(とうとう聖地へ)

参詣したいと思慕していたTOTO本社です。トイレ・コメンテーターの喜びのサムアップ。あいにくの曇り空でしたが、親指のわん曲にテンションの高さが伺えます。

広大な工場敷地に比して、控えめな本社ビル。これが世界のTOTOの本社ビルなのか。ちょっと拍子抜けしてしまいました。

現場を最優先し、管理部門の肥大化を抑えようとする同社のビジョンを感じました。

聖地近くの居酒屋「和央(わお)」の壁には2012年7月25日付の新聞記事の切り抜きが貼られています。

TOTOが1980年に製造・販売を始めた初代ウォシュレット「ウォシュレットG」(TOTO歴史資料館所蔵)が「機械遺産」に認定されたとの記事です。


(壁に誇らしげに貼ってありました)

家庭で使用される機械が「機械遺産」に認定されるのはこのウォッシュレットが初めて。

「社員がおしりのどこを洗えばいいか、水量、水温、噴射角度を実験、開発」

日本機械学会は「日本人の生活様式を一変させた」と評価。新しいトイレ習慣を創造し、国民生活に対して貢献した機械として歴史的価値が認められました。

その貴重な初代「ウォッシュレットG」を拝観できると思いきや、TOTO歴史資料館は現在改装中で閉館。本年8月28日に「TOTOミュージアム」に生まれ変わるという。残念です。

身を清めて後日新装となったミュージアムに参詣するとしましょう。

(整備中のミュージアム。まるで巨大な便器)

ちなみに、「ウォッシュレット」や「音姫」はTOTOの登録商標です。個人的にはナイアガラの瀑布を想起させる「音将軍」や「音大王」も開発してほしいと願っています。


(決闘はもう止めにしてお互い肩を組ませてやりたい)

というわけで、聖地巡礼の旅は雨の巌流島にも足を伸ばし、滞りなく終えたのでした。


(五反田の「家庭料理うさぎ」)

熊本県菊池市の「水田ごぼう」の唐揚げがとっても甘い。あく抜きが不要というのだから驚きです。

最高の素材を、いちばん美味しい料理にして出すにはどうすればよいか。「うさぎ」の女将さんは日夜試行錯誤しているという。

水田ごぼうの唐揚げにしても、素材の甘さを引き出すために、油はどの種類がいいか、どのような衣が合うのか、笹掻きの形状はどうすればいいか、味付けは塩だけがいいのか、あらびきの胡椒のほうがいいのか。


(水田ごぼうの唐揚げ Photo by UP氏)

妥協を許さない、考え抜いた上での一品一品。

いわば家庭料理を超えた家庭料理といえます。それが「うさぎ」の味です。自分のVIPを自信を持って案内できるお店「家庭料理うさぎ」。

写真家兼中央花壇フラワーコーディネーターである友人との会話は、ごぼうの唐揚げに舌鼓を打ちながら佳境に入っていきます。

「母の日に子どもがカーネーションを買いに来ました。白いカーネーションに目がいったのでしょう。その子どもがほしいというので、店員は白いカーネーションを売りました」

「確かにいまは色に意味を見いださない人も多いですからね」

「ところが、そのあと、その子のお母さんから白いカーネーションを売るとはなにごとかと苦情がきたんです。白いカーネーションは亡き母に贈るものだからです」

「なるほど...」

「店員としては、売ってほしいというから売ったのでしょう。しかし、店としては、売るだけではなく、お客さんに対し、その花の持つ意味を伝え、説明する必要があったのです」

もう一歩の気遣いによってサービスは磨かれる。私の職場でも、そのもう一歩が足りないばかりに齟齬をきたすことがあります。

「ところで、先日の星々のつぶやきでウォッシュレットの水量がオヤジはMAXにすることが多いと書いてありましたよね」


(友人UP氏と語る筆者。側頭部と左手のみ)

「えっ?はい」

「理由を考えてみたんです。MAXにしている人の50%は痔だと思うんです。というのは、清潔にしないといけないということと、硬くなって感覚が麻痺してきているからです」

そこまで深い考察を加えなかった私は、友人の一段深掘りした見立てに感服しました。

己の領分を全うするためには、「これでいいのだ」ではなく、もう一歩深める。深掘りして考える。このたゆまぬ努力が必要なのだ。

今後一層、トイレネタの収集分析に励まなければ。

ここで滝飄水(たきひょうすい)の一句

「浜までは海女も蓑着る時雨かな」

どうせ濡れると思うか、身体を冷やさずに我が身を大切にし職を全うするか。


(トトロの木)

