(友人にいただいた花が咲きました)

知人がラーメン店を開きました。近くに用事があり、覗いてみたら客が一人もいません。用件の時間が迫っており、迷いました。が、応援したいと思い、入店。

スタンダードな醤油ラーメン(650円)を注文。

スープは澄んでいて普通の味です。それ以上でも以下でもなく、特徴がありません。麺はちぢれ細麺で柔らかめ。

具は、ロースのチャーシューが2枚、塩気の強いメンマ、乱切りのネギ、かまぼこ1枚。

もう一度来店して食べたいというまでの動機は、このラーメンから感じられませんでした。

残念です。値段もちょっと高い。

こういった場合、どうしたらいいのでしょう。

いうべきか、いわざるべきか。私にはわかりませんし、いう勇気も持ち合わせていません。

もうひとひねりほしいところです。このもうひと工夫が難しいのでしょうね。

ところで、私が買い物をするスーパーの近くに電照菊のハウスがあります。この時期、夜になるとビニールハウスの照明が幻想的な雰囲気を醸し出しています。

しばらく前まで電照菊は促成栽培、つまり、早く花を咲かせるために照明をつけているのだと思っていました。

が、じつは、開花を抑制するために、照明を当てているのです。菊は日照時間が短くなると花芽を形成し、開花するという性質を持っています。

その性質を逆に利用して、花芽が形成される前に照明を当ててやり、花芽の形成を遅らせるのです。本来秋に咲く菊が春に出荷できるようになります。

抑制栽培というのだそうです。

あの照明は菊を眠らせないものだったのですね。「寝る子は育つ」というのは真理です。

そんな電照菊を見ながら、知人のラーメン店が花開くのはいつなのかと思いめぐらせました。

そうそう、翌日お腹を壊しませんでした。これはポイントです。


(生まれ育った火力発電所を望む)

からつづく)
上下2話で完結するはずの「山あいという不安」が、桃屋の「やわらぎ」のせいで、脱線してしまいました。謹んでお詫び申し上げます。上司を乗せて車を運転する場面(を参照)に話を戻します。

車のエアコンの冷気に私の胃腸は過敏に反応します。視察当日は晴天で気温が上がりました。

トヨタ・ヴィッツに男4人が乗り込むも、エアコンは控えめにしました。

前日に食べたつけ麺がどんな結果をもたらすのか、予断を許さないからです。

お守り代わりにポケットに忍び込ませたポケットティッシュ。

いったん山あいで存立危機事態になれば、上司を置いて、野で緊急措置を講じざるを得ない。

それは、やはり48歳の大人として、なんとしても回避したいと思いました。

人里離れた山あいの断層現場に到着。担当職員が断層について熱く語ります。

(正断層と逆断層)

「これは日本列島の中でまれな正断層で、貴重なものなんです。国内の断層は、ほとんどが逆断層です」

なにが「正」でなにが「逆」なのか、説明を聞いてもちんぷんかんぷんです。私には、ただの土くれにしか見えません。

「太平洋プレートが沈み込む日本列島は押される圧力がつねにかかっています」

それは聞いたことがあります。

「東日本大震災で日本列島を乗せているプレートにかかる力が解放されて、引っ張る力が働くようになり、正断層が生じたのが4・11の余震です」

そういうことだったのか。ふと、我に返るとお腹の圧力が高まってきているのを感じました。

まぎれもない下痢性微動です。

圧力を解放しなければと思い、歩きながら、なにげにベントを実施。微動が収まりました。

なお、このベントの実施には、燃料本体の漏出という危険性が潜んでいることを申し添えておきたいと思います。

結局、職場にお持ち帰りすることができ、午後、落ち着いた環境の下で心置きなく、清らかな気持ちになることができました。

抑止力の勝利です。存立危機事態は無事に避けられました。

振り返りってみれば、お守りとしてのポケットティッシュ、エアコンへの対処、歩きながらのベント、それらの適切な対策が功を奏したのだと思います。

読者の皆様、ご心配をおかけしました。


(この真下に断層が走っています)

