(トムヤムクン味、美味しいです。はまっています)

どうにもハッシュドポテトの中途半端さが好きでありません。みじん切りのジャガイモを小麦でつないで揚げる、あの食べ物です。

以前、私は葉牡丹(ハボタン)が嫌いだとお話しました。それと似た感覚です。

野菜なのか、園芸植物なのか。葉牡丹の、その曖昧さが苦手です。

どっちつかずというのでしょうか。英語でいうところのambivalent(アンビバレント)なところが、まるで心に蜘蛛の巣がかかったかのよう。

さて、ハッシュドポテトです。

下手に半端な歯ごたえを残しています。かりかりでも、しゃりしゃりでもなく、そして、ふわふわでも、ほくほくでもない。半端な態度が許せません。

これだけ普及した食べ物ということは、あの半端な歯ごたえが万人に受けているのでしょうか。にわかには信じ難い。

私が思うに、まずいわけではないので、心のどかに不満を抱きながら食べているに違いないのです。

そのようなサイレント・クレーマーが3人に1人はいるのではないでしょうか。

本来、ポテトに無駄な歯ごたえは不要。まったくもって不要です。外は、かりっ、中は、ふわっとした「フライドポテト」が王道です。

特にモスバーガーのフライドポテトは美味しい。マックは冷めると最悪。噛むと冷たい油がにじみ出てきます。

王道を極めるのは大変です。

手作りでこれまで一番美味しかったのは、夜は居酒屋に変わるうどん店「櫓(やぐら)」(白河市)のクレイジーポテト。サイズも味もまさにクレイジーです。


(櫓のクレイジーポテト 櫓のHPから)

ハッシュドポテトの効能はなんでしょう。細かく刻んで油の吸収率を高めて、手軽に高カロリーを摂取できる。そういうねらいがあるようです。

ですので、ホテルの朝食などで供されるようになりました。

つい、エビかつかと思い、口にしてみるとハッシュドポテト。やられた。ハッシュ、お前かよ、となります。

このときのがっかり度を「1ハッシュドポテト」とすれば、芯の切れたホチキスがかちっと鳴ったときは、5ハッシュドポテトでしょうか。シャープペンシルの芯切れも同程度でしょう。

というわけで、ハッシュドポテトの進む道は、歯ごたえを格段によくするか、あるいは、フライドポテトの軍門に降(くだ)るか。そのどちらかしかなく、いずれにしても険難険路が待っています。


(小名浜オーシャンホテルからの眺望)

ここ数日間に来訪されたお客様と意見交換する中で一つのキーワードが浮上してきました。「イワシとカツオ」です。

地元の水族館の水槽にはイワシと、そのイワシを捕食するカツオがいっしょに泳いでいます。

自然界と同様に捕食されるかもしれないという緊張感がイワシを生き生きとさせるのだそうです。

さて、社会人になってから再び大学院博士課程で地域福祉を学ぶYさん。

ハエの話を聞かせてくれました。

「津波被災地で飛べないハエを見ました。まるまると肥えて飛べないんです。弾くと、ぽとっとテーブルの上から落ちました」

大手食品メーカーに勤めるSさん。

タイ・バンコクに1年滞在したことがあるという。当時のお住まいは、バンコク郊外のノンタブリー(以前、つぶやいたことがあります)。かつて寮の友人に連れて行かれた路地裏の映画館があった町です。

