(Soup cafe あかり)

「未来は常に変化するゆえに、いかに柔軟に変化できるかが重要だ」(森川すいめい著『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』)。

変化することが苦手な私。柔軟性を身に付けるため、いつもと違う環境に身を置いてみようと思いました。

というわけで、はじめての「Soup cafe あかり」。

古い診療所を改装したというレトロな建物。子どものころ通った町医者を想起させます。

「レトロ」と「おしゃれ」がほどよく組み合わさった素敵なお店です。店内は若い女性ばかり。


(天井の格子が素敵なアクセントになっています)

しまむらのレディース下着コーナーにぽつんと男一人でいるような違和感。“お呼びじゃない感”がじわじわと胸の中に広がっていきます。

あと4か月ほどで天命を知ることになるはずの齢(よわい)の男が単独で来る場所ではない。そう確信しました。

そういった配慮からなのでしょうか。学童の机を一回り小さくした、おひとり様用のテーブルに案内されました。


(おひとり様感を満喫)

部屋のはじっこに、まるで宿題を忘れて罰せられた子どものようにちぢこまって着座。

メニューを見ます。

化学調味料や添加物を一切使わずに作った野菜たっぷりのスープが美味しそうです。期待が高まります。

ミネストローネと雑穀おにぎりを注文。

15分ほどしてからたっぷりのチーズで覆われた湯気の立つミネストローネが運ばれてきました。けっこうなボリュームです。


(深い味わいのスープ)

スプーンで掘削(くっさく)するとドリアのようにご飯が埋まっています。雑穀おにぎりは余計でした。持ち帰ることにしましょう。

スープが熱い。熱すぎる。チーズが非常に熱を持っています。猫舌だということを忘れていました。

でも、うまい。いろんな野菜やトマトからにじみ旨みが、とろけるチーズと相まって深みのあるコクを生み出しています。

上顎にやけどを負いながら、食べ終えると身体がほかほかです。


(静謐のひととき)

「いかに柔軟に変化できるかが重要だ」との言葉を反芻(はんすう)しています。次回も堂々とおひとり様で来ようかしらん。

そうそう、食事中、見られている感を過度に感じ、緊張のあまり箸を落としてしまいました。

半身を後ろに向き、身体を横に傾けて箸を拾おうとしたら、椅子がひっくり返りそうになったのであきらめました。

ドジ防止機構が起動したようです。大音響を立てるところでした。

われながら一歩成長したなと思いました。


(人間ナナフシ)

27年前にタイ南部のハジャイで出会ったタイの友人が仙台に来ているとの連絡がありました。数日後に帰国するという。

これは行くしかない、と決断。

ソンクラ大学歯学部准教授の彼は東北大学歯学部との交流で9名の同僚教官とともに来日。

仕事を1時間早退し、一路、常磐道を北上しました。

東北大学歯学部主催の懇親会会場に厚かましくも乱入。学部長ほか同大の先生方に感謝感謝です。

国分町の「かまど料理銀兵衛」での会話。

「27年ぶりだね。会えて本当にうれしいよ」と私。

「遠いところ車でよく来てくれたね」

「タイから来たことに比べれば遠くないよ」

「お父さん、元気にしてる?」

「うん、85歳になったけど、元気だよ」

「うれしいね」

オーストラリアの大学院で学び、タイに帰国後、地元の国立大学で歯学の博士号を取得したという。

現在、タイ政府は急速に進む少子高齢化への対策として日本に学べと、どんどん人材を派遣しています。相当に危機感を持っているようです。

旧友と別れたあと、私とのツーショットを彼がSNSに投稿。

すると、27年前同じ寮にいた彼と私の共通の友人(タイ・パタヤ在住の歯科医)が反応。

驚いたことに、当時撮った、私の写っている写真を次々とアップ。さらに、私が贈った魚の本をいまも大切に保管しているのだという。

「魚の本。贈ったっけ」と私が思い出せないでいると「これだよ」と写真をアップ。

釣り好きだという彼のために贈ったことをようやく思い出しました。


(「釣りの魚」)

