(明治有田 超絶の美)

「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」を見てきました。

根気のいる作業。私はこの上なく苦手です。

学生時代、旋盤工のアルバイトをしていた私。毎日ひたらすら同じことの繰り返しに狂いそうでした。

工場長はその作業をもう数十年も続けている。そう聞いたとき、世界宗教の創始者にでも出逢ったような感動を覚えました。

「創造」とは、突飛なことをするのでもなく、奇想天外なことをするのでもなく、風変わりなことをするのでもない。

「創造」とは、じつに地道な、倦まず弛まず行う作業の上に成し遂げられるものなのだ、と私は思いました。

だからといって、明治有田の作品からは、辛そうなうめき声は聞こえない。むしろ、創ることの喜びが伝わってきます。

さらに、感動とともに自省の念を抱いたのが、図案(下絵)の完成度の高さです。図案が極めて精緻なのです。

下絵なのだから、雑でもいいのではと私は思ってしまいます。“だいたい”でいいのではないか、と。参考になれば。

「間違ったっていいじゃないか、人間だもの」が私の信条です。


(猫派としては見逃せません)

ところが、有田焼の職人は違います。図案にもとことんこだわる。

そこにプロフェッショナルの流儀があるのでしょう。図案の制作においても妥協を許さない姿勢に感銘を受けました。

また、明治有田には、鍋島家という旧佐賀藩主がパトロン的存在があったことも知りました。

地域の芸術が世界に通用するには、それを支援する財力と作品の理解において超絶した人が必要なのだろうとも感じました。

「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」は9月4日(日)まで、いわき市立美術館にて開催中。

なお、9月17日(土)からは、「猫まみれ展」が始まります。

美術館にいらっしゃるときはご一報ください。

隣の建物からアロハシャツまみれの私が出てきます。そしてすぐ引っ込みます。


(サルスベリの花が咲いています)

卓球の大会運営に携わりました。自分自身が中体連のときお世話になった体育館が会場です。当時、毎日卓球のことばかり考えていました。

文字通り熱中していました。燃え盛っていました。いまは燃えるものもなく、炭火の熾き(おき)のよう。

炭火といえば、思い出があります。

いまの職場に入ったばかりのとき受けた研修でのこと。講師が米澤藩主・上杉鷹山の藩政改革について言及しました。

「童門冬二著『小説 上杉鷹山』を読んだことがある人」と講師が尋ねました。

私は手を挙げました。

最前列に座っていたからでしょうか。指され、どこに感銘を受けたか問われました。

「炭火のところです」と答えました。

すると、講師は興奮した面持ちで「君が炭火になるんだ!」と激昂。

炭火はおろか、焼け木杭(ぼっくい)にすらなっていなかった私は、当惑するばかりでした。

いまだに炭火にもなれずにいますが、炭火焼鳥は大好きです。

余談が長くなりました。卓球大会の話に戻します。

卓球台は古く、ネットについては地元の卓球協会からお借りしました。

卓球台を並べ、ネットを張ります。


(金属のしずくがポイントです)

中学時代、ネット張りは下級生の仕事でした。中学校の部活というものは、カースト制を連想させるものがありました。

卓球台のセッティング、台拭き、濡れ雑巾の準備(シューズの裏のホコリを取る)、球拾い、声出し等々、それらはみんな下級生がやらなければなりません。

「敬語」なるものを強制されるのも部活においてでした。

さて、そんな中学時代を思い出しながら、卓球台のネットを張ろうとしたところ、ネットに大いなる進歩があることを発見。

以前はネットを張る際、ポールの下部にひもをしばって括り付けていました。ところが、靴ひもが緩むように、ひもがほどけることがありました。

また、ひもが劣化し、裂きイカ状態になってしまうのも、嫌な感じでした。

それがです。金属のしずく玉を引っ掛けるというじつに簡便な、画期的な形に進歩していたのです。

ハイテクよりもローテクの進歩に喜びを見出す私は感激しました。ここまで来るのに30年の歳月がかかったのだ、と。

というわけで、本日(8月27日)午後にいわきワシントンホテル椿山荘にて童門冬二氏の講演会「真田一族の家族愛と郷土愛」があります。

炭火にもなっていないので私は参加しません。

講演会の詳細はこちらを参照ください。


(空を見上げると嫌なことが薄らぎます)