お二人をスパリゾートハワイアンズに案内したところ、ウォータースライダーを勧められました。

旧常磐ハワイアンセンター時代から40数年間、私はいまだかつてウォータースライダーを滑ったことがありません。

無理なGがかかる乗り物がとっても嫌いな私。飛行機の離陸も苦手です。

でも、ここは、年男の記念、いや、冥土の土産にと肚を決め、挑戦しました。

滑り出すと、見た目以上の加速と想定外の横揺れに襲われました。髪の毛が逆立ちます。振り子のように滑り台の曲面を左右に体が揺さぶられるのです。

特にカーブでのGの高まりと激しい横揺れになすすべもなく、流しそうめんの竹筒のような滑り台から落下するのではとの恐怖に駆られました。

最後に塩素臭の水が鼻腔を痛撃。

滑り終わったあと、蘇生したというか、なにかが目覚めた感じがしました。でも、二度とやりません。

映画監督・脚本家のS先輩が青春18きっぷでやってきました。同じ日に写真家のMさんが川内村の取材で来市との連絡。

二人を逢わせれば何かが発火しそうな気配がしました。

セルフ食堂の「ごはん屋 楽市食堂」で3人で意気投合。カレイの煮つけが美味い。

そのあと、みなで小名浜オーシャンホテルに投宿。海を眼下に眺める露天風呂に浸かりました。

Mさん曰く。

「デジタルになってから、写真の質が落ちて、取り戻すのに3年くらいかかりました。デジタルは、なんぼでも撮れるのでフィルム時代の緊張感がなくなりました。やっぱり緊張感が大事です」

S先輩が答えます。

「悶々として脚本が書けない。打合せまでもう1時間しかないという瀬戸際に急に展望が開け、一気に書き上げて、それがOKになったんです」と。

肥えて飛べないハエ、ウォータースライダーの恐怖感、フィルムカメラ時代の緊張感、書けない切迫感が生む脚本の創造性...。

私の頭の中で何かつながりました。

「イワシとカツオって水槽がいっしょのほうがイワシが生き生きとするんだそうです。やっぱり緊張感が大事なんでしょうか」と私。

すると、映画監督も写真家も異口同音に「イワシとカツオ。わかるわかる。それだ」と賛同。

というわけで、いわし料理「のんべえ」に久しぶりに行ってみたくなりました。


(飛び立つ飛行機を見るのは切ない)

「孝行のしたい時分に親はなし」。ありふれたこのことわざは、子どもの時分から知っていました。

しかしいま、自分が子を送り出す段になって、やっと、親の有難さを痛切に感じます。

「子どもはいつか巣立つ」

頭ではわかっていたつもりでした。が、いざ自分の番になってみるとさみしいものですね。

両親は私が親元を離れるとき、どんな思いだったのでしょう。さみしさなどまったく見せませんでした。好きなことを自由にやってきなさいと送り出してくれました。

大学に入った夏に東南アジアを旅行。2年生になる前の春休みに1か月間、タイに滞在。4年生のときにバンコクの大学に1年間交換留学。留学中、家に電話もせず、手紙もほとんど書かなかった私。

そんな私に対し両親は経済的にも私を全面的に支援してくれました。タイ語の高価な辞典が必要だといえば、応じてくれました。

交換留学後、私はそのままタイの大学院に進学を目指してバンコクで準備。両親のことなどなにも考えずにです。

私は自分の進みたい道のことばかり考えていました。親はそんな自分を応援してくれればいいのだと、傲岸不遜な私でした。

そんなとき、父が白血病になり、続いて母が卵巣がんの末期だとわかりました。

やむを得ず、私は日本に帰国。ふるさとに帰ってきました。当時は、「断念」とか「やむを得ず」という言葉を使って、自分の無念さを訴えました。

でも、「やむを得ず」という言葉は両親に対してどれほど失礼な言い草だったか。いまになって後悔しています。

両親が亡くなって20数年経ったいま、きりきりと胸が痛みます。

親に話したいことがたくさんあります。伝えたいことが山ほどあります。

「石に布団は着せられず」

両親のお蔭で私は本当に自由になんでもやらせてもらいました。いまこみあげてくる感謝の思いを向こう岸(彼岸)にいる両親に届ける術はないのでしょうか。

留学をあきらめたときの無念さとは異なる深い無念さで胸が詰まりそうな春のお彼岸でした。


(開発当時の成分がドイツ語でHexachlordihydroxydiphenylmethan32文字。だから8×4=32)