アメリカの社会心理学者ジェイ・ホールという人が考案した「NASAゲーム」といわれるワークを師匠の指導の下、職場の有志と取り組みました。

あなたは、月面の陽のあたる側で母船とランデブーする予定だった宇宙飛行士の一員である。しかし、機械が故障し、あなたの船は母船から約300km離れた地点に不時着した。

不時着のとき多くの機材が壊れ、隊員の生命は母船に到達することにかかっている。

下記の15の品目は着陸時に破損しないで残ったものであり、そのなかから、300kmを移動するのに必要なものを選ばねばならない。

あなたの任務は、母船に無事に到達するための重要度に応じて、15品目に順位づけすることである。1位から15位まで順位をつけよ。

1. マッチの入った箱
2. 宇宙食
3. ナイロン・ロープ 15m
4. パラシュート用の絹布
5. ポータブルの暖房機
6. 45口径ピストル 2丁
7. 粉ミルク 1ケース
8. 45kgの酸素タンク2個
9. 月面用の星座地図
10. 自動で膨らむ救命ボート
11. 方位磁石
12. 20リットルの水
13. 照明弾
14. 注射器入り救急箱
15. 太陽発電式のFM送受信機

NASAの模範解答に近ければ近いほど優秀ということになるそうです。私はかなり厳しい点数でした。

師匠曰く。柔軟性が弱い、と。

模範解答で許せなかったのは、「注射器入り救急箱」です。宇宙で肌を露出したら、即座に血液が沸騰して死に至ると私は解していました。

が、この注射器は、「宇宙服の特殊孔からビタミン剤や薬を注入できる」注射器とのこと。

それから、ピストルも納得がいかない。

重力が地球の6分の1の月面でピストルを撃とうなら、腕が吹き飛んでいってしまう。拳銃の扱いがいかに難しいかは、任侠映画でよく知っています。

なのに、「発射の反動で少し前進できるかもしれない」という理由でそれなりの順位なのです。ほんとかよ、と思ってしまいました。

いずれにしても月面で遭難するようなことはUFOにさらわれない限り無縁でしょうから、心配無用です。


(通勤途上で可愛い花を見つけました)

近所にある「構造改善センター」。隣組の集まりなどで使われる集会所です。恥ずかしながら、なんの構造を改善するのか、きょうまで知りませんでした。

ただ、説明を聞いてもよく理解できませんでした。

そもそも問題は、構造にあるのでしょうか。また、構造というに足る仰々しい仕掛けが私の住む地域にあるのでしょうか。疑問です。

「活性化」、「改善」あるいは「民主主義」など、あえて標榜する名称は、それがなされていないことがほとんどです。

そういえば、「明るい農村」というNHK番組がありました。本当に明るいのであれば、わざわざ「明るい農村」とはいわないでしょう。

「民主主義○○共和国」といった国名も、はたして民主主義で、共和的なのか、あやしいものです。

ところで、改善してほしいことがあります。構造とは関係がありません。

理髪店での耳かきです。あの中途半端感の改善です。よけいにフラストレーションを高めてしまうのです。


(持ち歩いているマイ耳かき)

もう少し掻いてほしいのです。表土除去するくらい、力強く掻き上げてほしい。

さわさわ...さわさわ...。もう少しのところで終わってしまう。

結局、車に戻ってからマイ耳かきで掻き直しをしてしまうのです。

タンポポの種のような、あの、ふわふわの梵天って、何十人×2倍もの耳の穴に入っているのでしょうね。

ふと、そんなことを思うのですが、あまり深く考えないことにしています。


(職場付近の風景です)

ことばの品格の順序を考えています。「能書き」<「蘊蓄(うんちく)」<「造詣(ぞうけい)」でしょうか。

能書きは「垂れる」ですし、蘊蓄は「傾ける」。蘊蓄のほうが少し格が上のようが気がします。

造詣は「深い」。いい感じです。

私には、さらに造詣を深めたい分野があります。

快適なトイレ:『増やそう!』国民運動を開始へ」(本日付の毎日新聞ニュースサイト)。朝一番に同僚が教えてくれました。

方向性は悪くありません。ただ、政府が主導するというのが引っかかります。

「ああせよこうせよ」と上からいわれないと動けない私たちの体質に対して、哲学者・中島義道氏は警鐘を鳴らしています。

「黄色い線の内側に下がってお待ちください」「左右をよく見て横断歩道を渡りましょう」「午後9時までに帰宅しましょう」等々。

つね日ごろから私たちは他者から何かにつけ、いわれ続けています。

行きつく先は、中島義道氏曰く、夏の海水浴場で「おにぎりが腐るので早く食べましょう」という放送まで必要になると。詳しくは、『うるさい日本の私 』(日経ビジネス人文庫)を参照ください。