意思が弱いことは承知の上です。でも、挑戦してみようと思いました。スナック菓子、スイーツを絶対に食べない。とにかく手にしない。お菓子断食です。

職場の机の上。比較的整頓されています。

そこにお土産のお菓子や差し入れの饅頭などがまるで盆棚のように置かれていきます。割り箸を挿したナスとキュウリを置けば立派な盆飾りです。

毎日、平均して3つほどお菓子が供えられます。もったいないと思い、いや、正直にいえば食べたくて、以前の私はそれらを平らげていました。

生前、父が重い病に伏していたとき、お見舞いでお菓子をいただくことがありました。血液の病気を患っていた父には食べさせてはならないものでした。

あとで隠そうと思って少し目を離したすきに父はカメレオンの舌のように饅頭を手で取り、ぱくっと口に入れていました。父に注意すると子どもが叱られたような顔をしていました。

いま思えば、好きなだけ食べさせてあげればよかった。

隠れて後ろめたさを感じながらではなく、食べたいという気持ち全開で食べさせればよかった。後悔しています。


(もうすぐ実りの秋です)

さて、お菓子断食を実践して数か月。案外やれるものだ。そう思いました。

私は週に数回はポテトチップスを食べていました。ポテトチップスを食べると食べた枚数分、ストレスが発散するような気がしたものです。

カルビーの期間限定ものが大好きです。誘蛾灯に誘引される害虫のように私はポテチを物色していました。

コンビニのポテチコーナー前で目を輝かせていた私。

いまや見向きもしません。いや、見向きはします。きょうもファミマのスイーツコーナーの前でじっと佇んでいました。

お菓子と併せて私は牛乳もやめました。「明治のおいしい牛乳」を愛飲していました。が、断乳しました。

2か月で5kg減量できました。これまで蹴ったり雑な扱いをしてきたタニタの体重計に優しく対するようになりました。

最近、水ようかんのプールで泳ぐという妄想が頭から離れません。大丈夫でしょうか。


(暁の空)

逆流性食道炎(1)」において、この1年で逆流性食道炎を治してみせる。塩屋埼灯台でそう決意したことをお伝えしました。

逆流性食道炎とは、食道の下部括約筋が緩むことによって強酸性の胃酸が食道を逆流し、炎症を起こす症状です。胃酸が過多であることも原因の一つ。

逆流性食道炎は、生活習慣、特に食生活に起因しています。

私の食生活の何が問題なのか。

孫子曰く「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず 」。

逆流性食道炎という敵を知り、そしてそれを引き起こしている自分のことを知る。そこにこそ、この勝敗は決せられる。

今号以降、複数回にわたり、「彼を知り己を知る」。つまり、戦略を練るにあたって一番重要な「知る」ということに傾注したい。

しかし、それにしても、身体というものは、上から下まで括約筋にお世話になっていることを改めて感じます。

括約筋の活躍なくして人間の活躍なし。「括約筋よ、もっと活躍せよ」と祈るような思いです。

括約筋は、今後ますます注目される筋肉になるでしょう。

だいこんくん著『括約筋はこうやって鍛えろ』や『括約筋の活躍なくして人間の活躍なし』などが書店店頭に並ぶ日も近いかも...。

さて、なぜ、食道の下部括約筋は弛緩するのか。

一つには、加齢による筋肉の衰えです。悲しいですけど、直視しなければなりません。

最近のことです。加齢といえば、山崎豊子著『華麗なる一族』を『加齢なる一族』と思い違えることがあります。

山崎豊子さんについては「『追悼 山崎豊子展』に心打たれる」を参照ください。いま読むと、海鮮丼やらケーキやら逆流性食道炎をあおるような食事ばかりしています。

食道の下部括約筋に話を戻します。

下部括約筋を緩めるものは、加齢によるものに加え、食事にもあったのです。

では、いったいどのような食事が弛緩材になっているのか、次号で述べたいと思います。


(逆光の灯台も好きです)

