- 2016.12.31 Saturday
鼎談(ていだん)
(窓拭きを終えると空がきれいでした)
集えば、自然に両親の思い出話になります。姉と弟一家が我が家に来ました。
はじめに弟が可愛がっている犬の写真を見せたところから鼎談(ていだん)が始まりました。
弟「犬、可愛いよ」
私「そういえば、お父さんが猫を可愛がるようになったのは子育てが一段落したころだよね」
姉「そうそう」
弟「40代から50代はね、ペットを可愛がるんだよ。で、60代になると動く生き物は億劫になって、盆栽になるんだ」
私「盆栽に。へ〜なるほど。深い」
ライフステージごとの愛玩(あいがん)の変遷に関する弟の考察に私は心打たれました。
姉「深い話だね。そういえば、お父さんの背中の日本刀で切られた傷ってなんだったのか聞けずじまいだったね」
私「叔母さんによると、待ち伏せされて斬られたらしいよ」
姉「おっかないね。そういえば、うちって子どものころ、家族で花札で遊んでたよね」
私・弟「うん、やってたやってた」
姉「友達にそのことを話したら驚いてた。だって、ふつうの人の遊びじゃないって」
私「だよね。座布団使って、お父さんを囲んでやってたよね」
弟「坊主っていう札があったよね」
私「坊主、あったあった。でさ、お父さんの背中の傷なんだけど、常磐支所の近くにあった銭湯にお父さんといっしょにいったとき、本物のスジの人から『うっす』って挨拶されたよ。半端な傷じゃないからね」
姉「そうそう、昔、親戚関係で借金取りがうちに来たとき、お父さんがパンツ一丁で玄関に出て行って、『なんだ、なんだ』っていったら、二度と来なくなったって、お母さんいってたよ」
私「背中の傷を見たんだね。いま考えるとさ、川で釣ったうなぎをまな板に釘で刺して、さばいたり、不思議なワザをお父さん、持ってたよね」
愛玩から背中の刀傷、花札、うなぎの釘刺しにまで脈絡なく話が飛び、亡き両親の思い出話に花が咲きました。
というわけで、父には私たちの知っている表の顔以外の裏の顔があったのではないか、と薄々感じ始めた私でした。
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- by だいこんくん