(困難とはなんなのか)

予想外の困難という局面に直面しました。

困難ーー それは「できない」といわずにできないことをいい表すために使う言葉。

困難ーー それは「できない」のではなく、ただやりたくないだけのことをカモフラージュするために使う言葉。

これは、私の業界での定義です。たぶん。

「困難」をよく使う職場に私は所属しています。代々の先輩方も使ってきましたし、便利な言葉として私自身も使うことがよくあります。

軽々に困難という言葉を使ってきた私。その逆襲に遭遇してしまいました。年貢の納め時です。

場所は荒川区南千住。目的地はジョイフル三の輪商店街にある「砂場」という蕎麦屋です。

いわば東京下町の最深部。ディープな南千住にシェルパも水先案内人も連れず、やってきてしまったのです。

ナビの案内に沿って突き進み、路面電車の踏切を渡った途端、急に道幅が狭くなりました。車1台がやっとの下町の商店街に入ってしまいました。

道の両側は、総菜屋、喫茶店などなど昭和の匂いがぷんぷんする店ばかり。タイムスリップしてしまったかのよう。

この道の入口に「この先 四輪車 通り抜け 困難」などという看板があることにまったく気づきませんでした。

困難などという状態ではありません。無理です。不可能です。

自転車や荷物などが無造作に置かれ、進むも地獄、戻るも地獄、危機的状況に陥りました。

パニックになりかけたとき、高齢者支援の拠点の看板を掲げている事務所から30代の男性が現れました。

「時折、ナビの誘導で入ってくる人がいるんです。実際はご覧のように通れないんです」

「どうすればいいでしょうか」

「踏切のところまで後ろを誘導しますからバックしてください」

下町の救世主の出現で見事な後方支援により、私は危急を脱しました。

「この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです」(山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』)

デュマのいうとおり、幸不幸とは状態の比較に過ぎないのかもしれません。

それにしても、あの「通り抜け 困難」はどう解釈すればいいのでしょうか。なぜ、通行禁止にしないのでしょうか。

今回の困難は、安易に「困難」を使ってきた逆襲だったのだと思います。


(大統領。渾身の筆致に惚れ惚れします)

(からつづく)

袋麺焼きそばは、その調理法が意外に難しい。いや、面倒といった方がいいかもしれません。

面倒から簡便へ。簡便から安直へ。

面倒くささを避ける世の中の潮流は、ますます水かさを増しているような気がします。

例えば、たかが納豆のたれ、されど納豆のたれ。

ミツカンのヒット商品「パキッ!とたれ」シリーズを見るにつけ、私は思います。そんなにたれ袋開封時のたれ液の飛散を人は嫌がっているのか、と。

昔はしょう油をかけて納豆は食べていたものです。あのたれ袋のせいで自縄自縛になってきているきらいがあります。

話を戻します。

袋麺焼きそばは、まず、フライパンに水を入れて沸かします。このとき水量が多いと、途中で湯切りの工程が加わります。

湯切りをせず蒸発によってのみ最終コーナーのソース投入と炒めに入るのがプロフェッショナルの流儀です。

湯切り法においては、二点注意を要します。

一点目は、湯切り時の麺の漏出です。菜箸をフライパン下部1センチのところに横に密着させ、仰角60度に傾ける。

その際、三角コーナーという地獄の滝つぼに麺がダイビングすることがあります。

往々にして、それは、シンクのステンレスのポンという膨張音に驚くことによってもたらされます。

ポン音には気をつけなければなりません。

二点目は、湯切りし過ぎると、ソース投入後にソースの糖類が粘着性を発揮し、麺が切れ切れになってしまうことがあることです。焦げつくこともあります。

このように、袋麺焼きそばは、面倒から簡便への潮流に抗し難く、いまや一部の愛好家によって細々と生きながらえているに過ぎないのです。

このままでは、袋麺焼きそばは絶滅してしまいます。

皆様、1年に1回は袋麺焼きそばを作ってみませんか。


(各国の大統領に来てほしい店です)