ところで、トイレに入ったとき、私たちは、意識の強弱はあるにせよ、なんらかの評価をしているはず。

きれい、きたないといった定性的な視点、空間の大きさや備え付けられているものの充足度といった定量的な視点。それらを合わせ、総合的、かつ、瞬時に評価しています。

洋式・和式の違いに始まり、ウォッシュレットの有無、便座を清拭するための薬剤の有無、レバーの形状(横に突き出た、ばねの強いすりこぎ棒状のレバーは、陰のほうにあるので嫌いです)、トイレットペーパーの質等、評価項目は多岐にわたります。

が、きょうは紙幅の関係上、紙、つまり、トイレットペーパーについてひとこと述べます。

駅構内の旧いタイプのトイレにあるアレです。アンモナイトのように壁に渦巻いている巨大なトイレットペーパー。困りものです。

巻き取ろうとするも、重みによる摩擦で、途中で切れる。

また、巻き口から自分のほうに約45度で引っ張るため、紙が乾燥したかんぴょう状になり、ボリュームを作れない。

「殿、お戯れを..」の帯のようになってしまうのです。

したがって、重ねる作業が極めて困難でくしゃくしゃにするしかないのです。

というわけで、トイレ・コメンテーターとしては、アンモナイト型トイレットペーパーはただちに廃止してほしいと願っています。


(櫓のクレイジーポテト)

男性トイレ、居心地いいね 『大』増え『小』減る高速道」(今月23日付朝日新聞Digital)。こういう見出しに私は過敏に反応します。

「生活習慣の変化があるのか、『大』の個室に長居する人も増えているらしい。西日本高速道路(ネクスコ西日本)は、小便器を減らして大便器を増やす工事を進めている」

ネクスコ西日本のこの判断と実行。素晴らしいと思いました。

ところで、私の職場は5階建ての建物の中にあります。執務室以外の掃除は清掃業者から派遣されている60代後半の女性の方がお一人で行っています。

午前8時ごろに1階の玄関の掃除が終わった後、上階から各階のトイレの掃除。

私の執務室のある階の男子トイレは午前9時40分前後です。お腹の弱い私は「9:40」が頭の中にインプットされています。その時間にトイレのドアを開けると、濃紺のホースがとぐろを巻いています。

さて、朝8時少し前に出勤する私がいちばん最初にあいさつするのは玄関を清掃するこの方です。小用中にトイレに入ってきて滴りが未了中でも、私はいつもあいさつをします。

いつしか、気軽に声をかけてくれるようになりました。厨房で遭遇したときは、私から飲み物や茶菓子を勧めたりします。

「洗面にある手指消毒用のアルコール液がなくなってきたんですけど、これって補充しないといけないですか」

「いえいえ、これは、震災のときに配備したものですから大丈夫ですよ。こちらで用意します。せっけん液は補充をお願いしますね」

階によって手洗いのせっけん液の種類がなぜか異なっています。清掃の方はきちんと区別して補充してくださっています。

ちなみに、私の階は液状、下の階は泡状です。私の好みは泡状です。

この4月に私は執務室の階が変わりました。清掃の方はすぐに気づいてくれました。

「あら、3階になったのですね」

何気ない会話って大事だなぁ。そう思いました。


(郡山の休石温泉。野趣あふれる露天風呂です)

スーパーや公共施設などでそこの従業員・職員に間違えられることが少なくありません。

服装なのか、顔つきなのか、なにかその雰囲気を醸し出しているのでしょう。

商品の置き場所など、知っているものですから、つい答えてしまうこともあります。

さきほどは、公共施設で「生け花教室はどこでやっているのでしょうか」と女子高生に尋ねられました。職員ではないですけどとひとこと伝えたうえで、会場まで案内いたしました。

ちなみにきょうの服装は、ブルーのミドリムシの小さな模様の入ったシャツ。正確にはペイズリー柄です。

(ミドリムシ柄と名付けたい)