からつづく)
ラーメン好きにもかかわらず、すぐお腹を壊す私です。ラーメンといえばメンマ。わき役に過ぎなかったメンマを表舞台に押し上げたのは、桃屋の「穂先メンマ やわらぎ(辣油味)」です。

この「やわらぎ」。20年近く前にカナダ・モントリオールで暮らしていたとき、重宝しました。おかずがなくても、この「やわらぎ」さえあれば、ご飯が進みました。

帰国後、桃屋に感謝のメールを送りました。

「寮内の日本人留学生がやわらぎのファンになり、やみつきなりました」と。

桃屋から丁寧な返事をいただきました。

なお、当時は115gサイズしかなく、あっという間になくなってしまい困っていました。

俯角30度でビンを傾け、底をかき寄せるように最後の一すじ、いや、ラー油の一滴までご飯にかけて食べたものでした。

そこで、もっと大きなサイズのものを販売してほしい、中毒症状で「やわらぎ病になりそう」と併せてメールで要望しました。

その後、返事もなかったので、頼んだ甲斐があってかどうかはわかりませんが、現在、お徳用サイズ210gの「やわらぎ」が売られています。

先日、セブンプレミアムの「おかずになる穂先メンマ(115g)」を試しに買ってみました。

期待を裏切るものでした。

桃屋の「やわらぎ」を念頭に商品開発をしたのでしょうけど、似て非なるもの。あまり美味しくありません。

なによりも異なるのは、中毒性(やみつきにさせるもの)がまったくないことです。

「やわらぎ」は開封時は立てたまま、しだいに横に持って、最終局面では俯角30度にしてかき寄せます。

その中毒性が「おかずになる穂先メンマ」には、残念ながら、ないのです。

お盆にヨークベニマルエブリア店でセブン&アイの大高善興商品開発プロジェクトリーダー(ヨークベニマル社長)を偶然に見かけました。

次回お会いした際には意見具申したいと思います。

メンマのことを書いていたら、「山あいという不安」に触れる紙幅がなくなってしまいました。申し訳ありません。

というわけで、お時間のある方は、桃屋×Peeping Lifeが奇跡のコラボ。 オリジナル恋愛ショートコントドラマ 『ご縁ですよ!』の【第2話やわらぎちゃんの場合】をご覧ください。

完結編へつづく)


(作り手の優しさが伝わってきます)

蚊に耳を刺され、腫れています。熱と鼓動を感じます。どんな状況になっているのか、スマホで撮ってみました。

横から見ると、自分の耳ってこんなふうになっているのですね。異物を見るかのようにまじまじと見てしまいました。

こんなものを人様にさらしているのか。嫌な気持ちです。まるで内視鏡で撮影した自分の胃袋を見せられたときのよう。

蚊に刺されたところが赤く腫れあがっています。耳穴の入口に一本の太い毛が道しるべのように生えています。耳穴の内壁に産毛がありました。

耳ってこんなふうになっているのだ、と不思議な感慨にとらわれました。ジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』に出てくる地底への入口のようです。

ところで、昨夕、つけ麺をたくさん食べました。食べ終えるころになって気がつきました。「明日、トイレのない山奥に行くのだ」と。

山あいにある断層と使われていない施設を視察するため、上司を乗せて行くことになっていたのです。

ラーメンを食べると翌日お腹が緩くなるのをわかっていながら、食べてしまう私。そして、腹を抱えて後悔。

「重要影響事態」になるおそれの予感。あるいは「存立危機事態」になるかも。

麺に含まれている“かん水”が悪さをするのでしょうか。ラーメンはいつだって下痢の友です。

というわけで、本日あさ、ポケットティッシュをしのばせ、上司を乗せて、車を走らせました。

賽は投げられた。

(へつづく)


(ナスは素揚げが好きです)