店頭で見かけなくなったなぁと思います。インスタント袋麺の焼きそばです。

子どものころ、なじみがあったのは、明星の「鉄板焼きそば」。「日清焼そば」のほうが私にとっては後発だったような気がします。

ぺヤングとかUFOとか、外来種のようなカップ焼きそばの登場によって袋麺の焼きそばは、席巻(せっけん)された感があります。

そもそも、「焼きそば」という名称に私は疑問を抱いています。

屋台の本格的な焼きそばですら、″焼いている”のではなく、″炒めている”のではないか。

ですから、「そば炒め」と改めるべきなのです。ぜんぜん焼いてなんかいません。

片栗粉がジャガイモを原料としているにもかかわらず、片栗粉と称しているのと同罪です。あの可憐なカタクリの花に失礼です。

ちなみに、ここが日本語の難しいところなのですが、「焼き」は名詞の前に置く一方で、「炒め」は「野菜炒め」のように名詞の後ろに置きます。

フランス語のようです。この日本語のいい加減さが私は好きです。

「焼き」と「炒め」の倒置についての議論はさておき、カップ麺の焼きそばは、「炒め」の範疇に入れることさえ、ふさわしくない。

せいぜい「蒸し」あるいは「ふやかし」でしょう。

さて、講釈はこの辺にして、袋麺焼きそばの作り方についてです。

数あるインスタント麺の中において高度な技術と判断が求めれるのが袋麺焼きそばだ、と私は確信しています。

袋麺焼きそばが市場から駆逐されつつある理由の一つに調理における難易度の高さがあるのかもしれません。

につづく)


(アジアンな店。落ち着きます)

車中会話が好きです。テニスのラリーのようなやり取りを心がけています。ボールを受けつつ、相手のコートに変化を付けて返す。

避けるべきは、ボウリング的会話。誰かの一投による成果を周りが気を使いながら論評する。

主人公とギャラリーが生じます。ギャラリーによる同調もしくは賞賛の言辞の連続。

これは、面白くありません。ボウリング的会話にならないよう気をつけたいと思います。

さて、車中会話は財布をめぐって展開されていきます。

「極道映画でさ、親分が子分に金を渡すときってあるよね。祝い事だったり、労をねぎらうときとか」

「ありますね」

「そんどきさ、財布ごと、どそっとやるときあっぺよ。あん中にキャッシュカードとか、保険証とか、病院の診察券とか入ってないのがね」

「ないんじゃないすか」

「やっぱ、職業柄、ないってごどげ」

「んですね」

「あとさ、どそっとやっときに金属音ないよね。たぶん、小銭、入ってねぇよね。おれの財布、小銭でぱんぱんだよ」

「まず店に行っても釣り銭をもらわないんだと思いますよ。取っときなって感じで」

「なるほど。釣り銭をもらうセゴイごどはしないってことね。んならわがる」

「金持ちは長財布しか持たないっていいますよ」

「へ〜そうなんだ。小銭は入れねぇのね。んで、お金渡すたんびに財布ごとやってたら、財布がいくつあっても足りねぇよね」

「そうっすね」

「革だし。大変だよね」

いつの日かノーカード、ノー小銭の長財布に手の切れそうな新券をたっぷり入れて、どそっと渡してみたい。取っときなって。

あと3日で年男の終了。次は60歳。信じられないスピードで年齢が増していきます。


(出勤時ドトールでケーキを買いました)