師匠から送られてくるメルマガに刺激されての思考の逍遥(しょうよう)をしています。ドラマ「TRICK」に瞬間移動する女「スリット美香子」が登場するのだという。

1か月に数時間もテレビ画面を見ないのでどんなドラマなのか不案内なところが残念です。こんど見てみよう。

私にとってスリットの思い出といえば、タイの女子学生の制服です。

男子学生は適当なふだん着を着ているのに対して、女子学生はスリットの入った黒のミニスカに白のブラウス。

「タイ」「女子学生」「制服」と画像検索してみましょう。なるほどと膝を打つ画像がぶわっと出てきます。

もうこれだけで、学校に行こうというモチベーションが高まります。高められたるモチベーションがさらに勉学を奨励します。

私自身、タイ語に磨きがかかりました。なんとしても意思疎通を図りたい、と。

さて、師匠曰く。

「女性陣を観察していますと、ズボン派(今はパンツとかボトムと言うのかな)、スカート派がどうやら棲み分けているようです。とすれば、それぞれの“派”は、それぞれのサインを発信しているのではないか」

発信しているサイン。おそらく、あるのでしょうけど、根っからの鈍感ゆえ私も皆目見当がつきません。

サイン。その多くは無意識に発信されているのかもしれません。

心理学者の河合隼雄さんは、子ども不登校は、子どもが親に対するサインだと述べています。

「両親を困らせる、母のそばにいれる、好きなことができる」という意味で、3拍子そろった子どもの自己表現だという。

そう捉えられるかどうか。

サインは発信する側ではなく、受信する側にかかっています。受信する側の感度と度量と自己変革の柔軟性にかかっていると私は思うのです。

職場においても上司やスタッフから発せられるサインをどう受け止めるか。

発信している本人すら意識していないサインの奥底に潜む生命のメッセージにチャンネルを合わせる。

そういう努力こそが必要なのかもしれません。


(済んだ秋空が好きです)

やってしまいました。ドジを。いつもやっているのですが、鉄火のように顔が赤くなりました。

県下都市対抗卓球大会の司会を仰せつかりました。開会式は業界用語でいう“普通合格”だったと思います。

しかし、閉会式の表彰者読み上げの際、しでかしました。

かれこれドジをやり続けて40数年。

他人様に多大なるご迷惑さえかけなければ、自分の赤っ恥だけであれば、いいのではないかという、諦念の世界に入りつつある私。

それでも、恥は恥。間違いは避けたい。

今回はいったい何をしてしまったのか。

お笑いのグランプリの見過ぎなのでしょうか。下位の順位から読み上げてしまったのです。

「団体戦、第3位。○○市」

大会会長であり、元上司がこちらを見つめて笑っています。

はっ、何か間違ったか。

同順位の市がもう1団体あるから、それも同時に読み上げるべきと勘違い。私は元気いっぱいに次のように宣言しました。

「同じく第3位。△△市」

すると大会会長が笑いをこらえきれず、ぼそっといいました。

「優勝から読むんじゃないの」と。

んだ〜〜っ!そうだった〜っ!

何なんでしょうかね。暑くてぼーっとしていたのと、M-1グランプリなどを見過ぎなんでしょうか。

スネアドラムが鳴って下位から読み上げるものだと頭が刷り込まれていました。

まだまだ、修行が足りないなぁと思った次第でした。

五十路前鉄火の如く赤っ恥

というわけで、汗をいっぱいかき、減量に拍車がかかっています。


(雨上がりの雲が好きです)