※「見えない部分」の続編です。

テレビアニメ「ど根性ガエル」。40年近く前、毎回楽しみに見ていました。けっこう感情移入していました。いちばん印象に残っているシーン。それは、「思い出の石」です。

ひろしがつまづいてピョン吉が平面ガエルになったきっかけの石のこと。

この小石を掘り出そうとひろしが原っぱに行ったところ工事が行われていました。小石を取ろうとするひろしに工事現場のおじさんは、あとで届けてやると。

その夜、ものすごい地響きに驚いてひろしが家の外に出てみると、工事業者がクレーンで巨大な岩を運んできたというシーンです。
(参照 ウィキペディア)

一見するとただの小石に見えたものが岩の一部であった。示唆に富む話だと私は思うのです。

・「小石」を小石と見る人。

・「小石」があることすら気がつかない人。

・「小石」の底に岩を見抜く人。

岩を見抜く人にはなかなかなれないですね。

ところで、給食センターを視察に行ったときのことです。千人釜といわれる大きな釜の中に布の袋が浮いていました。

職員に尋ねると、それは出汁を取っているのだという。布の袋は調理員さんが一針一針手作りで縫い込んだ麻袋だそうです。

給食センターに抱いていたイメージは大量のものを簡便な方法で短時間で作るというものでした。

子どもたちに本物の美味しい料理を食べてほしいという思いで栄養士さんや調理員さんなどが日々工夫をしていることを知り、心を打たれました。

食材を納入する業者さんもいちばんいいものを食べさせたい、そんな思いを持っていると聞きました。

その日納められたピーマンを手にしてびっくりしました。スーパーで見かけるものとはまるで違い、大きく色艶のよいものでした。

私たちの周りは見えないことばかりなのだ、と改めて感じた次第です。

せめて、「小石」を見たとき、その底にはなにかあるのかもしれないという気遣いだけは持ちたいと思いました。

ちなみに実写版「ど根性ガエル」は観ておりません。

カエル以外にもいろんなバリエーションがあってもいいかなぁと思っています。

ど根性ヘビ、ど根性ナマコ、ど根性ミミズ、ど根性トンボ、ど根性コオロギ、ど根性ザリガニ...。


(器の何気ない紋様が好きです)

おそらく食道と胃のつなぎめの噴門括約筋が弱いのでしょう。長年、私は逆流性食道炎を患っています。

噴門といえば、山崎豊子著『白い巨塔』で「カルジアクレプス」という難しいドイツ語を覚えました。「噴門がん」という意味だそうです。

噴門がんの手術シーンがなんどか出てきます。

病巣を切除したあと胃と食道を引っ張りながら、縫合します。その様子が映画のように脳裏に焼き付いています。

噴門がんの手術は、当然、噴門括約筋も取ってしまうのでしょうから、胃の内容物が逆流しっぱなしになるのではと思ってしまいます。

ところで、安倍総理大臣は自民党総裁への再選が正式に決まったことを受け、今後の政権運営について所信を述べたそうです。

目指すは『1億総活躍社会』だ」(NHK NEWSWEB)

以前、当ブログ「ことばの品格」で「ああせよこうせよ」と上からいわれないと動けない私たちの体質に対して、哲学者・中島義道氏が警鐘を鳴らしていることを紹介しました。

その際、一例として、快適なトイレを増やす国民運動を政府が取り組むことについて疑問を呈しました。なぜ政府がこんなことを主導しなければならないのか。

「1億総活躍社会」を目指すことについても同様に私は嫌悪感を抱きます。そもそも「1億総○○」という表現が好きでありません。

血の繋がったきょうだいですら、考えが異なります。1億という人々を総(すべ)るという発想に違和感を感じるのです。

また、「ああせよこうせよ」といわれて人は活躍するものではないのでもない、と思うのです。

「活躍」とは、「めざましく活動すること」(デジタル大辞泉)です。

活躍とは、念じ期待するものであって、それ以上のものではない、と私は思います。

活躍したくてもできない環境、物理的条件にある方も数多くいます。

目指すべきは、そういった方々を包摂する社会、あるいは包摂することによって豊かさが感じられる社会なのではないか。

私はそう思うのです。

というわけで、私の場合、すぐにお腹がゆるくなるため、肛門括約筋が一層活躍するよう深く念じる次第です。


(旅先のホテルでハーゲンダッツを食べながらゴルゴ13を読むのが私の小確幸)