20年近く前。カナダ・トロントでお会いした日系移民のMさんの語りに耳を傾けながら、国が違えば違うものだと思いました。

温泉の採掘権をめぐってカナダ西部のある州の担当者とMさんが折衝したものの、埒(らち)があかない。州知事と直接会って助力を願ったという。

「温泉の採掘権を認めてほしい」

「担当者はなんといっているのですか」

「◯◯◯といった理由で認められないというのです」

「担当者がダメだといっているものを知事の私が認めるわけにはいかない」

お上に頼るやり方は、カナダでは通用しないとMさんは感じたそうです。あくまでも現場の担当者と粘り強い折衝しなければならない、と。

結局、担当者と何度も協議を重ね、採掘権は認められたそうです。

ところで、話は、ドラマ「水戸黄門」。

悪をこらしめる黄門様の裁きに私たちはスカッとします。あの“スカッと感”、いわば清涼感が長寿番組の源泉なのだと思います。

物事が詰まってしまったとき、自分たちの努力ではいかんともしがたいとき、権威あるものによって解決を願う心。

そんな心が私たちの深層意識に潜んでいるような気がします。

さて、政策をめぐって中央政府と地方自治体が係争となった場合、どうなるのか。政府を超える権威ある存在は裁判所くらいしかありません。

裁判所に提起する。白州で決着をつける。それも一つの方法とはいえます。法的な解釈をめぐっての争いであれば、なお、なじむでしょう。

でも、政策とはまさに政治です。

次元は異なりますが、地方自治体において、トンネルを作ることと子どもの医療費を無料化することの間で政策論争があったとしましょう。

この二者択一に法的な瑕疵(かし)を争う余地はありません。裁判所に提起するのはお門違いといえます。

二者択一が迫られているとき、そのどちらが必要なのかは、住民の代表である議員も含め、そこに住む人々が粘り強い議論をして、決めなければなりません。

政策決定において政治家がお白州に頼るようになったとき、忍耐の必要な対話を避けたとき、そこには荒涼とした不毛の大地が広がるだけです。

政治家が「対話」という武器を放棄したらいったい何が残るのでしょうか。

裁判所への提起によって、白黒は付くでしょう。どちらかはスカッとするでしょう。

そんなことを御用納めのちょっと豪華なランチを食べながら思いました。

そうそう、いつも職場のトイレ掃除をしてくださっているSさんに今朝、ささやかながら、ケーキをお贈りしました。

Sさんの笑顔が素敵でした。


(いつもお世話になっています)

からつづく)
胃カメラのときは、麻酔剤を事前に口の中に噴霧されました。大腸内視鏡においても苦痛緩和のためのセデーション(鎮静)が施されるものとてっきり思っていました。

が、「あっ」という間もなく鏡(スコープ)がずぶりと入ってきました。

せめて入口に潤滑剤を塗るとか、麻酔を噴霧するとか、そういった類のことを期待していました。

が、なにもすることなく、オリンパス製の鏡が情け容赦なく体内に入ってきました。

ふと、この夏に幻魚亭「いわなの郷」で釣堀をしたことを思い出しました。釣り上げたいわなを竹串に刺し、炭火で焼きあげた場面です。

生きたままお尻から竹串に刺されていたいわな。いま私は鏡に刺されています。

いわなへの憐憫と悔恨の情がにわかに湧いてきました。

さて、大腸内視鏡は、直腸から始まり、S状結腸、下行(かこう)結腸、横行(おうこう)結腸、上行(じょうこう)結腸、そして盲腸に至る長い道のりです。

まずは盲腸まで行き、そのあと、カメラを後退させながら、検査兼撮影です。

カーブのときなのか、ときおり、ガスを送り込み、大腸を膨らませます。これが、苦しい。腸が破裂するのではないかというくらいです。

「せ、先生、ちょっと痛いです」

「痛いですか。がまんしてくださいね」

挿入当初はドクターに背中を向け、横向きになっていました。本格挿入期に入ると、仰向けになりました。

右足を左足の上に組むようにいわれ、そのアクロバティックな体勢に羞恥心が上昇します。

あまりの痛さに宙に浮いている右足の指が物をつかむかのような所作を繰り返し、加えて、両手指も腹の上でピアノを乱打するかのようなしぐさになっていきました。

自己流セデーションです。

と、そのとき、急に痛みがやわらぎ、鏡の出し入れにいつしか、快感すら感じ始めました。こ、これは...まずい。けっして覚えてはいけない感覚だ。

というわけで、鏡についての苦痛度の私の評価です。気管支鏡の辛さを100とすると、胃カメラ50、大腸内視鏡20といったところでしょうか。

異常はありませんでした。


(検査後、ビフィズス菌を補給)

