(マアムはお母さんの意味です)

順調に体重を維持していることを免罪符にして「カントリーマアム焼き栗」を買ってしまいました。初めてです。じつに美味しい。

個包装で4枚入り。数量が抑制的です。これくらいなら許されるでしょう。

泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず

しばらくスイーツを絶っていると脳髄辺りから「食べたい」という悲痛なまでの欲望の声が湧き上がってきます。

欲望を覚ますカントリーマアム。たった4枚で多幸感に包まれます。

国産和栗使用の文字に心躍る私。

しっとりとしたクッキー生地に包まれたチョコチップと和栗ペースト。その妙なるハーモニーがたまりません。

和栗の香ばしさが鼻腔を刺激します。これぞ和栗。

「カントリーマアム焼き栗」との邂逅(かいこう)には伏線がありました。

先日、猪苗代湖畔のTaroカフェで食べたモンブランケーキ。衝撃的な真っ白なモンブランでした。

そして、仕事帰りの経路上にある珈琲館のショーケースにいつも並べられているスタンダードなモンブラン。さっきもちら見してしまいました。

これらがサブリミナル効果のようになって私の脳髄を攻撃していたのです。


(赤提灯はオヤジの誘蛾灯です)

で、ふと寄った駅ビルのセブンイレブン。ちょうど棚に飾られていた「カントリーマアム焼き栗」と目線が合い、吸い寄せられるように近づいていました。

気がつくと支払いを済ませていました。

勤務先の最寄駅からいつもの無人駅に到着。家に向かおうとすると焼き鳥の移動車が駅前で護摩行にように煙を立ちのぼらせています。

赤提灯が誘蛾灯のように私を誘います。いい香りが漂ってきます。唾液腺が刺激されます。きょうは金曜日です。

しばし、赤提灯を見つめたのち、私は誘惑を背なで断ち切って家路に向かいました。

というわけで、きょうは一勝一敗。


(湘南海岸にて)

人は話せばわかり合える存在なのか。結論を急げば、「わかり合えない」というのが私の見立てです。

より正確にいえば、つねにわかり合えない人もいるし、また、時と場合によってわかり合えないこともある、といえるでしょう。

このことについて、もう少し深掘りして考察してみたい。

最近、豆乳を飲み続けているせいか、以前と比べ難しいことを考えることができるようになりました。

さて、わかり合えないということを悲観する必要があるのか。必ずしもそうではないと私は思っています。

むしろ、わかり合えないという立脚点に立つことこそが負の関係に陥らない道なのだろうと感じます。

たとえわかり合えなくてもお互いにプラスの関係性を維持する。それが重要です。

ここ1年半ほど10回近く交渉している案件があります。しかし、いまだに合意を得られていない。先方も私どももわかり合えていない状況です。

株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長の鈴木敏文さんは「相手の立場に立って考える」ということを強調しています。

これは「相手のために考える」のとは違うと鈴木さんはいいます。

作家の佐藤優さんは交渉において「相手の内在的論理を読む」ことの重要性を訴えています。

この両氏の主張を乱暴に解説すると、こうなるでしょうか。

「私はあなたの価値観を共有することはできないが、あなたのことを理解しようという姿勢を持っている」と。

わかり合えないけれども、あなたのことを認める。理解はできないが認識はきちんとする。

そして、大事なことは、認めていますよ、わかろうと努力していますよ、というシグナルを振舞いにおいて相手に示すことなのではないか。

私自身の仕事での交渉案件においても、ことあるごとに、そう振る舞ってきました。

したがって、毎回の協議においては声を荒げるようなことはなく、静かに双方の意見交換がなされています。

というわけで、豆乳で少し質が上がったように感じる大脳を駆使して、なんとか年内に合意できるようがんばりたいと思います。


(鯵のたたきを作ってみました)