「ゴルゴ13シリーズ」がなぜ好きなのか。一つには、類型化されたシーンが忘れたころに登場する、そのわかりやすさにあります。

例えば、いまにも命が尽きそうな老人が「あいつは許せねぇ。ゴルゴ13、お願いだ。あいつをやってくれ。あり金はこれだけだ。頼む」といってゴルゴ13に懇願。

「やってみよう」

「おお、そうか、やってくれるか」

そして、見事に仕事をこなすゴルゴ13。

ターゲットが何者かによって殺害されたと新聞などで報じられ、病床に伏す依頼人がそれを知って涙を流す。

「う〜っ、ゴルゴ13が約束通りやってくれたのだ。ありがとう...」

もう一例挙げると、とんでもないライフルの特注(調整)をゴルゴ13から依頼される職人とのやり取りも好きです。

「旦那、こんなの明日までに作れだなんて、無理でっせ。しかも、いったい何に使うんだい」

「何に使うかはお前の知ったことではない。いわれた通りに作れ。俺のスペック通り作れるのは世界にお前しかいない」

こういうパターン化したシーンになぜか惹きつけられます。安心感といってもいいでしょう。


(和食給食。鰹節とムロアジ節を使った出汁で味付け)

ところで、学校給食の催しで地元の板前さんのお話を聞く機会がありました。料理の鉄人・道場六三郎さんに10年師事したという。

見えない部分、正確にいえば、人が気がつかない部分に強いこだわりを持っていることに感銘を受けました。

東日本大震災で店が営業できなくなり、ようやく4月に入って営業再開の準備をしていたころのこと。

いよいよというときに4月11日の余震で3年かけて作った鰻用のタレが倒れて流出してしまったそうです。さすがに心が折れそうになったという。

3年かけて作ったタレ。和食の店ではありますが鰻専門店ではありません。

でも、鰻の蒲焼き一品を提供するにあたって、そのタレに専門店以上のこだわりを持つ板前さん。プロフェッショナルの流儀を感じました。

出汁についても鰹節の削り具合、ムロアジ節を鰹節にある割合で混ぜることによって最高の旨味が出せるという。たゆまぬ工夫と努力に感動しました。

というわけで、プロフェッショナル中のプロフェッショナルであるゴルゴ13を読むときは、今後、襟を正し、アイスクリームはあとで食べようと思います。


(切り取られた風景もいいですね)

「一目散」の意味は、どの辞書も「脇目も振らず一所懸命に走るさま」といった説明。調べた限りでは、走る方向に言及しているものはありませんでした。

これは欠陥なのではないか。方向なしの「一目散」は画竜点睛を欠くといってもいいと思います。

全世界で1100万台に及ぶといわれるフォルクスワーゲン社のディーゼル車の排ガス不正操作問題並みの由々しき事態です。

例をあげましょう。

「一目散に逃げる」とはいいますが、「一目散に駆け寄る」とはいいません。

ところで、天文学者のエドウィン・ハッブル(1889-1953)は、すべての銀河同士が離れ合っている、つまり、宇宙が膨張していることを発見した人として知られています。

「一目散」とは、まさにハッブルの法則と同様、自分自身を起点として、外に向けて必死に遠ざかっていく様子を描く言葉だということがわかります。

ふと、連休最終日の朝にそんなことを考えてしまいました。

そういえば、高校生のとき龍角散を常用していたクラスメイトがいました。

休憩時間のたびにいぶし銀に輝くアルミの丸いケースを開けて、ひとさじすくい、咽喉に放り込んでいました。

彼に近づくといつも龍角散のにおいが漂っていました。

一目散→ハッブルの法則→龍角散。

休みが続くと思考回路も鈍磨してくるようです。

文字通りとりとめもない文章に付き合ってくださり、厚く感謝申し上げます。


(太ももの筋肉が素晴らしい)