これは大腸内視鏡検査の話です。十分にご留意ください。午前5時から腸管洗浄剤を飲まなければならないのに、1時間の寝坊。痛恨の失態です。

大腸内視鏡検査室に午前10時までに入るよういわれています。病院は自宅から15km、車で約30分。午前9時半には発たたなければなりません。

2リットルの洗浄剤を飲み干す作業に急ぎ着手しました。

洗浄剤の説明書には、飲み始めて1時間後に初回の便意があり、その後、約10回程度催せば完了とのこと。2時間で飲み干せと書いてあります。

味の素製薬株式会社製の腸管洗浄剤。天下の味の素。美味しいのかと思いきや、飲むほどに気分が悪くなります。

午前6時、飲み始め。
午前7時10分、催すこと第1回目。
午前8時5分、飲み干し完了。
午前9時30分、第8回目の催し。出発時間が迫ります。

あと2回の催し物を残し、出発しなければならない、この状況に私はいい知れぬ不安を覚えました。

病院に行く途中に存立危機事態が起きたらどうするのか。当該事態に備えるため、病院までの経路上のコンビニの位置情報を頭にインプットしました。

米軍が進める「航行の自由」作戦以上の態勢で臨みます。名付けて「催行の自由」作戦。

ふと、約30年前にタイ・バンコクに住んでいたときのことを思い出しました。それは、インド旅行から日本に帰国する途中、バンコクに寄った友人との会話です。

「日本の下痢って、だいたい来るなっていう時間がわかるよね。30分後くらいだとか。ところが、タイの下痢って、うっと思ったら、もう直腸まで来てるんだよ。そこが違う」

「タイはまだいいよ。インドのは、うっと思ったら、もうあれだもの」

話を戻します。

車で移動中、日本にいながらにして“インド体験”をしてしまうのか。不安を抱えながら、私は病院に向けて急ぎ車を走らせました。

無事に病院に到着。第9回目の催しを検査室内のトイレで挙行しました。

下着を脱ぎ、不織布の濃紺の検査ズボンに履き替えます。お尻側に大きなスリットが入っています。

検査台に乗った私の体勢を看護師さんが優しく誘導。

「手はお腹の上に置いて...あら、手が冷たいのですね」

「そうなんです。私、いつも手が冷たくて、だから、握手するのが嫌なんです」

するとドクターが、
「手が冷たい人は、身体の中心部は温かいのです」といいながら、いつの間にか、ずぶりと大腸内視鏡を入れ始めました。

(につづく)


(泥棒ねこ)

(からつづく)

4人でタクシーに乗り、小名浜の最深部、いわば当地のマリアナ海溝に潜入。時間は午後11時。降りた先は、スナック「泥棒ねこ」です。

「泥棒ねこ」にもかかわらず、店内に犬が。やはり、「犬阪」と浅からぬ縁があるものと推察しました。

正直、ここでの記憶はあやしい。

同じ小・中学校出身だとわかったTさんと、音楽の先生のヘアスタイルがすごかったことで盛り上がっていたように思います。

さらに、娘を嫁に出す男親の切なさを訴えるオサムちゃんに耳を傾けていたようにも記憶しています。

午前零時近くなり、4人ともにふたたびタクシーに乗り、さみだれの如くそれぞれの場所で降車して行ったのでした。

Nさんのアパートに泊まらせていただいた私。

前日の胃カメラの疲れが出たのか、あるいは、酔いが回ったのか、一気に睡魔に襲われました。


(休業は元日のみ)

布団を並べて就寝前の二人の語らい。

「この近所にあさ6時過ぎからやっている立食いそば屋があるんです」

「あさから立食いそばですか。ほんとですか。信じられない。行ってみたい」

明朝6時に起床。さっそく、向かいました。

やっていました。こんな早い時間に。立食いそば屋が。次々とお客さんが来ます。

異次元空間に迷い込んだような錯覚。

かき揚げのほかにエビ、イカなど、てんぷらが山のようにトレーに盛られています。あさ5時から揚げているという。

厨房でひとりでてきぱきと働いている店員のおばさんに声をかけました。

「こんなにあさ早くから立食いそばってふつうじゃないですよね」

「ふつうですよ。社長が(厨房に)立つときはもっと早いです」

「元日以外、年中無休ですか」

「そうですよ」

おばさんと話をしている間にもお客さんが絶えません。

私は軽いショックを受けました。

「ふつう」とは、己の都合で勝手にこしらえる物差しだということがよくわかりました。

この店は、巷(ちまた)の競合という世界から離れたブルーオーシャンの高みある。他との競争ではなく、自分との弛まぬ戦いが課せられている。そんなふうに感じました。

あさ6時半に朝日を浴びながら立食いそばを食べるーーーここではこれが「ふつう」なのです。

車を取りにふたたび思い出の「大阪」へ。Nさんに心からの感謝を述べ、辞去しました。

2時間後、磐越道を経由して私は極楽湯福島郡山店へ。ディープな小名浜の余韻に浸りながら、ひと風呂浴びました。

まぼろしのようなひとときでした。

ふと、『東方見聞録』に出てくる「山の老人」を思い出しました。

山奥に老人が支配する国があり、若者を連れてきては薬物(おそらく大麻)で天国にいると思いこませる話です。

さて、午前10時。郡山総合体育館で中学生3人を相手に卓球指導。

午後は教育関係者の集いに出席。「雪山童子(せっせんどうじ)」の一段深い解釈を教えてもらいました。

さあ、クリスマスイブは大腸内視鏡検査。検査と聞くだけで肩が凝ります。

カメラ自体が嫌なのではなく、その前段の処理が不安なのです。ただでさえお腹が弱い私。

レポートする気力が残っていれば、つぶやきます。


(かつては「太」といたずらされ、いまや「犬」)

ディープな小名浜を体験したい。当地を熟知する知人のNさんの案内により、その願いが叶いました。

京都出身の女将さんなのになぜか「大阪」。黄色のパトライトが酔客を誘(いざな)います。

看板も含めての居抜き出店のため、前のまま「大阪」なのだという。

よく見ると「太」と書かれた跡がうっすらと残っていました。現在は、黒々と点を上に打たれ「犬阪」に。

「大阪」は営業中、黄色のパトライトが点灯しています。道行く人になにかを注意喚起しているのでしょうか。


(貝を二枚合わせた器が刺身に品を与えます)

「大阪」はカウンターのみ。年配の女将さんひとりで切り盛りしています。

蛸、鯵、鰯、しめ鯖。出された刺身のいずれも絶品。泳いできたような新鮮さ。特に鰯はクセを感じさせないトロッとした脂が口中に広がります。

Nさんのお勧めで牛すじの煮込みを注文。牛すじの旨味は言うに及ばず、ごぼうが素晴らしい。

形状はきちんと残っているにもかかわらず、口にした瞬間、ふわっとした食感なのです。まったく“ごぼうごぼう”していない。どれほど煮込んだのでしょうか。

そして、鯵のフライが出てきました。が、期待していませんでした。鯵フライはどんなに頑張っても所詮は鯵フライだろうと思ったからです。


(Nさんとの会話は楽しい ※イメージ)

ところが、こんなに美味しい鯵フライが世の中にあるのだろうかと、唸ってしまいました。何枚でも食べられる。というか、いくらでも食べたい。

かりっとしてふわっ。レモンをぎゅっと絞り、特製ソースでいただきます。身は厚く旨味がにじみ出てきます。

鉄工所社長のNさんとの会話も多岐にわたり、興味が尽きません。

「鉄工所の『鉄』は金を失うと書きますけど、気になりますか」

「いえ、私は気にしません。同業者の中には新日鐵の『鐵』と書く人もいますし、金偏に矢の『鉃』を使う人もいます」

というわけで、居合わせたオサムちゃんというお客さん、もうひとりも加わって、河岸(かし)を変えて、小名浜最深部、スナック「泥棒ねこ」に移動することになりました。

なお、「大阪」でのお代は衝撃的な安さなので掲載は差し控えさせていただきます。

(につづく)


(チーズケーキ専門店「フェアリーテール」)

「血管年齢は30歳ですね。驚異的です。ウォーキングの効果が現れています。ただ、腹囲が減らないので、食事量に気をつけてください」。人間ドックの担当医から告げられました。

「コレステロールはどうですか」

「高脂血症の薬を止めて10か月。確かに血中の脂質は上がりました。それでも血管のプラークが薄くなっていますので心配ないでしょう。食事をコントロールしてください」

「先生、歩くと腹が減って、どうしてもたくさん食べてしまうんです。でも、今後、食事に気をつけます」

ところで、人間ドックのなにが嫌か。胃カメラももちろん嫌いです。

ウミガメの産卵のときのように、いつも涙がこぼれます。鼻水も出ます。

思うのです。胃カメラの前では誰もが平等だ、と。

どんな美貌の持ち主でも、イケメン俳優でも、超大国の大統領でも、何代も続く家元であったとしても、胃カメラを飲むときは、胎児のような格好をしてマウスピースをくわえるのです。

そして、咽喉をカメラが通るとき「うげっ」と反射するはずです。

胃カメラの前では、いかなる権威、権力も朝露のように儚(はかな)い。

そんな胃カメラよりも心理的に面倒だと思うのが、採尿と採便です。特に採便は苦手です。

採便容器の構造は、採る側の棒状のものと、収納するケースに分かれています。いわば、刀と鞘です。

採ったあとの処理が、宇宙船のドッキング並みに神経を要します。汚れていない刀であれば、シャキーンと難なく鞘に収まります。

血糊の付着した刀を鞘の口に血糊に触れずに鞘に収める。これは、高度な目視力と一瞬の気合いが必要となります。

刀と鞘を徐々に接近させ正確に収納する。これは、宇宙船のドッキング・テクノロジーと同じです。

というわけで、第一日目のドックを無事に終え、チーズケーキ専門店でベイクドチーズケーキを購入。あさっての大腸内視鏡に備え、栄養補給します。


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