ときおり、仕事でいっしょになるYさんの車に同乗。社会の動きにいつも敏感です。知らないことを教えてくれます。

「課長、知ってますか。我々の年代を“ゆでがえる世代”っていうんです」

「初めて聞きます。ゆでがえるですか」

「そうなんすよ。ゆとり世代より始末に悪いっていうんです。怠けてきていたため、会社にとってお荷物になっていると」

ゆでがえる世代”の発信源は日経新聞のようです。

どうした50代 このままでは『ゆでガエル』だ」(日経ビジネスSELECT2016.8.9有料会員限定)

「日経ビジネスは、今の50代をこう命名する」と宣言。

なぜ“ゆでがえる世代”と呼ぶのか。

「彼らの会社人生はバブル経済到来とともに幕を開けた。数年後に30歳前後でバブルが崩壊。その後もITバブル崩壊やリーマンショックなど幾度となく危機が訪れた」

ところが、と日経は論じる。

「『このまま安泰に会社員生活を終えられる』と、厳しい現実から目を背けてきた」と。

ゆでがえるたちはこう愚痴をいう。

「こんなはずじゃなかったのに」

何がこんなはずじゃなかったのか。

その原因は「55歳前後の管理職から強制的にポストを剥奪する『役職定年制度』」。

「団塊世代は幸せなまま定年を迎えたが、私たちは突然、ゴール手前ではしごを外された。まるで、いきなり隕石に襲われた恐竜だよ」とゆでがえるはぼやきます。

しかし、日経の論調は厳しい。

「今の50代は、経済白書が『もはや戦後ではない』と宣言した1956年以降に生まれている」

「右肩上がりで成長していける夢を、生まれながらにして刷り込まれた世代だ」

そして、人材コンサルティング会社コーン・フェリー・ヘイグループの高野研一社長の分析を次のように紹介。

「今の50代は団塊世代と同様に出世できると最後まで夢見て、その結果、会社に飼いならされてしまった」と。

さらに、ソフトブレーン創業者の宋文洲氏(53歳)の言葉を引きます。

「『日本の50代は会社に固執している人が多すぎる』と指摘する。その上で、『何もせず、ただ会社に居続けることこそ、組織にとっては裏切りになるということに気付くべきだ。もっと自己中心的に考えれば世界は変わる』」と。

実際、ゆでがえる世代の社長は少ないという。

「日経ビジネスが2014年夏に経営者に実施した調査『社長が選ぶ ベスト社長』では、トップ30(31人)のうち、ゆでガエル世代(1957〜66年生まれ)のトップは、5人だけ」

ゆでがえる世代。

いつの間にか私もゆでがえるになっていました。

というわけで、私個人的にはゆでがえるだっていいじゃないか人間だもの、と思っています。


(こういう表示が大腸に余計な悪さをします)

「ソビエト崩壊は、チェルノブイリ原発事故と同じように炉心から崩壊したのです」。佐藤優さんの言です。

初めて生でご本人と対し興奮しました。

組織の崩壊とはどのようなときに起きるのか。私自身少なからず関心を持ってきました。

アイドルグループから国家に至るまで、人間の組織は崩壊のリスクがつねにあります。

「炉心から崩壊する」とはどういうことなのか。示唆に富みます。時間をかけて咀嚼(そしゃく)したい言葉です。

一ついえることがあります。

それは、「何のため」というビジョンがなくなったとき、あるいは、「何のため」というビジョンを指し示す人がいなくなったとき、組織は炉心から融解していく、ということです。

チームであったものが、ビジョンがなくなったとき、グループとなってしまいます。何のためというミッションを失ったとき、チームはチームでなくなります。

その意味で、チームとは、ビジョンをリーダーが指し示し、チームメンバーがそのビジョンを共有する努力をし続ける組織なのかもしれません。

というわけで、私の人体組織は目下、逆流性食道炎を治すというビジョンの下、一致団結して冷蔵庫のビールやコンビニのなめらか濃厚プリンといった強敵と戦っています。


(おむすびcafe空)