ところで、「2泊3日」という言葉を子どものころよく理解できませんでした。

2泊の旅でどうしてダメなのでしょう。3日となぜ付けなければならないのか。2泊目の朝に仕事に直行する旅もあるのでしょうか。

99.9%において2泊の旅は2泊3日の旅程であることは決まっています。

2泊すれば3日目は帰途を含む最終日であることは自明です。ですので、「2泊の旅」でよさそうなもの。

「東京2泊3日の旅」を英語に訳すとI'll stay at Tokyo for three days and two nights.というそうです。なんか変です。three days trip at Tokyo のほうが通じるでしょう。

そんなことを考えながら、露天風呂から上がり、義兄と歓談していました。

「最近、自分のいびきにびっくりして目を覚ますことがあるんだよ」との義兄の言葉に自分も同じ症状が起きていることを伝え、共感とともにカラカラと乾いた空気が流れました。


休石温泉の露天風呂。硫黄のにおいが少ししました。



10数年前によく通った「櫓」でうどんを食べました。コンサルタント時代の大変だったことを思い出しました。


(線路って郷愁がありますね)

「毒矢に当たった者が、矢を抜く前に『矢を放った者は誰か、矢の材質は、私を診察する医師の名は、その階級は…』と聞いていたらどうなるだろうか」。(出典 ウィキペディア)

理屈っぽい弟子に対して釈尊が語った「毒矢のたとえ」です。

矢がどのようなものなのか。納得しないまでは矢を抜かない。毒矢を抜くことが先決なのに。そんな偏屈な人、現代にもいそうです。

ところで、私の先輩にハウツー本が大好きな先輩がいました。書棚に並んでいるのはほとんどがハウツー本。

その“ハウツー先輩”に、ある日、山本周五郎著の長編小説『樅の木は残った』を勧めました。

「どんな内容なのか教えて」

ハウツー先輩が私の愛読書に興味を示したことにうれしくなり、熱っぽく語りました。

「先輩、ぜひ買って読んでください」

「いま、あらすじはお前から聞いたらからいいや。いい話だった。ありがとう」

私は、あっけにとられてなにもいえませんでした。さすがハウツー先輩だと思いました。

そんなハウツー先輩でしたが、学校の成績はオールA(優)。

いかに効率よくAが取れるか作戦を練ったそうです。

ビデオの鑑賞の仕方も特異でした。何本ものハイライトシーンのみを編集し、それを一気に見るのです。

というわけで、ハウツー先輩の影響がいまになって出てきたのか、このごろ、ハウツー本を繰り返し読むのが趣味のようになってきました。

まず一読。そのあと入浴しながら熱読。さらに、列車(通勤で使う鉄道は電車ではなくディーゼルカー)で通読。

環境を変えながら読むと、劣化した脳細胞にも不思議と沈着します。

「環境変化読書法」は歩留り34〜36%。大脳劣化境界域に入りつつある方へおススメです。

数年前までは、著者はおろか、書名も読了後2〜3日で忘れ、数か月後にまた同じ本を読む始末でした。

ハウツー(方法)と実行こそ、私たちの寄る辺です。毒矢は理屈なしですぐに抜けばよいのです。

ものごとを進めていくうえで、いかに理屈に満ち溢れているか、ちょっと辟易(へきえき)している今日このごろでした。


(決断はできても納得ってできるものなのでしょうか)

最近悩んでいることがあります。日本語の表現です。すっきりしません。

「こぶ取り爺さん」、「舌切り雀」、「花咲か爺さん」の修飾の仕方が納得いかないのです。

こぶを取る主体は鬼。舌を切る主体は婆さん。

あくまでも能動態で表現するのであれば、「こぶ取り鬼さん」であり、「舌切り婆さん」なのではないか。

「稲刈り機」というとき、稲を刈る機械を意味し、特におかしくありません。ところが、「舌切り雀」は、舌を切る雀ではありません。

別な観点から考えてみましょう。

された側を修飾するのであれば受動態が正しく、「こぶ取られ爺さん」であり、「舌切られ雀」であろうと思うのです。

ところが、「花咲か爺さん」は「花咲き爺さん」とはいわないのです。

これに習えば、「こぶ取ら鬼さん」であり、「舌切ら婆さん」もありなのか。

ますますわからなくなります。日本語って難しい。

あるいは、「こぶ取り爺さん」は元々は「小太り爺さん」だったのではないか。そんなことも思います。

10秒で納得させる説明をしてくださった方に豪華プレゼントを前向きに検討中。


Calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2015 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM