- 2015.07.30 Thursday
微笑のファシズム
(アンコール・ワット。行ってみたい)
美術館で開催中の「神々の彫像 アンコール・ワットへのみち展」を観てきました。同じ仏教でもこれほど違うのか。
30年前に初めてタイの寺院を訪れたとき、軽いショックを受けたことを思い出しました。
違いをどこまで受け入れるのか。あるいは、違うということをどこまで主張できるのか。
けっこう私たちは悩まされます。
以前お仕えしたS課長といっしょに採用面接の仕事をしたことがあります。
「上司と意見が異なるとき、あなたは、どうしますか」
面接の際、S課長は必ずそう質問を投げかけました。
当時、私どもの部長はこわい方でした。怒ると瞬間湯沸かし器のようになります。ここでイニシャルを出すのもはばかります。
部長協議の際、部長と意見が異なるとき、S課長は「じつは、部長、それはこういうことなんです」と、やんわりと意見を伝えるのが上手でした。
その部長は、本来、温かい人で、熱血漢、そして優秀です。意見をいえば、耳を傾けます。
「そうだな、S課長のいうとおりだ。そうしよう」と即座に決断できる方でもありました。
でも、ほとんどの人は、怒られたことで、萎縮してしまい、だまってしまいます。そのだんまりが、さらに部長の怒りを増長させているように見えました。
ところで、幸田シャーミンさんがハーバード大学ケネディースクールで勉強していた際、社会人の軍人や社長も学んでいたことに驚いたそうです。
大学院で勉強している理由をある社長に幸田さんが尋ねたところ、「周りの重役がイエスしかいわなくなった。これは私に問題があると思って学び直そうと思ったのだ」と答えたそうです。
違いをどこまで受け入れるのか。また、逆に、違うということをどこまで主張できるのか。
上に立ったとき、あるいは、下の立場にあるとき、それぞれにおいて大切なことなのだと思います。
この9月に実質的に日本の総理大臣を選ぶ選挙が行われます。無投票の公算が大きいとか。
異なることをいえない雰囲気が組織に漂い始めたとき、微笑のファシズムが忍び寄ってきます。
あっそうそう、前出の部長にいつも怒られていましたが、私は尊敬していますし、大好きです。でも、イニシャルは出せません。
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- by だいこんくん