてしぶしぶ行きました。

デュシタニは、老舗の高級ホテルとしてタイ王室や各国の賓客が数多く訪れることで知られています。ホテルの名称はタイ語で「天国の街」を意味します。

ディスコホールに入った途端、来なきゃよかったと思いました。異次元空間そのものでした。

バンコクでの私のふだんのオフの過ごし方は、川脇のサーラー(亭=あずまや)でパイナップルジュース(ナム・サッパロッ)を飲みながら、浮き草があてもなく漂い流れていくのを眺めることでした。

川べりをたたく波の音や船の行き交う音、遠くから聞こえる街の喧騒がBGMでした。

さて、ホールではスウェーデン出身のヘヴィメタルバンド「ヨーロッパ」のヒット曲「ファイナル・カウントダウン(The Final Countdown)」が大音響で流れていました。

初め、私は水泳の時間にプールサイドで見学する生徒のような気持ちでカウンターでビールを飲んでいました。が、先輩に半ば強引に踊りに誘い出されました。

さあどうする。盆踊りさえ踊ったことのない人間がなにをどう踊るというのか。

右左、右左と体をカニのように重心を移動させてやり過ごしました。それでさえ曲のリズムと合いません。曲では“ファイナル・カウントダウン”と何度もいっているのに全然終わる気配がありません。これは苦役だと思いました。

拷問にも近い時間がやっと終わり、帰り際、先輩に「踊り、下手だなぁ」と甲高い声でいわれました。金輪際ディスコには行くまいと心に誓いました。

でも、いまは着ぐるみを着れば何でもやれそうな気がします。いや、吹き戻しのヒゲ付きメガネだけでも六本木界隈を歩けそうです。

ここに至るまで四半世紀の歳月が必要だったのかもしれません。人生に無駄なし。


(総理大臣官邸。今度はもっと接近します。本文とは関係ありません)

紙芝居のおじさんは黒縁メガネをかけてスーパーカブに乗ってやってきました。4階建ての12棟のアパートすべてに聞こえるようにおじさんは社宅の敷地を歩きながら、入念に拍子木を打ち鳴らします。

拍子木の甲高い音が鳴り響き、ちびっ子たちがアパートの階段を下りていきます。私は母に小遣いをせがみ、10円を握りしめて社宅の小さな公園に向かいました。

おじさんはバイクの荷台に火灯窓(かとうまど)風に縁どられた紙芝居の木枠を組み立てます。木枠の下には引き出しがありました。薄焼きのせんべいとソース、イチゴジャム、水飴の壺が入っていました。

ソースにするかイチゴジャムにするか、はたまた水飴にするか迷いました。

ピンク色のカタヌキもありましたが、不器用な私はうまくできず、失敗した残骸を食べるだけでした。ほのかな甘みがありました。

水飴の場合は、2本の割り箸を水飴の壺にぐいっとえぐってから手渡されます。お願いすればせんべいに挟んでもくれます。

2本の割り箸を左右の手にもってぐるぐると回転させ、水飴が混濁するまで混ぜ合わせて舐めるのが好きでした。

水飴は10円では買えなかったような気がします。ふだんはソースせんべいでした。1枚のせんべいに竹べらでソースを塗り、もう1枚を合わせてサンドイッチにしてもらいます。

ソースせんべい1枚では小腹を満たすには不十分です。ソースせんべいで腹いっぱいにしたい。私はいつしかそんな願望を持つようになりました。

ある日、100円という大金を手にした私はソースせんべいを10枚注文しました。家に帰ってビッグマックのように一気にソースせんべい10枚(正確には20枚)を口に入れました。

吸水性のよい薄焼きせんべいが上顎をはじめ口内のあちこちに貼り付き、とんでもないことになりました。

くちびるの裏側に付いたせんべいが密着して離れません。ぱくぱく口を開けるとせんべいの破片もいっしょに開閉します。

思いっきり噛むと10枚分のソースが一気ににじみ出てきて塩辛さがが広がりました。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(論語)。中庸の大切さを身をもって知った40年前の出来事でした。

なお、おじさんの語る怪人二十面相の紙芝居は面白くありませんでした。


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