- 2014.11.27 Thursday
花を手向ける
(鳩摩羅什の辿った道を歩いてみたい)
「いけない状態」と「いけない」は同じ意味だと思うのですけど、その効力はぜんぜん違うようです。
ところで、震災のとき、福島県沿岸部の町がテレビに映し出されていました。ずいぶん前にその町を離れ、現在は東京に住む友人が変わり果てた故郷の様子を沈痛な面持ちで見つめていました。
犠牲者がつぎつぎと発見され、花が手向けられています。
基礎だけになってしまった家の跡に、電柱の根元に、仰向けになった車のそばなどに。
花屋さんに勤める友人は、画面に映し出される花を見て思いました。花を買い求めに来たお客さんに花を売った花屋さんはどんな思いだったろう、と。
花が飾られている。それはすなわち、花の買い手と売り手がいるということです。もっといえば、花の作り手や運送に従事した人もいます。
自明のことではありますけど、普段、花を見て、私たちは売り手の花屋さんの心中まで思いやることはありません。
でも、花屋さんである友人は違いました。
故郷で自分と同じく花屋さんを営む同級生の心中を慮(おもんぱか)りました。
先日、友人は久しぶりに故郷に戻って同級会に参加しました。
東京でフラワーコーディネーターとして活躍する友人のことを花屋さんを営む同級生がことのほか喜んでくれたそうです。
そして、震災のときのことを語って聞かせてくれました。
「妻がやっと見つかりました」
「お陰様で息子が発見されました」
同級生の花屋さんは身を切られるような思いで、死者に手向ける花を包み渡す日々が続いたそうです。お店をたたんでしまおうかとまで考えたといいます。
小さな町です。みんな知合いです。切ない毎日が続きました。
そんなある日、男の子が来店しました。
「お母さんの誕生日にお花を贈りたい」と。
その男の子のひとことが、ぱっと心の中を明るくしてくれました。ものすごくうれしくて涙が出たそうです。
花は不思議ですね。喜びにも悲しみにも寄り添うことができます。
しんしんと更ける深夜のもつ焼き「大統領」で友人の語りを聞きながら、私の心の中にも温かい灯がともりました。
なんだか旅に出たくなりました。そんなわけで、宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』を読み始めただいこんくんなのでした。
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