熱帯に咲く巨大な寄生植物「ラフレシア」。多肉質です。この気味の悪い花を人喰い植物だと思っていた時期がありました。

その風貌からなのか、あるいは何かのアニメでデフォルメされていたのか、図鑑におどろおどろしく紹介されていたためだったのか。

もう記憶にありません。しかし、その刷り込みは、肉食の植物ではないとわかったいまでも心の深奥に沈殿しています。

私はスイカが嫌いです。種が面倒ということに加え、その種を万が一飲み込んだ場合、盲腸になると信じていたためです。

盲腸になることはないそうです。が、すでにそう刷り込まれているため、スイカは進んで食べたい果物ではありません。

外出先でお客様から強く勧められ、礼を失してはいけないと判断したときにのみ、意を決して、「美味しいスイカですね」などと心にもない世辞をいいながら食べます。

自分が嫌になります。

このように、「思っていること」と「いっていること」に乖離(かいり)が見られても平気になるのが大人になるということなのでしょうか。

爪切りも、親の死に目に会えないという迷信が刷り込まれ、しばらくは夜に行うことはありませんでした。

いまはいつでも気がついたら切ります。

私の場合、このような幼いときに刷り込まれたものが意外にしぶとく深層意識に残っています。ふとしたときに首をもたげます。

というわけで、もっと面白い刷り込みを末尾にオチとして紹介しようとしたのですが、思い出せません。大脳が劣化してきたのでしょう。

思い出したら、また投稿します。申し訳ありません。


(ふれあい弁当デー。息子と自分の分を作りました)

タイのハーブティー「バタフライピー」が人気だという。まるで硫酸銅水溶液のようなきれいな青色。

タイ語で「アンチャン」と称するマメ科の植物。アンチエイジングや薄毛にも効果があり、抽出液を塗ると濃くなるとか。

私も若かりしころのアンチャンに戻りたい。

閑話休題。「逆流性食道炎のこと(3)」のつづきです。

私は、逆流性食道炎の薬を十数年以上飲んできました。毎月、病院に行って、5秒で終わる診断。

「どうですか」

「変わりないです」

「じゃ、いつもの出しておきますね」

薬局でも同じような会話。

「どうですか」

「変わりないです」

「私(薬剤師)も逆流性食道炎なんですけど、これがないと2日ともたないんです。困っちゃいますね」

薬局さんは困らないんじゃないかなと思いつつ、被保険者の負担分(3割)を支払いを済ませます。残りの7割は、誰かのお世話になっているんだよなと、いつも思います。


(バタフライピーティー)

薬といっても逆流性食道炎の原因を根治する薬ではなく、胃酸を抑える対症療法です。

今後もずっと飲み続けるのは憂鬱だし、お金もかかる。なんとかならないものか、と思いました。

栄養士の友人の助言を受けながら、次のことを実践すると腹を決めました。

(1)胃酸が過剰に出ないような食事をする。要するに、胃に負担がかからないような食べ物を摂取し、そういった食べた方を実践する。

(2)内臓脂肪を減らし、胃の底から上方への圧力を軽減する。つまり、ダイエットをする。

かれこれ、この2項目を3か月実践しています。

咀嚼(そしゃく)を50回以上。胃が困惑するほどペースト状になるまで噛み続けます。最近は100回近く噛むこともあります。

大好きなチョコレートやアイスクリームも控えています。なかば依存症と化していた食後のポテトチップは完全に断ち切りました。

実践し始めて2か月目のときに薬を止めてみました。

残念ながら、だめでした。

かの薬剤師さんと同じです。もう2日目には胃もたれ感とゲップの頻発。

どうしてなのか。

3日目も、4日目も同じなのだろうか。がまんして飲まずにいると、いっそう悪化するのだろうか。

(つづく)


(秋の猪苗代)

タイを訪れた日本人が一様に言及するのが空港に到着したときのにおい。いわばにおいの洗礼です。

以前のドンムアン空港では特に強かったように思います。新空港であるスワンナプームは、タイのにおいが薄まったように感じました。

いいことなのか、悪いことなのか、わかりません。

タイ独特のにおいは、香辛料やハーブ、香料といった、香りを強調するものに加え、下水や河川の臭気も混ざっていました。

私はタイのホテルのにおいが好きです。高級ホテルといわれるホテルは、それぞれのホテルが持つ香りがかぐわしく漂っています。

オリエンタルホテルの香り、シャングリラホテルの香り、シェラトンホテルの香り...川べりのホテルばかり思い出します。旧いホテルばかりですみません。

貧乏学生の私は、バンコクの喧騒に疲れたとき、高級ホテルのロビーでよくくつろいでいました。

思うのです。

ホテルの芳香は、意図的に香りを調合しているのでしょう。香りの専門家がいるに違いありません。

ホテルとは異なりますけど、タイシルクで有名なジムトンプソンにも独特の芳香があります。

目をつむって想像すると、気品のあるジムトンプソンの香りが鼻腔の奥に蘇ります。

タイ滞在中に気がついたことがあります。

タイに住むようになって2週間ほどすると、屁のにおいが変化するのです。いままで自分で放出したことのないようなにおいです。体臭も変わります。

いったん日本に帰国し数日するとその屁は元の屁に戻ります。

しかし、タイに戻ってくると、やはり、あの屁のにおいが蘇るのです。

というわけで、現在、友人に依頼されて、タイの天然ハーブのシャンプーとコンディショナーを使用しての感想をレポートすることになっています。

私の頭は、いまタイ臭がします。


(マンション。そびえ立つ建物が好きです)