豆腐を作るときにカスとして出てくるのがおから。おからも栄養価は高く有用です。が、おからを作るために豆腐を作るのではない。

外に向けて発するメッセージというものは、他人の行動の変容を意図しているものであるならば、行動の変容がもたらされるよう、その内容及び発表の仕方に留意するはずです。

重要なものであればあるほど深く留意されていると考えるべきです。

ここでいう行動の変容とは、純粋な意味での「変える」という意味合いと現状を変えようとする動きを「とどめる」というベクトルの相異なる意味を持ちます。

そう考えたとき、先般発表された「お気持ち」は、誰の行動の変容を企図しているのでしょうか。

はたして、生前退位の意向を前面に出して、それを促しているものなのでしょうか。胸中深く、もっと懸念していることはないのでしょうか。

生前退位の意向は、もしかしたら「おから」であって、「豆腐」は別な文脈にあったのではないか。そう思うのです。

私の推察する「豆腐」本体とは、国家元首化への懸念であり、もっと直截にいえば阻止です。

生前退位の意向を宮内庁を通して政府に働きかければ、当然に政府は「象徴天皇は国政に関する権能を有しない」ことを理由に「退位」といった言葉や制度改正につながる表現はお控えいただくよう伝えるでしょう。

その政府の意向に沿った形で改めて象徴天皇とは、国政に関する権能を有しないことを表明し、後世に憂いを残さないようにするための「お気持ち」ではなかったのか。

繰り返しになります。

メッセージというものは、他人の行動の変容を意図しているものです。そこには、現状を変えようとする動きを「とどめる」意味もあることを冒頭に述べました。

ここでいう「他人」とは誰かの議論は置いておきます。

「お気持ち」は熟慮に熟慮を重ねたものであると拝察します。

もちろん、生前退位への強い意向があるのはまぎれもないでしょう。

しかし、一重深く懸念していること、後継者のためを考えたとき、「お気持ち」には表面上の企図とは異なる様相が見えてくるのです。


(灯台の小窓から太平洋を望む)

ふらっと塩屋埼灯台に来ました。思い出の場所です。朝の開場一番に上がりました。螺旋階段を登る私一人の足音だけが響きます。

灯台の中は、照明のある頂まで103の階段があります。こつこつと登りながら、私はあることを思いました。


(屹立した姿が好きです)

あることとは、生活習慣病についてです。

生活習慣病を治すのもこの階段と同じではないか。一つ一つの改善の積み重ねでしか、目標は到達し得ないのではないか、と。

私は逆流性食道炎を長年患っています。生活習慣病の一種です。どんな症状なのか。

胃酸や十二指腸液が、食道に逆流することで、食道の粘膜を刺激し粘膜に糜爛・炎症を引きおこすものです。(出典:ウィキペディア)

薬により炎症そのものは抑えられています。が、数日飲み忘れるととたんに胃の調子が悪くなります。

10数年通うかかりつけのクリニックでのドクターとの会話は極めて短い。

「どうですか」

「変わりありません」

「じゃ、いつもの出しておきますね」

「はい」


(ここで決意しました)

逆流性食道炎は薬での根治はできません。食生活の改善しかないことを友人の栄養士にアドバイスされました。

ところで、そもそも、胃酸や十二指腸液がなぜ食道に逆流するのか。

直接的な原因は、簡単にいってしまうと胃酸過多と食道の下部括約筋が緩むことにあります。

強酸性の液体の量が多いことと、食道に逆流しないよう締め付ける役割をする下部括約筋がうまく働かないことなのです。


(階段が103段あります)

括約筋といえば、時折危機に見舞われ、「星々のつぶやき」でもたびたび取り上げる直腸の括約筋しか思いつきませんでした。

私という身体は、括約筋が鬼門なのだとつくづく感じます。

なぜ、胃酸過多になるのか、下部括約筋が緩むのか。これは生活習慣に根差したクセが悪さをしています。

私の食生活の何が問題なのか次号で述べたいと思います。

この1年で逆流性食道炎を治してみせる。灯台のてっぺんに立って私は決意を固めました。

食道の括約筋が解決したあかつきにはもう一つの括約筋の強化に取り組みたい。そう腹を決めました。


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