来世、生まれ変われるとしたら、タンカーやクルーズ客船のような大きな船を操舵したい。今世でチャンスがあるのであれば、ぜひやってみたい。私の夢です。

ところで、神戸港に「クイーン・エリザベス」が入港したそうです。親友のブログで知りました。総トン数90,400トン、全長294メートル。大きいですね。

実際に見たことのある一番大きな船は、郵船クルーズの「飛鳥II」です。日本籍船で最大の客船。総トン数50,162トン、全長241メートル。

ちなみに、総トン数の「トン」とは、重量ではなく容積を表す単位。総トン数5トンという場合、5トンの重さがあるということではありません。

20数年前、就航したばかりの商船三井客船の「にっぽん丸」に乗船する機会がありました。

小名浜港と清水港の往復1泊2日の旅。高齢者の交流事業での添乗です。総トン数22,472トン。全長166.65メートル。素敵な客船です。

乗ってみて、私は思いました。船の良さは、いい意味で大時代的な慣習が残っているところだ、と。

出航のときのお別れの紙テープ、銅鑼(どら)、汽笛。

タグボートによる出港・入港時の支援は見事です。巨大な客船を狭い港内で方向転換させ、接岸・離岸させます。

出港の際、本船が自力航行できるようになっても、寄り添うように航行し、外洋まで見送りするタグボート。

最後に汽笛を鳴らし合いエールを送る姿に私は涙が出そうになりました。

効率性やスピードを求める航空機や新幹線にはない、いにしえから続く歴史と伝統を垣間見る思いがしました。

県立高校で練習船の教官を務めている友人に、以前、尋ねました。

「あんなに広い海で、速くない船舶がどうして衝突事故を起こすのですか」

「じつは居眠りしていることが多いんです。ひどい場合、島に乗揚げてしまうこともあります」

運輸安全委員会が「居眠りによる船舶事故防止に関する意見について」という意見書(2010年5月)を国土交通大臣に提出していることを知りました。

それによると、居眠りによる船舶事故は、船舶事故の約10%を占め、乗揚(のりあげ)においては約23%を占めているとのこと。

陸でも海でも居眠りは禁物ですね。

というわけで、久しぶりにイルカの「海岸通」を聞いてみたくなりました。

なぜ「妹のままでいたほうがよかったかもしれない」のか。その部分がずっと気になっています。


(再度アップ。私は認識力が弱いのかなぁ)

私にとって「シビアアクシデント」とは突然の下痢です。なんども話題にしてすみません。

インフルエンザよりも、こじらせた風邪よりも、なによりも、耐えられない過酷さと切なさと切迫感、そして悲哀があります。

下痢のつらさの最たる要因は、その不可逆性にあります。

ある限界値を超えると減圧すること以外に方策は皆無。下腹部を温めようが、薬を飲もうが、砂防ダムに押し寄せる山津波のように圧力が高まるだけです。

次に突然性。そして、ある意味もっとも重要なカギを握るのが「施設の必要不可欠性」です。

つまり、トイレがなければこのシビアアクシデントは解決できないのです。換言すれば、トイレがない場合、どんな偉大な文豪が叙述する悲劇よりも、悲惨な悲劇が待っています。

先日、郡山駅西口にある「ビッグアイ」に行ってきました。

地上24階建の超高層ビルです。この6階に郡山市民交流プラザという公共スペースがあり、住民票等の交付を行う市役所の窓口もあります。

高さ地上133メートルは福島県内で最も高い人工建造物。

このビッグアイの最上部にある「郡山市ふれあい科学館」の宇宙劇場(23〜24階)は、「世界で一番、地上から高いところ(104.25m)にあるプラネタリウム」として、ギネス社に認定されています。