規模の大きなリゾートホテルに泊まりました。そのホテルには20年前に一度宿泊したことがあります。

今回、配膳が粗雑だったことが気になりました。ふたの付いたご飯茶わん。いい器です。

でも、仲居さんは茶わんをテーブルに置いてから、つんと突き出して動かしていました。

摩擦係数の高いテーブルでしたのでカーリングのようには滑りません。

つんつんと数回突いていました。なんというのでしょう、“ほらよ”という感じがしたのです。

私にとっては20年ぶりの宿泊。楽しみにしていました。

でも、配膳は仲居さんにとって、ありふれたふだんの作業。毎日毎日、同じことの繰り返し。人手も少なく、急いでいるのでしょう。

以前「分母と分子」と題して、自分一人で抱える悩みや悲しみを高みから見る“俯瞰”について述べました。俯瞰すると小さく感じます。

今回は、逆です。

相手にとっては何万分の1であっても、当方にとっては1分の1。分母と分子の見方が逆転しました。

と思いつつ、ハッとしました。

先日、関係団体の役員との懇談会がありました。ご自分の地域の要望を強く訴えられました。

同様の要望は市内各所からあります。

私は心の中で「同じような要望は何十か所もあるので、なかなかお応えできないんだよなぁ」と思わずつぶやいていました。
でも、先方にとっては1分の1の事案なのです。

というわけで、かくも、相手の立場に立つというのは至難中の至難。難事中の難事。

この分母と分子の思いのギャップゆえのトラブルが増えてきているように思う、きょうこの頃です。


(屹立するモンブランケーキ)

猪苗代のTaroカフェに行ったら絶対にモンブランケーキを食べるべし。そう友人に勧められました。禁断のスイーツに手を出してしまいました。

運ばれてきた瞬間、「これは何だ」と頭の中にはてなが浮かびました。

私のモンブランケーキとの出逢いは、電気の日(3月31日)。父が勤務先の火力発電所からもらってくる数種類のケーキの中にありました。

モンブランケーキといえば、トップを飾るのは黄色のそば状のクリームと決まっています。

幼いころ、家で自家製味噌を作っていました。茹でた上がった大豆を手動のミキサーに入れて、にゅるにゅると出てきたものにも似ています。

Taroカフェのモンブランケーキにはこのそば状がまったく見られません。これをモンブランケーキと称していいのでしょうか。


(Taroカフェの入口。静謐が漂う回廊)

でも待てよ。「モンブラン」とは、白い山を意味する。

そうか、これぞ正真正銘のモンブランなのだ。遅ればせながら私はそのことに気づきました。

フォークを側面に当ててみます。外側の生クリームの層は意外に薄い。そして山体本体は、予想を覆し堅固です。重量感があります。

栗をつぶし、さつまいもと生クリームとで練り上げたものが山体の大宗を成しています。どこを食べてもひたすら栗の味。


(猪苗代の紅葉)

そして、山体に奥底には和栗がごろっと鎮座しているではないですか。最下部のクッキータルトとの相性もじつにいい。

もう今年一年分のモンブランケーキを食べた感に包まれています。

なお、30年前に万年筆のモンブランで切ない経験をしたエピソードはこちらから。


(ほぼ毎日お弁当を作っています)

うまみ調味料で有名な食品メーカーの方の来訪を受けました。社会貢献活動として震災時から社員を被災地に派遣。食の分野で支援活動に取り組んでいます。

お話を聞きながら、ふと30年前のタイでの出会いを思い出しました。

「私、タイに留学していたとき、貴社から同じ大学に派遣留学されていた方にお世話になったんです。でも、名前を失念し思い出せないんです」

業務とは関係のない話をお客様に切り出しました。

「どんな感じでしたか」

「小柄でがっちりしていて...」

「頭はどうでしたか、もしかして、こう、なんていうか、ちりちりというか」

「そうです、髪の毛はちりちりでした」

「それでしたら、Tさんです」

「ああ、そうですTさんです!」

「いまどちらにいらっしゃるんですか」

「ポーランドです。海外が長いですね」

きょうはじつに懐かしいお名前を思い出すことができました。

留学中、うまみ調味料のことやマヨネーズのことなど、タイ料理を食べながらTさんといろんな話を聞かせてもらいました。

暑熱のタイにいながらも、ワイシャツの第一ボタンをきちっと閉めていました。紳士でした。同じ東北出身で親近感を持っていました。

ポーランド。

どのくらい遠いのでしょう。ショパンと「ワレサ 連帯の男」しか思い浮かびません。

行ってみようかなって、ひそかに思い始めました。


(秋空はいろんな表情があります)