弟が3歳くらいのとき、家族で常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)のホテルに泊まることになりました。ドアを入るとふかふかの絨毯。

弟は行儀よくそこで靴を脱ぎました。脱ぐ必要がないんだよと、姉がいうと、弟が顔を真っ赤にしました。

懐かしい思い出です。という私もじつは脱ぎそうになっていました。

ところで、職場の研修でリッツカールトン元日本支社長の高野登さんのお話を聴くことになりました。


(サービスを超える瞬間。味わってみたい)

事前に著作を読んでおこうと思い、注文。中古で197円の本が届きました。

高級ホテルは、なにが違うのか。私は思います。なによりも、客、つまり客層が違う、と。

ホテルそのもののサービスや調度品、香り、コンシェルジュの振る舞いなどホテルが醸し出す固有のものも、もちろんビジネスホテルとは異なります。

でも、やはりお客さんが放つオーラが断然違う、と私は感じます。

モントリオールにあるリッツカールトンのロビーでひとり雨宿りをしたときのことです。

そのときの状態をたとえていうなら、究極の四面楚歌。濡れねずみの私が浮き上がっているのを肌身に感じました。

そこに存在することが申し訳ない。太宰治のいう「生まれて、すみません」が皮膚感覚でわかる、そんな思いになりました。

合衆国大統領が定宿にしていることで有名なニューヨークのウォルドルフ=アストリア。このほど中国企業が買収し、オバマ大統領は宿を変えたそうです。

そのホテル1階のラウンジで友人とカクテルを飲みました。ぜんぜんくつろげません。客が醸し出す雰囲気に気おくれしてしまいました。


(シャトー・フロントナック。出典:ウィキペディア)

旅の思い出にとカナダ・ケベックにあるシャトー・フロントナックにひとりで泊まりました。中世の古城を思わせるその威容に文字通り気おくれしました。

ただ、部屋のトイレットペーパーがふんわりと柔らかく、感動したのを覚えています。

というわけで、私はやっぱり東横イン。不思議とくつろぎを覚えます。あと3ポイント(3泊)で1泊分の無料宿泊がいただけます。


(ナスとカブトムシって似ていませんか)

30年近く前のこと。「クスリの名前って、最後にnで終わるのが多いよね。どうして?」。ある日、友人の女子医学生に聞いてみました。「私もわからない」。

私も取り立ててクスリに興味があったわけでもなく、友人との関係も含め、その話はそれで終わってしまいました。

さて、クスリといえば、やっぱりそうだったのかと思うことがありました。

池田模範堂の看板ブランドである「ムヒ」です。

同社のサイトによると、ムヒは「無比」であり、比べるものがないほどすぐれた効き目の商品という意味を込めてつけられたという。

「唯一無比」、「天下無比」の「無比」が語源なのだそうです。やっぱりそうだったのです。

わかったところでどういうことはないのですが、ツチバチに刺されて卒倒した父を持つ私としては、虫刺されは他人事ではありません。

ちなみに父は繁華街で倒れていたため、酔っ払いだと思われ、しばらく放置されていました。不審に思った方が救急車を呼んでくれたと母から聞きました。

父はアナフィラキシーショックだったのでしょう。

ところで、常磐自動車道を仙台方面から富岡町付近を走行していた際、数台前にパトカーが点滅して走っていました。

片側1車線のエリアのため制限速度は70km。当然、パトカーもその速度です。

ルームミラーでうしろを見ると、車の列が連なっています。イラつく気配が虫刺されのように背中に伝わってきます。

私のクルマはミニバンのため、パトカーを隠してしまい、後列のいらだちがジリジリと私に向けられているのを感じました。

しばらくして、パトカーが左ウィンカーを上げ、パーキングエリアに入りました。私もトイレ休憩のため同じくPAにクルマを停めました。

おまわりさんもトイレかなと思いきや、クルマから降りず、数分後また本線に戻って行ってしまいました。

うしろに詰まっていた車列をやり過ごすためにパトカーを停めていたようなのです。

優しさというか、ホンネとタテマエを垣間見る思いがしました。


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