すぐ破られそうな記録ですが、いまのところ安泰です。

さて、併設の駐車場に入ると1階は満車。2階、3階と上がっていきます。天井の低い薄暗い駐車場をぐるぐると登り始めたところ、急に下腹部が痛み出しました。

閉鎖空間と薄暗さに反応してしまったのです。

4階も満杯。いやな脂汗をかきながら、やっと5階に空きを見つけて駐車。あまりにも突然の腹痛と腹圧の上昇に焦りだします。

駐車場から建物の商業スペースのフロアに出たところで目にしたのが、写真の表示でした。

てっきり右に回ったところにトイレがあるものと信じ、急ぎ足で向かったところ、トイレがありません。平面図を見るとぜんぜん違う場所。

緊急事態にもかかわらず100メートルも一周してしまいました。元のところに戻ってピクトグラムをよく見るとトイレは左側。なんて紛らわしい表示なのでしょう。

というわけで、また思い出の場所が増えてしまいました。


(抹茶の薫りがじつにいいです)

意識調査とスープの味見。じつは似ています。味見するのにどんぶり一杯がぶ飲みする必要はありません。

同じように、調査対象をよくかき混ぜれば、アンケート調査において何万もの回答は不要です。

全数を調査せずとも、少ない情報から傾向をつかみ、実態を類推するのが意識調査です。

NHKの政治意識月例調査は、RDD追跡法で全国20歳以上の男女約1500人に電話をし、毎月約1000人から回答を得ています。全国の有権者1億人に対する割合は0.001%。

次元は異なりますが、少ない情報から判断を下すことの重要性を早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授は「仮説思考」として提唱しています。

数年前、内田教授の講義を受ける機会があり、深く感銘を受けました。余談がじつに面白い。余談の印象が強すぎてほとんど本論を覚えていません。

仮説思考とは「情報が少ない段階から、常に問題の全体像や結論を考える思考スタイル」です。

内田教授は、かつて経営コンサルタント会社のBCGに勤務していたころ、「情報は多ければ多いほど良い意思決定ができる」と考えていたそうです。

必要と思われるあらゆる情報をかき集めてから判断する。内田教授はこれを「網羅思考のワナ」と呼んでいます。

リーダーはこれではだめだ、と。

「常に限られた時間の中で答えを探すこと」そして、「情報が不足している段階で問題の真因を探り、解決策を模索すること」が大事であると訴えています。

その意味で、リーダーというのは厳しいものだなと思います。

「リーダーは牛の顔を見てしっぽの形を判断できるようにならなくてはならない」というのです。

組織の上に行けばいくほど、第一線の情報の臨場感は薄れていきます。量も限られてきます。

当然、情報の少なさにいらだつこともあるでしょう。不安も大きい。孤独です。もっと情報がほしいと思うでしょう。

でも、決断しなければならないのです。

あのとき菅直人首相は、耐えられず、ヘリコプターに乗って原発に行ってしまいました。

牛の顔だけでは判断できず、しっぽの形を見ないと不安だったのでしょう。たぶん。

というわけで、自分自身は、驥尾(きび=名馬のしっぽ)に付して万里を渡る蒼蠅(そうよう)でありたいと思うだいこんくんなのでした。


(参考図書)
内田和成著『仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法』(2006年、東洋経済新報社)


(手ごわい問題は手ごわい人がいるんですよね。問題は人なんです)

JA全中は、なぜ完敗したのか。

攻める側の官邸が本気であったこと、そして交渉術がしたたかだったことにあります。

政策の是非は置き、官邸の交渉力に着目してみましょう。

まず、安倍首相が攻めます。

「抜本改革を断行していく決意だ。地域の農協を主役とし、創意工夫を生かし..(中略)中央会には脇役に徹していただきたい」(本年1月16日、羽田空港で記者団に)

農業協同組合法を改正し、JA全中から指導・監査権限を剥奪して、一般社団法人化を狙う。JA全中を脇役とし、主役は全国に約700ある地域農協とする構想です。

迎え撃つJA全中の万歳会長は「農協監査は十分に機能している」と語り、反論。

JA全中に沿った発言をするよう自民党農林族に働きかけます。

官邸はすかさず、「兵糧攻め」を仕掛けました。

兵糧攻めとは「食えなくする」こと。交渉の定石です。ビジョンや政策の実現も兵糧があったればこそ、なし得るものです。

農協にとって兵糧とはなにか。官邸は狙い撃つ標的を絞ります。

標的は、農家以外の「准組合員」。農業者で構成される正組合員461万人を超える536万人が全国にいます。私も准組合員です。

官邸は、准組合員の利用制限をちらつかせます。准組合員が離れれば、農協の大打撃は必定(ひつじょう)です。最大の弱点に違いありません。

「准組合員を守れ」との全国の農協からの要求に押され、JA全中は官邸に折れ、白旗をあげます。官邸は准組合員の利用制限案をおろします。

官邸側の完勝です。

ただ、JA全中の監査権限を廃止しただけで、農業が再生できるほど日本の農業問題は単純ではないことは官邸も承知しているはず。

官邸を仕切っている菅官房長官の動きに目が離せません。この参謀、なかなかの仕事師です。

政策は、「何を」と「どのように」の混合体です。政策だけに限りません。ビジネスもそうでしょう。

家具屋さんは家具を売るのが商売。いま大塚家具の父娘が争っているのは「どのように」売るのかをめぐってです。

そこに私たちは注目したいと思います。

もちろん「何をするか」という視点も大切です。でも、「どのようにするか」の中に応用の利く、多くのヒントが隠されているのです。

(参考資料)
脱・全中、したたかな演出 地域自立へ第2幕必要 農協改革の虚実(2)」 (2015/3/15 2:00日本経済新聞 電子版)

【永田町情報】 ★菅が仕切った全中監査権限廃止 時事通信社解説委員・田崎史郎」(iJAMP 2015/02/20 08:00)

【永田町情報】 ★JA全中を狙い撃ち 時事通信社解説委員・田崎史郎」(iJAMP 2015/01/23 08:00)


(腹痛時にトイレの方向を間違えました。左が正解。腹を抱えて大回り。郡山にて)

スマホのバッテリーが不安定になり、新しい機種に変更。ところが、パソコンのCドライブがいっぱいで、データが不完全移行。

生煮えのようなアプリ復元となりここ数日、苦闘しています。ブログもいまだに書けません。今回はパソコンで投稿です。

ところで、以前「硫黄島の戦いと祖父」で、母の父、つまり祖父が何歳で亡くなったのかがわからないとお伝えしました。

自分の住む市役所でいくつか謄本を取り、祖父の戦死した日付(昭和20年3月17日)まではたどり着きました。

でも、生年月日は、原戸籍のある郡山市役所に行く必要があることがわかりました。

きょう、はじめて郡山駅前の市民サービスセンターを訪れました。土日も開庁しています。

50歳くらいの男性職員がルーペを使って文字を読み込みながら、根気強く戸籍を探ってくれました。

ふと、このような市民サービスの窓口で仕事をしている親友も同じように丁寧に対応しているのだろうなと思いながら、戸籍が交付されるのを待ちました。

改製原戸籍が出てきました。

さらに、私の祖父の父の父の父までわかる戸籍もいただくことができました。

名前は「友蔵」。天保8(1838)年7月生まれ、大正3年5月に76歳で死亡。「友蔵」の父は「善六」だということも判明。

戸籍ってすごいなと思いました。江戸末期までの先祖の名前までたどれることに感動です。

そのとき、ふと、早野龍五さんと糸井重里さんの対談集『知ろうとすること。』の一節を思い出しました。

「いま、私たちの体を構成している水素原子の年齢は138億歳。」

「宇宙の年齢とほぼ同じっていうこと?」

宇宙の歴史の中で水素はビッグバンの直後にできて、そのあと、水素が大量に作られることはなかったそうです。

だから、宇宙が始まったときに作られた水素がずーっとリサイクルというのか、めぐりめぐって私たちの体の中に入っているというのです。

不思議です。血のつながりより、もっと壮大なつながりがあるということ。

みんながつながって、みんないっしょなのです。

あさっての3月17日。祖父逝って70年。

宇宙の不可思議を感じながら、33歳の若さで散った祖父を偲びたいと思います。


(職場のとなりの市立美術館)