徒歩通勤において1kmを約10分で歩きます。時速6kmは、自分としては速歩だと思っています。

ただ、あぜ道を歩くため、図鑑ではメジャーではない種類の、名前のわからない小さな虫がたくさんズボンやジャケットに付着してきます。

そんな虫たちにたかられながら、「システム」ということについて考えています。

「『システムは何か』っていうと『替わりがきく』っていうこと」(加藤哲夫著『市民の日本語』2002年、ひつじ書房)

加藤哲夫さんのお話はじつに示唆に富むもので、早く亡くなられたことを悔やむばかりです。概念をわかりやすく図示できる達人でもありました。

「宗教は、それを共有しない人との間では効力を発揮しない。だが、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ」(塩野七生著『ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)』2002年、新潮社)

価値観を共有しない人々をマネジメントするには、法という名の仕組みが有効だとローマ人は考えたのでしょうか。

塩野さんはローマの興隆の要因をシステムに見ていました。

「興隆の因は当事者たちがつくりあげたシステムにあると考える。なぜなら、人間の気分ほど動揺しやすいものはなく、気分を一新してくださいなどと説いても、なかなか全員で一新できるものではない。一新するには、一新せざるをえないようにする、つまりシステム化してしまうしかないと思うからである」(塩野七生『ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(下)』2002年、新潮社)

でも、そのシステムも「何のためのシステムなのか」を構成員が考えなくなったとき、ただの管理ツールに成り下がってしまう。

「真夏の海岸で『おにぎりは腐りますのでご注意ください』という放送がなければおにぎりを腐らせてしまう人、『盗難に注意しましょう』警告されなければ所持品を盗まれてしまう人は、不思議な人である。自分が何をすべきか、他人から言われなければ何もわからない人は、人間のかたちをした化け物である」(中島義道『<対話>のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの』1997年、PHP研究所)



(「4P深まるパンプキンロール」モンテールサイトより)

というわけで、通勤途上に寄ったコンビニで見つけたモンテールのロールケーキ「北海道産かぼちゃ使用 4P深まるパンプキンロール」。

しばし見つめていました。とても美味しそうで、己に負けそうでした。

が、自分が何をすべきかわかっている私は歯磨き粉を1本だけ購入してレジをあとにしました。


(カワウもいます)

自宅を出ると雨です。ただでさえ憂鬱な月曜日。雨の中を夏井川に沿って最寄り駅まで歩いていきます。

消波ブロックで数羽の鴨が佇んでいます。歩きながらふと考えました。

陸上協議の記録更新と歯磨き粉の残りのひねり出しは同じではないか、と。

たとえば、走高跳の世界記録は、キューバのハビエル・ソトマヨル選手の2.45m(1993年7月27日)です。

2.45mを自分の脚力で跳ぶとは驚異です。23年間、記録が破られていません。

でも、もうこれ以上の記録は出ないのか。もっと跳ぶ選手が出てくるような気もします。

これは、もう、きのうでおしまいかに見えた歯磨き粉がきょうもまだ出ることに似ていないだろうか。

あれほど力んで出した歯磨き粉。不思議なことにきょうもひねり出することができました。

したがって、走高跳もハビエル・ソトマヨル選手の2.45mを超える記録がいつか出るに違いない。

でも、歯磨き粉がいずれ枯渇してしまうように、記録というものも限界という名のシーリングがあるのか、ないのか。よくわかりません。

ちょっとした違い。このちょっと違いを作る努力って大事だなと思います。

以前、星々のつぶやきで「紙一重のために」という題名で北原白秋のエピソードを紹介しました。

あるとき若い急進派の歌人から批判を受けたという。

「あなたの歌はやはり型にはまった31文字の歌で、新しい現代の歌といっても、以前の旧派の歌とはただ紙一重の相違ではないか」と。

白秋は答えます。

「そうです、ほんの紙一重です。しかしこの紙一重のために、この30幾年という長い年月を私は苦労してきたのだ」(岩波書店『白秋全集24』所収)

こんなふうにちょっとした違いについて考えていたら最寄りの無人駅「小川郷駅」に到着しました。

さあ、あすも残り少なくなった歯磨き粉をひねり出してみせます。


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