それにしても、27年前の写真や贈られた本を瞬時にSNSに投稿できるその「保管力」に私は度肝を抜かれました。

さらに、SNSの彼のプロフィール写真を拡大してびっくり。

てっきり樹木の写真と思いきや木の枝に擬態した昆虫の「ナナフシ」のように枝に彼の身体が巻き付いているのです。しかも、頭部が幹側に、足が空の方向に仰角に向いています。

この27年の間にいったい彼になにがあったのでしょうか。

牛たん炭焼「利久西口本店」で一人で焼酎を飲みながら、不思議な余韻に浸るのでした。


(昭和な感じが好きです)

人に対して激してしまいました。激高とまではいかないものの、温厚な私にとっては珍しい。

反省しています。猛省中です。

しかし、と思っています。

激する心、怒りの心というものは、いつも抑えなければならないものなのでしょうか。

自分自身のことを批判されるのは、さほど気にしません。突っ込みどころ満載の私ゆえ。半世紀を生きてきたとはいえ超未熟人です。

それに、「青柿が熟柿弔う」のことわざのごとく、いずれみな彼岸にいく身。彼我に大差はありません。

でも、同じ志を抱く人を批判されるのは許せない。健気に頑張っている人をけなされるのは、つらい。許せない

それを甘受し、批判を放置したならば、私もまたその批判に同意し、場合によっては加担したことになってしまう。

そう思いました。

いや、そう思ったというのは正確ではありません。脊髄反射で怒りがこみあげてきたのです。

当然、相手の人格を否定するような言説は避けるべきです。

しかしながら、理不尽なもの言いに対してはどうなのでしょう。

「あなたのその見立てに怒っていますよ」という気持ちを感情を込めて伝えることも有効な場合もあるのではないか。

そんなふうに思うのです。

夏に買った料理酒代わりの「特別純米奥の松」を飲みながら思いました。


(準備万端のワークショップ)

よかれと思ってあだになる。そんなとき落ち込みます。

塩野七生さんは『ローマ人の物語』でユリウス・カエサルにこういわしめています。

「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」

世の中のほとんどのことは善意で始められたものばかりだということでしょうか。

が、それが屈折して伝わる。あるいは原点が忘れられ、変質していく過程で目的と手段が転倒したりするのでしょう。

逆に、こちらの「よかれと思ったこと」がストレートに伝わったときのうれしさは格別です。

有志で主催したワークショップのあとの懇親会の席でのこと。参加者の一人からいわれました。

「今回、工夫しましたね。誘導もわかりやすかったし、全体の流れも大書きして各テーブルに置いてあってよかったです」

受付で滞ることなく、素早く参加者を各テーブルに誘導したい。

そんな思いから自由席ではなく、番号札をあらかじめ用意。1から12の番号を6グループ分、来場した順に渡しました。

しかも、番号札には「グループの番号です」と記載。

「この番号はなんですか」といった問いがないようにしました。少数のスタッフで円滑に誘導するためです。

また、名札も文字の色を異なるようにし、勉強会本編のみ、懇親会にも参加する人とで区別できるようにしました。懇親会での受付を不要にするためです。

そのほか、細かな工夫をいくつかほどこしました。

じつは、ワークショップの前の週に別な団体主催のワークショップに参加。運営する側の視点で改善点がないかを終始考えていました。

今回のワークショップは、参加者とスタッフ一同の協力により盛会のうちに終えることができました。

工夫を感じ、それを表明できる人は、運営する側の立場で考えられる人なのだろうと思いました。

よいことは感じたら言葉にして表す。大切なことですね。

ハングル語で「勉強」は「工夫(コンブ)」といいます。さらに勉強して工夫を重ねていきたいと思ったこのたびの会でした。


(フェンスの向こうに橋が見えます)

杜の都・仙台。連想するのは、青葉城恋唄、牛たんの利久、白松が最中(特に胡麻餡)と萩の月。行くための交通手段を考えています。

鉄路は常磐線が復旧していないので除外。残るは自家用車か高速バス。

高速バスは安いし、駐車料金が不要。都市部の駐車場はけっこうかさみます。

心配事はただ一つ、トイレです。唯一の懸念であり、不安であり、恐怖が、乗車中の腹痛なのです。

高速バスのウェブサイトを確認しました。そこに気になる表現があります。


東京線<いわき号>、「東京ディズニーリゾート®」線、京都・大阪線<シーガル号>、仙台線、福島線は、トイレ付車両で運行いたします。 (車両運用上やむを得ずトイレなし車両の場合もございますのでご了承ください)。
トイレなし車両にご乗車で必要な場合には、乗務員までお申し出ください。



まず括弧書きの文章。

確率論的にはそれほど遭遇することはないのでしょうけど、私はネガティブな出来事に遭う確率が低くありません。

「車両運用上やむを得ずトイレなし車両の場合もございますのでご了承ください」

このような但し書きは要注意です。

十数年前トイレなしの仙台・福島間の高速バスに乗って生涯忘れられない悲劇に見舞われました。

詳細は「デンタルフロス」を参照ください。

トイレなしの車両に当たるのではないか。そう思っていると、そのように“願い”が叶ってしまうのですから不思議です。

そして、最後の文章が理解できません。あえて主語を忌避しているようにしか思えない。

「トイレなし車両にご乗車で必要な場合には、乗務員までお申し出ください」

いったいなにが「必要な場合」なのか。どういうことなのか。

トイレなしの車両に乗車中において存立危機事態が発生したことをいっているのでしょうか。

つい想像力をたくましくしてしまいます。

“コンパクトおまる”がトランクルームに格納されているのか。

なにが必要なのかを明示しない文章。主語を伏せた「必要な場合」という表現に私はとてつもない不安を覚えます。

と、いうより、私の場合、いやな感じの脂汗と黒紫色(当地でいうぶんず色)になった唇で、乗務員席まで歩むことができるのか。

そして、窮状を訴える間に腹腔の圧力に抗しきれるのかが、最大の不安です。

往復4800円の安さとトイレなしの車両に乗って発生するかもしれない存立危機事態とを勘案し、目下、真剣かつ深刻に検討中です。

けさ、久しぶりに大きく揺れました。心の中はいまも揺れています。


(アクアマリンふくしま)

潮のにおいが好きです。海を眼前に臨む社宅で生まれ、育ちました。

潮のにおいをかぐと、子どものころの淡い記憶がよみがえります。

兵庫から来訪した知人をアクアマリンふくしまにご案内しました。


(深海魚の幸せってなんだろう)

深海と宇宙はどちらが未知の領域か。私たちの二人の見解は一致しました。それは深海。

圧力への対策は深海のほうがはるかにシビアです。マリアナ海溝では1000気圧を超えます。

上空1万メートルにはたやすく行けるのに、深海1万メートルの有人探査はこれから。

機械工学を専門とする知人の興味深い話が続きます。


(食欲は湧かない類いの魚です)

かつて知人が勤務していた清掃工場について話題が移ります。

清掃工場は燃やすことが使命です。しかし、燃やすためには冷却こそが重要だと知人は訴えます。

同じように、新幹線についてもいえると、鉄道工学にも詳しい知人はいいます。


(悠々と気持ちよさそう)

「新幹線はもっとスピードが出せるんです。400kmとか出せるんです。でも、1500m以内で停止しなければならない。そこが難しい」

「なるほど。止めるという視点はつい見落としがちです。清掃工場にしても燃やす方ばかりに目が行ってしまいますね」

「そうなんです。阪神・淡路大震災のとき、清掃工場では冷却用の水の確保が大変でした」


(館内の釣堀で釣り上げた鯵。即唐揚げに。美味すぎる)

自動車もブレーキが故障したら大変なことになります。

ブレーキとアクセル。その重要性の度合いはまったく異なるといってよいでしょう。示唆に富む話だと思いました。

「その意味で原発は、”消えないライター”のようなものです」

「消えないライター。なるほど」


(和栗モンブラン。多幸感に包まれます)

知人は技術系の出身です。

しかし、清掃工場に在籍中、清掃工場と社会動態との関連性に関心を持ち、仕事をしながら、大学院に通い、経済学の博士号を取得したという。

その学びの姿勢に私は深く感銘を受けました。

波長の合う人との語らいはあっという間に過ぎていきます。別離の時間が迫ってきました。

出発時間まで駅前のカフェで談笑。モンブランケーキが好きだという共通点まで発見。

モンブランに心のブレーキ、いっさいなし。モンブランを見た途端、私は抑制のかんぬきが外れます。


(むかしの給食の食器)

サウナが好きす。「星々のつぶやき」でもたびたび言及してきました。

10分ほど室(むろ)にこもり、冷水風呂に数分浸かる。そのあと、よく体を拭いてから、いすで休みます。清拭は念入りに、が肝です。

すると、サウナで熱せられた体内の熱を放出しようと冷水でいったん閉じた毛穴が開きます。

毛穴が開放されるときのじわじわ感と恍惚感。たまりません。くせになる刺激です。

ところで、仕事の師匠に教えてもらった言葉「切所(せっしょ)」について考えています。

「切所」は、「山道などの、通行困難な所。難所」(デジタル大辞泉)を意味します。

人生の切所において私は多くの人に助けられました。

死のうとばかり思い悩む日々。そこから脱却できたのは、自分自身の本来持っているレジリエンス(回復する力)を発現させてくれる、人のつながりがあったからでした。

ふと思いました。

切所とは、ドアのないサウナに似ている、と。しかも、ひとりでいるサウナに。

サウナはどんなに熱気が充満し苦しくても、ドアがあるから耐えられます。

しかし、ドアがないサウナは地獄です。熱いということはもちろんですけれど、期限のなさに苦しみもだえるものです。

際限がないと思える苦しみほど、切ないものはありません。そして、際限のない苦しみは、苦しみを相対化することが困難です。

自分ひとりだけが大きな苦しみを背負っているように感じます。

苦しみは有期であり、相対化できる。そう思えれば、この切所から脱却できることを私は知りました。

しかし、これがなかなかできません。至難です。

その意味で自分自身の本来持っているレジリエンス(回復する力)を発現させてくれる人の存在がきわめて重要になってきます。

私は元来が悲観主義です。

しかしながら、それらの存在(人とのつながり)のおかげで、切所において生きる力を復元し、今日まで歩んでこれたと思っています。

この人とのつながりは、切所にある友を励ましてきた恩返しによって築かれてきたのではないか。最近、そう思うようになってきました。

というわけで、週末、サウナに入って、じわじわしたくなりました。


(朝の駅の風景)

会話から得るものは楽しい。知人宅にお見舞いに行く途中の会話です。

「中学3年生からアルバイトしてたんですか」

「そうなんです。家が貧乏だったので。北区の花屋さんで働いていました。朝、市場に行ったりもしましたね」

「菊をたくさん買ってきて湯あげするんです」

「湯あげってなんですか」

初めて聞く言葉に俄然興味が湧きます。「湯あげ」とはなんのか。

「根を切った菊はそのままだと水を吸い上げずに枯れてしまうんです。そこで熱湯に切り口を浸して、再度切り落とすんです」

「熱湯にですか!?」

湯気の立つ熱湯地獄に菊が浸かっている様子を想像しました。

「熱湯で殺菌します。生花が枯れるのは細菌にやられる場合もあるんです。茎を熱湯にくぐらせることで元気になります」

「へ〜初めて聞く話です。どのくらい花屋さんで働いていたんですか」

「10年くらい働いていました」

湯あげについて調べてみました。殺菌に加え、茎の導水管内の空気を吐き出させて、吸い上げをよくする意味もあるという。

花談義に花を咲かせながら、いつのまにか知人宅に到着。

「湯」という字を思い浮かべていたら、無性に参鶏湯(サムゲタン)が食べたくなりました。参鶏湯といえばソウルの「土俗村(トソクチョン)」。

また行ってみたい。


(無人駅を降りると誘惑が待っています)

ある催しでのこと。出席者紹介ののちに発言する機会が与えられました。

開始時刻少し前に下腹部がぎゅるぎゅるっと痛み出しました。いやな感じです。

収束するような気もするし、悪化するかもしれない。

ここ数か月、よく噛む習慣が身に着いていたせいか、しばらく腹痛に見舞われませんでした。

これは、久しぶりにまずいかもしれない。下るおそれの方が大きい。そう私は判断しました。

蛇足ながら、京都の住所に見られる「下ル」は「くだル」と呼ぶのだと思っていました。

さて、この瞬時の判断が存立危機事態を回避する分水嶺です。しかし、迷うが凡夫。

ここ数か月、私は咀嚼(そしゃく)の回数を増やすとともに、食事中に水分を過度に摂らないようにしてきました。

以前は水や牛乳で流し込むように胃袋に食べ物を入れていました。食卓にコップがないと不満に感じたものです。

しかし、この食べ方はよくないという。

胃液の意味を栄養士さんから教えてもらいました。

胃液の役割は、大きくは消化と殺菌。

水分を過剰に摂取すれば、胃液が薄まります。胃液が薄まれば、当然、消化も、殺菌も、その作用が薄れるというのです。

もう一つ、気づいたことがあります。

噛む回数を絶えず50回以上行っていると、唾液がこんこんと湧き、水などで流しむことは不要なのだ、と。

人生49年にして初めて知ったことです。

我、四十九にして唾液の足るを知る。

噛めば、お通しの水はまったくもって不要です。ぜひお試しください。

存立危機事態の話に戻します。

けっきょく、出席者紹介ののちにトイレに駆け込みました。正解でした。

おそれていた時間差攻撃による第二波、第三波も押し寄せてきませんでした。この伏兵は油断なりません。

というわけで、破滅型の私小説のように文筆のネタのために存立危機を惹起(じゃっき)するという事態は回避できました。


(紅白のワインを交互に飲んでみました)

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
(石川啄木『一握の砂』所収)

愛知の友人が最近の心境を啄木の歌に託して、先週に引き続きメールを送ってきました。

来年は愛知に行こうかなと思っています。ついでに中村区宿跡町も訪れたい。

ところで、仙台での催しの帰り道、若い男性に声をかけられました。

「○○○さんではないですか」

「あ、はい」

「たぶん、私のこと、覚えていないと思いますけど、いつも年賀状をお送りいただいてありがとうございます。○○です」

「ああ!○○君。覚えていますよ」

20年ほど前に福島市で高校生であった彼と会い、その後、励ましの意味を込めて毎年、年賀状を送り続けてきました。

しかし、返信はないまま。記憶力の乏しい私は顔は忘れてしまいました。

一瞬の出会いで顔を見ただけで私と判断できる彼の記憶力。私はまず何よりもそのことに感銘を受けました。

私の顔が生きた化石のように経年劣化のない、老け顔であることも一因でしょう。これは父親ゆずりです。

父の遺影は死去した年齢より20歳若いものを使いましたが、誰も気づきませんでした。

さて、青年との会話の続きです。

「それで、いま、仕事は何をしているの」

「福島の郵便局に勤めています」

郵便局員なら年賀状に返信してよ、とふと思いました。

が、思いは届いていたのだという嬉しさが上回り、彼にふたたびエールを送りました。

仙台といえば、牛たんと白松がモナカ(特に黒ごま餡)と萩の月。

「牛たん炭焼 利久大和町店」にて牛たんまる得セットを注文。やっぱり牛たんは利久に限ります。

50回噛みながら、20年ぶりの邂逅(かいこう)を振り返りました。


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