小学4年生のころ、一度だけ焼き物を作った経験があります。市文化センターの陶芸教室でした。

父親に、と思い、ぐい呑みと小鉢を作りました。成形までを自分でやり、そのあとの乾燥や塗り、焼き上げまで、教室の先生がやってくれました。

後日、完成したものが届き、がっかり。薄く作ったつもりが、思っていた以上に肉厚に仕上がっていたのです。

がっかりといえば、子どものころ、父のカメラを借りたときも同じような思いをしました。

いい風景だなと思ってシャッターを押す。現像されたものを見ると、あまりにも、あまりにも平凡な風景が写っているだけでした。

ところで、美術館で開催中の「市民美術展覧会」をのぞいてきました。

目当ては知人の作陶した「抹茶茶碗」。「春夢」という題名にふさわしい、珊瑚(さんご)のような桜色の素敵な茶碗でした。

「陶芸の部」と「写真の部」があり、いずれもプロ級の作品ばかり。

素人とプロって何が違うのだろう。ふと思いました。

近代の日本を代表する詩人・北原白秋。

あるとき若い急進派の歌人から批判を受けたという。

「あなたの歌はやはり型にはまった31文字の歌で、新しい現代の歌といっても、以前の旧派の歌とはただ紙一重の相違ではないか」と。

白秋は答えます。

「そうです、ほんの紙一重です。しかしこの紙一重のために、この30幾年という長い年月を私は苦労してきたのだ」(岩波書店『白秋全集24』所収)

「春夢」の茶碗を作った知人と白秋が重なって見えました。知人は、医術を極めるため、いまもなお、学びの執念を持ち続けています。

「紙一重」のために努力し続けていること。そこにプロフェッショナルの流儀を感じます。


(ふと目頭ってどこなんだと思いました)

せっかくフランス語圏にいるのだからと、フランス語初級コースを履修しました。1997年の秋、カナダ・モントリオールでのことです。

クラスメートと組んで模擬対話をする宿題が与えられました。相方はインドネシア出身のアドリアン。

10月25日の夕方にアドリアンが私の住む寮に来ました。ふたりで対話の内容を考え、文案を作成。

廊下を挟んで斜め向かいのシルビアという可愛らしい女子学生に文章をチェックしてもらいました。

学生寮は男女混合の個室です。トイレもシャワー室も男女の区別がないうえ、間仕切りが半端で、お互いの脚が見えます。

歯磨きしつつ鼻歌を歌いながら、ブリっとできるケベックの女子学生はすごい。操縦席のように同じ着座態勢で並んだ隣の女の子の足元を見ながら、私は思いました。

精神の鍛錬、修養になりました。

ジャカルタに帰って就職するといっていたアドリアン。元気にしているでしょうか。

ところで、私の「ざじずぜぞ」は鼻濁音だと隣の部屋の女子学生にいわれました。

鼻から音が漏れているという。フランス語は鼻母音というものがあり、敏感なのです。

「私の友達(my friend)」をフランス語でmon ami(モナミ)といいます。複数形である「私の友達たち(my friends)」はmes amis(メザミ)。

このメザミの「ザ」がどうしても鼻から抜けてしまう。鼻をつまんで発音するとわかります。

みなさん、いかがですか。鼻をつまんで「目覚める」と発音してみてください。鼻に圧力がかかる、私と同じような方はいますか。

本年3月5日の朝日新聞に興味深い記事

「ガ行の『鼻濁音(びだくおん)』を日常生活で使う人は5人に1人しかおらず、全国的に著しく衰退しつつある」と。来世紀には、ほぼ消滅するという。

「鏡(かがみ)」と発音する際、「が」の音が鼻にかかる人が少なくなっているのだそうです。

というわけで、絶滅危惧種の自覚をにわかに持ちつつあるだいこんくんなのでした。


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